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2006年10月28日 (土)

デス博士の島その他の物語/ジーン・ウルフ

 同名翻訳書の中の最初の短編で、原題は「The Island of Doctor Death and Other Stories」で初出は1970年、今回の翻訳は伊藤典夫。

「~砂つぶが靴の上を飛び、しぶきがコーデュロイの裾を濡らす。きみは海に背をむける。半分埋まっていた棒をひろい、そのとがった先っぽで湿った砂の上に名前を書く。タックマン・バブコック、と。
 それから、きみは家に帰る。うしろで大西洋が、きみの作品をこわしているのを知りながら。
 きみの家は、セトラーズ島にある大きな木造の建物だ。もっともセトラーズ島というのは通称で、実際にそれは島ではないし、したがって名前もなければ、地図にその正確な輪郭が描かれているわけでもない。~(冒頭部分より引用)」

 小説の書き出し、冒頭は読書へ強い影響を与える、らしい。私はそうは思わないこともあるのだが、たださりげなく始まる小説や映画も好きだ。このウルフの冒頭が優れているのか、普通の物なのかそれは私の感性ではわからない。文章に対して相当に想をめぐらす作家らしいので、おそらく上等なものなのだろう。世の識者、世評からは遠いところで読んでいるので、私には判断がつけられない。
 ただ。
 「きみは」という二人称に気持をつかまえられてしまった。この「きみは」に引きずられて、すっと読み切ったと思っている。26頁ほどの、ほんとうに短編だった。二人称というのは、書簡体のような少し変わった用法だといえる。日本文学にも、それほど多くはないだろう。最初のしばらくで、ちょっと気取った書き方なら「まあ、そうか」ですむのだが、最後まで二人称の作品だと、やはり気になった。

 二人称問題の一つの解答は、関係記事を読んでいてわかった。いくつかあるうちの、一つの解答で、それに私も同意したのだから、記しておく。つまり、今物語を語っている人がいる。それは大人のタックマン(タッキー)のようだ。タックマンは少年時代のタッキーに「きみは」と呼びかけて、物語を語っている。

 作風はぼんやりとしているとも言えるし、全ての言葉に仕掛けがあるともいえる。気がつかなければ少年期の追想、少年の妄想とも言えるし、気がつけば言葉の、名前の、シーンのひとつひとつに背景があるともいえる。心理学実験で使う、だまし絵のようでもあるし、もっとリアルな、作者だけが一意に定めた物語とも言える。
 そう。
 読者の側でいろいろ変化する。どんな読み方にも間違った読み方はないと思った。作者の真意とか意図などは、公開された限り読者のどこにもない、というのが私信との違いであろう。小説とは、作者が騙るものだし、読者は経験や資質や感性によって、いかようにも読み切るもの、多義の存在である。神秘性があるのではなくて、読者の脳の数だけ、作品はn回の存在を持つのだろう。

 そう。
 少年の母は若くして離婚している。満ち潮になると沈んでしまうような、陸と細い道でつながった島の上の家に住んでいる。ジェイスンというわかりにくい男性がときどき母親と親しくしていることはわかっている。タッキーは時々外で遊ぶように言われる。母親はもうすぐ医者のブラック先生と再婚するのかもしれない。そこなどはわかりにくい。タッキーはジェイソンに連れられて町のドラッグストアへ行き、ボロを着た男と怪物が戦っている表紙の本を買ってもらう。~……。

 オチがあると思うと、オチがあるのかどうかもわからない。
 衝撃的な結末と私が書いても嘘にはならない。けれど「なんのこと?」と言われても、私はうなずく。多義。かといって、退屈とか、ダレとかは一行一句もない。のどかなシーンが続くのに、私のように三行読んで一行戻るいささかねちっこい(笑)読者にとっては、たまらない芳香を持っている。底のない味わいだ。たった翻訳26頁の中に四方八方につながる未知の道が潜んでいる。いちいちそこを覗かなくても、本道を「きみ」のガイドに従って読み進むと、あっというまに終わりの頁、終わりの一句にたどり着く。

 そうなんだ。
 言葉の綾、小説の構造。恐ろしいようなできばえ、そんな文学作品がアメリカにもあるんだなぁ。

追伸
 とりあえず、H.G.ウェルズ「モロー博士の島」へのオマージュもあるらしいが、私は、あまりきにしなくてもよいと思った。それはウルフの勝手でしょう。ジーン・ウルフなんて怖くない。それぞれの読者の気持ちで読めば、自然に応えてくれる。

参考
  「デス博士の島その他の物語」ノート
  モロー博士の島 

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