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2006年10月 6日 (金)

λに歯がない/森博嗣

承前[MuBlog:εに誓って(Gシリーズ4)]

λに歯がない(G5)/森博嗣

λに歯がない/森博嗣
 柱のない巨大な研究施設での密室殺人事件をとりあつかった、Gシリーズ第五作目にあたるミステリである。
 密室殺人という古典的結構については、森博嗣でないと発想のしがたい、森博嗣でないと書きにくい内容だった。が、印象は素直な着陸だった。そして犯人Xの動機については、表にあらわれたものは古典的な動機だったので、これも素直な着陸だった。もちろん、ここで「動機」などという、新世界ミステリにそぐわない言葉を出したのは、私の意図によるものである。

 実は、感動を受けた。
 まわりに森ファンが何名もいるのだが、そのなかの理系に傾きがちな森ファンの一人に、「どうでした」と十日ほど前に聞いたとき、その人は顔全体を「?」で現した。良いとも悪いともいわないのである。だから少し危惧をもった。どんな作家でも、出来不出来はあるだろうし、読者も各人傾向をもっているし、受容時期体調いろいろ条件は変化する。作者にも読者にも、客観的評価を求めるのはもともと馬鹿げたことだし、作品に対する普遍的な評価もないと断言できる。そう言う中で、「?」の表情が、ちらりと私の胸をついた。そして読み終えた今、その事情もわかり、私は私で安堵した。
「森博嗣、ますます健在!(笑)」

 一言でいうと、このλ(ラムダ)に「シャーロック・ホームズ」を味わった。
 その感想が、ホームズのどの作品と似ているとは言い切れないのだが、安心感を持った。というと、『カクレカラクリ』でも安心感を持ったのだから、同じかというと、そうではない。λはもっと、影をもっている。曇り空という雰囲気だ。
 
 季節や天候に関して、暑さは暑さ、寒さは寒さ、嵐は嵐、雨は雨と、それぞれに感興をいだく私だから「曇り空」とういう言葉にマイナス要素は全くない。だから、曇り空の佳さと思っていただきたい。

 さて、結論を先にいうなら、この作品は古典なのだ。
 一般に評論家が作品批評を筆にすると、大抵惹句として「日常に深淵をみた」とか「それまでにない世界観をもたらした」とか、いろんな新人紹介とかでも言うものだ。また、たかだか二百年ていどの小説という娯楽作品を、娯楽と純文学とに分けるときも、そういう言葉をもちいる。それまでに無い物を造ったと言うことが、文学においては評価基準になるようだ。
 しかし。
 そういう基準があっても悪くないが、私にいわせればそんなものは異国のジェームス・ジョイスが『ユリシーズ』ですでに成し遂げてしまったことなのだから、世間をだますようなセリフにしか聞こえない。私からすれば、どのような新人達の、ベテラン異才達の「新しさ」も、ユリシーズの新しさの前では色あせ、児戯にしかみえない。そう、その意味で20世紀文学は、袋小路に入ってしまっているのだ。別の宇宙を造るには、あと百年はかかるだろう。

 そこで、森博嗣のλだが、私はこれを「古典の静謐」と名付けておく。
 文学として、ミステリとして、本格推理小説として、なにか格段に新しいものがあるとは、思っていない。だが、この作品も森博嗣が書かないと、成り立ちがたい作品だったといえる。おそらく、私がシャーロック・ホームズの安定を味わったのは、けれんのない、淡々とした、作者の苦渋も見せず、安定した筆致で仕上げた当代一流の小説だったからだ。

 ただし、もし一部読者に森博嗣のけれんを味わう読書がいるならば、すこし説明しておく。たとえば、本名も素性もわからない人物がわけのわかりくそうなセリフを話す場面がいくつかあるが、これは作品同士がシリーズを超えて相互に世界を補間している、作者が採った小説構造がもたらすものだから、気にしない方が良い(笑)。それに読者があうあわないとか言うのは、読者の勝手。それでもよい。

 味わったことが二つあった。
 森博嗣にはめずらしく作品の中で某著名な作家名を記し、犀川助教授(世間では、今後、准教授となるようだ)に「勝ち逃げの自殺」と言わせていた。この著名な作家については、森博嗣全作品(エッセイも含め)のどこかに痕跡はあるはずなのだが、私は周辺読者(マニアではない)なのでよくわからない。ただ、この著名作家のことは私もかねがね読んではいるので、その森博嗣の創見に感動した。しかもそれは、Gシリーズのもしかしたら、テーマのひとつかもしれない(?)
 もうひとつは、そぎ落としたような文体、表現がすてばちに見えるほど、クール、省略形が多くなってきたという点だ。説明がなく、身体の動きで多くを現す箇所が目に付きだした。もちろん、私という読者の受容モードが変化したのかもしれないが。特に、西之園萌絵の動きにそれが顕著だった。
 と、意外だが、犀川先生と萌絵はなんとなく親密になりすぎたところもあるのだが、そのあたりも、過剰表現は全く見られなかった。

 最後に。
 古典の意味を私に問うてはならない。答はでている。文学作品における古典とは、こういう作品をさすのである。

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