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2006年10月21日 (土)

歌の超絶技巧(塚本邦雄から)

 今日は土曜というのに葛野に出てきている。授業準備や会議準備、部屋の掃除と、いわゆる「普通の社会人」として後ろ指さされぬようにするには、それなりの努力、いや艱難辛苦が必要なのだ。

 しかし生来奔放というか、身勝手な所多々あり、なにかをしようとしてもついちょっと研究室の図書に手が行ってしまう。なにかを20分する。はっとして部屋を見回す。図書がある、手に取る、ソファに横になる、そのまま30分。そんなこんなが数度あって、さっきは一時間ほど読み込んでしまった。困った。もう四時半になっている、このままでは初期目的はほとんど達成されずに、夜になる。
 で、思い切ってMuBlogに書いてしまおうと決意した。そうすれば、すっきりして残務を今夜中に仕上げられる。(いやいや、文章書いて疲れ果てて、横臥のまま深夜を迎える危険性もあるが)

 塚本邦雄という有名な前衛歌人がおられた。もう亡くなられたはずだ。
 私の身内にはこの十数年短歌に精魂込めている人がいるが、私は短詩、和歌とか俳句とか短歌とかが苦手で、ほとんど足を入れたことはない。しかし、塚本さんのことは、木幡研の二名からなんども耳にしていた。その前衛ぶりをおもしろおかしく聞かされてきたので、なんとなく剽軽な変わり者爺さんというふうな印象が強い。

 その塚本先生の本で『新古今集新論(岩波セミナーブックス57)』というのが研究室のソファの側に置いてある。なにかしらねど、この十年ほど、ぱっと開いた不特定の一頁ほど読みながら昼寝してきた。今日はp40の、六百番歌合摂政太政大臣藤原良経さんの歌の解釈だった。

  幾夜われ 波にしをれて 貴船河 袖に玉散る もの思ふらむ
  (Mu翻訳:ああ、おお、もう幾夜貴船の川の水にぬれて、通ったことか。
   着物の袖も飛び散る水しぶきと、流す涙で水腐ってきたよ。それでも我が恋心、消えないな~)

 祈恋と分類してあった。京都の貴船神社(地図)は恋の成就を願って、お百度参りするところらしい。毎晩。暇というか凄まじいというかそういう世界があったのだろう。まさか今で言う内閣総理大臣以上の人(藤原良経)がそんなことはしないだろうが、本歌はあの有名な(笑)和泉式部のお姉様が詠った、

  もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る
  (Mu翻訳:恋、あんまり恋に執心しているので、蛍の火をみても、
   あの人を恋いこがれる私の胸の底から飛び立つ、魂かと、思えることよね)

 さて、和泉式部さんについては後日にしよう。
 ここでは、
 塚本先生は、良経の四句、五句の「袖に玉散る もの思ふらむ」これをして、超絶技巧とおっしゃる。
 動詞を二つ重ねて、切迫した気持ちを表している、とのこと。

 このことを小一時間考えていた次第。
 貴船神社は何度も行ったし、実は和泉式部私抄という本も昔よんだ記憶がある。「玉散る」という表現は今なら恋心の玉砕せんばかりの切迫さを味わう。そこに玉とは当然、心を指す、涙もさす、水のしぶきも指す。多義すぎて、コンピュータでは解釈不能になるだろう。しかし夜の貴船川を泣きながら上る男の情景をイメージすれば、なんも難しいところはない。
 さらに、もの思ふらむとなると、ものとは物に通じ、これは古来より(あの、三輪山は)大物主神の世界、すなわち魂の問題にいきつく。単純に物思いするとは恋しているということだけど、塚本先生のおっしゃるように、動詞をふたつ使って、玉、物がふるふると動詞だから(笑)、躍動する恋心の動くさまを背後に秘めているとなる。
 そうすると、うむむ、やはり超絶的言葉の技巧と、そう思った。

 いやはや、昔のひとはすごい言葉世界を作っていたのだな。
 それをあっさり、笑いながら(そう思えた)解き明かす塚本先生も、おもしろい爺さんだったんだろう。

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