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2006年10月 7日 (土)

小説・ミステリと毎日

 最近ずっと長編小説を書き続けたり、いまも書こうとし、書き出しているから、自分自身が随分長く日曜作家、読書家、文学好きのように錯覚してしまうのだが、今朝思い起こすと、それほど書いてもいないし、読んでもいないし、毎日が小説三昧の人生でもなかった。

 ここにメモをしておくことで、後日思い出したら、付け加えて、正確な小説愛好歴を造っておこう。なぜそんなことをするかというと、自分のことは自分でしておかないと、な。

1.少年期
 まともに本は読んでいなかった。小学生のころから試験管やビーカーを振って、夜は星を望遠鏡でみていた。化学少年、科学少年、工作少年だった。と、書くと某有名作家に似ていたのかなと思いもするが、いまから考えると「そういう傾向があった」程度で、普通の中学生、高校生だった。
 超絶の貧しさの中で、なぜかフラスコや薬品や、天体望遠鏡や顕微鏡や重厚な解剖セットは、あばら屋のミカン箱の上にあった。(これを書いていて、故両親を思い出し落涙)

2.青年期
 受験浪人期、大学生期、結婚までの時期は、なんとなくごちゃごちゃで、大学を卒業して就職して結婚しても、あまり変わりはなかった。
 SFが本格的読書の始まりかもしれない。このころ、つまり受験浪人期十代末に、保田與重郎、小林秀雄、それとなく吉本隆明に入り込んでいた。
 保田與重郎は『日本の橋』(筑摩書房の文学全集)と『現代畸人傳』(新潮社)以外はすべて受験浪人中に古書店で集めた、二十冊程度。浪人中にこんなことしていたから、その後の人生が変わったなぁ。
 一般小説では、大江健三郎、三島由紀夫、安部公房の三人が好みだった。
 このころ長編小説『夜麻登志宇流波斯』の初稿を書き出していた。後年500枚ほどの長編として上梓できた。

3.二十代後半
 このころ、横溝正史の多くの長編推理小説を読んだ。
 そして、北一輝研究で著名な評論家・松本健一さんの作品も、当時のものはほとんど読んでいた。

 未完になった「伝説の三輪山コンミューン」という作品を500枚ほど書いていた。つまりこのころに『蛇神祭祀』の萌芽はあったようだ。
 歴史物では、そのころの梅原猛はひととおり読んだ。
 仕事の上で、コンピュータを触る機会がふえて、プログラミング言語に傾斜していった。
 原稿を50枚ほど、知り合いの人が酔っぱらって電車に置き忘れたのが引き金になって、小説を書くのを止めた。気持は実に単純で「神様は、ぼくに小説書くのは止めろとおっしゃった」と、解釈したようだ。
 さらに深刻ぶって書くと「子供もできたんじゃから、文学青年の真似なんて止めないと」と、深く自覚したようだ(笑)。

4.三十代から四十代
 この間、文学そっちのけで、コンピュータ世界に惑溺、耽溺、のめり込んでいた。SONYでゲーム作家にもなったし、後日大学助教授になった下地の研究も、コンピュータを使って始めていた。つまり、パーソナルコンピュータが登場した時代だったのだ。FM-TOWNSの梅安さんと知り合ったのも、丁度三十半ばだったと記憶にある。
 そのころ前後して、古典文学世界で現在活躍している先生達と大和・西大寺近鉄駅裏の路地で出会い、NDK(日本文学データベース研究会)を結成していた。駅ホームの初対面の接近遭遇は「THE BASIC」という、当時マニアが読んでいた雑誌を小脇に抱えていくのが合図だった。そして彼等につれられて、後日伊井春樹先生という源氏物語の大家の、当時大阪大学文学部に出向いた。先生はいま、国文学研究資料館というメッカで、館長をされている。

5.1990年代
 兵庫県の社町に一年間単身赴任していた。夜は時間が余っていた。
 夕食は、なべに昆布をひいて、野菜や肉類や魚の日替わり、餅を入れて、煮立ててボンズで食べていた。毎夕。だから、調理時間とか後始末に時間がかからなかった。包丁を使うのもじゃまくさくて、肉や魚、そしてやさいなど、すべて手で引きちぎって鍋に入れた。
 朝食は切り餅を湯がいて、きな粉と黒砂糖で毎朝。煎茶。
 洗濯もお風呂に入りながら、浸かりながら身体を洗い、同時にシャツを手洗いしていた(洗濯機もクーラーも、もったいなくて買わなかった。ただし、パソコンは数台持ち込んでいた(笑))。

 夜の膨大な時間をなににあてていたかというと、読書。
 一つは、ものすごい数の情報処理学会論文誌の自然言語処理関係論文を、毎晩一件づつ読んでいた。このあたりのことは、今でも不思議だ。人はときどき変身するようだ。毎晩よんでは、おどろいたり、ケチを点けたりしていた。そして月に一回、京都大学の当時工学部長尾研で電子図書館研究会があって、会議の始まる前や、懇親会のあとに、長尾真先生に「あの人の、あの論文いいですね」「ほう、気がつきましたか」とか論文の茶飲み話をしていた。これも不思議だ。
 残りの時間は、ミステリとか推理とか、ほとんど考えずに内田康夫さんの浅見光彦シリーズを読んでいた。つまり、私は内田康夫先生を、ジャンルで読んだのじゃなくて、物語としての面白さで読んでいた。それら作品がミステリか純文学か和歌か詩か、あまり気にしていなかった。
 一年経ったとき、お役御免になって、京都の葛野へ着いた。

6.二十世紀末
 なにかしら、知らぬ間に大学助教授になっていて、学生達に情報図書館学、司書のお勉強を始めていたのだが、数年後ミステリ好きの学生たちと知り合った。
 で、奨められたのが、森博嗣、京極夏彦、島田荘司、笠井潔。諸作家の、そのころの作品は、ほとんど読んだ。さらに、綾辻行人とか小野不由美も読み出していた。20世紀末から、21世紀初頭にかけて、内田康夫さんもふくめて、私の頭は壮大なトリック、殺人鬼、血の惨劇で一杯になっていて、おそらく表情も怖い顔だったと思う。
 もちろんそれ以外に北方謙三さんの作品を大量に読み出していた。
 多分、二十世紀末に、私ははじめて、推理小説とか本格とか新本格とかいうジャンルを意識しだしたようだ。(いまは、その意識も薄れているが)
 そのころ、知らぬ間に教授になっていた。ミステリのウンチクでなったのじゃなくて、おそらく多分、電子図書館というテーマだったように覚えている(笑)。
 この間、京都大学の長尾研でベンチを借りて研究した。毎週火曜と金曜の終日だった。
 一方、カナン96というものすご懐かしい研究会(司書)も並行して集まっていた。
 そしてミステリに惑溺していた(笑)。

7.そして現在
 あまり読まなくなった。二十世紀末に読んだ人達の新作などを人に勧められて、手に取るくらいになった。
 それよりも、日曜作家がすっかり定着した。
 書き出すと、人の作品を読むのが億劫になる。
 自分のを楽しんで読むので、ある程度充足するようだ。
 だから、当然だが、文学全集にはいっているような作家や作品は、20代末から手に取っていないようだ。
 私は、小説好きだが、傾向が定まっているようだ、と、自覚と安心立命の境地。
 人には、好みも限りがある。

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