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2006年10月 1日 (日)

カクレカラクリ/森博嗣

カクレカラクリ/森博嗣

カクレカラクリ/森博嗣
 いろいろな想像をふくらませた、そんな作品だった。巻おいて「おもしろかった!」と呟いた。作家の工夫とか、実力が上手に表現されていた。コカ・コーラ社と森博嗣とのコラボレーションというのも、珍しく思った。

 作者は知らず、私は随分と作家森博嗣の安定感も味わった。
 田舎、夏、廃墟、温泉、言い伝え、神社、お地蔵さん、水車、祖父母、旧家、御馳走、美しいお嬢さま姉妹、……。なにかしら日本昔話の一話を読んでいるような気持になったのだ。そこにどろどろした痴情怨恨もないし、警察がきて鑑識課が青いカバーを張り巡らせる陰惨な事件もない。いや、あったのかもしれない。それはミステリ作家の個性として、表現がいろいろあるから、私はいつものように騙されたのか、気がつかなかったのか。

 夏休みになった。都会に出ている花梨お嬢様が、二人の男子学生をつれて田舎に戻ってくる。鈴鳴村。
 二人の学生は廃墟マニアらしい。動かなくなった、さび付いた産業廃墟・遺跡に愛着を持つ現代青年だ。
 その夏、彼等は村に伝わるカクレカラクリに、興味を持つ。
 もちろん、ヒロインの花梨お嬢様は絵に描いたような、召使いがいまだに二十人もいる旧家の、美貌の女性だ。そういう「高嶺の花」にひっそりと憧れているが、男同士なんとなく互いに譲り合うゆかしさもある。
 冒険が始まった。
 お嬢様、花梨には風格がある。たとえ不埒な村人にも、モードを切り替えてしっかり対応する。妹の玲奈はそういう姉に「怖い、勝てない」と感じるが、仲がよい。姉が大学生、妹は高校二年生、真知家の姉妹が色を添える。

こんな状況設定。
 これは、もしかしたら森博嗣の新境地なのかもしれない。ミステリなのに、あくまで牧歌的なまでの明るさ、ゆとりがある。玲奈の倶楽部仲間(物象部)の太一少年をふくめ、五人の青少年にはねじ曲がった影がない。かといって、お笑いに徹したどたばたではまったくない。
 ふと影がさすといえば、花梨お嬢様が、将来のことを夢想した時だろうか。対比的に二人の男子学生は「仕事」という点で将来の筋道を描いていた。しかし、花梨にはオートバイで外国の道を気持ちよく走るイメージしかわかなかった。そこに、花梨の横顔に影がはしる。

なにがミステリなのか。
 それは簡単には言えない、書けない、口にチャック。
 ただ、事情により私も森の描いた「カラクリ」には興味があって、読んでみて相当な衝撃を味わった。途中、これは一体森先生、どんな風に解決するのか、それは騙しでなかろうな、リアルでしょうね、とぶつぶつ言いながら読み進んでいた。あらかじめ言うならば、「あああ」という結論だった(そうでなければ、MuBlogには、コソとも記さない)。
 その間、謎の文字なども現れて、ひとつひとつ解があって、「なるほど」と手を打った。しかし、無論のこと優れたミステリに言えるのだが、「ここまで、考えるのかぁ、こんな理屈、よく思いつくもんだ。でも、たしかにそうだ」という、なんともいえない快感と、腹立たしさに包まれたのも事実だ。後者は、私はどうにも、読んでいて「Muはアホかもな」と、何度も思ったからだ。つまり事前に想像できなかった。

読み続けさせる工夫。
 それが工夫なのか天性の発露なのか、よく分からない。ともかく森作品には二十代前後の若い人達の動きが、ちょっとした行間に滲みでてくる。読み飛ばすと、気がつかない部分にある。今回は言葉の遊び。
 中国のことはよく知らないが、昔の中国では可口可楽と書いて、コークを意味したようだ。漢文の得意な人が、口にすべし、楽しむべしの意だ、と私に教えてくれた。

 すると、カクレカラクリ世界の鈴鳴村では「呼吸困難」と道に記された矢印マークは一体何の意味だろう(笑)。
 あるいは、この村はなにかしら一ひねりするのが文化らしいが、
 真知家の巨大な門にある扁額には、「間もなく家を知る」と墨で記されている、これはなんなのか?
 あるいは、
 「いやしくも、ここは花梨さんの村なのだ」と栗城青年がいうと、「どうして、いやしいんだ?」と相棒が聞く、そして、……。
 あるいは、
 花梨が敵対する家の使用人に丁寧に「これを使っても、よろしくて?」と尋ねる。使用人は「どうぞ、お使いくださいませ」と慇懃に答え、その後にすかさず「~」と言う。
 あるいは、
 発明マニアのような高校教師が、蒸気をつかった自動薪割り機を彼らに見せる。
 で、「この割った薪はどうするのですか」と玲奈が聞く。その、教師の答えに、私は驚き、笑った。

 一杯ある。難しいのから簡単なものまで。私は、郵便局問題は分からなかった(笑)。
 いや、クイズ、とんち集と言っているのではない。適切な文脈の中で、膝ががくりとするようなショックに時々襲われる。すると、次のショックを願うようになる、そして頁を進める。これは、おそらく森博嗣の天性のものだと思った。私は生まれて以来何十年も生きてきたが、こういう文章は書けなかった。

まとめ
 パトカーも血もみないミステリ。
 犯罪者はどこに潜むのか。
 この作品は、カクレカラクリにある。課題としては相当に難しい条件を作者は付けている。120年間という時間の長さに耐えるカラクリ。そして、120年間を過ぎたとき、何が起こるのか。条件が厳しくなるのは、森博嗣の別の側面、すなわち工作者であることから、ここまで書き込めたのだと思った。そのカラクリへの学生の感動も、他の作家にはなかなか書けない。何が起こったかについては、状況設定全体から自然に導かれた。
 よい作品だと思った。
 とりわけ、私のような半分理系ミステリ好き読者には、何物にも代え難い小説だった。

参考
  カクレカラクリ(TV放映)/コカコーラ提供(MuBlog)
  Mu注:TV放映と、原作とは全く別の作品だと思いました。ただし、いとこ程度の近さはあります。それは、状況設定とか、明るい青年たちが一夏の冒険をするという点です。ヒロインの花梨お嬢さまは、TV放映において、原作と似通った雰囲気をだしております。その他の細部、謎の結末については、やはり、異種の作品です。
 マニアさん達とは多少異なり、私は、両方とも佳かったです。どちらを採るかと迫られれば(だれも、迫らない!)、当たり前ですが、原作です(笑)。

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