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2006年10月25日 (水)

夢跡一紙(むせきいっし)・観世元雅の死

 頭の中を浮き世離れしたようなイメージや言葉の切れ切れが、横切っていく。
 この数週間は「夢の跡、書き留めん」というような意味の「夢跡一紙」、追悼文である。書いた人は観世元清つまり能楽の大成者世阿弥(ぜあみ)、追悼の相手は長男の観世元雅(もとまさ)。

  さるにても、善春(元雅)、子ながらも類(たぐい)なき達人……
  善春、又祖父(観阿弥)にも越えたる勘能(かんのう)と見えしほどに……
  道の奥義秘伝、ことごとく記し伝える数々、一炊の夢となりて、無主無益の塵煙となさんのみ也……
  善春、幻に来たって、仮の親子の離別の思ひに、枝葉の乱墨を付くること、まことに思ひの余るなるべし
  
  思ひきや、身は埋もれ木の、残る世に、盛りの花の、跡を見んとは

 当時のことを知るよしもないが、元雅(?1394~1432)は38歳ころに亡くなった。父世阿弥は68歳と思う。私は、その死が南北朝問題にからんだ政治的暗殺だったと考えている。場所は、国司北畠家の治める伊勢安濃津(あのつ)だった。2006年までは三重県に安濃町があったが、現在は津市に合併された。しかし津市の古代名は安濃津なので、このあたりのことや、中世・当時の国司北畠のことは、腰を据えて調査しないとわかりにくい。

Mu翻案
 元雅は私の長男でしたが、能(申楽)の達人でした。~彼の祖父にあたる観阿弥も超えていたのです。~私は元雅に能の真髄を総て書いて残してやりました。しかし、その元雅が若死にしてしまった今、総て無駄になってしまったのです。
 思えば元雅は、幻のようなこの世で、仮の親子を演じてくれました。今その別れの苦しさに、紙一枚に惜別の辞を残して、思いの一端をのべた次第なのです。

  ああ。この身はすでに埋もれ木となったこの歳になって、
  長男元雅が真っ盛りだった頃の、その花の跡を、先にみるとは。

 私の中を駆けめぐっていた言葉は「一炊の夢となりて」だった。
 この世阿弥の切々とした文章は、親子の情愛も当然として、父観阿弥以来、培った道(申楽・能)の総てが、ここで途絶えてしまうという悲嘆も強く味わった。個人主義の現代では、親は親、子は子、君は君、私は私と、すべては個々人で終わりという考えが主流となっているが、そうではない時代もあった。「道」「伝える奥義秘伝」、数珠のつらなりになって、時代を継いで伝えることもあったのだろう。
 稀代の名手、元雅を失った老境の世阿弥。子にすがった老人の悲哀とだけは思わない。道統を断たれた者の、ひとつの絶唱だったのだろう。

参考
  世阿弥/山崎正和 編 (中央公論社 日本の名著)

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