少し変わった子あります/森博嗣
少し変わった子あります/森博嗣
そんな話だった。
事件も恐慌もなにもない。
穏やかな、新しい楽しみとなって小山の日常に、それが続く。ふと電話する。大抵は迎えが来る。行き先はしらない。店はその都度かわる。女将(おかみ)が挨拶する。整った姿形の女将だが、帰った後で顔を思い出せない、曖昧な記憶しか残らない。
必ず一人、見知らぬ女が対面して食卓にすわる。
話すこともあるし、無言のこともある。
毎度、別人のようだ。
料理は和風だけかと思っていたが、変化する。しかし調理人は同じだと味わいながら思い出す。
小山は一夕の食事を見知らぬ人とするだけの、新しい楽しみにひたる。なにかが起こるわけでもない。何かを得たとも思えない。淡々と、女将の定めたルールにしたがって、変わった店、変わった子を楽しむ。
と、そういう小説だった。
幻想でも、ファンタジーでもない。普通の散文小説である。
何もない、日常の空(くう)に近い、なのに状景がくっきりと浮かんでくる。喜怒哀楽も別離も愛も死もない。男も、女も、ただ箸をうごかす。相手によって談笑することも、沈黙のままおわることもある。名前はどこにもない。店の名前も女将の名も、小山という名前すら疑わしい。
私は読み終わって思った。
近い状景なら、旅先で見知らぬ料理屋に行ったとする。私は名乗らない。女将の名前も聞かない。店の名前はのれんをくぐったとたんに忘れてしまう。料理も「おまかせ」と言うだろう。給仕する人が側にいても、相手の名前も、何かを話すこともほとんどなかろう。たったそれだけの現実状景と、この作品との構造とはおどろくほど似通っている。日常というのもおこがましいほどに、普通の世界である。
その普通の世界が、一旦描写されたとたん、読み出してすぐに鳥肌立ち泡立つような、引き込むような世界を見せ、最後まで引っ張ってしまう。透明で硬質で、しかも柔軟という、この作品にめまいを感じた。森博嗣の中でも最良の位置を占める文学作品だと思った。この小説は、作者の核にあるものを言葉に替えおおせた珠玉である。
| 固定リンク
「読書余香」カテゴリの記事
- 小説木幡記:楠木正成のこと(2013.06.07)
- 西の魔女が死んだ/梨木香歩 (感想:よい作品だ)(2012.06.14)
- 吸血鬼と精神分析/笠井潔:ミステリもよいものだと痛感(2012.02.04)
- 小説木幡記:パンとサーカス「日本の自殺」(2012.02.11)
- 小説木幡記:赤朽葉家の伝説/桜庭一樹、を読む(2011.12.12)
「森博嗣」カテゴリの記事
- スカイクロラ=The sky crawlers /押井守監督、森博嗣原作 (映画) <永劫回帰の空を見た>(2009.04.17)
- On30レイアウト:庭園鉄道趣味/森博嗣(2008.09.05)
- 小説木幡記:2008/06/17(火)今朝の感動・森KY話(2008.06.17)
- 【入力ばかりだと/森博嗣】はblog創造の正しい認識と思う(2008.03.15)
- タカイxタカイ:Crucifixion /森博嗣(X3) <感想文:手品のタネはありません>(2008.01.25)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント