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2006年10月 8日 (日)

少し変わった子あります/森博嗣

少し変わった子あります/森博嗣

少し変わった子あります/森博嗣
 最初の方で年長の男性小山と、その後輩の荒木が登場する。二人とも大学教員のようだ。荒木は、先輩の小山に店を紹介する。かわった店だ。どうかわっているのかは数行で表現されているが、存在を疑うほどに変わっている。その荒木がドイツ留学から帰った後、失踪したことを知った。小山は後輩荒木を捜すためなのか、思い出しただけなのか、その店へ電話をする。まるで仕組まれたかのように、迎えの車が大学へくる。
 そんな話だった。

 事件も恐慌もなにもない。
 穏やかな、新しい楽しみとなって小山の日常に、それが続く。ふと電話する。大抵は迎えが来る。行き先はしらない。店はその都度かわる。女将(おかみ)が挨拶する。整った姿形の女将だが、帰った後で顔を思い出せない、曖昧な記憶しか残らない。
 必ず一人、見知らぬ女が対面して食卓にすわる。
 話すこともあるし、無言のこともある。
 毎度、別人のようだ。
 料理は和風だけかと思っていたが、変化する。しかし調理人は同じだと味わいながら思い出す。

 小山は一夕の食事を見知らぬ人とするだけの、新しい楽しみにひたる。なにかが起こるわけでもない。何かを得たとも思えない。淡々と、女将の定めたルールにしたがって、変わった店、変わった子を楽しむ。
 と、そういう小説だった。

 幻想でも、ファンタジーでもない。普通の散文小説である。
 何もない、日常の空(くう)に近い、なのに状景がくっきりと浮かんでくる。喜怒哀楽も別離も愛も死もない。男も、女も、ただ箸をうごかす。相手によって談笑することも、沈黙のままおわることもある。名前はどこにもない。店の名前も女将の名も、小山という名前すら疑わしい。

 私は読み終わって思った。
 近い状景なら、旅先で見知らぬ料理屋に行ったとする。私は名乗らない。女将の名前も聞かない。店の名前はのれんをくぐったとたんに忘れてしまう。料理も「おまかせ」と言うだろう。給仕する人が側にいても、相手の名前も、何かを話すこともほとんどなかろう。たったそれだけの現実状景と、この作品との構造とはおどろくほど似通っている。日常というのもおこがましいほどに、普通の世界である。

 その普通の世界が、一旦描写されたとたん、読み出してすぐに鳥肌立ち泡立つような、引き込むような世界を見せ、最後まで引っ張ってしまう。透明で硬質で、しかも柔軟という、この作品にめまいを感じた。森博嗣の中でも最良の位置を占める文学作品だと思った。この小説は、作者の核にあるものを言葉に替えおおせた珠玉である。

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