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2006年10月31日 (火)

秋秋秋

 今年も秋に出逢えた。今日は10月31日火曜日。
 木幡の朝夕は寒く感じられる。服飾に興味がないせいか、何を着るのかこの十月は迷っていた。半袖に上着が常だった。明日から11月だから、これもじゃまくさがりの早手回しで、一挙に冬支度にはいってもよいだろう。

 見栄え、装いは大切だと心の片隅では思っている。
 葛野のベランダからキャンパスを眺めていても、教職員や学生の服装をいちいち無意識にチェックしている。「なんだ、あれ!」「おお」「もうちょっと、なぁ」「見苦しい!」と、まあ、人のことは勝手にあれこれ内心思っている(笑)。

 ところが。
 自分の事になると、気をつけなくちゃと、思うのは一瞬。結局、一番楽なようにしてしまう。どうしてしまうかは、こんな公器MuBlog では記せない。
 もしかして、つんつるてんの浴衣に、上からごわごわしたちゃんちゃんこ、それで床に寝転がって本を読んでいるのかも知れない。(まさか、葛野で)

 秋だから。そろそろ、外を走らないと、このままでは本の紙魚(しみ)、マシンソフトのバグ、手入れされない猫ちゃんになってしまう。
 今年も、つまるところは関西圏をうろうろする。
 そう言えば、天橋立は籠神社。九州は香椎宮(古宮はすんだ)、近江京故宮のかずかず。MuBlogに載せたり、秘密のユースケース図、クラスター図に組み込んだり。一方、新たに探検にでかけなくては。

 秋だ。
 私の人生で秋期が一番よい調子になる。春は未知、夏は苦行、秋は収穫、冬は籠もり。四季折々に似合った生き方がある。

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2006年10月30日 (月)

図南の翼:十二国記/小野不由美

承前:風の万里 黎明の空:十二国記/小野不由美

図南(となん)の翼:十二国記/小野不由美

図南の翼/小野不由美
 これまでのシリーズと雰囲気が少し異なる。ひたすら水の無い黄海を彷徨うことで一巻が成り立っている。黄海というのは、蓬山を囲む原生林・樹海のようなところか。すなわち一国一人の麒麟がその国の王を定める場所である。その蓬山に昇山するのは、なまなかなことではない。その障害となるのが、妖魔、妖獣の巣くう黄海である。
 つまり昇山するものは、場合によっては王になるかもしれない。王は玉座にすわり贅沢をするのではなくて、国を民を背負う者である。決めるのは麒麟なのだが、その前に様々な試練が待っている。試練を乗り越えるためには、人としての工夫がいる。その工夫は本人の考えから生まれるものもあるが、ガイド(剛氏)との関係にある。これらが条件設定となっている。

 そして毎年一回春分に開く門があり、そこには数百名の昇山者が集う。杖身(じょうしん:護衛)や剛氏(ごうし:黄海を知り尽くすガイド)もいるから、実質は80名程度の昇山者である。彼らの多くは道に迷い、妖魔、妖獣に喰われ、毒水にあたり、命を落とす。
 だから、昇山するというのは、たとえ麒麟に王と認められなくても、無事下山することで、その者の名誉を増し、ひとかどの人として待遇される。

 その昇山に、珠晶(しゅしょう)がいどむ。大富豪の娘。
 たった十二歳の少女である。
 その設定に、この物語の良さがにじみ出てくる。
 十二歳のお嬢様が、そういう冒険にでることの真意は最後まで説き明かされない。ひたすら小賢しい、生意気な、傲岸不遜、莫迦なガキと周りから思われ、そして読者である私も、たびたび苦虫をつぶしていた。「莫迦ガキ!」と。
 しかしもし、そのまま、そうであるなら、このような荒唐無稽の物語に、かくまで私は心酔しない。なるほど、作者小野不由美の真骨頂というか、終盤にいたって、私は珠晶の心映えに涙した。

 同行者は二人いる。
 一人は頑丘(がんきゅう)、黄海で騎獣(きじゅう)を狩って商う浮浪民(浮民)の出である。こういう民を訳あって黄朱の民ともいい、日本で申すなら「道々の輩」、中世の「くぐつ師、芸能人」を想像するとよい。一所不住。
 彼がさんざん手を焼きながら、珠晶を助ける。この二人の掛け合いが、この物語の背骨になっている。頑丘は経験を積んだ大人。対する珠晶は勇気があって聡明で勝ち気な少女。お互いに常時、喧嘩状態で黄海を旅する。
 彼は騎獣の駮(はく)に乗っている。飛行もできるが、この世界でのランクは1000万円程度の高級車である。

 もう一人は、青年利広(りこう)。後から珠晶を案じて黄海にやってくる。身元不明だが、頑丘と珠晶の諍いには仲裁する。珠晶にわかりやすく、怒りっぽい頑丘の真意を説く先生でもある。利広の乗る騎獣は星彩(せいさい)と名付けられた「すう虞:すうぐ」、一種の妖獣である。これはこの世界のランクでは3000万円程度の、ランボルギーニカウンタック並で、王侯貴族がごくたまに乗っている騎獣である。

 この三人が、黄海を他の数百人達とともに、どんな風に渡っていくのか、これは圧巻だった。頁をくるたびに心が躍った。冒険小説と言ってもよいだろう。そして、三人は無事、蓬山にいる黄金の髪をした麒麟に出会えるのだろうか~。

 なお、「図南の翼(となんのつばさ)」とは本文中にもあるが、鳳凰が南に向かって翼を大きく広げるイメージから、大志を抱くこと、あるいはそれだけの大きな人物を指す。荘子が原典。珠晶は十二歳の少女だが、国と民の労苦を救おうとする大志によって、艱難辛苦の道のりを黄海にもとめた。

追伸
 終盤に、珠晶が黄海で危機に立ったとき謎の人物に出会った。彼は請われて名乗るが、それは「東の海神 西の滄海」で重要な位置を占めた者だった。コアな読者ならその意味を分かるのだろうが、私には時代がつかみきれず、不明なままとした。十二国記の講談社文庫を、私は発刊順に読んでいるが、物語自体はその前後関係とは異なるようである。しかし、なにしろ登場人物は場合によっては500~1000歳なのだから、年表を作っても、作者やコア読者以外は茫洋として、分からなくなる。そして、そのわけのわからなさの残るのも、このシリーズの奥深さとも言えよう(過褒ではない)。

再伸
 しばらく小野不由美を読まずに、久しぶりに再会すると、私は実は「ファンタジー」が好きだったのかな、と今更ながら自覚し始めた。私は少年期からずっとファンタジーが嫌いだった記憶がある。それが。ここ数年、空色勾玉や、十二国記に遭遇して、なにかしら記憶もない時代への先祖返りをしているような気分である。不思議な気持だ。

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小説葛野記:20061030(晴)

 今朝は6:30到着、すぐに熱い珈琲を淹れて飲んでいる。そういえばここ数年の夏期は、アイスコーヒーじゃなくて、熱い珈琲ばかりだ。だから、秋になってくるとことさら珈琲が美味くなる。その心は、……。うまい言い方がみつからない。

本日定食
 一限目は、図書館が普通のマーケッティングと異なることを少し。近未来の図書館では、どんなことをすれば図書館がにぎわうか、ちょっと問題を出してみよう。
 そこは足早にすぎて、ネットワーク構成図に少し言及。余にとっては当たり前のことだが、多くの過去事例では余が板書するとはじめて「ほほぉ」と感心する者もいるようだ。ネットワーク構成、そういう考え方は、あまりないのかな。

 二限目は、先回は目録の実例を書いてもらったが、今回はその一々の説明と、さらにもどって、古典的目録カードの雛形・穴埋め練習をしてもらう。目録はそれなりにメタデータとしてのへりくつはあるのだが、やはり、経験的にカード様式の中に一つの図書世界を圧縮する行為をなさないと、隔靴掻痒(かっかそうよう)だね。

 三限目は、ほにゃらとおとなりさんへでかけてこにゃにゃちは。今日はやっと着手発表の後半。今日の成果は専用blogか、葛野図書blogに載せるかすこし悩んでいる。やはり前者にするかのう。
 おとなりさんは、今秋が最後の演習・講義になるので、いささか感無量で毎週出かけている。葛野とは学生気質もひと味ことなり、そのひと味に教育の塩加減が楽しかった。来春以降はこの浮いた時間を研究に振り向けられると半ばわくわくだが、それで失うものもある。バランス感覚だね。違った世界を同時に味わう良さが消える。いや、そのかわり、この何年も忙殺されて消えていたまともな研究思考時間を得たともいえる。いつも思うのだが、何かを得れば、なにかが手から滑り落ちる。両の手しかないのだから、指の間からぽろぽろとこぼれ落ちるものを寂しく思い、そのかわり得た物をしっかり握りしめる。どんなことも、限りがある。

 四限目は、ちとキャンパス内近所によって判子ぽんぽん。これもお仕事。
 その後は、夕睡。
 なんとなく、人生つじつまがあっておる(へんな理屈)。

昨日日曜のこと
 結局、終日UMLにいそしんでいた。ユースケース図とクラスター図とで、なんとか日曜作家のデータ処理をすすめていた。結局マシン、ソフト依存症は筋金入りだと痛感した。しかしいつまでたっても、JavaとDelphi(PASCAL)との使用頻度に悩む。本来ならば、C系のJavaよりも、PASCAl系のDelphi が好みだし、身体にも合っているのだが、なんというか流行とか、そういうことに気持ちがふらつく。
 結局、Delphi のヴァージョンを良くしらべて、UML装着を確認して、しこしこと余生を超絶ソフト世界に沈めることでしょう。余の人生にあってシステムは余を裏切らない、常に(笑)。

 夕風呂はことのほかよかった。うっとりした。なんというても、開発レベルの趣味のあとの風呂は、最高によい。
 そのあと、十二国記「図南の翼」を、結局80%読んでしまった。これ、これまでのシリーズ内容と少し異なる。よい違いがある。小野さんって、すばらしい作家だと再確認した。
 で、功名が辻。山内一豊さんついに、徳川についた。土佐二十万石が保証された一夜だった。それにしても仲間さんという女優さん、なかなかよろしい(笑)。

いざ
 今朝最後の三科目予習して、いざ出陣。武運長久。

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2006年10月29日 (日)

今朝も日曜~

承前MuBlog:日曜の朝はわくわく、そして~

 いま日曜の午前四時半、なんとなく小説木幡記を書き始めている。
 日曜が、それほどうきうきする日ではないのだが、毎日が日曜日なのだから、けれどやはり責務がほとんどないのはわくわくする。
 何をしてすごすか分からないのが日曜日なのだ。
 というよりも、日曜は予定を入れないという、そのスケジュールのらち外というのが、一番よいのじゃなかろうか。
 多分、夕風呂にはいってNHK大河ドラマをみて眠るのだろう。
 
 日曜日にでかけることが少ないのは、電車もバスも混み合うからという理由が大きい。贅沢からは縁遠い人生だが、「空いている」という贅沢は堪能しているつもりだ。

 たとえば午前六時に自動車で葛野に向かえば、通勤時間帯の半分の時間で到着する。
 たとえば午前六時に京阪電車に乗れば、一車両まるまる私のリビングルームになる。
 たとえば昼食堂は11時半に入れば、ほとんど客は私ひとり。
 たとえば木幡研も葛野研も原則、私ひとりで仕事をする。だから狭い部屋でも空いている。
 たとえば大学キャンパスは、私が往き帰りする時間帯は、無人に近い。
 たとえば授業の教室指示は、大抵300人規模の大教室に8:50分点呼、出席者は8割で50人前後。
 すべて空いていて気持がよい。

 そういう贅沢をあじわっているから、ついでに日曜日の予定は空き空きにしてある。だからと言って予定を詰める気持はさらさらない。長い人生を歩んでくると、友人知人もうっすらと気付いているようで、だれも何も言ってこない。というよりも、私の知り合いだと、似たようなもんだから、似たような思いをしているのだろう。

 そんなわけで。
 さて、今日の日曜、なにしましょう。
 日曜作家。
 昼寝。
 読書。
 夕風呂。
 夕食。
 ぼよよんと瞼が半分おりた状態で床に入り、極楽睡眠
 そして月曜日。

 これが2006年10月末・日曜の、私の真実だった。まったく、脳が、とろけてくるなぁ。

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2006年10月28日 (土)

デス博士の島その他の物語/ジーン・ウルフ

 同名翻訳書の中の最初の短編で、原題は「The Island of Doctor Death and Other Stories」で初出は1970年、今回の翻訳は伊藤典夫。

「~砂つぶが靴の上を飛び、しぶきがコーデュロイの裾を濡らす。きみは海に背をむける。半分埋まっていた棒をひろい、そのとがった先っぽで湿った砂の上に名前を書く。タックマン・バブコック、と。
 それから、きみは家に帰る。うしろで大西洋が、きみの作品をこわしているのを知りながら。
 きみの家は、セトラーズ島にある大きな木造の建物だ。もっともセトラーズ島というのは通称で、実際にそれは島ではないし、したがって名前もなければ、地図にその正確な輪郭が描かれているわけでもない。~(冒頭部分より引用)」

 小説の書き出し、冒頭は読書へ強い影響を与える、らしい。私はそうは思わないこともあるのだが、たださりげなく始まる小説や映画も好きだ。このウルフの冒頭が優れているのか、普通の物なのかそれは私の感性ではわからない。文章に対して相当に想をめぐらす作家らしいので、おそらく上等なものなのだろう。世の識者、世評からは遠いところで読んでいるので、私には判断がつけられない。
 ただ。
 「きみは」という二人称に気持をつかまえられてしまった。この「きみは」に引きずられて、すっと読み切ったと思っている。26頁ほどの、ほんとうに短編だった。二人称というのは、書簡体のような少し変わった用法だといえる。日本文学にも、それほど多くはないだろう。最初のしばらくで、ちょっと気取った書き方なら「まあ、そうか」ですむのだが、最後まで二人称の作品だと、やはり気になった。

 二人称問題の一つの解答は、関係記事を読んでいてわかった。いくつかあるうちの、一つの解答で、それに私も同意したのだから、記しておく。つまり、今物語を語っている人がいる。それは大人のタックマン(タッキー)のようだ。タックマンは少年時代のタッキーに「きみは」と呼びかけて、物語を語っている。

 作風はぼんやりとしているとも言えるし、全ての言葉に仕掛けがあるともいえる。気がつかなければ少年期の追想、少年の妄想とも言えるし、気がつけば言葉の、名前の、シーンのひとつひとつに背景があるともいえる。心理学実験で使う、だまし絵のようでもあるし、もっとリアルな、作者だけが一意に定めた物語とも言える。
 そう。
 読者の側でいろいろ変化する。どんな読み方にも間違った読み方はないと思った。作者の真意とか意図などは、公開された限り読者のどこにもない、というのが私信との違いであろう。小説とは、作者が騙るものだし、読者は経験や資質や感性によって、いかようにも読み切るもの、多義の存在である。神秘性があるのではなくて、読者の脳の数だけ、作品はn回の存在を持つのだろう。

 そう。
 少年の母は若くして離婚している。満ち潮になると沈んでしまうような、陸と細い道でつながった島の上の家に住んでいる。ジェイスンというわかりにくい男性がときどき母親と親しくしていることはわかっている。タッキーは時々外で遊ぶように言われる。母親はもうすぐ医者のブラック先生と再婚するのかもしれない。そこなどはわかりにくい。タッキーはジェイソンに連れられて町のドラッグストアへ行き、ボロを着た男と怪物が戦っている表紙の本を買ってもらう。~……。

 オチがあると思うと、オチがあるのかどうかもわからない。
 衝撃的な結末と私が書いても嘘にはならない。けれど「なんのこと?」と言われても、私はうなずく。多義。かといって、退屈とか、ダレとかは一行一句もない。のどかなシーンが続くのに、私のように三行読んで一行戻るいささかねちっこい(笑)読者にとっては、たまらない芳香を持っている。底のない味わいだ。たった翻訳26頁の中に四方八方につながる未知の道が潜んでいる。いちいちそこを覗かなくても、本道を「きみ」のガイドに従って読み進むと、あっというまに終わりの頁、終わりの一句にたどり着く。

 そうなんだ。
 言葉の綾、小説の構造。恐ろしいようなできばえ、そんな文学作品がアメリカにもあるんだなぁ。

追伸
 とりあえず、H.G.ウェルズ「モロー博士の島」へのオマージュもあるらしいが、私は、あまりきにしなくてもよいと思った。それはウルフの勝手でしょう。ジーン・ウルフなんて怖くない。それぞれの読者の気持ちで読めば、自然に応えてくれる。

参考
  「デス博士の島その他の物語」ノート
  モロー博士の島 

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2006年10月27日 (金)

ゲーム・プログラミング考

承前MuBlog:幻の古代王朝・京都篇/Luna
承前MuBlog:純粋物語作法

 パソコン黎明期から、コンピュータの中に物語世界を造形することが夢だった。つまり、物語世界の模型を、プログラム(アルゴリズム)として定着させることだった。
 これは、動く細密模型をシステムの中に仮想的につくりたかったとも言える。
 そこには、疑似人間も住まわせたい。
 それぞれが世界観を持った人間、1..n人。

 登場人物や、物語世界の要素を、対象物(オブジェクト)として自律させることになる。
 私が造った物語世界に、私が造った登場人物が、私の条件設定した世界観の中で、自由に動き回る。
 「私の物語世界観となると、それは対象個々の自由がなくなるではないか?」
 そうじゃない。
 私の設定した、初期設定の物語世界観という制約を突き抜けて自律的に動く世界を創りたい。

 すでにあるゲーム世界を楽しむという気持はなくて、世界を創りたいという意識が先行する。
 要素はDNAにあると考えてきた。アメーバーほどのゲノムを解読する立場よりも、設計し施行してみたい。
 そんな風に考えると、MuBlogを書いている場合じゃないと、焦りも味わう。
 ただ。
 私の趣味としては、それが一番かと、今朝思った。

 実際に使う道具は、……。いろいろあるだろう。筆をえらばない。

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皇国の守護者(9)皇旗はためくもとで/佐藤大輔

承前:皇国の守護者(2)勝利なき名誉

皇国の守護者(9)皇旗はためくもとで

皇国の守護者(9)皇旗はためくもとで
 先回MuBlogに感想文をのせたのが(2)についてだった。で、今日は一挙に(9)皇旗はためくもとで、に飛んでしまった。その間、すべて読み急いでしまって、感想をかく余裕もなかった。
 数日前に読み終えて、まよっていたのだが、初めと終わりがあれば薩摩守(さつまのかみ)ただのり、キセルと言葉を尽くしても古い用語は理解されないだろうが、(3)~(8)と充実していた。よしとしよう。

 さて。
 作者によって放り出されたところと、読者Muを満足させてくれた両方についてメモを残しておく。

作者に放り出されたまま
1.天龍・坂東一之丞(ばんどういちのじょう)のこと。龍族のことをもっと知りたかった。
2.導術師たちのこと。反乱軍によって導術ネットを停止されたのかどうか、今ひとつ不満足なまま消えたような。
3.帝国の策謀が消えて、帝国のユーリア姫が新城と仲良くなりすぎて、帝国と皇国との緊張感がうすれたこと。
4.皇国水軍の、反乱時の動き、働きが薄くなったこと。つまり皇国水軍・笹嶋中佐が宙にういた。
5.第八巻がやや中だるみとなった。これは帝国水軍を使った、反乱軍と帝国とのパイプがあっさり消えたことにもよる。
6.平時における殺戮場面や性的描写は、相当にスプラッタというか、グロテスクでもあった。そういう描写と、童女が巨大な戦闘獣千早にたいして「ちあや」となつく場面が交互にあらわれ、これが現代青年の気を惹く方法かと、しらずうなずいていた。ただし、何度も重なると、血潮が単に赤い絵の具にみえ、はみ出した内蔵がブタか牛のものに見えてきたのも事実である。

Muが最終的に大満足したこと
1.個人副官冴香、ユーリア、蓮乃、麗子。新城直衛をとりまく女達がそれぞれくっきりした。
 Muのお気に入りはさて~。
2.駒城保胤と蓮乃の娘麗子がよく描かれていた。
 駒城家(くしろけ)初姫・麗子と最強戦闘獣千早との関係は、非常に生き生きとしていた。
3.新城の性格がよくわかった。小心→細心→果断、この心の動きがわかりやすかった。
4.「作者に放り出されたまま」と上記にならべた一々は、この九巻によって突然悲劇的英雄的結末を迎えたことで、あとは読者が勝手に想像するか、あるいは「新城・皇国開闢記」を作者がつくることで、収まることかもしれない。そういう可能性への期待感が最後に残った。
5.この世界での皇国と帝国との関係、経済関係、帝国の膨張政策、皇国の自衛。このあたりの書き込みが、立体的に色鮮やかに浮かんできた。つまり、この作品は「世界」をきっちりと造ったと、思った。
6.半ば狂っている唯我独尊の新城直衛に、ときどき愛情や友情がきらめき、またほの見えるところに、最後の9巻までひっぱった筆力があったと思う。どんな世界でも、忠誠、愛、友情。これらは破壊されつくした振りをしても、やがてまたわき上がってくる。エンターテインメントとは、そういうものを塩梅よく描いたものなのだろう。それがないと、猟奇犯罪実録になってしまう。

 作者は半ばSF、半ばファンタジー、半ば戦記物語という形式で、そこそこに深い洞察を随所にちりばめていた。
 一つは皇主正仁(まさひと)の立場への言及。これは正仁の弟、親王殿下の動きにはっきりと現れてくる。君臨すれども統治しない皇主、および皇族の考え方や行動、政治性、なかなかにわかりやすい。成り上がり者・英雄新城直衛が、このあとどういう立場を貫いていくのか、未生の物語をぼんやりと想像する。

 一つは、軍事組織と軍人の心性をわかりやすく露骨に描いていた。これは軍を知らないMuには圧巻だった。「組織」というものの典型が軍にはある。その訓練の過程、将校、下士官、兵の三者関係。よくわかった。
 一つは、異世界を背景にして、日本のこの140年間分ほどの歴史を皮肉と真摯さをまぜて描いたもののように思えた。新城の奇矯な成り上がりすね者の目からみた皇国が、日本に重なって見えた。それがおもしろかった。

 以上、ほとんど一気呵成に読み終えた。
 ああ、おもしろかった!

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みんなどうしてるの心と私のいま

 私と同年代の人達は、情報源にもよるが750万人が来年あたり仕事を辞めるようだ。
 そういう同世代の人が、みんなどうしていると思う心と、そしてよく考えてみるとここ十四年近く、そういう同世代の人達の娘さん達と私は大学にいたようなのだ。その娘さん達も最年長は30半ばになってしまった(笑)。指折り数えてみると。

 人の数だけ脳があって、普通はその脳の考えることはそれぞれ別個だし、季節折々時期時期に内容も変わるだろうから、そんなみんなと共通性があるのかどうかは、わからない。
 あるとしたら。
 同年代の人達とは、「これで、人生一応スゴロク上がりだね」という気持だろう。年齢を三で割る人生時間だと、20時、夕食終わった頃で、あとはTVみるか本を読むか、続きの酒を飲むかだな。私は大抵就寝の準備に入る時間だが。
 その人達の娘さん達とは、「朝のはよから、出席とっていたね~。」くらいの共通話題しかないような(笑)。
 彼女らの人生時間はというと、だいたい午前11時ころになる。まだ昼食までにはいたっていないが、なんとなく朝のお勤めの大半をやり終えた年齢になる。
 私の午前11時ころは子供がいて、長男は小学校だったかどうか? 丁度パソコンを買って別の世界に入りかけていた時代だ。パソコンといっても、当時で50万円くらいしたから、今でいうと大衆車一台の値段がしたな。

 一方、まだ脳裏には現役学生の風姿のままの最近卒業生達は、なんとね朝の8時、まだ仕事場にもついていない。当時の私もなんとなくそうだった。職場に行っても、マイカーのことや芝居見物のことや小説を読むことやドライブすることや、要するに楽しみばかり追いかけていたような。よくまあ、お給料をいただけたもんだぁ。

 と言うわけで、「受けた学校教育での共通の話題」という話題を最近いただいたコメントで見て、星の数ほどある脳脳脳に、どこまで共通があって、どこまで固有なのか、ちょっと考えてみたというわけ。共通性はあるのだろうか。
 ある。たしかにある。
 国内で約500~800キロ近く離れたところで、それぞれに幼少期、中学高校大学をすごしてきた同年代の者と話していると、驚くほど共通性がある。今思い出せないが、子供の遊びとか、迷信にそれがある。
 卒業生達との共通の話題は、授業内容とか、授業方法に限定されてくる。ときたま、読んだ本とか、失踪した同級生とか(笑)、そういう話題で盛り上がる。

 ここで話が一転して。
 「貴様と俺と~は、同期の桜」という軍歌がはらはらと脳を流れていった。
 同世代も同期なら、授業した仲も同期、してみると職場で一緒だった連中も同期の桜。
 その桜桜がはらはらと散るのを眺めながら、余生を花見していくのだろう、な。

 また、一転。
 西行が好まれるわけだ。
 願はくは、花の下にて春死なむ。 そのきさらぎの望月のころ。
 季節はずれのオチだった。

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2006年10月26日 (木)

高校の授業

 数日来、全国の高校で歴史科目を文部科学省指導に違反して、一科目で済ませていたところが多く、これから年内にかけて50分授業を70回分することで、なんとか卒業にこぎ着けるつもりのようだ。これまで卒業した生徒はどうするのだろう。
 世界史が必修で、あと{日本史|地理}のどちらかを受講しないと単位が足りないらしい。「東大を受けるのに、やってられない」と高校三年生の声がうつろに耳にひびいた。受験直前の緊張からくる言葉と、思いはしたが。
 識者も「現代の受験とかゆとり教育から考えて、他の受験必須科目の時間確保のため、こういう風になるのはしかたない」とかも聞こえてきた。

 二つある。
 一つは、歴史教育に人類のすべてがかかっていると思う。人がどこからきて、なぜここにいて、どこへいくのかを理解するには上質な歴史教育があってはじめて達成される。主義主張政治闘争の具に用いるのは論外である。大文明の興亡から現代史まで、人類が何をやってきたかを知れば、刹那的に現代を生きる愚を少しは知る。そして少なくとも自らの残余生存期間だけでも、アメーバーや猿とは異なる人としての生き方を考える気持ちにもなれる。
 歴史は繰り返しはしない。だが、そこにすべてあると考えた方がよい。未来の萌芽すら数千年前の文明に隠されている。
 歴史にはおよそ人類が人として関わってきたこと全てが含まれる。自然科学から文学、芸術、宗教、戦争まで。
 こういう歴史を等閑視して、なんの受験の東大の。莫迦かと、痛切に思う。ましてやいわんや、日本史を学ばずして、日本国籍を有するなどと、笑止千万。

 さらに一つ。
 思い返せば、中学・高校で学んだことに私の基盤の殆どがある。文学から自然科学まで。佳い教師に恵まれたと思い出している。教師との個人付き合いなどは、一人二人、クラブなんかで世話になっただけだが、豊かな授業が一杯あった。
 奇をてらった斬新な授業などなかった。
 歴史も生物も物理も化学も数学も、英語も国語もよい思い出がいっぱいある。黒板の前にたった先生方のすがたを今でも思い浮かべることができる。
 (成績がよかったわけじゃない。大抵真ん中だった。ときどき上位に入り、ときどき下位になる。ごく普通の変人だった)
 大学へ行くための授業。これは現実的にやむを得ない部分もあろう。しかし、高校の授業全体として一つの完結した完成度をもっていた。いまでも、視点さえ変えれば完成度が高いはずだ。もっと、眼前のシステムを大切にすべきだと思う。

 大学は。
 これは、一人で学ぶ世界だと考えている。そうじゃないのも知っている。しかし、そうであると学生に知らせるのが、大学の役目だと考えている。 

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2006年10月25日 (水)

夢跡一紙(むせきいっし)・観世元雅の死

 頭の中を浮き世離れしたようなイメージや言葉の切れ切れが、横切っていく。
 この数週間は「夢の跡、書き留めん」というような意味の「夢跡一紙」、追悼文である。書いた人は観世元清つまり能楽の大成者世阿弥(ぜあみ)、追悼の相手は長男の観世元雅(もとまさ)。

  さるにても、善春(元雅)、子ながらも類(たぐい)なき達人……
  善春、又祖父(観阿弥)にも越えたる勘能(かんのう)と見えしほどに……
  道の奥義秘伝、ことごとく記し伝える数々、一炊の夢となりて、無主無益の塵煙となさんのみ也……
  善春、幻に来たって、仮の親子の離別の思ひに、枝葉の乱墨を付くること、まことに思ひの余るなるべし
  
  思ひきや、身は埋もれ木の、残る世に、盛りの花の、跡を見んとは

 当時のことを知るよしもないが、元雅(?1394~1432)は38歳ころに亡くなった。父世阿弥は68歳と思う。私は、その死が南北朝問題にからんだ政治的暗殺だったと考えている。場所は、国司北畠家の治める伊勢安濃津(あのつ)だった。2006年までは三重県に安濃町があったが、現在は津市に合併された。しかし津市の古代名は安濃津なので、このあたりのことや、中世・当時の国司北畠のことは、腰を据えて調査しないとわかりにくい。

Mu翻案
 元雅は私の長男でしたが、能(申楽)の達人でした。~彼の祖父にあたる観阿弥も超えていたのです。~私は元雅に能の真髄を総て書いて残してやりました。しかし、その元雅が若死にしてしまった今、総て無駄になってしまったのです。
 思えば元雅は、幻のようなこの世で、仮の親子を演じてくれました。今その別れの苦しさに、紙一枚に惜別の辞を残して、思いの一端をのべた次第なのです。

  ああ。この身はすでに埋もれ木となったこの歳になって、
  長男元雅が真っ盛りだった頃の、その花の跡を、先にみるとは。

 私の中を駆けめぐっていた言葉は「一炊の夢となりて」だった。
 この世阿弥の切々とした文章は、親子の情愛も当然として、父観阿弥以来、培った道(申楽・能)の総てが、ここで途絶えてしまうという悲嘆も強く味わった。個人主義の現代では、親は親、子は子、君は君、私は私と、すべては個々人で終わりという考えが主流となっているが、そうではない時代もあった。「道」「伝える奥義秘伝」、数珠のつらなりになって、時代を継いで伝えることもあったのだろう。
 稀代の名手、元雅を失った老境の世阿弥。子にすがった老人の悲哀とだけは思わない。道統を断たれた者の、ひとつの絶唱だったのだろう。

参考
  世阿弥/山崎正和 編 (中央公論社 日本の名著)

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2006年10月23日 (月)

最近のMuBlog

 事情で27万アクセスは見過ごしてしまった。今朝で275855アクセスなので11月中旬には28万アクセスになっていることだろう。
 今朝は興味から、この四ヶ月の記事毎アクセスを見てみた。いわゆるMuBlogベスト20というところだ。
 ニフティの方針から、カテゴリーも混じっているので、それは太字とアンダーバーで区別しておいた。

順位/タイトル/来訪者数/アクセス数/来訪者%/アクセス%
1 トップページ 2,179 5,477 11.2% 20.6%
2 みたかのもりじぶり:三鷹の森ジブリ美術館 1,108 1,382 5.7% 5.2%
3 地図の風景 758 880 3.9% 3.3%
4 ノート・パソコンのハードディスク交換、取り扱い処方 511 670 2.6% 2.5%
  ジブリが二位になってはいるが、実質の内容的トップはこの記事だと思う。一位のトップページはどのblogでもおなじだろう。ジブリは推測すると検索エンジンの調整によって長期間先頭にヒットしていたが、最近は見えず、そしてMuBlogでもアクセスは落ちた。だから、ハードディスクという、Muが頬にあててうっとりするものが実施的内容的にMuBlogの真骨頂と思った。

5 美味しいところ 300 424 1.5% 1.6%
6 20世紀少年(21)/浦沢直樹 385 409 2.0% 1.5%
  これは浦沢さんが連載を中断ないし中止されたせいだろう。Muにもよくわからない。最終巻が図書になったら、それなりの感想を記すつもり。

7 Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換 359 407 1.9% 1.5%
  つまり、Muはハードディスクのことを記すと、アクセスが増えるということだ(笑)。

8 『蛇神祭祀』(はむかみさいし)の連載 73 406 0.4% 1.5%
  この記事が高位にたったのは嬉しいような~。

9 京都の書店 316 350 1.6% 1.3%
  京都の書店が多いのか少ないのかわかりにくいが、Muにとっては切実なものだ。そして、ここをアクセスする人達もそうかもしれない。最近は河原町のジュンク堂を気に入っている。

10 NHK功名が辻(03)竹中半兵衛のこと 313 345 1.6% 1.3%
  検索エンジンをつかうと、竹中半兵衛については、MuBlogにガイドされるようだ。

11 枝魯枝魯(ぎろぎろ)の一夜 252 300 1.3% 1.1%
  いわゆる美味しいところの筆頭にぎろぎろが入っていた。事情はわかりにくい。

12 Blogメモ 267 290 1.4% 1.1%
13 Santa Monica Beach : サンタモニカ・ビーチ 205 230 1.1% 0.9%
  こんな昔の記事にアクセスがあるというのもありがたい。夜も明けきらないビーチの無人観覧車のイメージがMuにもくっきりと浮かぶ。

14 登喜和(ときわ)のステーキと春の京北周山町 121 222 0.6% 0.8%
  これも美味しいところの記事。本当に山の中の店だから、意外にネット情報は少ないのだろうか。

15 小説木幡記 193 208 1.0% 0.8%
16 2006年01月 169 195 0.9% 0.7%
17 スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ 133 184 0.7% 0.7%
  またしても、美味しいところ記事。ただ、寺町界隈は京都を観光で来ることに慣れた人にも、是非立ち寄っていただきたい。なにか、独特の雰囲気がありますね。

18 読書余香 158 176 0.8% 0.7%
19 じょうしょうこうじ:常照皇寺 118 168 0.6% 0.6%
  古い記事だが、人気があって、うれしい。

20 PowerMacG5の内部 151 165 0.8% 0.6%
  もう時代は、インテルCPUに入ったというのに、こういう古いマックの愛好者はおられるようだ。

メモ
 ハードディスク交換というのは、インターネットを使っている人達にとって切実な問題なのだろう。保証料をはらっておけば数年後でも無料で交換してくれるそうだが、自動車のパンク修理とおなじで、自分でするのも悪くない。それだけマシンを内在的、身内のものとして扱えるようになる。すると、データ保守とか、取り扱いが丁寧になる。
 Muは幼稚園ころから、買ってもらったおもちゃは確実にその夜に分解してまわりからひんしゅくをかっていた。いちいちの怒られたシーンをいまでも思い出す。となると、あなた、ノートマシンくらい何百回分解しても、Muにとっては息をするようなもの。だから、不用意なことは黙っていようとおもったが、結局分解記事を数点出してしまった。そして、アクセスがある。世の中、おもしろいな。昔怒られた行為が、今は逆。

 そして美味しいところ記事。なんだか、うれしいような悲しいような。Muが根性いれて書くところの読書感想文なんか鼻も引っかけられない。ついちょっと書いたうまいもの感想文が、結構長く継続アクセスされる。これが人生の皮肉というものだろうな。ただし、ここに載った寺町スマートと、京北町の登喜和ステーキは、好きな記事だ。ぎろぎろは、美味しい物の内容には触れていないから、検索エンジンの調整によってMuBlogにガイドされるのだろう。

 コンピュータと美味しい物、この二大潮流が今のMuBlogを特徴付けている。
 歴史も文学も、いわゆるMuのお家芸は、ちっとも人気が出ない。うあははあ!

参考
  サイト全体・累計アクセス数: 421313 1日当たりの平均: 443.49
  MuBlog  ・累計アクセス数: 275855 1日当たりの平均: 290.37

解析対象期間: 2006年7月1日(土) ~ 2006年10月22日(日)
  その四ヶ月間のアクセス数: 26,564  訪問者数: 19,405

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2006年10月22日 (日)

日曜の朝はわくわく、そして~

 今朝も午前四時ころに起床して、朝食をとった。
 ともかく日曜作家なのだから、聖なる日曜は仕事日にあたる。しかし、そういうことは数時間、午前中で終わるので、午後と夜とをどうしようかと考え出した。

 1.マヂック・オペラ/山田正紀(早川書房)、を読む
   (この人の、検閲図書館という言葉が好み。今度は226事件)
 2.デス博士の島その他の物語/ジーン・ウルフ(国書刊行会)、を読む
   (この出版社って、ほんとにマニアっぽいな)
 3.皇国の守護者(7)/佐藤大輔、を読む
   (どうにも、とまらない~)
 4.和泉式部私抄/保田與重郎、を読む
   (秋になって、歌道を極めたい心。歌心なりや)
 5.Delphi でのゲームアルゴリズムを極める
   (余生はこれしかない。アルゴリズムというのは何度も学ぶ値うちがある)
 6.寺町へ出掛けて2006秋用マシンのパーツを調達する
   (来年Windows も変わることだから、最高速コアなマシンを造りたくなった)
 7.紅葉狩りの下準備に、散歩にでる
   (今春、桜狩りを失敗したから、モミジもよかろう)
 8.昼風呂に入る
   (風呂桶熟睡~事件、の実地検証か)
 9.昼寝する
   (というても、3時間程度)

 これだけ似たような楽しみがあるので、午後はうれしい。ただし、大抵はぐずぐずして、8番とか9番に落ち着く。
 2006年10月22(日)の情景として記録しておく。
 それで、どうなるのか、どうなったかは、部外秘。

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2006年10月21日 (土)

歌の超絶技巧(塚本邦雄から)

 今日は土曜というのに葛野に出てきている。授業準備や会議準備、部屋の掃除と、いわゆる「普通の社会人」として後ろ指さされぬようにするには、それなりの努力、いや艱難辛苦が必要なのだ。

 しかし生来奔放というか、身勝手な所多々あり、なにかをしようとしてもついちょっと研究室の図書に手が行ってしまう。なにかを20分する。はっとして部屋を見回す。図書がある、手に取る、ソファに横になる、そのまま30分。そんなこんなが数度あって、さっきは一時間ほど読み込んでしまった。困った。もう四時半になっている、このままでは初期目的はほとんど達成されずに、夜になる。
 で、思い切ってMuBlogに書いてしまおうと決意した。そうすれば、すっきりして残務を今夜中に仕上げられる。(いやいや、文章書いて疲れ果てて、横臥のまま深夜を迎える危険性もあるが)

 塚本邦雄という有名な前衛歌人がおられた。もう亡くなられたはずだ。
 私の身内にはこの十数年短歌に精魂込めている人がいるが、私は短詩、和歌とか俳句とか短歌とかが苦手で、ほとんど足を入れたことはない。しかし、塚本さんのことは、木幡研の二名からなんども耳にしていた。その前衛ぶりをおもしろおかしく聞かされてきたので、なんとなく剽軽な変わり者爺さんというふうな印象が強い。

 その塚本先生の本で『新古今集新論(岩波セミナーブックス57)』というのが研究室のソファの側に置いてある。なにかしらねど、この十年ほど、ぱっと開いた不特定の一頁ほど読みながら昼寝してきた。今日はp40の、六百番歌合摂政太政大臣藤原良経さんの歌の解釈だった。

  幾夜われ 波にしをれて 貴船河 袖に玉散る もの思ふらむ
  (Mu翻訳:ああ、おお、もう幾夜貴船の川の水にぬれて、通ったことか。
   着物の袖も飛び散る水しぶきと、流す涙で水腐ってきたよ。それでも我が恋心、消えないな~)

 祈恋と分類してあった。京都の貴船神社(地図)は恋の成就を願って、お百度参りするところらしい。毎晩。暇というか凄まじいというかそういう世界があったのだろう。まさか今で言う内閣総理大臣以上の人(藤原良経)がそんなことはしないだろうが、本歌はあの有名な(笑)和泉式部のお姉様が詠った、

  もの思へば 沢のほたるも わが身より あくがれ出づる たまかとぞ見る
  (Mu翻訳:恋、あんまり恋に執心しているので、蛍の火をみても、
   あの人を恋いこがれる私の胸の底から飛び立つ、魂かと、思えることよね)

 さて、和泉式部さんについては後日にしよう。
 ここでは、
 塚本先生は、良経の四句、五句の「袖に玉散る もの思ふらむ」これをして、超絶技巧とおっしゃる。
 動詞を二つ重ねて、切迫した気持ちを表している、とのこと。

 このことを小一時間考えていた次第。
 貴船神社は何度も行ったし、実は和泉式部私抄という本も昔よんだ記憶がある。「玉散る」という表現は今なら恋心の玉砕せんばかりの切迫さを味わう。そこに玉とは当然、心を指す、涙もさす、水のしぶきも指す。多義すぎて、コンピュータでは解釈不能になるだろう。しかし夜の貴船川を泣きながら上る男の情景をイメージすれば、なんも難しいところはない。
 さらに、もの思ふらむとなると、ものとは物に通じ、これは古来より(あの、三輪山は)大物主神の世界、すなわち魂の問題にいきつく。単純に物思いするとは恋しているということだけど、塚本先生のおっしゃるように、動詞をふたつ使って、玉、物がふるふると動詞だから(笑)、躍動する恋心の動くさまを背後に秘めているとなる。
 そうすると、うむむ、やはり超絶的言葉の技巧と、そう思った。

 いやはや、昔のひとはすごい言葉世界を作っていたのだな。
 それをあっさり、笑いながら(そう思えた)解き明かす塚本先生も、おもしろい爺さんだったんだろう。

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ちょっと秋の深まる10月近況

タイトル通りの話。なにかまとまったことじゃなくて、近況のメモ

1.皇国の守護者/佐藤大輔
 これはすでに(1)反逆の戦場、と(2)勝利なき名誉、とをMuBlogに載せた。全9巻なのだが、(3)以降をMuBlogにまとめることに足踏み。事情は簡単で、実は今は(6)の半ばまで読み進んでしまった。くだくだと感想文を載せる前に、引き込まれてしまって先に進みすぎたというわけ。
 つまり、MuBlog掲載よりも、はやく全部読み終えたいという気持が強い。
 もう少し考えてみると、Mublogはいろいろな記事を出してきたが、それは教師らしい一家言癖、サービス精神の発露でもある。だが、サービス精神よりも、自分が楽しみたいという気持が強くなると、『皇国の守護者』を未読の人や既読の人と分かち合わなくてもよいじゃないのう、という思いにみたされてきた。
 と、こう書いてみると気持が楽になった。あとは一気呵成に9巻まで瞬時に完読。
 私は、読書が好きなようだと、自覚した朝。

2.発達障害:アスペルガー症候群
 昨夜NHKで発達障害について特別な番組があった。自動車で声だけを聞いていたので正確にはわからなかった。幼児期、学齢期での発達障害に該当する子供の保護者、特に母親達は随分苦労しているようだ。難しいのは、家庭の育て方と子供自身の障害との関係が、世間では見分けがつきにくいことだろう。そしてまた、気質なのか病質なのか、わかりにくい。
 さらに、「障害」という用語の妥当性も、いろいろ考えた。
 というのも。事例では、成人の医師が発達障害であるシーンもあって、ご本人が半生を振り返っていた。
 一々に深く興味を持った。
 その、私なりの事情もある。
 私は幼稚園ころに相当深刻な不適応を現したようで、小学校入学時には、母親がせつせつと先生に相談していたのをうっすらと思い出す。いまでいうと、重度のひきこもりをしていたようだ。それと、幼稚園とか小学校に強度の恐怖感を持っていた。高校になっても、日々最終授業終わったとたん、京福電車に全校一番に乗車していた。数分も高校に残っていなかった。当時の友達の語りぐさになっていた。「話がある、Muはと思って、あわてて駅に行くと、電車の先頭窓(運転手の横)に立っていた」と。
 また、二十代には日中外界の刺激が脳に強く作用し、消えず、非常に特殊な睡眠障害を起こしていた(眠れないのじゃなくて、つまり、……夢と現実とが相互干渉を起こしていた)。

 なお、アスペルガー症候群とは、専門用語なので私には定義しがたいが、世間的には、普通の知能を持った者の自閉症、と考えるとわかりやすいようだ。よく似た専門用語にサヴァン症候群というのもあって、これは足し算ができなくても、全国駅名を暗唱できるというような特性で、全く異なるようだ。

 社会適応という点で考えると、私の場合とりあえずボロがでないように注意深く振る舞っているつもりだが、随分変だと、若いころから言われてきたし、友人も多くない。とは言っても長く生きているからある程度は友人知人もいるが、それなりに彼等彼女らもなんらかの、普通とは異なる者が多い。
 変わり者ばかりと知り合いになる。
 類は友を呼ぶ。と、いったところか。

 いつも話題にする風雪梅安一家のメンバーも、社会的には高い適応力とそして高い成功をおさめはしたが、付き合っていると、ものすごく「おかしい」。つまり、わが友たちも成功するほどの努力と幸運がなければ、ものすごくしんどい人生だったのかもしれない。
 その頑固さ、執念、奇矯な趣味、日常、……。
 と、いつもなら(笑)と記すところだが、今日は笑っている場合ではない。

 人の事例を挙げるのは失礼だから、私の場合。
 現職について15年くらいになるが、これが小さな企業のこてこて営業社会なんかだったら、数日で不適応をきたし、ほんとうにやってこれなかったなぁと、長嘆息する。
 たとえば数日前に数えてみると、私は教授会や各種委員会に現職ついてから600回くらい参加している。それだけ参加していても、会議が始まる前日くらいから変調をきたし、気もそぞろになる。直前になると100%逃げ出したくなる。なにか指弾されるわけでもないし、なにかとうとうと演説するわけでもない。平均3時間程度ひたすら耐えているわけである。ほとんどの場合、私は質問されることもない。そういう言ってみれば穏やかな会議に600回前後出ていても、自閉的に苦痛を味わっている。
 これは気質を通り過ぎて病質だと、明確に自己診断している。

 その一方、2000回は優に過ぎている授業については、ほとんどの場合喜々として教室に出向く。詳しくはその事情や内容は言わないが、ようするにだからこそ、私は現職に向いているようだ。さらに決定的な事実は、毎年夏期の二ヶ月近く、研究室にはまず電話も来訪者もない(これも年齢や職責から考えると異様である)、キャンパスには人影もない、そういう環境でたった一人、平均10時間、しこしこと論文書いて、精読して、マシンを動かして、時々横臥している。熱中してくると独り言も言わなくなる。
 我が身を振り返ると、こういう非常に特殊な環境にいてこそ、なんとなく毎日にこにこ笑っていられる。
 そうでないなら、きっと強烈な不適応を起こして、本当に立ちゆかなくなっていたのでは無かろうかと、冷や汗がでる。近親者達も「そうです、そのとおり」と言う。

 ただ。責務の授業は司書科目(情報図書館学)が中心なのだが、なんとなく~、学生達には私と似たような者も散見する。「苦労するだろうなぁ」と、思って見ている。司書になりたいという、そういう資質の裏には、なんらかの自閉気質があるのかもしれない。もちろん、現実の司書は、自閉全開だとやっていけない。そういう食い違いの悲劇もまた、散見するところである。
 過去を振り返ると、昔の職場で私はそれなりに「普通のふり(笑)」をしてきたが、自閉の沼にどっぷり浸かっていた人達が、何人もいる。

 なお1に挙げた皇国の守護者の主人公、駒城家御育預(くしろけ・おん・はぐくみ)新城直衛は、戦場でなければ完全無欠の社会不適応者である。

3.日曜作家・浅茅原
 聞くところによると浅茅原先生は、今度の第四作『湖底宮』の創作手法に新機軸を導入したようだ。長さは先回の『巨石の森』が800枚にもなって推敲が辛かったらしく、今度は平均的な600枚程度に納めるとのこと。
 新機軸というのは、コンピュータを駆使するらしい。
 コンピュータを使ったからと言って名作(笑)が出来るわけもないが、そこはそれ、お考えもあるのでしょう。浅茅原先生にとっては、設計し素材を選び、「造る」ことが大切で、その造るについてコンピュータを用いる所に快感を味わうようです。もともと、SFっぽい志向が強い人ですから、まあ日曜作家、道楽も極まると言ってよろしいようで。
 しかしゲーム作家っぽく振る舞っていた時期もあるのですから、もとに戻ったというところでしょう。

4.いろいろな記事の種
 MuBlog通読者ならお気づきでしょうが、いくつかのシリーズやイベントで、いまだに記事にしていないものが沢山あります。そのほとんどはいろいろな事情、おもに気質から掲載していないだけで、やがて忘れた頃に載せることでしょう。周期があるようです。今は、読書の余香や、日々の木幡記に執着しているようです。

*.追補
 昨日夕刻に、四年生の学生二人と話する機会があった。新しいお茶をいれて、駄菓子を食べながら、四方山話をしていたら、あっというまに八時近くになった。実は昨日の午後は全身がだるく、いろいろなしんどさの中で責務を果たすのが遅々として、辛い半日だったが、夕刻からぼそぼそと話していたら、楽になった。私は、とうぜん普通の人としてふるまっていた、はずだ。
 社会に適応した普通人として、騙しおおせたはずだ(けけけ)。

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2006年10月20日 (金)

JR、しかし国鉄の風景

遠ざかる列車
 この遠ざかる列車の写真が気に入っている。木幡研のディスプレイの背景画にしているから毎日眺めている。ここでは列車が小さくならないようにトリミングしたが、オリジナルは19インチ画面一杯にしても精細度は変わらず、左右上下もっと空間の拡がりがある。
 どこで撮ったのかは、わすれてはいないが、なんとなく記す必要を今朝は思わなかった。いずれなにかの記事で詳細な地図とあわせてウンチクを傾けることだろう。

 列車はJRだ。電車とか汽車と書かなかったのは架線もないし、煙突もないからだ。たぶん、ディーゼル気動車とかいうのだろうか。古い。
 駅舎に人影はなかった。花が並んでいて散水した跡がホームに見えるから、だれかが丹精込めているのだろう。列車は出たところなのに、ホームに人影がない。降りたのは私一人だった。
 単線の、田舎の、鄙びた駅風景だ。

 懐かしい。この駅、この列車がではない。いやそれも懐かしい。懐古する過去の重層的記憶にこの情景をみつけ、たとえようもなく懐かしい。21世紀前半を晩年とする私には、こういう田舎が単線が、むしろ「国鉄」と言った方がよいような、こういう風景が限りなく懐かしい。
 だから、この写真は私の過去だと思った。

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2006年10月19日 (木)

配所の月とは望郷か

 月に惹かれて気持が方々に散っていったので、心鎮めるためにMuBlogまた一通記すなり。

 永遠の女たらしかどうかはしらないが、在原業平(ありわらのなりひら)は光源氏とはちがってどうにも実在したようだ。その人の歌に、月やあらぬ・春や昔の春ならぬ・我が身ひとつは・もとのみにして、というのがある。こんなやさしい歌のわりには、神に仕える伊勢斎宮とか、もうすぐ皇后になる人とか、とかく相手にする女性がとんでもない立場の人ばかりである。女性の方も、なんで危険を顧みず業平に心開くのか、女心は永遠の謎。不思議だ。

 それで「月」がでてきた。この場合、この月は、昔の月も昔の春も昔の女ももう今はない。どうして自分一人は変わらずもとのままの気持なのだろう。という、憎たらしいような歌いぶりである。歌うたえるほどなら、まだ生きている。実は今は、せっせと危ない女性にまめまめしくせまっているというのに。

 だからこの「月」は、配所の月(つまり島流しとか、左遷地で見る月)とは異なるが、空間の距離ではなく、時間の距離という点では、過去の栄光を懐かしんでいる象徴がこの「月」なのかもしれない。ここで、罪無くして配所の月をみる風情は、実は今またしても禁断の恋に生きているという点で、罪無くしてという心が「今も元気に恋している」という気持と同じに思えた。罪があれば、あるいは本当の失恋ならば茫然自失生きる力を失って、とてものこと新たな恋などできない。歌もない。つまり、業平のこの心は、一つの「罪無くして配所の月を見る」心かと、今朝思った。

 月といえば、当然のように私は口ずさんでしまう。おなじ世に・また住之江の月やみん・きょうこそよそに・沖の島守、後鳥羽院さんのうた、のはずだ。これこそ政治の罪あって配所の月を見ている。いま眼前の隠岐の島に月があるのだろう。その月は住之江でも見られているのだろう。その月はかつて住之江で見た月なのだろう。今生住之江で月はみられるのだろうか、いや、見られない。私は隠岐の島の島守として、流されたままだ。
 ただ。
 後鳥羽院というお方は相当な御仁だったので、そして歌があったのだから、お元気だったと思う。

 すこし理屈が過ぎてきた。
 つまり、時間と空間と両方にわたって月は見上げたとたん、人に望郷懐古の思いを抱かせるのだろう。
 今、同時的に遠国で見られている月。過去に見た月。
 なかなかに、日本の歌にはそれが方々にちらばって残っている。花鳥風月。よいことだ。

 歌物語、文学って、なかなかによいものだね(笑)。

参考
  MuBlog:薄紅天女(うすべにてんにょ)/荻原規子 [注:業平につながっていく物語]

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2006年10月18日 (水)

月夜の美観と科学

 秋になると「月夜の美観」という、先師が昭和四十年代にしるされた章が思い出される。いまここでその内容をひもとくことはしないが、その語感を長年気に入っている。つまり私は月を見るたびに「月夜の美観」と呟いている。

 京都府の宇治にしろ、嵯峨野にしろ、月が映える場所だと思っている。
 そこには、幼い頃の科学心もある。月はときどきでっかく空にある。ちいさくなることもある。真っ赤に見えることもある。絵のように雲がたなびいていることもある。それらは何故なのだろうかと、美観の前に思ってしまう。同じ月がどうして大きく見えたり小さく見えるのだろうか。満ち欠けは理屈で覚えているが、大小のことはいまだに分からない。
 なぜ色が変わって見えるのだろうか。空気、気象の変化だろうとは予測がつくが、本当は分からない。まして兎の杵付きになると、大抵そう見えるのだから、これは心理学の問題とは思うが、文明観の違いかもしれない。

 素晴らしい月とか、変わった月を見ると友人知人達に電話やメルを送りたくなる。
 すぐに「止めておこう、そういう気持は伝わるわけもない」と、行動には移さない。
 その割には、伝えたいことは携帯やメルという即時通信技術が生まれた頃から、もう決まっている。
 「いま、木幡じゃ月がでっかいけど、そちらはどうだ。ウン?、小さい? 変だな」
 これだけである。
 まったく他意なく、科学心から発したものだ。

 九州なら太宰府に知人はいないが、電話したくなる(笑)。多分菅原道真を思ってだろう。
 門司とか下関なら、壇ノ浦の義経を思ってだろう。
 広島の呉なら、戦艦大和を作っていたころの人を思ってだろう。
 隠岐の島なら、後鳥羽院さんに電話したくなる。
 金沢なら、富士山なら、東京なら、会津なら、東北、なら。
 北海道なら五稜郭に電話したくなる。土方副長を思ってだろう。

 「今、葛野から赤い月が見える。そっちはどうだ、……。ウン? 黄色いって。そりゃ黄砂かな~」

 こうして、月夜の美観という言葉も、私の中では科学の心に変わってしまう。
 しかし、いつかこの『月夜の美観』という先師の言葉をじっくり味わってみたい。

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2006年10月16日 (月)

風景と歴史

 幼稚園にあがる前から京都の嵐山、嵯峨野、車折(くるまざき)近くで育ったせいか、雄大な大自然の風景には馴染みがない。もちろん、旅先で見かける海の大きさや、TVの大自然映像を前にすると食い入るように魅入ってしまうのだが、日常の頭の中には人が関われる細やかな、なだらかな、おだやかな自然風景がある。
 私は人がかかわった自然、風景が気に入っていると自覚してきた。
 大昔のことなら歌に詠まれたような自然で、近来なら寺社仏閣が山間にあるような、山と建物(人工)とが融け合った風景が好きだ。

 だからどうしても、人に話すときは観光地名所旧跡になってしまい、そのような美的なことに細心な人達を前にすると、言葉がとぎれてしまう。一々を写真で見せれば私の好みの風景が分かるはずだが、煩雑だし、私の好みを見せてもしょうがないと諦める。ただ、こんな文章を記してしまうのは、好みの友であれ気に入った芸術家、作家であれ、有名人であれ、ちょっと「すごいな」と思う人達は、大抵私と正反対の気持を文章や会話で示してしまう。私は表だってそういう人達に反論したことがない。自分が尊敬したり、認めている人達にはあまり反抗しない素直な性分なのだろう。

 富士山がある。近くに兄が住んでいることもあって、十代は間近に見たことが多かった。その後は、新幹線の窓から食い入るように見るだけだ。しかしこれを雄大な大自然とばかりみてはいない。人の関わった私の好みの風景としてみている。人の歴史がうしろに見え隠れするからなのだと、分かっている。
 誰でも知っている山部赤人の歌に、……語りつぎ、言ひつぎゆかむ。不盡(ふじ)の高嶺は。とある。その反歌に、
  田子の浦ゆ打ち出てみればま白くそ不盡の高嶺に雪はふりける
とある。
 私の風景と歴史とは、こういう富士山をさしている。赤人が歌って人々が口ずさんで、ずっと現代。私が今みれば歴史に裏打ちされた風景となる。だから側に富士山を仰ぎ見る赤人が立っている。それで風景が成り立つ。

 私は風景を幻視しているようだ。
 もう二十数年も同じ所に住んでいるが、西側に広い窓があって、夕日夕空のすさまじい時がある。言葉で表すと、七色に煌めく西方浄土の荘厳と言い尽くせる。しかしそういう宇宙的夕焼け空は瞬時にして、山越阿弥陀の曼荼羅に変わってしまう。阿弥陀さんはやがて大津皇子に変わり、すぐに龍になって朱い空の果てに飛んでいってしまう。
 嵯峨野小倉山を眺める、歩く。するとすぐに二尊院あたりに庵をもった藤原定家が目に浮かびやがて定家の目になって歌など一首作っている(実際に作るわけではない)。落柿舎などに近寄ろうものなら、すぐに俳人になってしまう(一句詠むわけではない)。

 どこへいってもかしこへいっても、そういう幻視を持ってしまう。幻視を持てない場所だと、ただの山、そこらの海川になってしまう。
 「美」を自らが見極めるというのは傲慢な態度だとさえ感じてしまう。誰かが美しいと言って、歌にうたって、代々の人達が伝えてきたとき、始めて私もそういう代々の人達と一緒になって、「わっ、すばらしい」と、ため息をつく。

 こういう私が観光地で、金閣寺で足利義満を、銀閣寺で義政を、三輪山で大物主神を、橿原で神武天皇を幻視して、それを「おお」というのは当たり前だ。しかし、その当たり前のことは気恥ずかしくて友たちに語れない。
 現代人は、「美」というものを「風景と歴史」の中で見るのでなくて、そのもの個人のセンスとか感受性の中だけで、孤立した状態で良いの悪いのと言う。

 私は幻視するものだけを佳いという。幻視の中身は伝えられない、伝えにくい。だから、首をかしげて黙り込むしかない。 

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2006年10月15日 (日)

邪魅の雫(じゃみのしずく)/京極夏彦

邪魅の雫(じゃみのしずく)/京極夏彦

邪魅の雫(じゃみのしずく)/京極夏彦

  講談社ノベルス、2006年9月26日 第一刷
  重さ:580グラム
  原稿枚数:(812頁x23文字x18行x2段/400字=1681枚

 毎度のことだが今度は三日間かかった。そのうち丁度真ん中にいたったのは二日半後だった。つまり、残り半日で後半を読み切ったことになる。京極夏彦作品のうち、京極堂シリーズはわたしにとって立ち上がりが遅く、前半をよむのは重労働になる。しかしたった半日で後半原稿800枚分を読み切るというのは、遅読なわたしにとって、これも異様なことである。不思議だ(邪笑:読んだ人なら、不思議という言葉は使えないだろう)。

 しかし「わたしにとって」立ち上がりが遅いだけで、世間には数頁も読まないうちに引き込まれる人達が何人もいるのを知っている。
 京極堂を初めて奨めてくれた人などは、当時顔をあわせると毎日のように、

 「もう、読み終えましたか?」と、吹き出しそうな顔をした。
 「やめた、やめた、京極さんは合わない。もう、読まない」と、Muは心底苦り切っていた。
 「そう、おっしゃらずに、もう少しの我慢です。そのうち、……」と、妖しい笑みをたたえて言った。
 「なんだ、そのうち?」と、Muはまた期待した。
 「じゅわ~っと、染み込んできますから」

 そしていつも、半分を過ぎた頃、重さにして300グラムほど読み終えた頃から、その「じゅわ~」とした、身内に溶け込んでくるような京極世界に、いつしか、たゆたっている己(おのれ)を発見していた。終盤、黒衣の京極堂がマントを翻し、手甲みせて、ガラリと戸を開ける頃には、日常がすっぽりまるごと染まっていた。そして、わたしのなかで、なにかが、そう憑きものがはらりと落ちるのであった。
 リン、と鈴が鳴った。

 これまでの京極世界の知識で分析すると、この世界は売れない強鬱の作家関口と、古書店主人・神主・お祓い屋の京極堂とによって、300グラム、100グラムの両界に別れている。残りの100~200グラムは、木場(きば)刑事と榎木津(えのきづ)探偵とが受け持っている。あわせて500~600グラムの小説世界だが、今回は580グラムで収まった。
 それにしても重いノベルスだった。横臥読みなので右腕が何度も痺れた。すでに左右の視力はズレが大きい。

 前半、関口が全面的に出るわけではなく、それに変わる何人かが、関口的収拾のつかない絡まった濁った心象風景を開陳する。延々と。何人もの入れ替わりがある。一応(笑)ミステリだから、だれとだれとは言わない。これまでに登場してきた人も、初めての人も、何人もが時には名乗りもせず、性別もわからず、居場所も明かさず、背景なしで、呟いている。会話と独白と地の文とが融け合って、ずぶずぶと沼にはまりこんだような心象風景が、逆に読者のわたしに形成されていく。
 わたしが今回、前半の重労働と言ったのはこういうことだった。つまり、わたしはこの関口的まとまりのない、地を這うような、精神世界に強い反発を持つ読者だったのだ。

 それはとりもなおさず、明治以降の日本文学本流の大部分を見捨てた、止めた証でもある。わたしは、普通の意味での文学を受けつけなくなってしまったようだ。多くの文学というものは、その多くが半分狂った、怯懦(きょだ)自己憐憫、悲惨貧困、淫乱酔っぱらい作家の世迷いごとにしか思えなくなってしまっていた。
 その点、ミステリは良かった。社会派と言われたものを除いては、大体明るく、単純で、すっきりして、なぞなぞがあって、爽快だった。血と狂気とが渦巻いていても、巻を閉じれば「これは、フィクションです」と、作者のお墨付きがあって、安心だった。

 ところが、この関口世界をなによりも愛好する人達が、京極ファンには多いのも事実である。傍証枚挙にいとまない。彼等は一冊で二冊楽しんでいる。うらやましい。わたしは重労働苦役をへて、やっと蜜とミルクの地にたどり着く。

 少し考えてみた。
 作品の中に人格があるのかどうかはさておき、一人の人格を次元とする。すると『邪魅の世界』は、何人もの人達が、ほとんど脈絡なくつぶやくのだから、これはn次元の心象描写と考えることができる。それぞれが独立した世界であって、考えも日常も事件らしきことへの関与もその次元内で進んでいく。ちょうど、n個のパラレルワールド(並行世界)が同時進行しているわけだ。そこここで、殺人が起こる。合計何人か、少なくとも片手の指を超える。それぞれに関与する者は相互に知らない場合が多い。出会ったとき、片方が死ぬともいえる。

 人が死ぬ、事件となる、その場所だけははっきりしている。東京と、神奈川との数カ所である。名宰相吉田茂の別業ある大磯が中心と、わたし読者には思えた。(地図
 調べると相互に関係の無い事件なのだが、東京本庁は連続殺人だと考える。死因は青酸カリらしい。
 被害者には、男もいる。この男はつぶれかけの会社のサラリーマンにすぎない。

 女がいる。
 そこで、物語が動きだすのだが。被害者の女達は、榎木津探偵と見合いもせぬまま破談になった者達である。財閥旧子爵次男の榎木津だから縁談は舞い込んでくる。もし本人を知れば躊躇する女性も多いだろうが、映画俳優のような顔立ちと、資産ある名家の御曹司だから次々とある。次々と破談になる。その中の関係者の一人が、後日捜査線上に被害者として浮かんでくる。しかし警察上層部は、この榎木津縁談話と事件との関わりを中盤以降になるまで知らない、と言えばよい。

 n次元の相互に無縁な世界が描かれるのだから、それに対応する登場人物達も、支離滅裂な考えや動きを示す。ほとんどの場合、自分の世界でつじつまを合わせ、如何にももっともらしい理屈を生み出す人も居る。それは読者をして、ふっと、それが本当なのか、もう事件は解明されたのか、あとは犯人にたどり着くだけ、とまで思いこませてしまう。そして次の章で、覆す事件が起こる。

 もしこの『邪魅の雫』がそのままで終わったなら、要領を得ないメタ小説じみてくる。まさか、京極さん今度はメタ・メタでいくのかと、何度も思ったわたしであった。とどのつまりは、「事件はなかった」「すべて君の幻想だ」と、言いくるめられる恐怖も味わった。もしそうなら、もうよい「ファン止めた宣言だ」。

 そうはならなかった。
 良くしたものだ。京極堂はあわやという時、突然闇鴉のようにふいと現れた。
 そこでお祓いが始まる。憑きもの落としである。

    漆黒の影法師が現れた。
   「君は--」
    誰だ。
   「世界を騙る者です」

 はらりと、落ちた。

 今回のお祓いレシピにはほとほと感心した。もともと学究肌の京極夏彦だから、回を追う毎に分野が広がり深まり、まるで柳田国男か折口信夫(これは、薄いかな?)世界を予習復習しているような気分になる。ハイデガーのような哲学話はあまり感じられなかった。n次元パラレル心象風景を描写することが京極の哲学だったかもしれないが。しかし、その要素は以前からあった。
 さて。やはり一応ミステリなのだから、種明かしはできない。ただ、キーワードは並べ、それを京極堂がどのような塩梅で組み合わせ、解釈し、作中世間をして、読者をして、了解させるにいたったかは、読後のお楽しみ。
 「うっ」と、声も出なかったのが、日曜作家でもあるわたしの感動だった。
 
 {世界、社会、世間}
 {世間話、昔話、伝説、歴史}
 {正史、稗史(はいし)}

 こういう言葉が出てきたならば、襟を正そう、正座しよう。京極堂先生のお言葉、静聴!

参考
  MuBlog:姑獲鳥の夏:うぶめのなつ(映画)

追伸
 あっというまもなく苦渋の二日半、恍惚の半日がすぎてしまった。次の恍惚まで、あと何年待てば良いのだろうか。ファンとは、切ないものだ。

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2006年10月14日 (土)

宇治川のラジオゾンデ

気球とゾンデ

気球とゾンデ
 昨日、宇治市役所の帰り午前十時過ぎ頃に、宇治川にかかった隠元橋あたりで空を見た。青空に気球があった。行くときは、隠元橋たもとの自衛隊の空に半分しぼんだ気球があったから、多分それがガスを満載して空に上がったのだろう。
 それなら、陸上自衛隊の気球なのだろうか。実は、最初にイメージに浮かんだのは「風船爆弾?」だった。自衛隊の空にしぼんで立っていたからそう思ったのか、人の考えにまとまりはない。帰りに空高く見えたのは、自衛隊とは反対の場所、宇治川を挟んだ南側だった。

 熱気球、風船爆弾、ラジオゾンデ、飛行船、……。空の気球をみると大抵そういう言葉が浮かんでくる。昔の飛行船は水素ガスだったらしく、ヒンデンブルク号爆発歴史映像は脳裏の底に残っている。今は、ヘリウムガスなのだろう。

 ところで、写真を見ると風船の下に長い紐が付いていて、地上につながっているようだった。ラジオゾンデをネットで調べてみると、気象観測気球のことで、ものすごい上空まで飛ばし最後は割れるようだ。その間、機器が無線で気象状況を送り、機器は回収されるのかどうか。
 ゾンデという言葉は、ドイツ語でSonde、英語だとプローブ(probe)。探索すること、探索針、つまり手の届かないところを長針で探るような様子らしい。

 確かに、風船の下には機器があった。肉眼では、なんとなくビデオカメラのような気がした。私がそういうことをしたかったから、そう見えたのだろう。安定棒のようなものが機器の横に付いているのも分かる。
 たいしたことでも無かろうが、気球をみることは滅多にないので、興奮して写真に撮った。
 ゾンデは何を探索していたのだろうか(笑)。

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2006年10月13日 (金)

皇国の守護者(2)勝利なき名誉/佐藤大輔

承前:皇国の守護者(1)

 第二巻を数日前に読了した。読み出すと止まらない、相当な自制心が必要だ。これは北方三国志や、北方水滸伝の頃と似通っている。私自身が受容する時期であることと、内容が緻密だからかと思っている。作者は、世界を創っている。ジャンルとしては、近頃ようやくネットを見て知ったのだが、「仮想戦記物」というらしい。そういうものは読んだ覚えがないのだが、おそらく今後も読まないだろうが、皇国の守護者は多分それらと異なっているような予感がする。

 今の前提としては、パラレルワールド、丁度明治期の日本のような雰囲気である。皇国の北領(つまり日本の北海道に似ている)に突然帝国軍が進入してくる。この帝国軍は、帝政ロシアとオーストリア・ハンガリー帝国と若干ナチスとを合わせたような帝国なのだが、実に簡単に皇国の北領を占拠する。
 皇国軍一万八千兵はなすすべなく、水軍の助けで脱出するわけだが、その殿軍、つまり追いすがる帝国軍を阻止する役割が新城直衛大尉であり、彼が主人公である。それが一巻だった。

 ときどきごくまれに、文章がねじれていて文意を正確にくみ取れない部分もあるが、それはごくわずかだ。と、断った上で、この作品の第二巻に入れたことを内心うれしく思っている。第一巻で気に入ったのだから、すぐに読めば良かったのだが、外界諸事情で自制が強く働きすぎて、今にいたった。
 あと九巻まで机上にある。
 この二巻は四つの章で組まれている。順に思い出しながら、後のメモとしておこう。

第三章 許容もなく慈悲もなく
 大尉とは、大隊を指揮している。初めから大隊長ではなかった。負け戦の中での、上級将校戦死による戦地任官である。もともと400人の兵がいたのだが、帝国軍の捜索、それへの奇襲の中で、20名になっていた。すでに帝国軍では新城大尉のことが「猛獣使い」として知られている。千早(ちはや)という剣牙虎(サーベルタイガー兵)は通称猫と呼ばれ、一匹で20人以上の戦力をもつが、ともかく兵400が20になるまで戦っているのだから、そのしぶとさ、機略、どれをとっても新城の将校としての能力は他に類をみない。その間、帝国軍の消耗は、数倍に昇っている。
 普通、総数の半数を越える戦死者がでると、それは全滅として扱われるようだが、400が20になっても戦うとは、帝国軍の常識を外れていた。もちろん、祖国<皇国>でもこれは異常なことである。

第四章 俘虜
 皇国軍の主体が無事脱出したであろう時間になったとき、新城大尉は青旗をあげて、捕虜となった。
 新城の令名高く、なみなみならぬ待遇だった。捕虜交換も決まり、水軍の笹嶋中佐との約束により、帰国船待遇も保証されていた。
 捕虜交換のために来た秀才の皇国官僚は、新城の服が汚れていないことを見て、兵達と一緒に労働していないことを暗に侮蔑した。そこで、新城の面目があった。新城は、軍とは娑婆と異なることを自覚していた。将校が指揮し、下士官が指揮内容を実行し、兵が戦う。このことをわきまえない限り、烏合の衆に過ぎないことを、新城は理解していた故に生還したのだが。軍歴なき新官僚にはそれが分からない。このあたりの描写は圧巻だった。
 で、帰国間際に帝国皇帝の姪にあたる帝国辺境領姫ユーリアに謁見し、その際、帝国軍への帰属を求められた。もちろん、ユーリアの麗姿と負けん気の強さ、これら二つに新城は勝った。ここで折れたら、物語は李陵(りりょう)に変わる。

第五章 熱水乙巡<畝浜>
 捕虜として厚遇され、そして帰国船の中で時間がとれたとき、新城直衛は4~5歳のころ、内乱の戦野で知り合った蓮乃(10歳)と過ごした頃から、駒城(くしろ)家の育預(はぐくみ)として拾われ育てられ、15で幼年学校に入る頃までのことを順次回想していた。
 すべての回想は思い出したくもない歪(いびつ)で聡明で、莫迦に見られていた頃の苦々しい内容だった。歪さの原因の一つは姉と慕っていた蓮乃への恋慕がつのる一方で、恩ある駒城家の跡取り保胤(やすたね)の妾に彼女がなったことだった。直衛は内向し、歪さをむき出しにし、伽(とぎ)として与えられた女達への性癖は深刻なものとして現れた。直衛はそれらの噂も内容も黙ったまま、弁解も釈明もしなかった。単に事実にすぎない。
 そこに主人公のダーティーさが点描され、リアルな人物となって、私の前に立ち現れた。戦場における直衛の殺戮は、そういった歪さによる狂気ともいえた。直衛は決して上品な英雄ではなかった。
 ただしかし、読んでいる間中、鬱々しさも陰惨さも私の中にはうまれなかった。ひたすら、「そうか、そうか」だった。狂気の中に聡明さがなければ、生き残れなかった。狡知がなければ帝国軍とは対峙できなかった。なにか陽があれば、陰負の要素がある。その筆の運びに、私は陶然となっていた。

第六章 <皇国>
 帰国した。
 三十前で(27歳)少佐になっていた。しかも、陸軍だけでなく、水軍においても(名誉)少佐を与えられた。
 異例中の異例。この昇級は、皇国軍にあっても、五人とはいない。

 駒城(くしろ)家当主篤胤(あつたね)は謀略家だったが、いまは隠棲している。擬態であるが、世間も他の将家(この世界での実力者:五将家といわれ、徳川将軍のようなのが五家あって、皇国を分領している)も代は保胤に移ったと考えている。篤胤は少年直衛を見込み、元服させたとき、彼に「城」一字を与え、新城家を造り与えた。
 その篤胤と息子保胤とは、英雄・新城直衛にある密命を与えた。皇国皇主に凱旋の奏上に際し、あることを上奏することを計った。
 一方、帰国を祝し、特志幼年学校同期の四名が直衛を料亭に誘った。その中の一人、羽鳥守人(はどり・もりと)は、実は皇室魔導院の上級エージェント(勅任特務魔導官 )だった。

読後感
 気に入った点を書き出したら切りもないのだが、私好みの第二巻だった。第一巻は剣牙虎(けんきこ)の千早と、負傷した天龍の坂東一之丞(ばんどういちのじょう)が気に入ったが、この巻では皇室魔導院の存在と、実体に興味が向いた。
 また新城直衛の少年期の常軌をはずれた歪さにおどろき、それが現在の直衛のある部分に残り、それがまた英雄の条件となっていた、そういう描写に気持ちがこもった。
 そう言えば、かのヤマトタケルは、双子の兄を股裂きにして厠(かわや)に投げ込み、熊襲の英雄を女装して襲い、出雲建をだまし討ちにした。
 英雄とは、現代的な道徳とは別の世界に生きる者かもしれない。

 なお、特志幼年学校時代の仲間との歓迎会は、延々と山海の珍味、美酒、調理法に彩られ堪能した。おなかがぐーとなり、美酒に喉の渇きを覚えるほど、達意のものだった。

参考
  皇国用語集

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物語と歌

 日常に追われて、息つぐまもなく翌日になって、毎日の日付が×印で過ぎていって、美味い物食べて、風呂に入って瞬間睡眠に入って、朝のはよからメル返信をこまめにして、お迎えはいつごろかなぁ~と、ときどき首をかしげて来世を思う、今日この頃です。
 来世を思うというのは、嘘でして、一瞬にしてかじわじわとか、私の脳に蓄積された感情や知識や経験の総体が崩れていって、この世に私という名前で記号化された「わたし」がやがて消滅していくという風に思っているのでで、来世はないのでしょう。
 それが今日明日のことか、五年先か、十年、二十年先、三十年先かは、私にも分からない。確実なことは、やがて、消えるという事実を、私は把握しているわけです。

 幼少時から蓄積されたあらゆる記憶が、消滅するというのは、あっさりしています。
 ただ、ただ、生きて。生きる苦よりも総体的に愉悦の多いこれまでだったから(笑)、まだまだ元気に生きていきたいという、生きる衝動(と、言ってよいでしょう)に支えられ、毎朝目覚めるわけです。気力がなくなったら、目覚めないのじゃなかろうかとも、考えています。

 そういう、日々の中で、物語と歌、という句が常に私の脳裏を横切っていきます。
 今朝は、それについて少し記しておきましょう。

物語と歌
 ああして、こうして、こうなったという物語が好きです。これは小学生時代からの記憶としてあります。
 実は、断絶とか破綻とかに強い衝動を感じるわけなのですが、それには前提として物語がないと、そういう衝撃を味わえない。始めから、無とか、プッツンとか、なんにもないなら、破綻しようもどうしようもない。

 人格とかも、そういうわけです。始めから空白なら、そこに劇的ななにかが生まれるわけはない。
   がんばるから挫折がある。
   なにかするから、失敗がある。
   計画するから、頓挫する。
   約束するから、反古がある。
   信用するから、不信がある。
   就職活動するから、失意がある。
   恋愛するから失恋がある。
   結婚するから離婚がある。

  そもそも、生きたから死がある。

 ところが。
 生きる衝動というのは、何かをしたい、するというところから生まれるように思います。
 餌を、獲物を捜すことなど、根源的です。
 そこに物語が生じる。ああして、こうして、こうやって、美味しそうな野鳥を手に入れて、毛をむしって、焼いて食べて「ああ、うまかった」。愉楽、悦楽の境地。その経験記憶があるから、次の物語をもとめ、失敗し、手には何も残らず、苦を味わうが、あじわったままなら、死んでしまう。死よりも、焼き鳥にタレ付けて、原酒とともに味わった愉楽感が大きいと、次の物語を作り始める。

 というわけで、なんですなぁ。
 歌物語が好きです。物語の中で、何かがとぎれたときは失意、なにかが得られたときには達成感。そういう、穏やかな流れが、渦を巻いたり、滝になったり、消えたときに、歌が生まれます。
 だから、物語と歌なのです。

 こういう観点ですと、一首、一句をとりだして言葉の芸の術のと深く詮索するのは、好ましくないとおもうようになりました。背景に物語、詞書(ことばがき)あってこその、歌一首ですね。
 そうそう、私のなかでは、「歌」とは、世情言われている歌謡曲でもないし、短歌でもないし、せんじつめれば和歌というたほうがよいです。さらに、俳句なども、江戸時代のいくつかは、ジャンルわけなどとは関係なく、和歌と、とりまとめております。随分乱暴な話ですが、そう考えると、すっきりするのです。

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2006年10月11日 (水)

もう終わった昨日の日記

 昨日は人が起きるころに思い立って近所の公民館へ行き、戸籍をとった。戸籍には私の名前が抹消もされずに残っていてほっとした。
 その後、生まれて初めて社会保険事務所というところへ行ってみた。国道24号線が名神高速道路の下をくぐる直前の、でっかい消防署の横にあった。自分のことと家族のことで、相談に行ったわけである。相談とは言っても、結局書類をもらうためだった。

 広い待合い席に50人分くらいの椅子があって、窓口は7つあった。私の番号札は43番。随分待たされた。しかし気さくな担当者だったので、話が弾み(笑)20分ほど相談した。そのあと別の階の別の窓口にも寄った。内部の仕事ぶりは、ちかごろ話題の社会保険事務所であってもよくわからないが、待合いシステムとか、担当者が個人単位で綿密に相談に乗るのは、長いあいだの工夫の果てのものなのだろう。

 ところが。私自身について言うと、社会保険事務所は当面、無関係だと分かった。二時間前後、なんだったんだろうと思う反面、こういうことをまったく経験せずに、国や私学の事務組織に支えられたきた者が、はじめて社会にでた(笑)という、自立のためのセレモニーみたいで、おもしろかった。考えてみれば、よきことあしきこと、数十年にわたって私の宮仕えというのは、国とか私学に丸抱えされた、おくるみに包まれた状態だったのかもしれない。

 結局昼になってしまっていた。近所の四川料理へいって、日替わりランチ800円にした。随分むかしから、24号線を走るたびに、この店が気になっていた。味苑とかいう名前だ。国道沿いの一角に駐車場らしき敷地もない、ちっこいただの中華飯店にすぎない。

 注文にでてきた小柄なお兄さんに、メニューなしで日替わり以外の名前を口にしたら、なんとなく首をかしげる。おやっとおもって、他のお兄さん達を見た。似たような風貌だ。「もしかしたら、日本語は駄目なのか」と気付いた。あわててメニューをあけて、じゃまくさかったので日替わりの写真をしめした。仏頂面で首を縦に振った。わかったようだ。厨房にもどった彼の大きな声が聞こえた。中国語だった。

 ところが。他の数名のお客さんとの対応をみていると、ほとんど中国語だった。あらら。このお店、お客も含めて、全部純粋の現地四川料理かもしれない。

 美味しかった。中華はときどき嵐山近辺で、チェーン店にはいるのだが、そこも気に入っているが、ここはまるで四川、大量の茄子のようなもの(笑)の炒め方仕上がり甘さ辛さの質が異なっていた。附録で鶏肉唐揚げをマダムらしき人が運んできた。でっかい、中身もジューシー。「違うんだなぁ~」と、嬉しくなっていた。

 帰りに800円払いながら、マダムに「美味しいですね」というと、にっこり笑って、なまりのある日本語で「麻婆豆腐はもっとですよ」と答えた。現地の麻婆豆腐は日本のものと違うのかも知れない。そのつもりになってみると、お兄さん達、そしてマダムの風貌、やはり日本と違っている。もちろん料理も違っている。
 だけど、なんとなく気持がよくなった。違いがあっても、しっかり働いて、しっかりサービスしている人達をみて、安心した。

 葛野の屯所で、局長2006秋と、倶楽部運営についてだいぶ話し込んだ。間に別仕事もはいって、合計すると二時間ほどだった。接点がいくつか見つかった。

 木幡で夕食は、大皿のブリ刺身だった。
 ドレッシングはなかったが、海藻とかいくつかの自製ハーブとかの上に、なにか胡椒がかかったようなブリが一面にあった。大量のカボスが二つ切りにしてあって、それを硝子の小皿に絞り込んで、醤油をたらして、食べた。うむうむの味だった。
 若布のみそ汁、ゴーヤ(笑:*)のチャンプール、小芋のにっころがし、たくあん。デザートはイチジク。
 そうそう、最近はイチジクのジャムが朝の友。

 昨日の日記を記している間に、空腹になってきた。いま午前四時すぎ。さて、珈琲とイチジクジャムと、発酵バターで朝のお食事。今日も元気だ。煎茶がうまい。


 ゴーヤというのは、わたしにとって、子供のニンジンのようだ。あのてこのてで食卓にのる。ときどき騙されて口にする。そう、まずくはない。おいしいのだ。しかし、なにかしら、苦手だ。しかたない。

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2006年10月10日 (火)

あなたの、ご趣味はなんですか

 お見合いで交わされるのだろうか、<ご趣味はなんでしょうか>、現実にはお見合いをしたこともないし、人からこんなことを聞かれたことも記憶にありません。

 もし今夜聞かれたら、さあ、どう答えるのか。
 「読書」 そうなんですか、本を読まれるのですか。
 「ドライブ」 道を走っていて、楽しいのでしょうか。
 「パソコン」 インターネットで、なにか見つかりましょうか。
 「音楽鑑賞」 そうですか、古典音楽ですね。
 「博物館鑑賞」 これはまた、上等なご趣味ですね。

 <すると、あなたは、野球もサッカーもオリンピックも、K1/プライドも、深夜徘徊も、お笑いも、鉄道模型も、ラジコン飛行機も、競輪競馬博打も、ショッピングも、登山、旅行も、~そういう人間らしいことには、まったく興味がないのですね?>
 「そうですね、ないですねぇ。お答えしたものも、はたして趣味といえるかどうか」
 <よろしければ、ほんとうの趣味をお聞かせ下さい>
 「ただ。ただ、なんとなくぼんやりと暗い部屋で横になっていると、時間があっといまに過ぎていきますね。本当といえば、それが本当なのかも知れません」
 <それは、趣味なんでしょうか>
 「あなたは、どちら様ですか? 私は、趣味とか娯楽とか、暇つぶしとか~、起きている時間に、そんな風に考えることはほとんどないのですが。無理に、趣味は?と、聞かれるから、少しあわせただけですが、……」
 <わたしは世間です>
 「ほお、ほほほお。どこかで耳にしたようなセリフですね」
 <そうです、あなたの世間です>

 世間様には、話の接ぎ穂というか、潤滑油になにか趣味らしきものがあった方が、通りがよいようだ。しかし、読書、音楽鑑賞、ドライブだなんて、数十年昔の映画でみたような、お見合いの席の会話のようで、気恥ずかしい。
 しかし、MuBlogを見てみると、そんな気恥ずかしい趣味の残映ばかりの記事があり、人間らしい(笑)ものはなにもない。

  読書→惨劇のミステリ
  ドライブ→一人暴走族でもないが、目を血走らせての計画距離達成
  パソコン→ネットなんか全く見ずに、安いメモリを買いあさる
  音楽鑑賞→パンソリや、アラフー世界(イスラム系)、浪曲、なにかしら濃ネイティブ
  博物館鑑賞→展示中身よりも、広くて空いている安い喫茶店やレストラン

 おのが知識樹をこの目でみてみようと、MuBlogを造り出して二年半、でてくるものは、妄想と根暗な心性の塊に満ちている。なかなかに、世間様に通りよい「趣味」の世界とは、胸をはって答えられない。

 <あなたの趣味はなんですか>
 「blog、……。いや違った、睡眠でした」

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2006年10月 9日 (月)

紅茶瓶とまたりん

紅茶瓶:French Blue(Earl Grey)&THE DES Voyageurs

紅茶瓶:French Blue(Earl Grey)&THE DES Voyageurs
 いつごろからかしらないが、紅茶の入った薬品瓶がある。色も綺麗だから、中が空になったら私の小物入れにしようと狙っている。French Summer Teaと小さく読めるから、仏夏茶とか、おフランス・夏のお茶、とか言うたらよいのだろうか。するとこの初夏にはいってきたのかもしれない。

 ブランド物なのか、なにかもわからない。気にならない方だから。パソコンのCPUとかメモリとかハードディスクになるとメーカーとか型番とか、あれこれ細かくマニアックなまでに気になるが、それ以外は白も黒も全部まとめて灰色になってしまう。
 瓶のラベルの下には「Mariage Freres」と読めるが、おフランス語はとんと苦手なのでカタカナ表記すらできない。同僚にフランス文学の先生がいるから、正確な発音を教えてもらおうともおもったが、あはは、耳慣れないから聞き取れないだろう。
 ただ、小学校のころ極端な化学少年だったので、あばら屋の一隅にミカン箱(注:木製の、縦横幅60x30センチ、高さ30センチ程度の長方形の箱:昔はミカン箱で相互に会話が通ったが、現在は古語に近い)をいくつも重ねて実験室を作っていた。そこには上皿天秤、メスシリンダー、ビーカー、フラスコ、△フラスコ、試験管、アルコールランプ、漏斗、硝子管、そして様々な試薬が置いてあった。薬品は、近所に出前に来る薬局のお兄さんに注文していた。研究資金が10円、50円単位だったので、大抵薬紙にグラム単位で包まれていた。それを、この紅茶瓶のような大小様々な薬品瓶にいれて、ラベルを貼っていた。フェノールフタレンとか、硝石とか、硫黄とか。そういう事情で、いまだに、こういう硝子瓶をみると、身内からカーッと熱情がほとばしってくる。こういう化学実験のガイドは、おそらく「子供の科学」じゃなくて、「模型とラジオ」だったかもしれない。タイトルと違和感があるが、そんな気がする。
 そんな追想よりもなによりも、こういう色付き硝子瓶は、私をいまだに夢中にさせる。早く空になればよいのだが。

またりんの遊び場

またりんの遊び場
 ところで、この薬瓶じゃなかった、紅茶瓶と故「またりん」とは全く時期がずれるわけだが、なにかしら彼にこの紅茶瓶を見せたらどんな反応をするのか、想像してみた。たとえば彼は、左下のお嬢さんお人形をめったやたらにいじめていた。なぜかわからない、猫の心。

 彼は、白物を好んでいた。母親が純白のチンチラだったからだろうか。白いシーツに顔を埋めていた。で、色つき硝子瓶だったら、きっと鏡をみて奇妙な反応を示す猫のように、最初は首をかしげ、そのうち右手(と、いうのかなぁ)でしこしことたたき、ひっくり返し、舐めるような、そんな情景を想像してみた。
 さて、どうなんだろう。

参考
  なに思うのか、またりん君
  わが名は、またりん

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2006年10月 8日 (日)

少し変わった子あります/森博嗣

少し変わった子あります/森博嗣

少し変わった子あります/森博嗣
 最初の方で年長の男性小山と、その後輩の荒木が登場する。二人とも大学教員のようだ。荒木は、先輩の小山に店を紹介する。かわった店だ。どうかわっているのかは数行で表現されているが、存在を疑うほどに変わっている。その荒木がドイツ留学から帰った後、失踪したことを知った。小山は後輩荒木を捜すためなのか、思い出しただけなのか、その店へ電話をする。まるで仕組まれたかのように、迎えの車が大学へくる。
 そんな話だった。

 事件も恐慌もなにもない。
 穏やかな、新しい楽しみとなって小山の日常に、それが続く。ふと電話する。大抵は迎えが来る。行き先はしらない。店はその都度かわる。女将(おかみ)が挨拶する。整った姿形の女将だが、帰った後で顔を思い出せない、曖昧な記憶しか残らない。
 必ず一人、見知らぬ女が対面して食卓にすわる。
 話すこともあるし、無言のこともある。
 毎度、別人のようだ。
 料理は和風だけかと思っていたが、変化する。しかし調理人は同じだと味わいながら思い出す。

 小山は一夕の食事を見知らぬ人とするだけの、新しい楽しみにひたる。なにかが起こるわけでもない。何かを得たとも思えない。淡々と、女将の定めたルールにしたがって、変わった店、変わった子を楽しむ。
 と、そういう小説だった。

 幻想でも、ファンタジーでもない。普通の散文小説である。
 何もない、日常の空(くう)に近い、なのに状景がくっきりと浮かんでくる。喜怒哀楽も別離も愛も死もない。男も、女も、ただ箸をうごかす。相手によって談笑することも、沈黙のままおわることもある。名前はどこにもない。店の名前も女将の名も、小山という名前すら疑わしい。

 私は読み終わって思った。
 近い状景なら、旅先で見知らぬ料理屋に行ったとする。私は名乗らない。女将の名前も聞かない。店の名前はのれんをくぐったとたんに忘れてしまう。料理も「おまかせ」と言うだろう。給仕する人が側にいても、相手の名前も、何かを話すこともほとんどなかろう。たったそれだけの現実状景と、この作品との構造とはおどろくほど似通っている。日常というのもおこがましいほどに、普通の世界である。

 その普通の世界が、一旦描写されたとたん、読み出してすぐに鳥肌立ち泡立つような、引き込むような世界を見せ、最後まで引っ張ってしまう。透明で硬質で、しかも柔軟という、この作品にめまいを感じた。森博嗣の中でも最良の位置を占める文学作品だと思った。この小説は、作者の核にあるものを言葉に替えおおせた珠玉である。

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2006年10月 7日 (土)

小説・ミステリと毎日

 最近ずっと長編小説を書き続けたり、いまも書こうとし、書き出しているから、自分自身が随分長く日曜作家、読書家、文学好きのように錯覚してしまうのだが、今朝思い起こすと、それほど書いてもいないし、読んでもいないし、毎日が小説三昧の人生でもなかった。

 ここにメモをしておくことで、後日思い出したら、付け加えて、正確な小説愛好歴を造っておこう。なぜそんなことをするかというと、自分のことは自分でしておかないと、な。

1.少年期
 まともに本は読んでいなかった。小学生のころから試験管やビーカーを振って、夜は星を望遠鏡でみていた。化学少年、科学少年、工作少年だった。と、書くと某有名作家に似ていたのかなと思いもするが、いまから考えると「そういう傾向があった」程度で、普通の中学生、高校生だった。
 超絶の貧しさの中で、なぜかフラスコや薬品や、天体望遠鏡や顕微鏡や重厚な解剖セットは、あばら屋のミカン箱の上にあった。(これを書いていて、故両親を思い出し落涙)

2.青年期
 受験浪人期、大学生期、結婚までの時期は、なんとなくごちゃごちゃで、大学を卒業して就職して結婚しても、あまり変わりはなかった。
 SFが本格的読書の始まりかもしれない。このころ、つまり受験浪人期十代末に、保田與重郎、小林秀雄、それとなく吉本隆明に入り込んでいた。
 保田與重郎は『日本の橋』(筑摩書房の文学全集)と『現代畸人傳』(新潮社)以外はすべて受験浪人中に古書店で集めた、二十冊程度。浪人中にこんなことしていたから、その後の人生が変わったなぁ。
 一般小説では、大江健三郎、三島由紀夫、安部公房の三人が好みだった。
 このころ長編小説『夜麻登志宇流波斯』の初稿を書き出していた。後年500枚ほどの長編として上梓できた。

3.二十代後半
 このころ、横溝正史の多くの長編推理小説を読んだ。
 そして、北一輝研究で著名な評論家・松本健一さんの作品も、当時のものはほとんど読んでいた。

 未完になった「伝説の三輪山コンミューン」という作品を500枚ほど書いていた。つまりこのころに『蛇神祭祀』の萌芽はあったようだ。
 歴史物では、そのころの梅原猛はひととおり読んだ。
 仕事の上で、コンピュータを触る機会がふえて、プログラミング言語に傾斜していった。
 原稿を50枚ほど、知り合いの人が酔っぱらって電車に置き忘れたのが引き金になって、小説を書くのを止めた。気持は実に単純で「神様は、ぼくに小説書くのは止めろとおっしゃった」と、解釈したようだ。
 さらに深刻ぶって書くと「子供もできたんじゃから、文学青年の真似なんて止めないと」と、深く自覚したようだ(笑)。

4.三十代から四十代
 この間、文学そっちのけで、コンピュータ世界に惑溺、耽溺、のめり込んでいた。SONYでゲーム作家にもなったし、後日大学助教授になった下地の研究も、コンピュータを使って始めていた。つまり、パーソナルコンピュータが登場した時代だったのだ。FM-TOWNSの梅安さんと知り合ったのも、丁度三十半ばだったと記憶にある。
 そのころ前後して、古典文学世界で現在活躍している先生達と大和・西大寺近鉄駅裏の路地で出会い、NDK(日本文学データベース研究会)を結成していた。駅ホームの初対面の接近遭遇は「THE BASIC」という、当時マニアが読んでいた雑誌を小脇に抱えていくのが合図だった。そして彼等につれられて、後日伊井春樹先生という源氏物語の大家の、当時大阪大学文学部に出向いた。先生はいま、国文学研究資料館というメッカで、館長をされている。

5.1990年代
 兵庫県の社町に一年間単身赴任していた。夜は時間が余っていた。
 夕食は、なべに昆布をひいて、野菜や肉類や魚の日替わり、餅を入れて、煮立ててボンズで食べていた。毎夕。だから、調理時間とか後始末に時間がかからなかった。包丁を使うのもじゃまくさくて、肉や魚、そしてやさいなど、すべて手で引きちぎって鍋に入れた。
 朝食は切り餅を湯がいて、きな粉と黒砂糖で毎朝。煎茶。
 洗濯もお風呂に入りながら、浸かりながら身体を洗い、同時にシャツを手洗いしていた(洗濯機もクーラーも、もったいなくて買わなかった。ただし、パソコンは数台持ち込んでいた(笑))。

 夜の膨大な時間をなににあてていたかというと、読書。
 一つは、ものすごい数の情報処理学会論文誌の自然言語処理関係論文を、毎晩一件づつ読んでいた。このあたりのことは、今でも不思議だ。人はときどき変身するようだ。毎晩よんでは、おどろいたり、ケチを点けたりしていた。そして月に一回、京都大学の当時工学部長尾研で電子図書館研究会があって、会議の始まる前や、懇親会のあとに、長尾真先生に「あの人の、あの論文いいですね」「ほう、気がつきましたか」とか論文の茶飲み話をしていた。これも不思議だ。
 残りの時間は、ミステリとか推理とか、ほとんど考えずに内田康夫さんの浅見光彦シリーズを読んでいた。つまり、私は内田康夫先生を、ジャンルで読んだのじゃなくて、物語としての面白さで読んでいた。それら作品がミステリか純文学か和歌か詩か、あまり気にしていなかった。
 一年経ったとき、お役御免になって、京都の葛野へ着いた。

6.二十世紀末
 なにかしら、知らぬ間に大学助教授になっていて、学生達に情報図書館学、司書のお勉強を始めていたのだが、数年後ミステリ好きの学生たちと知り合った。
 で、奨められたのが、森博嗣、京極夏彦、島田荘司、笠井潔。諸作家の、そのころの作品は、ほとんど読んだ。さらに、綾辻行人とか小野不由美も読み出していた。20世紀末から、21世紀初頭にかけて、内田康夫さんもふくめて、私の頭は壮大なトリック、殺人鬼、血の惨劇で一杯になっていて、おそらく表情も怖い顔だったと思う。
 もちろんそれ以外に北方謙三さんの作品を大量に読み出していた。
 多分、二十世紀末に、私ははじめて、推理小説とか本格とか新本格とかいうジャンルを意識しだしたようだ。(いまは、その意識も薄れているが)
 そのころ、知らぬ間に教授になっていた。ミステリのウンチクでなったのじゃなくて、おそらく多分、電子図書館というテーマだったように覚えている(笑)。
 この間、京都大学の長尾研でベンチを借りて研究した。毎週火曜と金曜の終日だった。
 一方、カナン96というものすご懐かしい研究会(司書)も並行して集まっていた。
 そしてミステリに惑溺していた(笑)。

7.そして現在
 あまり読まなくなった。二十世紀末に読んだ人達の新作などを人に勧められて、手に取るくらいになった。
 それよりも、日曜作家がすっかり定着した。
 書き出すと、人の作品を読むのが億劫になる。
 自分のを楽しんで読むので、ある程度充足するようだ。
 だから、当然だが、文学全集にはいっているような作家や作品は、20代末から手に取っていないようだ。
 私は、小説好きだが、傾向が定まっているようだ、と、自覚と安心立命の境地。
 人には、好みも限りがある。

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2006年10月 6日 (金)

λに歯がない/森博嗣

承前[MuBlog:εに誓って(Gシリーズ4)]

λに歯がない(G5)/森博嗣

λに歯がない/森博嗣
 柱のない巨大な研究施設での密室殺人事件をとりあつかった、Gシリーズ第五作目にあたるミステリである。
 密室殺人という古典的結構については、森博嗣でないと発想のしがたい、森博嗣でないと書きにくい内容だった。が、印象は素直な着陸だった。そして犯人Xの動機については、表にあらわれたものは古典的な動機だったので、これも素直な着陸だった。もちろん、ここで「動機」などという、新世界ミステリにそぐわない言葉を出したのは、私の意図によるものである。

 実は、感動を受けた。
 まわりに森ファンが何名もいるのだが、そのなかの理系に傾きがちな森ファンの一人に、「どうでした」と十日ほど前に聞いたとき、その人は顔全体を「?」で現した。良いとも悪いともいわないのである。だから少し危惧をもった。どんな作家でも、出来不出来はあるだろうし、読者も各人傾向をもっているし、受容時期体調いろいろ条件は変化する。作者にも読者にも、客観的評価を求めるのはもともと馬鹿げたことだし、作品に対する普遍的な評価もないと断言できる。そう言う中で、「?」の表情が、ちらりと私の胸をついた。そして読み終えた今、その事情もわかり、私は私で安堵した。
「森博嗣、ますます健在!(笑)」

 一言でいうと、このλ(ラムダ)に「シャーロック・ホームズ」を味わった。
 その感想が、ホームズのどの作品と似ているとは言い切れないのだが、安心感を持った。というと、『カクレカラクリ』でも安心感を持ったのだから、同じかというと、そうではない。λはもっと、影をもっている。曇り空という雰囲気だ。
 
 季節や天候に関して、暑さは暑さ、寒さは寒さ、嵐は嵐、雨は雨と、それぞれに感興をいだく私だから「曇り空」とういう言葉にマイナス要素は全くない。だから、曇り空の佳さと思っていただきたい。

 さて、結論を先にいうなら、この作品は古典なのだ。
 一般に評論家が作品批評を筆にすると、大抵惹句として「日常に深淵をみた」とか「それまでにない世界観をもたらした」とか、いろんな新人紹介とかでも言うものだ。また、たかだか二百年ていどの小説という娯楽作品を、娯楽と純文学とに分けるときも、そういう言葉をもちいる。それまでに無い物を造ったと言うことが、文学においては評価基準になるようだ。
 しかし。
 そういう基準があっても悪くないが、私にいわせればそんなものは異国のジェームス・ジョイスが『ユリシーズ』ですでに成し遂げてしまったことなのだから、世間をだますようなセリフにしか聞こえない。私からすれば、どのような新人達の、ベテラン異才達の「新しさ」も、ユリシーズの新しさの前では色あせ、児戯にしかみえない。そう、その意味で20世紀文学は、袋小路に入ってしまっているのだ。別の宇宙を造るには、あと百年はかかるだろう。

 そこで、森博嗣のλだが、私はこれを「古典の静謐」と名付けておく。
 文学として、ミステリとして、本格推理小説として、なにか格段に新しいものがあるとは、思っていない。だが、この作品も森博嗣が書かないと、成り立ちがたい作品だったといえる。おそらく、私がシャーロック・ホームズの安定を味わったのは、けれんのない、淡々とした、作者の苦渋も見せず、安定した筆致で仕上げた当代一流の小説だったからだ。

 ただし、もし一部読者に森博嗣のけれんを味わう読書がいるならば、すこし説明しておく。たとえば、本名も素性もわからない人物がわけのわかりくそうなセリフを話す場面がいくつかあるが、これは作品同士がシリーズを超えて相互に世界を補間している、作者が採った小説構造がもたらすものだから、気にしない方が良い(笑)。それに読者があうあわないとか言うのは、読者の勝手。それでもよい。

 味わったことが二つあった。
 森博嗣にはめずらしく作品の中で某著名な作家名を記し、犀川助教授(世間では、今後、准教授となるようだ)に「勝ち逃げの自殺」と言わせていた。この著名な作家については、森博嗣全作品(エッセイも含め)のどこかに痕跡はあるはずなのだが、私は周辺読者(マニアではない)なのでよくわからない。ただ、この著名作家のことは私もかねがね読んではいるので、その森博嗣の創見に感動した。しかもそれは、Gシリーズのもしかしたら、テーマのひとつかもしれない(?)
 もうひとつは、そぎ落としたような文体、表現がすてばちに見えるほど、クール、省略形が多くなってきたという点だ。説明がなく、身体の動きで多くを現す箇所が目に付きだした。もちろん、私という読者の受容モードが変化したのかもしれないが。特に、西之園萌絵の動きにそれが顕著だった。
 と、意外だが、犀川先生と萌絵はなんとなく親密になりすぎたところもあるのだが、そのあたりも、過剰表現は全く見られなかった。

 最後に。
 古典の意味を私に問うてはならない。答はでている。文学作品における古典とは、こういう作品をさすのである。

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2006年10月 4日 (水)

定稿『蛇神祭祀/浅茅原竹毘古』(はむかみさいし)

承前:『蛇神祭祀』(はむかみさいし)の連載

 この九月末に蛇神祭祀の連載を無事終了し、定稿とした。始まりが今年の四月だったから、半歳100回の連載になる。原稿枚数はおおよそ600枚となった。随分刈り込んだものだ。すでに終了挨拶は別のblogで記したので、ここでは余話のようなものを書いておく。

 人にもよるが作者は自作の解説や宣伝をしないものである。
 何故か。
 いろいろあるだろうが、人は人。浅茅原は浅茅原だから、また考えがある。
 作者の作った作品は、公開されると作者の制御を離れる。作者の意図や意志とは関係なく作品は読まれ、解釈され、了解される。書いている間は、作者の子供のようなものであっても、公開されたとき、それは成人になる。だから自分の息子や娘が世間でどんな風に扱われても、親は口出しをできないのと、同じことになる。

 親のできることは、もう、昔話になってしまう。「あの子がうまれたときはね、可愛らしかったよ」とか、「小学校のころはね、成績が~」というような話しかできない。その昔話を書くのも読むのも、なんの制限もない。私は今、不意に書きたくなった。
 それに、私自身がすでに読者の一人になっているのだから、MuBlog好評(?)の「小説の感想文」みたいなものを書くのも一興。

 脳裏には、大昔なんとなくはやって、読んだような(内容は覚えていない)ノーマン・メーラーの『僕自身のための広告』というタイトルが、やけに大文字で流れていく。

 『蛇神祭祀』 私は気に入っている。最初に公開した『犬王舞う』よりも、物語化がすすんだようで、内心「まずまず」と思っている。特に、御杖代(みつえしろ:宗教教団の教祖さま)だけが歴代言い伝えられている「からくり」を書いているときはほくそ笑んでいた。(ところが、意外にも読み飛ばされたという情報がいくつかあった)もちろん、最近森博嗣さんの『カクレカラクリ』を読んだときは呆然として、「ああ、もう少し大規模に書き込むべきだったなぁ」と、思いはしたが、そこはそれ「我が子かわいさ」。人の子供よりも、自分の作品の方が愛着が増す。仕方ない親ばか。

 それと、以前から、ずっと考え感じてきた三輪山というものを舞台にできたことが、ことのほかうれしかった。ひとにもよるが、私は考えることについては偏食ぎみで(現実食事については好き嫌いはない)、ほっておくと好きなものしか読まない、書かない、見ない、接しない、考えないというところがある。だから何十年も、ずっと三輪山のことを考えてきたから、作品の舞台としてその近辺を選び、なんとかかんとか物語を完成することができたので、すっきりしている。
 そういう意味では全くの日曜作家、アマチュアだと自覚する。だれかに、どこそこを舞台にして小説書いてください、お礼はたっぷりですよ、と言われても、全く書けない、自信がない。

 作っているとき、考えていたのは、一つはモデルについてだった。
 まず、笠御諸道(かさ・みむろみち)教団。これはまったくの想像である。もちろん関係図書をいくつか読んだり、人の話をいくつも聞いてきたので、私の脳の底にはそういう情報・知識が蓄積されているだろうが、こんな教団あるわけない(笑)というのが、作者の気持。しかし、公開されると、人はどうとるか分からない。もし、「うちのことを、かかれましたな」なんて言われたら、わたしはぼそりと答える。「いえいえ、私が教団つくったら、こんな風にするんです」と。しかし、つくっているとき、一人笑いを何度もしていた。特に「神離帖(かむさりちょう)」に気付いたときは小躍りした。(しかし、またしても読み飛ばしたという話も耳にする)。版図、木簡時代からの巫女さんの日記だなんて、そんなの現実にあったらどうしましょう。

 次にモデルといえば、ヒロイン達。なにしろ谷崎教授は京都の葛野女子大学となっているから、ここから混乱が生じる。これは作者のいたずら心と思われるのもシャクなので、ここでちゃんと記しておく。一般に原作者の知り合い達は、身近な者が小説を書くということに慣れるまでは、人物が登場するたびに「僕のことかな」「私のことにきまっている」と、思うものだ。しかし、ひとたび物語を書く立場になると、それが嘘であることがしっかり分かる。もちろん、名前などが一致するとドキリとするだろうが、それは偶然とか、語感のよさとか、別の要因が大きい。蛇神でも書いていて気付いたのだが、女性名は何人も同じ名前の者が近辺にいる。まずいなと、思うこともないのだが(笑)、名前なんて一致するのは山のようにある。連載開始の四月ころには、数少ない読者から「あの、佐保という名前ですが、~大丈夫なんですか」と言われた。しかし、大丈夫もなにも、小泉佐保は生まれながらにして佐保なんだから、どうにもならない。ひとから、「君はなんで、竹毘古なんだ」と詰問されても、それこそ「さあ」としか、言いようがない。

 いわゆる伝統的というか、純文学小説には、なんとなく作者をモデルにして、登場する人物すべてが実在のだれそれに当てはめられるような装いをもつものが多いが、これとて、私小説の歴史も長いのだから、そんな、モデル小説と言わない限りは、あくまでフィクションである。
 「そんなこと言って、嘘でしょう。私がモデルでしょう」と、もし思われる方がいるならば、そのように実在人間をモデルにして書いてご覧なさいよ。似ても似つかぬ人物が、小説世界を歩きまわることになります。

 本当は物語の結構をそれとなく、言ってもらいたいのに、数少ない感想は、もう定まってきている。第二作目で定まるのがいいのか悪いのか。
 小泉佐保→この人、ちょっと理想的過ぎる。ときどき老成しすぎている、そんなわけない、25歳の女性には見えない。と、なんとなく不評。作者はものすごく気に入っているというのに、可哀相な佐保(泣)。
 小沢トモコ→愛らしい。一番できがよい。谷崎と小沢の掛け合いのほうがおもしろい(犬王舞う、以来)と、一番評判がよい。看板娘かも。
 谷崎教授→?
 長田君→登場すると、ほっとする。おもしろい。(犬王舞う、以来)なんとなく、人気がある。作者には、なにがおもろいのか、とんと分からない。あははは。

 というわけで、作者が一番好みの人物は、それは、「さあ~」と、ナイショです。

 まだまだ書き足りないが、今夕はこのくらいにしておきます。また機会あれば、おもうところを「僕自身のための広告」として記します。そうですね。なぜミステリ形式にしたのか。そのあたりのことを、書いてみたいとも思っています。

参考
  小説『蛇神祭祀』の連載完了(DuoBlog)

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2006年10月 3日 (火)

ちょっとした夕方

 今日ははやめの6時半ころに葛野をでた。なんとなく、懐かしいような経路をたどって木幡についたが。伏見大手筋・御香宮はお祭りだった。数日前から。

 すこしだが、バーンアウト症候群のようだった。夕方二時間も半睡してしまったのだ。全身がだるくなって。この記憶は20世紀末にも明瞭に覚えている。当時、若い先生二人と談笑していて、ぼそりともらしたら、診断された。脳は、メンタルな症状は、はっきりと身体に表れる。今日の午後は横になったまま、起きられなかったわけだ。

 ドアが開け放しになっていて、ノックがあった。卒業生が尋ねてきて、アジャリ餅を土産にくれた。よくおぼえていないのだが(半睡だから)、起きあがらないで、そのまま横臥したまま談笑した。数分後に帰って行った。なにやら、漫画の話をしたような(笑)。おそらく30分後だろうか、なんとなく起きた。すると、少しすっきりしていた。数通のメル返して、さて、30分かけて、明日水曜の授業準備をした。

 燃え尽きるほどなにかをしたわけではないが。重なったことや、なんとなくいくつかの軋みもあったせいなのだろう。夏の論文。これは、まだまだ家持や保田を読み切っていないという思いの残ったまま、脱稿した。『蛇神祭祀』これは、自分では気に入っているし、数名(笑)のファンも掴んだというささやかな充実感はあるのだが、やはり虚脱感だな。

 なにをいまさら、虚脱感の脱力感の挫折感の虚無の絶望の~と、20前後に毎日呪文のように唱えていた小難しい言葉がときどき頭をかすめて、にたにた笑い出していた。ようするに、だるかったにすぎない。
 昔、自動車を運転し始めたころ、先輩に「到着してもすぐにエンジンをきらないように。数分間アイドリングしておくこと。マラソンのあと、しばらく足踏みする心」と言われた。どんなことでも、急な発進や停止は、身体にというか、システム全体によくないことなんだろう、とは思っていた。そういう癖があって、いまでも停車しても軽くアクセルをふかせて、一呼吸おいてエンジンを切っている。なにかのおまじないなんだろう。
 次のステージに移る前に、数時間燃え尽きて、横臥して、アイドリングして、やおら起きあがるという一連の身体動作は、昔の自動車扱いの癖なのかも知れない。どうなんだろう、我が身を自動車システムになぞらえていることの妥当性は。やはり、おまじないか。

 気持の中では暗黒無音の深宇宙を一人乗りのボートに乗ってしずしずとさらに深い銀河の底へ飛んでいるようなというか、滑り込んでいるイメージに乗っている。
 またひと眠りしたなら、どこかの惑星系を見つけて、しばし着陸し必要な薪炭を補給し、水を食料をと探し回る心よなぁ。

 ともかく、からくもいきてきた、そしてからくも生きていく。
 夕食は、蒸した温野菜(ズッキーニ、カボチャ)。少し手を加えた鶏肉唐揚げ、スダチかけて。赤ワイン。若布のみそ汁。おつけもの。熱いお茶。日本だよね、夕食は。

 そして明日の一限目は、生涯学習概論。まさに、生涯学習しておるなぁ。

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2006年10月 1日 (日)

カクレカラクリ/森博嗣

カクレカラクリ/森博嗣

カクレカラクリ/森博嗣
 いろいろな想像をふくらませた、そんな作品だった。巻おいて「おもしろかった!」と呟いた。作家の工夫とか、実力が上手に表現されていた。コカ・コーラ社と森博嗣とのコラボレーションというのも、珍しく思った。

 作者は知らず、私は随分と作家森博嗣の安定感も味わった。
 田舎、夏、廃墟、温泉、言い伝え、神社、お地蔵さん、水車、祖父母、旧家、御馳走、美しいお嬢さま姉妹、……。なにかしら日本昔話の一話を読んでいるような気持になったのだ。そこにどろどろした痴情怨恨もないし、警察がきて鑑識課が青いカバーを張り巡らせる陰惨な事件もない。いや、あったのかもしれない。それはミステリ作家の個性として、表現がいろいろあるから、私はいつものように騙されたのか、気がつかなかったのか。

 夏休みになった。都会に出ている花梨お嬢様が、二人の男子学生をつれて田舎に戻ってくる。鈴鳴村。
 二人の学生は廃墟マニアらしい。動かなくなった、さび付いた産業廃墟・遺跡に愛着を持つ現代青年だ。
 その夏、彼等は村に伝わるカクレカラクリに、興味を持つ。
 もちろん、ヒロインの花梨お嬢様は絵に描いたような、召使いがいまだに二十人もいる旧家の、美貌の女性だ。そういう「高嶺の花」にひっそりと憧れているが、男同士なんとなく互いに譲り合うゆかしさもある。
 冒険が始まった。
 お嬢様、花梨には風格がある。たとえ不埒な村人にも、モードを切り替えてしっかり対応する。妹の玲奈はそういう姉に「怖い、勝てない」と感じるが、仲がよい。姉が大学生、妹は高校二年生、真知家の姉妹が色を添える。

こんな状況設定。
 これは、もしかしたら森博嗣の新境地なのかもしれない。ミステリなのに、あくまで牧歌的なまでの明るさ、ゆとりがある。玲奈の倶楽部仲間(物象部)の太一少年をふくめ、五人の青少年にはねじ曲がった影がない。かといって、お笑いに徹したどたばたではまったくない。
 ふと影がさすといえば、花梨お嬢様が、将来のことを夢想した時だろうか。対比的に二人の男子学生は「仕事」という点で将来の筋道を描いていた。しかし、花梨にはオートバイで外国の道を気持ちよく走るイメージしかわかなかった。そこに、花梨の横顔に影がはしる。

なにがミステリなのか。
 それは簡単には言えない、書けない、口にチャック。
 ただ、事情により私も森の描いた「カラクリ」には興味があって、読んでみて相当な衝撃を味わった。途中、これは一体森先生、どんな風に解決するのか、それは騙しでなかろうな、リアルでしょうね、とぶつぶつ言いながら読み進んでいた。あらかじめ言うならば、「あああ」という結論だった(そうでなければ、MuBlogには、コソとも記さない)。
 その間、謎の文字なども現れて、ひとつひとつ解があって、「なるほど」と手を打った。しかし、無論のこと優れたミステリに言えるのだが、「ここまで、考えるのかぁ、こんな理屈、よく思いつくもんだ。でも、たしかにそうだ」という、なんともいえない快感と、腹立たしさに包まれたのも事実だ。後者は、私はどうにも、読んでいて「Muはアホかもな」と、何度も思ったからだ。つまり事前に想像できなかった。

読み続けさせる工夫。
 それが工夫なのか天性の発露なのか、よく分からない。ともかく森作品には二十代前後の若い人達の動きが、ちょっとした行間に滲みでてくる。読み飛ばすと、気がつかない部分にある。今回は言葉の遊び。
 中国のことはよく知らないが、昔の中国では可口可楽と書いて、コークを意味したようだ。漢文の得意な人が、口にすべし、楽しむべしの意だ、と私に教えてくれた。

 すると、カクレカラクリ世界の鈴鳴村では「呼吸困難」と道に記された矢印マークは一体何の意味だろう(笑)。
 あるいは、この村はなにかしら一ひねりするのが文化らしいが、
 真知家の巨大な門にある扁額には、「間もなく家を知る」と墨で記されている、これはなんなのか?
 あるいは、
 「いやしくも、ここは花梨さんの村なのだ」と栗城青年がいうと、「どうして、いやしいんだ?」と相棒が聞く、そして、……。
 あるいは、
 花梨が敵対する家の使用人に丁寧に「これを使っても、よろしくて?」と尋ねる。使用人は「どうぞ、お使いくださいませ」と慇懃に答え、その後にすかさず「~」と言う。
 あるいは、
 発明マニアのような高校教師が、蒸気をつかった自動薪割り機を彼らに見せる。
 で、「この割った薪はどうするのですか」と玲奈が聞く。その、教師の答えに、私は驚き、笑った。

 一杯ある。難しいのから簡単なものまで。私は、郵便局問題は分からなかった(笑)。
 いや、クイズ、とんち集と言っているのではない。適切な文脈の中で、膝ががくりとするようなショックに時々襲われる。すると、次のショックを願うようになる、そして頁を進める。これは、おそらく森博嗣の天性のものだと思った。私は生まれて以来何十年も生きてきたが、こういう文章は書けなかった。

まとめ
 パトカーも血もみないミステリ。
 犯罪者はどこに潜むのか。
 この作品は、カクレカラクリにある。課題としては相当に難しい条件を作者は付けている。120年間という時間の長さに耐えるカラクリ。そして、120年間を過ぎたとき、何が起こるのか。条件が厳しくなるのは、森博嗣の別の側面、すなわち工作者であることから、ここまで書き込めたのだと思った。そのカラクリへの学生の感動も、他の作家にはなかなか書けない。何が起こったかについては、状況設定全体から自然に導かれた。
 よい作品だと思った。
 とりわけ、私のような半分理系ミステリ好き読者には、何物にも代え難い小説だった。

参考
  カクレカラクリ(TV放映)/コカコーラ提供(MuBlog)
  Mu注:TV放映と、原作とは全く別の作品だと思いました。ただし、いとこ程度の近さはあります。それは、状況設定とか、明るい青年たちが一夏の冒険をするという点です。ヒロインの花梨お嬢さまは、TV放映において、原作と似通った雰囲気をだしております。その他の細部、謎の結末については、やはり、異種の作品です。
 マニアさん達とは多少異なり、私は、両方とも佳かったです。どちらを採るかと迫られれば(だれも、迫らない!)、当たり前ですが、原作です(笑)。

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