首が痛くなるよな終日
今日は、終日葛野でやっかいな仕事をしていた。午前中から極めつけの秀才が一人来てくれて、随分助かった、というよりもその先生が居なければ、ひとりでは出来ない大仕事だった。
終わる頃、愚痴に愚痴ってしまった。
「私は、なぜ、ときどきまれに、できそうにもない仕事を引き受けるのか、自分が馬鹿に見える」
「ほう」
「引き受けるときは、どんなことでも、すぐにできる、容易にできる、かんたんかんたん、と思ってしまう」
「うん、あるね」
「付き合いがまったくないから、まれに頼まれるとうれしくなってひきうけるけど、その日時が近付いてくると、地獄に嵌りこんでいく気分だね」
「そうそう。そういうことあるね」
「私は、自分が馬鹿に見えてきたよ。う~ん。もう、一切人とは話もしない、交渉ももたない、~とおもって十数年。ついふらふらと、その掟を破ると、悲惨な目にあう」
「同じです」
「え? 君が? 君ほどの秀才がそんなことで、悩むのかい」
「なにをおっしゃる、大先生。いっつも、そういう事態におちこんで、胃を痛めておりますよ」
~
というわけで、老若、愚痴合戦になりそうな時刻に、仕事が終わった。
そういえば、昨日は学生二人に似たような話をしていたなぁ、とふと思い出して、けたけたと笑い出した。
昨日はこうだった。
『私は辛いことばかりするハメになる』
「はぁ~。いつも楽しそうじゃないですかぁ」
『馬鹿め、おろかものめ、君らは若い。なんぞ、ひよこに火の鳥の気持がわかってたまるか』と、これは口には出さず、目で言った。しかし、まったくこたえていない。
『来年こそは、なんにもしないで、楽々気分だ。なあ、君』と、まだ未成年の学生に安心感を持たせた。
すると。
「お主、そのような、センセの甘言に騙されるでない。いつなんどき、不意打ちをくらうか分からぬぞ」と、ややすこし年長のものが、若い者にさとしていた。
~
で、今日だ。夕方になって、とりあえず終了して、わが友、秀才先生は帰っていった。お礼に、分厚い図書を三冊も貸し出した。
で、そのあと例によて、横臥して天井をみていると、首スジがいたくなっていた。
それほどに、ハードな仕事だった。
私は、こうして毎日仕事をしているのだ。
かえろうとすると、別の部屋に一ヶ月ぶりの学生が顔をだした。もろもろややこしい話をして、しかしその続きを聞くのも首が痛くて、わるいけどさっさと帰還してしまった。そのかわり、その学生には菓子と飲み物を進呈した。
というわけで、一日がくれていく。なるほど、人生とは、まれに人々と対話しながらすごすこともあるようだ。何十日も一人で葛野で定常仕事をしていると、ほぼ独り言が頻繁にでるころに秋風がふき、なんとなく学生達も顔をだすようになって、私も、野暮な仕事をする季節になってしまった。
今日は8月最終日。
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