家持(やかもち)のお父さん、大伴旅人(おおともの・たびと)
事情で最近ずっと万葉集関係の図書などちらちら眺めている。なにぶん、万葉学者でもないし、歌人でもないし、ただの人として、なにかしら青年時から、家持(やかもち)が気になって、ついに今夏は長年の宿願というか、大伴家持(おおとものやかもち)のことを、少し骨身にしみるほど味わってみたいと思って、この七月ころからとつおいつ関係図書をぱらぱらと、ひもといてきた。
今日も午後延々と数時間詠ったり、読んだり、天井を眺めたりしていたのだが、いつになくげらげらと笑い放しになってしまった。なにか、よその案をよもうとしても、つい戻ってしまい、また読んで、天井みてぎゃはは、と笑う。だれとも口をきかない夏期だから、よその人がのぞきみたら、「Muさん、ついに発狂」と、なるだろうな。
実は、家持さんで笑ったのじゃなくて、お父さんの旅人(たびと)さんの歌なんだ。私が読んでいる本では、山上憶良(やまのうえのおくら)よりも上に位置する詩人らしい。高校生のころに、お酒の詩人として覚えていたが、その歌なんだ。
あな醜く 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ 人をよく見ば 猿にかも似む
(Mu翻訳:なんやこいつ 賢こぶって 酒ものまへん 嫌な奴、猿そっくりの顔しとる)
この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 吾(あれ)はなりなむ
(Mu翻訳:毎日酒飲んで楽しうくらせたらなぁ 来世にゃぁ、虫でも鳥でも、なんにでも生まれてもええで)
(Mu深層訳:外来仏教思想への憤怒か、それはうがちすぎか)
生まるれば 遂にも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくをあらな
(Mu翻訳:そうやな、人間一旦生まれたら、死ぬ定めや。ほたら、生きてるあいだは、飲んであんじょういきまひょや)
黙然居(もだお)りて 賢(さか)しらするは 酒飲みて 酔泣(えな)きするに なほしかずけり
(Mu翻訳:こいつ、このむっつりすけべ かしこぶるな馬鹿。酒飲んで泣く奴のほうが、よっぽど可愛いわい)
ともかく、家持さんのお父さんは魅力のある人みたいでした。
酒壷にどっぷりつかって、酒を染みこませたいとかいう歌もありました。
大体筑紫(福岡、北九州でしょうね)時代に佳い歌が多いそうです。
太宰府の長官だったからでしょうね。
まだこの時代は、大伴氏も波乱すくなく天平の爛熟文明で愉しんでいたようでした。
そして悲劇は、長男の、最後の氏(うじ)の長者、家持の代に始まったのでした。
おあとがよろしいようで、では。
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コメント
ん?下戸のMuさんが(大酒飲み)の旅人さんの歌を面白いと?酒飲みへの共感じゃないでしょう?・・・・。
私も今まで多くの(酒飲み)の御仁に出会ってきました。
学生の頃の、漢文の先生は、お飲みになるといろいろしでかしてくださいました。(鴨川で泳ぐ~!)と言って、川に飛び込んだり、四条の橋のど真ん中で(相撲をとろう!)と言って、男子学生に飛びかかっていって、投げ飛ばされたり・・・。でも、お飲みになって、興にのると、漢詩を作りそれを紙にしたためて、プレゼントしてくださいます。(○○○嬢へと、私ももらいました。笑)
ボーナスをもらった日に、酔っぱらって、駅でその袋を落とした事務長とか、いろいろな方がいらっしゃいましたが、どの方もどこか憎めず(愛すべき)方たちでいらっしゃいました(笑)。
投稿: wd | 2006年8月29日 (火) 10時34分
酒は人をまともでないものに化けさせてしまいます。
ところがふだんからまともでない人は、つまりは、始終酔っぱらっているようなものです。
私など、酒が不要なのは、ふだんから潤沢な脳内麻薬に恵まれているからだと、自覚しています。日々、これ、世界が七色に輝き、一転して泥沼暗黒の鬱世界におぼれ、瞬転、星々のきらめく宇宙に漂っています。
だから、酔っぱらいを見ると、「燃費の悪い人生だね」と思います。
上戸下戸、それぞれの楽しみがあるようです。
では
投稿: Mu | 2006年8月29日 (火) 12時08分