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2006年7月29日 (土)

 今日は葛野も、そろそろ終わりにして引き上げる。
 朝からどこか異国の地での課題「目録作成」を100点以上見続けて、ほとほと、~。いやいや抱腹絶倒。もともとテーマ性重視、つまり目録技術よりも、どういう図書とか情報を集めてきて、それをどんな風に小綺麗に正確に、気持ちよくまとめ上げたか、そういう視点で採点していた。もう、ものすごいテーマが一杯あったぞ。

 いまのところ、100点満点花丸を3冊にだした。なるほど精妙というか花がある。まるで、世阿弥や元雅の申楽レベルであるぞ(みたことない、中世の能舞台なんて)。これは昨日のメディア論でもそうだった。

 私のだす90以上は、みなみな優れている。とりわけ、100点をだすのは「花」があるかどうかである。
 さて、「花」のあるなしをいうと、みんなして、そんな主観的なとか、恣意的な、とか申す。
 だがな。まちなさい。
 客観的評価なんかあると思うのが唐変木のコンチキチン(ものすご、古語ですなぁ)。
 そんなふうにしたいなら、コンピュータでやればよかろう(と、ものすごコンピュータ音痴のフリ)。

 まあよろし、花を見きわめるのが、熟達、手練れの者の誇りなり。花もクズも自信もってみきわめられないなら、人間やめなさいや。……。おかしいな、えらいテンションが上がってくる。

 さて、絵画の評価、それが本論。
 わが木幡研のメンバーはいずれも絵画性志向が高い。口ずさむように、息をするように、絵を描く人ばかり。唯一、私だけが絵画性は、ほとんど10点程度(100点満点で)。私は、なんとなく、文章性志向が高く、考えるのも、話すのも、イメージするのも、文章で済ませている。

 で、白テンを抱く貴婦人問題というのがあって、いつぞや畏友の梅安さんと京都の美術館へ観に行った。さっぱりわからない。梅安さんは感激の極みというのに。そこで、私は弁解した。「どうも、僕は、構造体というか、なんらかの立体性がないと、二次元上の情報は、把握できないようですぅ」。いうにことかいて、へりくつをならべたものよと、当時の自分に赤面している。
 (文章なんて、これは、読む状態からいうと、二次元どころか一次元情報じゃないか。)
 
 そこで、私は乏しい経験の中から、絵について、いま、思いをめぐらし始めた。

 モジリアニ、アンリー・ルソ。
 一部の、ゴッホ。
 和風の山水画。
 純粋のマンガ(内容とかストーリー抜き)だと、浦沢さんのアトム。

 事例が乏しい。実に乏しいな。世界中の絵画性世界から、数え上げるとたったこれだけ。
 他方、小説類なら死ぬほどある。
 私はやっぱり、文章志向のようだ。
 と・こ・ろ・が
 課題を出すときの注意事項には、いつもくどいほど「絵とか写真とか、設計図とか、イメージとか、俯瞰図とか地図とか。概念図とか。アイコンとかぁ。ともかく、絵、必ず絵をそえなさい」と、言っている。この落差は、いったい何なんだろう。

 けだし。
 人間とは、いくつになっても、訳の分からないところがあるものだ。今夕、私は自らを試験台にして、そのことが分かった。また、賢くなったなぁ。(失笑) 

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コメント

絵志向と文章志向ですか

 思い出しますね、ダビンチの絵を京都で見た翌日だか奈良ホテルでコーヒーを飲んだとき、Muさんが(俺は、絵画には構造がないから、どうも苦手なんや)いうてはりました。
(あの貴婦人にしたところが、肩の線が不自然やわ)と、これはMuさんでしたかね?

 生徒さんに課題を出すときの(注意事項)というのが面白いですね。
ご当人は(文章性志向)のはずなのに、文章は一次元のはずなのに、二次元、三次元にも異様な興味を覚える。
ただし立体性、という構造を持たない二次元の薄っぺらな世界はピンとこない。
それなのに(必ず絵を入れなさい)と要求している。
・・・・
結局、人間とは訳のわからぬものだ。
と、途中でお疲れになったようで・・・。

 先輩には是非、へミングウェイの(短編集)を原文で読まれることをお勧めします。
短編集が手に入りにくければ(老人と海)でもよろしい。
日本語に翻訳したものではダメです。
それではヘミングウェイの文体は分かりませんから。
ヘミングウェイは若くして世に出た作家ですが、二十歳代で自身の文体に掟を課したそうです。
Audible  聴こえるように
Visible  見えるように
Tangible 触れるように
文章表現だけでこれをやってみろ、と自身に迫ったのです。

 AVパソコンなぞというアホなマシンをやったあと3Dグラフィックスに興味を覚えていたころ、このことを開高健の本で知りました。
3DというのはTangibleという要素なのだと知り、思わずヒザを打ちました。

 文章性志向、結構じゃないですか。
ヘミングウェイのようなお人もいます。
池波正太郎さんの小説を読んでいると、まるで映画を見ているように画面が動いているように感じることがあります。
三島由紀夫の(金閣寺)を読んだとき、確かに金閣寺がメラメラと燃え、炎に包まれていました。

 逆にダビンチの(白貂を抱く貴婦人)を見たとき、一冊の大河ドラマを読んだような心持ちになりました。

 文章、絵、動画、音などいろんな表現手法がありますが、結局、時間軸を含んだ人間の五感に訴えるものであれば、それは優れた芸術表現になり得る、という風に思います。

投稿: ふうてん | 2006年7月30日 (日) 01時57分

ふうてんさん、丁寧なコメントありがとうございます。今からでかけますので、数日後にご返事いたします。

投稿: Mu | 2006年7月30日 (日) 04時45分

ふうてんさん、腰を落ち着けてコメントを読み直してみると、随分難しいことを書かれましたね。

ヘミングウェですか。
うむ。

聞くように、見えるように、触れるように。
こんなことができたら、なんとなく、お釈迦様の説法みたいで、人間ワザやないでしょうね。

ただ。心得ておくのは大切だと思いました。
前から考えている究極のメディア変換世界かもしれません。

恥ずかしげもなく「文章志向」と書いたのが運の尽き。聞こえるようなセリフ、見えるような、迫ってくる描写、そしてまるで手に触れているような文書空間。

~無理や、ふうてんさん。それは無理や。
 ヘミングウェや池波さん、三島さんやから出来る神のワザでしょうな。

投稿: Mu | 2006年7月31日 (月) 18時04分

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