日曜の雑記帳
週末になると、通常睡眠以外に、約3時間程度熟睡すると翌週が楽になる。今日もそうしようと思ったが、なにか思いめぐらすことが多々あって、先程一時間ほど横になったが眠りにつかない。一種の不眠症にかかったようだ(笑)。
おもいたって起きあがり、気になる種々を記しておこうと思った。
国銅
最近文庫上下の『国銅』という小説を手にした。大仏造営時代の物語で、作者は帚木蓬生さんだ。未読だが、あたりは良さそうだ。ところで、たしかに帚木さんのこれまでの名作はいくつか読んだのだが、いまなぜ国銅かというと、理由は二つあった。
一つは、ずっと聖武天皇のことが気になっていたこと。最近もNHKの歴史物で解説があったので録画した。これは古代史ものとして、いつかMuBlogに記事を掲載したい。
もう一つは、今をさる15年、私は友人に「大仏開眼」をテーマにした物語を語る、ないしゲームにするという約束をした。それが果たせていない。
とりあえず、TownsGEARという当時のオーサリングシステムで、プロトタイプはつくったはずなのだが、~。思い出せない。
後者は、最近のプログラミングシステム教本で、さまざまなシミュレーションゲーム作法があるので、比較的簡単に復元、あるいは原型を作れるはずだ。言語は、Delphi、VisualC、Javaといろいろあるが、どれも本質的なアルゴリズムは同じなので、難しくはない。
ただ。
ただ、湯水のような時間をとるのは、目に見えている。それで、悩んで、眠られなくなった、今日の午後。
探検
今度、琵琶湖一泊にいくつもりだ。それは、まずMuBlogに掲載する予定。以前から気になっていた所へいくので、感慨ひとしお。そのことと、長編第四作目のテーマを上手に組み合わせて、なにかしら次のステップに足をかけたい。
昔、三島由紀夫が創作ノートかなにかに、『豊饒の海』全四巻を完成したなら、その先が見えない、もう何も書くことが無くなる、と漏らしていた。そして事実、散った。
最近、森博嗣がblogで「小説を書いているときは、とにかく、その行為から早く脱出したい、という気持ちが強い。だから、最後まで書けたときは、少しだけ『ああ、終わったなあ』と思う。機関車を作っているときに、それがまったくないのは、誰かのために作っているのでもないし、また作る行為を終わらせたくないからだろう。」(MLA:2006年06月07日(水曜日)【HR】 完成とは) と、書いていた。
私は三島の言うことも、森の言うこともそれぞれに、納得できる。
だから、私は森のいう機関車作りのように、物語を作っていく。三島が強いられて書いていたとは思わないが、すでに三島由紀夫の生き方を私は20代前半に見たのだから、作品の完成の後が空だけにならないようにすればよい。
次を書けばよい。
森の機関車模型のように、永遠に未完のまま、書くことにしよう、次から次へと。それで、琵琶湖行きが第四巻のコアになることを願っている。もちろん楽しみに行くわけであって、刻苦呻吟して調査旅行するわけではない。
ちなみに第三巻は草稿レベルで完成している。
そう言う意味では、まだまだ行きたい所はたくさんある。全部楽しみにしている。中国地方にあるピラミッドなんかはいつ行けるだろうか。広島か岡山か島根なのか、どこか知らない。
書き出すととまらなくなるので、まあ、いっぱいある。
探検。
なにかしら、心が躍る。
システム
なにかしら、こまったことに、時間があくとDelphi やらJavaを起動させてしまっている。そのうち、VisualCも買うことでしょう。いろいろお手本がたくさんあるから、MS関係は気楽とも言える。
それにしても、~冷や水とはいうが、ほどほどにすれば佳かろう。と、おもいつつ、心身ともにディスプレイに溶け込んでしまっている我が身に気がつく。
そのうち、目と肩をこわして~(笑い事ではない。気をつけよう)
読書
ちょっと、図書・活字に飽きてきた。人様の難解な評論や歴史論や小説を読むよりは、自製のものに塩振りかけたり、胡椒をかけて、味付け佳くして読む方が、今は楽しい。
*
というわけで雑記帳をしるしていたら、眠くなってきた。
音楽のことはあまり言わないが、実は、うむ実は、私はベートーベンが好きなのだ。モーツアルトよりもベートーベンが好きなのは、きっと、ハ短調男なんだと自覚している。しかし、マニアではないので、音楽のことはめったに書けない。
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