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2006年6月 8日 (木)

時間の進み具合

 今週はものすごいスピードで時間がすぎてしまって、もう木曜日から金曜日になりかけになってしまった。あと十分程度で、週末。

 最近倶楽部の寄り合いで、年齢による時間感覚の違いを、倶楽部員達が話していた。若いほど、時間がゆっくり過ぎるという話だった。事情や、理由はわからないが、確かにそうだと思った。
 極早朝に目覚めて、葛野の研究室について、珈琲を一杯飲むと8:50の始業時になる。葛野到着は、大抵七時前後だというのに。

 すぐに日曜の夜になってNHK大河ドラマを見終わったとおもったとたんに、月曜の午後遅く、とぼとぼとお隣さん大学から葛野研にもどる自分に気がつく。

 この三月に、なつかしい先年度の倶楽部員達、そして現員と一緒に伏見の黄桜で送別会を行った。その時痛切に思ったのは、かつていろんな人達と伏見でお別れしてきた、そして来年三月は、今送る人達が送られる席に着く。あっというまに一年間が過ぎていく、……。

 何事も、過ぎていく。
 しかもその速度が毎年ますます速くなっていく。
 それが自然な姿なのか、とふと思った。
 そろそろ金曜になる。

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小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

そう感じますね

(速度が毎年ますます速くなっていく)というのは当方も同じですね。
いろんな解説がなされ、いろんな解釈が行われています。
理屈はともかくとして、この実感をどう受け止めればよろしいのでしょうねえ。

 最近一つだけ思いますのは、例えば電車を10分待たねばならないとします。
以前だったら、1分でも電車を待つのは苦痛でした。
不思議なことにこの頃は、数分程度は苦痛でなくなってきましたね。
おそらくアッという間に時が過ぎてくれるようになったおかげでしょう。

 もう一つ不思議なことがあります。
そんなにアッという間に毎日、毎週、毎年が過ぎたはずなのに、例えば2年前の出来事を振り返ろうとすると、何だか大昔のように感じることです。
結果として、1年前のことだったのか、5年前のことだったのか、ひょっとして10年前のことだったのか、ときに判然としないことがあり、ふうてん老人日記など自分が書きつけたものをたぐって、ああアレは5年前だったんだ、なぞと確認する有り様です。

 長く生きてきたので我々の(発振器付き内蔵タイマー)もくたびれてきたのでしょうかねえ。

投稿: ふうてん | 2006年6月 9日 (金) 10時12分

ふうてんさん
 話が具体的で、固有かもしれませんが、メモ。

1.若いときから時間は早く進んだ。というよりも一ヶ月単位の給与が目標日なので、途中経過がないようなもの。

2.この15年は、ひたすら夏期とか春期を待ち望み、部屋の大掃除、論文のまとめ、家事財務のまとめなどに脳をつかってきた。だから途中が抜けて、春と夏。

3.日常時間のすすみ具合は、次の目標期間までの経過とみなすから、はなはだ香りのない、無機的毎日でしたなぁ(笑)

4.つまり、途中経過を楽しむゆとりのない、人生でしたわい。これからは、日々を楽しむようにします。

*付録
 過去は、すべて二次元スクリーンに映った幻で、幻と幻の時間の前後関係はないです。
 40年前の青春も映画も、昨日の事も、時間関係が消えるから、前後左右、めちゃくちゃに再現されます。
 対象幻の時間帯は、考え込まないと、考え込んでも、いつのことか分からないですね。

投稿: Mu | 2006年6月 9日 (金) 14時14分

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