純粋物語作法
ここ数日、事情で横臥して天井をみていた。
いつもほどよいころに事情がわいてきて、こうなる。
ただ、宮仕えの愛しさというか、今日にかぎって葛野へでかけ、さらに午後はお隣さん大学へ出前講義に行った。お隣さんは120名ほどの受講生だが、ほろほろになって授業(書誌階層ということでウンチクかたむけた)を終えて黒板を消そうとしたら、前列の男子学生と、女子学生とが、「消しておきます」というてくれた。親切が身にしみた。
いま、いつもなら白河夜船時間に起きあがってぼんやりしていた。
プログラミング作法におけるRPG(ロールプレイングゲーム)についてである。最近は、宮仕えの寂しさで、気持をこめて夏の催し物(女子高生が大学見学に大挙してくる)用にアドベンチャーゲームを作っている。これはJavaだ。倶楽部のきれいどころをシェフ司書や野生司書や魔女司書や先生サマ司書になぞらえて、なかなか可愛らしくおもしろく、女子高生にも楽しめるように工夫してきた。司書適正占いアドベンチャーである。
しかし、いま話そうとしているのはそれとは異なる。
やはり、プログラミングシステムにおけるイベントドリブンメソッドによるRPGとは、これは純粋物語志向の、実に優れたモデルだったのではないか、という確信である。
登場人物をここではオブジェクトとみなす。しかしなにもオブジェクトオリエンテッドなシステム作法の話ではなくて、まさしく人物を、対象とみなす客観視、抽象化のことである。
どういうことかというと、登場人物・オブジェクトAやBや~nは、自律的に行動するという点においてオブジェクトである。そこに人工思考の組み込みとまでは言わない。このことは高度な、SFに近い知能システムが必要とされる。しかしそれは、現況、この環境、この野暮用満載余生では難しい。だから、自律しているかのように振る舞うと言う点に絞る。
イベント、つまり事件(魔女が飛び出してくる、落とし穴に墜ちるなど)、行動、物語世界での物事の生起の引き金は、プレイヤーの介在と、そして乱数というサイコロにまかせる。せんじ詰めてもうすなら、サイコロがそのモデル世界を動かすエンジンになる。
[注:サイコロまかせでは統一感がなくなる。人は別種の幻視を求めている。それに対応するのは因果の鎖であろう。それには、ある時点でのイベント選択枠内の次期イベント要素の選定と、現イベントと次期イベント候補群の関連強度の設定が必要だろう。これで、擬似的な因果律をつくることができる]
システムはある一定の確率で、引き金を引く。どのトリガーをひくかはサイコロまかせにする。引き金によって、対応するイベントが動き出す。イベントが次のイベントを引き起こし、つぎつぎと世界が回転していく。
そのイベントの一つでもある登場人物という対象は1~nあるから、その相互に入り組んだ世界は現実以上に複雑になる。
そこで。
物語とは、何なのか。
私はぼんやりしながら、さっきまで考え込んでいた。
おそらく、プレイヤーがどのように介在するかによって、プレイヤーの深層イメージにある物語断片は異なった意識浮上をし、浮上した時点で明確な完結性をもった「物語ユニット」となる。その選ばれた物語ユニットが、次のイベントによって、次の物語ユニットを引き起こす。
ここで物語ユニットとは、記憶断片の連想的な励起をもってまとまった、ある「物語の一こま」とする。
これは様々なイベントの連鎖反応とかぶっている。
なにがもうしたいかというと、物語とは、プレイヤーの介在時における選択と、イベントに反応する精神状態によって、各人に生まれてくる一連の、物語ユニットの連鎖であると、私は考えたのだ。
もうすこしかみ砕いて言うと。
一般に、作家によって与えられた所与の「物語」をともかく理解できるのは、各人の深層にある物語断片が、たまたまその「物語」に都合良く合致したばあい、その作品は、よい作品、おもしろい作品として、「物語」の自立をする。もしも、読者に一片の知識も、隠れた経験もなければ理解不能となる。
理解できるのは、各人の世界内経験にある隠れた物語断片が、外の「物語」に照応して、励起した場合である。
と、するわけだ。
ここで始めて、その外の「物語」を、RPG世界に置き換えたとき、単純な事実に気がつく。つまり、RPG世界とは、サイコロによって生じるイベントと、プレイヤーの心に明確化した物語ユニットとの、相互干渉によって生じる新しい回転する世界だということだ。
……
さらに話は続くのだが、疲れたので止めておく。
答えは出ている。
そういうRPG世界を構築する事自体が、秘められた物語断片を、明なる物語ユニットの連鎖にする根源であるということを。
うむ。Delphi 万歳、PASCAL至高。
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