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2006年6月27日 (火)

夢かうつつか、幻か

 夢のような半生だったし、これからも幻の中を生きていくのだろうと、想像してみた。
 
 脳が外界を洞察してその結果、どんな判断を示し、どう行動していくかが人間の一面なら、行動した結果や、考えた結果が、現実の姿とどれほど食い違っているのかを、思い知ったときに、夢の中に身を潜める。

 これを夢への逃避とみる見方もあるし、またそれが多くの人の一致した考えだが、他方、夢幻を強く造り出し、そこに確かな手応えを持つ、あるいは持てる者は、夢幻こそが現実世界で、世間これ皆虚仮(こけ)となる。

 私は、記憶の中に生きている時間が長いので、世間みな虚仮という考えに同調する。ことさらに聖徳太子さまのお考えを引用しているのではなくて、虚仮という単語のもともとの意味から考えている。

 虚にして仮とは、つまり「死」に裏打ちされている、担保された人生だからこそ、重く真実を表している。

 悲劇というか、辛さとは、虚仮に夢幻を浸食されることが多いからだろう。
 鬱者は鬱の湖のなかに、不安と一緒に愉しんでいると私は診断している。鬱者は虚仮の世間が土足ではいってくるから、苦痛を味わうのだろう。

 どんな理論で説き明かそうとしても、どんなに道をもとめようとも、悉皆夢幻の中にいるのだから、他の動物よりも人間は、愉悦と苦痛とが複雑になる。

 そんな複雑さのなかで、やはり、人生は夢のような幻のような、旅であったとひとりうなずく。死とはその楽しみさえ跡形もなく消してしまう。だから、まだまだ愉しむために、生きていたい。

 生への欲は際限がない。
 たやすく、死を選ぶは、なんとのう愚かしく見える。
 ただ、生ける屍という言葉もあるから、このことは、まだまだ予断を許さない。

 今朝の夢幻の披瀝だった。

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