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2006年6月27日 (火)

わが名は、またりん

承前 またりん君に朝顔を
    またりん翁、さようなら

 速いもので一年経ってしまった。今日の6月27日は、またりん君の命日になる。
 いまだに、せまい部屋の中を、さっと、そそそっと駆け抜けていく気配がする。
 白が好きな猫君だった。
 白いシーツ、座布団、白にくるまっていた。
 本人は、ほんの少し灰色がまざって、シルバーだったが、白猫にはちがいない。

 古い8mmビデオでとったのを、ディジタル化して、編集しながらスチル写真を拾ってみた。粒子が粗くて、今時の数メガピクセル静止画のような冴えはないが、もにょもにょとして、もふふふとした毛並みは再現されているので、よしとしよう。1994年くらいのタイムスタンプが入っていた。

 彼とすごした18年間は、銀の時代だったなぁ。
 もちろん、銀は金よりも落ち着いて、透明な美しさを見せることがある。
 ときどき腹を空かせると足元に身体ごとぶつかってきたり、あるいはすり寄せてきた感触を、今も味わう。幻猫のたぐいなのだろう。しかし、それを治療する気持はまったくない。失ったまたりんは、たとえ幻でも、幽霊でもいっこうにかまわない。 

 いまだに帰還すると、「またりんは、どこに隠れてる?」と、わずかに一秒程度さがすことがある。
 そういうものなのだろう。
 ペットという言葉は使いたくない。自身の中では禁句に近い。
 優秀な話し相手だった。
 「何、かんがえてるんや?」と、ときどき尋ねていた。まあ、答えはいつも「ふにゃ~」だったが。

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コメント

酔生夢死

 このところのMuさんの記事でこの言葉を思い出しました。
いえ、この言葉は、この間読んだ(私の人生頑固作法 高橋義孝 講談社文芸文庫)で初めて知った言葉なのです。

 なかなかいい言葉だと思いましてね。
ドイツ文学者の高橋義孝は山口瞳さんが最後まで師事したお方でした。
テレビにもよく出てきて、いつもピシッとしたスタイルで大相撲を語り、日本文化のことを語った御仁です。

 その高橋先生に瞳さんは若いころ、電車の踏み切りが降りそうになったので思わず走り出そうとしたとき、人生は短いけれど信号を待てないほど短くはないよ、走ったりしなさんな、と諭されたそうです。

 酔いにもいろいろあり、夢にもいろいろあると思います。
この間、定年退職の数日前、フッと(夢から覚めたな)と感じました。
企業マンというのは知らず知らずのうちに(共同幻想としての夢)に捲き込まれるのですね。
そのうち、それを掻き立てたりしてね。
それでいいじゃないかと思うのです。

(・・・浅き夢見し酔ひもせで)
となりましょうか。

投稿: ふうてん | 2006年6月28日 (水) 00時28分

ふうてんさん
 酔生夢死、なかなかよいお言葉で。
 しかし漢字のつらなりは誤訳意訳意図訳といろいろあって、読む人の気持ちで変わるね。

1.生に酔い、死を夢見る
 ?
2.酔いながらの生、夢見ながらの死
 ?
3.酔っぱらった生だったなぁ、後は夢の中で死ねばよい。

 なかなかむつかしい。

 企業という、組織という、共同幻想。
 傾向としては、男性は地に足が着かない種族だから、幻想の中で生きて輝き、老いて肩書き無くした現実に直面し、悲嘆して死を待つ。
 いささかキツイパターンですが、みんなそうなんだと思うと、安心して、「日本沈没」を読むことができます。

追伸
 私はこのごろ「死」に言及すること多いですが、お気になさらぬように。ともかく、生き抜きたいので、対置として「死」をあれこれ想像しているわけです。

投稿: Mu | 2006年6月28日 (水) 07時47分

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