詩仙堂と猫町:私の京都
詩仙堂(京都市左京区一乗寺門口町)地図
京阪出町柳駅から叡山電鉄に乗り換えて、一乗寺下車。真東へ約800m、徒歩15分以内。
猫町(京都市左京区一乗寺築田町100-5)詳細地図
詩仙堂・小有洞の門 (しょうゆうどう)
なおモデルは、葛野図書倶楽部2001の助勤を勤めてくれている人達で、福岡や島根や岡山から、この四年間葛野の地で遊学している。今後なにかと出演を依頼することになるだろう。
詩仙堂・嘯月楼 (しょうげつろう)
詩仙の部屋から庭を見た
周り廊下が気持よい。
父が昔自宅を設計していたとき、私はいつもこの、内障子と周り廊下とそして庭を夢見ていた。贅沢にも廊下は一間幅がよい、と父に言った記憶がある。中学か高校生の頃だった。
私は何故かしら、こういう家屋、結構に深い愛着があるようだ。気取って言えば、自然と人工とが融け合ったような空間に、私は惹かれてしまう。明確な仕切がない。それがよい。
庭から詩仙堂を観た
それと、隠棲した文人の住まいとしては艶がある。反照のために武骨さを探した。石川丈山は旗本だったのだから、なにかあるはずだ。楼と、そして大きな台所があった。まるで近衆を幾人も側に置き養うほどの豪華さだった。もちろん台所は、後世の寺への変化が原因かもしれない。
それにしても、全体に艶々としていた。わけが分からなかった。
鹿おどし (ししおどし)
「さつき」と茅葺き
こういった結構の多くは、足利義政の趣味が色濃く残っているのだろうか。私の印象では、足利義政の美の探求に比べて、もう少し艶やかな生活臭があるように思えた。一見「ご隠居さん」である。
さて、やはり日本風の庭には茅葺きが似合っている。
そこに現代のモデルを二名配した。どうだろう(笑)。
池と鯉
竹林
猫町の六景
私はダッチアイス珈琲をブラックで飲んだ。よかった。他には、オムライスを四分の一、食べた。コクがあって工夫のある味わいだ。卵がとろけそうだったのが印象深い。
猫町の図書コーナー
萩原朔太郎から「猫町」を引用してあるが、気分の上では、銀河鉄道よりも朔太郎が好みなので、名前だけで好きになるカフェだ。私の研究室も、青猫とか月吠(ああ、奈良市にそんな店があった)に改名したくなる。
オムライスは無理だが、葛菓子とかなら常時作っておいておいてもよい、と思った。
参考サイト
京都・心の都へ・詩仙堂
京都のカフェ~猫町
カフェ京都・猫町
参考図書
石川丈山忍者説の図書があります。後日紹介します(笑)
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コメント
むべなるかな
詩仙堂のいろんな写真を拝見して、一瞬若いころの記憶がよみがえりました。
地図を見ますと学生時代に下宿していた東伊織町から1キロなのですね。
何度も訪ねたわりには故事来歴は全く記憶になく、この記事でほ~ッ、そうやったんや、お寺さんやないんや、というアバウトさです。
数枚の写真で詩仙堂の柔らかい魅力がよく表されていて感服しました。
この詩仙堂は女性に人気がありましたね。
京都にいるとちょくちょく観光案内に駆り出されましたが、女性たちのリクエストの上位にいたように記憶しています。
この方面では詩仙堂と三千院が双璧でしたね。
両方とも野郎だけで訪ねるのはちょっと気恥ずかしいようなところで、いつも女の人のお供として訪ねていたように思います。
福岡、島根、岡山からのモデルさんたちを配置したのも、むべなるかな、であります。
投稿: ふうてん | 2006年6月 4日 (日) 01時26分
ふうてんさん
詩仙堂は、山中の庭だから、私好みです。
一応福井県永平寺道元さんの関係寺ですから、禅風味もあるんでしょうが、庭はどうみても、禅とは遠いですね。
後ろ髪を引くような、ツヤがあります。
ところで、くだんの石川丈山ですが。
二三、図書をくってみると、摩訶不思議な御仁のようです。
同じ隠宅でも、嵯峨野の落柿舎と比べると、うしろに巨大なパトロンがいなくては、一月でさえ維持できないものですね。
京都は歴史が古いから、物事が連綿と続いているから、めったにないことも、縦の時間軸のなかで積み重なっていくと、あちこちに、かわったものがごろごろしているようです。
小堀遠州という人も、なにかと、噂の絶えない人のようです。
投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 07時27分
詩仙堂に三千院~★
私も大学1回生の時に、(ふ~りっしゅ カルテット)という友達4人グループで訪れました。京都の人間は、私一人でしたけど、全然案内役にはならなくて、山形の子が一生懸命、ガイドブックを片手に案内してくれました(笑)。
センセと一緒に(詩仙堂)~?なんて私だったら緊張してしまいますが、女同士で行っても、彼と行っても、詩仙堂は落ち着いたいいところですね♪
投稿: wd | 2006年6月 4日 (日) 08時30分
Wdさん
近頃あほなトラックバックが入るのでしばらく承認制にしております。
詩仙堂であれ、金閣寺であれ、やはりガイドブック無しではなにも分からないと思います。土地の古老にいちいちきくわけにもいかないし。
私が投稿するとき、歴史的なことは大抵平凡社の寺社事典で確認します。ツメですね。しかし、京都奈良和歌山滋賀県しかなくて、時々困ります。
さらに場合によっては『古事類苑』も見ます。しかし噂では、史学研究では、この記事をそのまま使うことは禁じているようですね。つまり便利です。(便利すぎて、写本など原本にあたらず、そこの引用に頼ってしまうからでしょうね)
詩仙堂をみましたら、人部にあって、「常山紀談」からの引用で、石川丈山は幕府の重鎮、松平伊豆守信綱と親戚で~、また京都所司代板倉重宗は「丈山をいたはる事大かたならず」と記してありました。
要するに、石川さんは隠棲していても、今で言うなら小泉首相と親戚で、閣僚クラスと顔見知りだったようです(笑)
もともと徳川譜代でしたから、大名になってもおかしくなかった。が、変人。頑固者。
というわけで、幕府の、京都でのフィクサーみたいな人だったんでしょうね。
ところでモデルさんたちですが。
授業を助勤たちと共同で作っているわけですが、毎年けっこう、めちゃくちゃな負担をかけることになります。
丈山みたいに影扶持があるわけでもないので、こういう案内で、お茶をにごしております~
京都以外からの各地の人たちだと、よろこんで(ふり?)くれますね。
なお、緊張するのは、当方です。若い人たちのことは、終局、宇宙人ですわな(笑)
投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 09時27分
詩仙堂はとても風情があり…入り口の竹林を歩いていくうちに下界の喧騒を忘れ、とても涼しい風景を堪能いたしました。
建物の中の一室にお人があつまり、皆さん庭園に見入っておられましたが、見れば見るほど時間を忘れるくらいの庭園の景色ですね。
実に楽しいひと時となりました。
ありがとうございました♪
投稿: 海月 | 2006年6月 4日 (日) 10時15分
海月さん
変わったおなまえですが、Gシリーズのご親戚でしょうか。
さて詩仙堂では、いわゆる借景はあじわえなかったですが、あのあたりですと、そこここの庭から比叡山などがすっぽり庭にはまって、それはそれは良い景色のところもあるようです。
詩仙堂は、山中の趣をよしとしたのでしょう。
いろいろ、ありますね。
投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 10時32分