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2006年6月 3日 (土)

詩仙堂と猫町:私の京都

詩仙堂(京都市左京区一乗寺門口町)地図
  京阪出町柳駅から叡山電鉄に乗り換えて、一乗寺下車。真東へ約800m、徒歩15分以内。
猫町(京都市左京区一乗寺築田町100-5)詳細地図

詩仙堂・小有洞の門 (しょうゆうどう)

詩仙堂・小有洞の門 (しょうゆうどう)
 詩仙堂は寛永18(1641)年に、元徳川直臣・石川丈山が凸凹窠(おうとつか)という名称で建てた。「詩仙」はその凸凹窠の一間を指していた。でこぼこの斜面に上手に家屋を配置したのだろう。そして丈山は十の見立てを行い、この入口の門は小有洞と名付けた。由来はあるのだろうが、知らない。確かに洞窟の雰囲気はあった。当日は晴れていたが、天候の悪い日には実感できると想像した。
 なおモデルは、葛野図書倶楽部2001の助勤を勤めてくれている人達で、福岡や島根や岡山から、この四年間葛野の地で遊学している。今後なにかと出演を依頼することになるだろう。

詩仙堂・嘯月楼 (しょうげつろう)

詩仙堂・嘯月楼 (しょうげつろう)
 詩仙堂は『幻の古代王朝:京都篇』で主要なキーの一つになっている。20代のころから、嘯月楼 (しょうげつろう)が気になっていたからだろう。登った記憶はないから、京都を遠望したわけではない。しかし、こういう施設が59歳だった丈山の隠居所にあるのは、どう考えても腑に落ちない。私は伊賀の忍者屋敷をすぐに連想する。徳川の三代家光時代であり、二年前には島原の乱、原城がやっと陥落した「戦時体制」の匂う時代である。家光と禁裏との関係も相当に複雑だったはず。

詩仙の部屋から庭を見た

詩仙の部屋から庭を見た
 細い柱が屋上の楼を支えている。庭は丁寧に整えてあり、閉塞感は全くない。しかし、目を上げるとそこは深山のおもむきがある。内障子も襖も取り払われている。
 周り廊下が気持よい。
 父が昔自宅を設計していたとき、私はいつもこの、内障子と周り廊下とそして庭を夢見ていた。贅沢にも廊下は一間幅がよい、と父に言った記憶がある。中学か高校生の頃だった。
 私は何故かしら、こういう家屋、結構に深い愛着があるようだ。気取って言えば、自然と人工とが融け合ったような空間に、私は惹かれてしまう。明確な仕切がない。それがよい。

庭から詩仙堂を観た

庭から詩仙堂を観た
 詩仙堂は家屋も庭も広い。ここに石川丈山が扶持もなく59歳から30年間住まいしていたのは、なにもなければ奇蹟に近い。
 それと、隠棲した文人の住まいとしては艶がある。反照のために武骨さを探した。石川丈山は旗本だったのだから、なにかあるはずだ。楼と、そして大きな台所があった。まるで近衆を幾人も側に置き養うほどの豪華さだった。もちろん台所は、後世の寺への変化が原因かもしれない。
 それにしても、全体に艶々としていた。わけが分からなかった。

鹿おどし (ししおどし)

鹿おどし (ししおどし)
 ときどきカタンと高い音がする。これを知ったのは、高校時代の日本史だったはず。だから、詩仙堂=鹿おどし、と私の記憶には収まっている。音については、この鹿おどしとともに、水琴窟を並行して思い出す。これは同時代の小堀遠州が考案したらしい。石川丈山も小堀遠州も武士だった。なにかしら、静粛の中の「音」に気持を惹かれたのかも知れない。

「さつき」と茅葺き

「さつき」と茅葺き屋根
 重ねて、庭は広い。しかも立つ位置によっては迷路じみている。それが、実に丁寧に整えられている。これだけ広く複雑な庭を維持するのは、素人目にも大変なことだと感じた。
 こういった結構の多くは、足利義政の趣味が色濃く残っているのだろうか。私の印象では、足利義政の美の探求に比べて、もう少し艶やかな生活臭があるように思えた。一見「ご隠居さん」である。
 さて、やはり日本風の庭には茅葺きが似合っている。
 そこに現代のモデルを二名配した。どうだろう(笑)。

池と鯉

池と鯉
 来る季節によっては、あやめかさつきかかきつばたか、知らねど、さきほこっているはずだ。手をさしのべている池の鯉は、実に人なつこい。「こい、こい」と呼びかけると離れなくなったようだ。別の写真では、鯉が口を開けているのが映っていた。

竹林

竹林
 今回詩仙堂探訪の終わりには、人影もない竹林を配した。天候が佳すぎて陰影がなくなったが、私はこの風景に堪能した。さつきとモミジに包まれた庭に、竹林があることに驚いた。しかも奥が深く見えた。植物の背の高さを上手に配置して、なにかしっくりする絵画をそこに描いていた。石川丈山は400年も昔の人だ。その人の作庭構想が現代まで直接残っているとは思わないが、長い歴史の中で、詩仙堂全体の構造が、こういう絵をいまも造り出しているのだろう。

猫町の六景

猫町の六景
 喉が渇いた。猫町は、詩仙堂からだと自動車で数分の所にある。近所だから寄ってみた。京都のカフェでは有名な店だが、奥まった所なので界隈以外の人は訪ねにくい。撮影に疲れたモデルさん達には申し訳なかったが、自動車を近所の大学前の駐車場において、数分歩いてもらった。
 私はダッチアイス珈琲をブラックで飲んだ。よかった。他には、オムライスを四分の一、食べた。コクがあって工夫のある味わいだ。卵がとろけそうだったのが印象深い。

猫町の図書コーナー

猫町の図書コーナー
 この写真がデジカメで撮った最後だった。電池切れを起こしたのだ。だから、先の六景はすべで携帯電話カメラによるものだ。どんな場合にも、私も同行したモデルさんたちも、図書とか図書館には気持が向く。だから撮った、最後の一枚。
 萩原朔太郎から「猫町」を引用してあるが、気分の上では、銀河鉄道よりも朔太郎が好みなので、名前だけで好きになるカフェだ。私の研究室も、青猫とか月吠(ああ、奈良市にそんな店があった)に改名したくなる。
 オムライスは無理だが、葛菓子とかなら常時作っておいておいてもよい、と思った。

参考サイト
  京都・心の都へ・詩仙堂
  京都のカフェ~猫町
  カフェ京都・猫町

参考図書
  石川丈山忍者説の図書があります。後日紹介します(笑)

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コメント

むべなるかな

 詩仙堂のいろんな写真を拝見して、一瞬若いころの記憶がよみがえりました。
地図を見ますと学生時代に下宿していた東伊織町から1キロなのですね。

 何度も訪ねたわりには故事来歴は全く記憶になく、この記事でほ~ッ、そうやったんや、お寺さんやないんや、というアバウトさです。
数枚の写真で詩仙堂の柔らかい魅力がよく表されていて感服しました。

 この詩仙堂は女性に人気がありましたね。
京都にいるとちょくちょく観光案内に駆り出されましたが、女性たちのリクエストの上位にいたように記憶しています。
この方面では詩仙堂と三千院が双璧でしたね。
両方とも野郎だけで訪ねるのはちょっと気恥ずかしいようなところで、いつも女の人のお供として訪ねていたように思います。

 福岡、島根、岡山からのモデルさんたちを配置したのも、むべなるかな、であります。

投稿: ふうてん | 2006年6月 4日 (日) 01時26分

ふうてんさん
 詩仙堂は、山中の庭だから、私好みです。
 一応福井県永平寺道元さんの関係寺ですから、禅風味もあるんでしょうが、庭はどうみても、禅とは遠いですね。
 後ろ髪を引くような、ツヤがあります。

 ところで、くだんの石川丈山ですが。
 二三、図書をくってみると、摩訶不思議な御仁のようです。

 同じ隠宅でも、嵯峨野の落柿舎と比べると、うしろに巨大なパトロンがいなくては、一月でさえ維持できないものですね。

 京都は歴史が古いから、物事が連綿と続いているから、めったにないことも、縦の時間軸のなかで積み重なっていくと、あちこちに、かわったものがごろごろしているようです。

 小堀遠州という人も、なにかと、噂の絶えない人のようです。

投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 07時27分

 詩仙堂に三千院~★

 私も大学1回生の時に、(ふ~りっしゅ カルテット)という友達4人グループで訪れました。京都の人間は、私一人でしたけど、全然案内役にはならなくて、山形の子が一生懸命、ガイドブックを片手に案内してくれました(笑)。

 センセと一緒に(詩仙堂)~?なんて私だったら緊張してしまいますが、女同士で行っても、彼と行っても、詩仙堂は落ち着いたいいところですね♪

投稿: wd | 2006年6月 4日 (日) 08時30分

Wdさん
 近頃あほなトラックバックが入るのでしばらく承認制にしております。

 詩仙堂であれ、金閣寺であれ、やはりガイドブック無しではなにも分からないと思います。土地の古老にいちいちきくわけにもいかないし。

 私が投稿するとき、歴史的なことは大抵平凡社の寺社事典で確認します。ツメですね。しかし、京都奈良和歌山滋賀県しかなくて、時々困ります。
 さらに場合によっては『古事類苑』も見ます。しかし噂では、史学研究では、この記事をそのまま使うことは禁じているようですね。つまり便利です。(便利すぎて、写本など原本にあたらず、そこの引用に頼ってしまうからでしょうね)

 詩仙堂をみましたら、人部にあって、「常山紀談」からの引用で、石川丈山は幕府の重鎮、松平伊豆守信綱と親戚で~、また京都所司代板倉重宗は「丈山をいたはる事大かたならず」と記してありました。

 要するに、石川さんは隠棲していても、今で言うなら小泉首相と親戚で、閣僚クラスと顔見知りだったようです(笑)
 もともと徳川譜代でしたから、大名になってもおかしくなかった。が、変人。頑固者。
 というわけで、幕府の、京都でのフィクサーみたいな人だったんでしょうね。

 ところでモデルさんたちですが。
 授業を助勤たちと共同で作っているわけですが、毎年けっこう、めちゃくちゃな負担をかけることになります。
 丈山みたいに影扶持があるわけでもないので、こういう案内で、お茶をにごしております~
 京都以外からの各地の人たちだと、よろこんで(ふり?)くれますね。
 なお、緊張するのは、当方です。若い人たちのことは、終局、宇宙人ですわな(笑)

投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 09時27分

 詩仙堂はとても風情があり…入り口の竹林を歩いていくうちに下界の喧騒を忘れ、とても涼しい風景を堪能いたしました。
 建物の中の一室にお人があつまり、皆さん庭園に見入っておられましたが、見れば見るほど時間を忘れるくらいの庭園の景色ですね。

実に楽しいひと時となりました。
ありがとうございました♪

投稿: 海月 | 2006年6月 4日 (日) 10時15分

海月さん
 変わったおなまえですが、Gシリーズのご親戚でしょうか。

 さて詩仙堂では、いわゆる借景はあじわえなかったですが、あのあたりですと、そこここの庭から比叡山などがすっぽり庭にはまって、それはそれは良い景色のところもあるようです。
 詩仙堂は、山中の趣をよしとしたのでしょう。
 いろいろ、ありますね。

投稿: Mu | 2006年6月 4日 (日) 10時32分

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