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2006年6月 4日 (日)

NHK功名が辻(22)明智光秀と愛宕山

承前[MuBlog:黄金十両の馬

愛宕山(京都市右京区嵯峨愛宕町)地図 航空写真

愛宕山写真集(MuBlog)
  2004.11.17 嵐山・愛宕山
  2004.12.17 葛野の早朝
  2005.08.05 嵐山暮景
  2005.08.24 宇治川鵜飼い船・愛宕山

 今夜は急ぎ愛宕山の写真や地図を整えて、いざ感想をしるそうとするだんになって、疲れた(笑)。
 信長は、関白・太政大臣ないし征夷大将軍を朝廷から示された、と光秀にもらした。しかし断ることを告げ、朝廷は無用と言った。
 光秀は徳川家康を安土城で接待し、信長の勘気に触れた。丹波・近江を召し上げられて、出雲・石見を切り取りごめんと、言われた。さらに、秀吉援軍として備中派遣を命じられた。

 光秀は京都の愛宕山に登り、なにごとか祈念した。
 翌日の連歌のあつまりで、「時はいま、雨(天)が下しる、五月哉」と残した。

 さて私にとって、愛宕山は故郷の山である。幼稚園から24歳までこのあたりで育ったのだから、故郷と言ってもよかろう。今も、愛宕山が間近に見える葛野で職に就いている。
 というわけで、今夜の「功名が辻」、語り出せば長くなるので、このくらいにしておく。

 来週の楽しみは、光秀・信長の本能寺よりも、山内一豊と千代とが、この修羅場をどのように生き抜くのか、そこが見てみたい。

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