NHK功名が辻(22)明智光秀と愛宕山
承前[MuBlog:黄金十両の馬]
愛宕山写真集(MuBlog)
2004.11.17 嵐山・愛宕山
2004.12.17 葛野の早朝
2005.08.05 嵐山暮景
2005.08.24 宇治川鵜飼い船・愛宕山
今夜は急ぎ愛宕山の写真や地図を整えて、いざ感想をしるそうとするだんになって、疲れた(笑)。
信長は、関白・太政大臣ないし征夷大将軍を朝廷から示された、と光秀にもらした。しかし断ることを告げ、朝廷は無用と言った。
光秀は徳川家康を安土城で接待し、信長の勘気に触れた。丹波・近江を召し上げられて、出雲・石見を切り取りごめんと、言われた。さらに、秀吉援軍として備中派遣を命じられた。
光秀は京都の愛宕山に登り、なにごとか祈念した。
翌日の連歌のあつまりで、「時はいま、雨(天)が下しる、五月哉」と残した。
さて私にとって、愛宕山は故郷の山である。幼稚園から24歳までこのあたりで育ったのだから、故郷と言ってもよかろう。今も、愛宕山が間近に見える葛野で職に就いている。
というわけで、今夜の「功名が辻」、語り出せば長くなるので、このくらいにしておく。
来週の楽しみは、光秀・信長の本能寺よりも、山内一豊と千代とが、この修羅場をどのように生き抜くのか、そこが見てみたい。
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