文学の志についてメモ
授業も会議も無かったが、午前中一仕事して、葛野にきた。
しばらく学生と図書購入手続きを相談したが、やがていなくなった。
そのあと、心つもりはいろいろあったが、結局MuBlogのダウンロードを片付けることにした。だが、ダウンロードしたデータが、少しずつ増大してきたのでDBMSに格納する変換ソフトがおかしな振る舞いをするようになり、またXMLデータを上手に処理しなくなった。いずれ根本的な治療が必要なのだが、昨今プログラミング言語を操る気力と時間がなくて、一応応急処置をして、この件おわった。
ぼんやりしていると、目に、日本思想大系が入った。ずっと以前から、伴信友『長等の山風』をよみさしたまま机上に飾ってある。どこまで読んだかも忘れた。いろんな想念がこの十年あったので、少し読んでは後戻りして、放置して、また読んでの繰り返しだった。幕末ころの作品なので、現代文のようにはうまく読み取れない。
ふと気になって、学者の解説文を読んだ。よくまとまっていたし、信友の限界も記されていて、1973年ころの研究者の信友評価がよく分かった。現代は知らないが、いまから30年ほどまえの学問、思想解釈では、信友はそれほど高い評価はされていなかったようだ。
うむ、とうなずいて次に、保田の全集に手を伸ばした。なぜ「信友をしっかり何度も読まねばならぬ」と、この20年近く考えてきたのか。
保田の『萬葉集の精神』を読み解きたかったからである。
万葉集の精神を最初に読んだのは、22歳ころ大学の学食で、クーラもない当時、夏休みに読み終えた。それから時々部分部分を読み返し、今に至ってしまった。
今年2006年の夏は、ようやく一夏かけて読み直そうと決心している。
その為には、準備が必要だ。わかいころのように、猪突猛進するわけにもいかない。いわゆる熟読玩味をしてみたい。いくつもの準備が必要になる。
家持のこと、壬申乱のこと。
近世の国学者は、国文よりも国史にいったという一説を思い出した。
それで、保田の中からいくつか確認した上で、さっき『皇臣傳』の中から「伴信友」を抜き出し、一気に読み終えた。「志」という言葉がキーになっていた。方法論、技術、別の思想の導入、そういうことは後でついてくることだし、思想にいたっては、はなから別の定規を用意して古典に当てはめるのは、逆立ちした考えであると、激しく描いてあった。
私は、皇臣傳は、いささか文章が硬いので保田の中ではあまり読んではいなかったのだが、選んだ文中で、本居宣長を記したあたりから、俄然、伴信友が光ってきた。どう光ったかは、まあよかろう(笑)。
それで得られた今夕の心おぼえは、やはり信友の「長等の山風」は何度もよんでおかないといけないこと。それと、保田の記した伴林光平『南山踏雲録』のうち「花のなごり」を読むこと。この二つを得た。いずれも読んだが、いつよんだか忘れてしまっている。別途、古語拾遺についても言及があったが、これは以前から古事記と同じ扱いをしてきたので、まあよかろう。
それで。
日本思想大系による「長等の山風」に関する結論は、それが、大友天皇の考証と、園城寺が大友皇子の遺命によって建立されたことの考証であり、二つともそれほど大きな意義はないと記してあった。
もしこの通りならば、私が今夏『萬葉集の精神』を読み解くのは、なんというか、田舎老人唯野教授の暇つぶしにしかならない。つまり、保田は萬葉集解釈を、信友の志から解き明かしているのである。
私は、今夕、保田から「志」について、より切実に教えられた。
おそらく、人の志が、家持に万葉集を編ませたのだろう。無意識に、人の志が国の歴史の顕れと感じたから、万葉集は残ったのだろう。いま、ふとそう思った。詞藻、言葉、歌、~言葉の綾が人を動かすのじゃなくて、志が時々光るのだろう。
歴史鑑賞も、文学鑑賞も、人の「志」のなんたるかを意識して、臨めば、また別の相が顕れてくる。そう思った。
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