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2006年5月19日 (金)

勤王志士・古高俊太郎邸跡と、しる幸:私の京都・河原町通{四条→三条}

承前[MuBlog:ジュンク堂BAL店
しる幸(京都市下京区真町)地図

「しる幸」は古高邸跡だったのか

「しる幸」は古高邸跡だったのか
 一昨年のNHK新選組!を思い出した。昔から、映画などで、池田屋事件は大抵京都の祇園祭のお囃子の中で近藤さんや沖田さんが走り回るものだが、大河ドラマの場合にはより精細に、その前後も描いていた。土方さんが拷問部屋のような小屋に桝屋(古高俊太郎)を押し込めて、何をしたかは近藤さんにもはっきり言わず、志士たちの京都焼き討ち計画を吐かせた、という記憶がある。

勤王志士・古高俊太郎邸跡(こたか・しゅんたろう)(ふるたか・しゅんたろう)
 土方副長の凄惨な拷問に耐えかねて、勤王志士たちが謀議のために集まることまでは分かったが、それがどこなのかは新選組には分からない。その緊迫感が、池田屋事件の扱いのテーマになっていた。しかし、桝屋・古高の立場から見るならば、集めた武器を押収され、アジトがわれて、拷問された、よもやこの捕縛が百数十年先まで話題になるとは思ってもいなかっただろう。

勤王志士・古高俊太郎邸跡(こたか・しゅんたろう)

古高俊太郎邸跡石碑

古高俊太郎邸跡石碑
 明治維新、幕末の京の騒乱を勤王佐幕、どちらの立場からみるかによって、歴史は色を変えてくる。グラデーション、色が微妙に変わっていく。そんな「変化」に後世の者は、気持を昂ぶらせたり悲傷、あるいは憤怒する。今朝の私は幾分、一昨年の余波があり新選組党。しかし、勤王志士のことを調べだしたら、一挙に「おのれ、壬生狼(浪)、近藤、土方ぁ~」と憎悪するかもしれない。

参考サイト
 ≪新選組の情報活動と土方歳三≫古高俊太郎という存在/現代マンガ館[?]
 なお関連する池田屋事件など、当時の京都の様子を探索した 「ミステリー舞台三条界隈探訪」は、長州藩邸や桂小五郎が難を免れた対馬藩邸などの位置が、写真入りで説明されていて、おもしろい。
 「見直し・新選組」3-池田屋事件その1:古高俊太郎(ふるたか・しゅんたろう)とは何者だったのか/中村武生

 志る幸/Yahooグルメ
 「しる幸」については、ちょっとおもしろい記事があった。
 「木耳と焼き麩と法蓮草の白味噌汁
 私は大昔に、このお店に入ったが、それが二十代だったので、なにも分からなかった。最初、ぜんざいとかお汁粉やさんと思った(笑)。いま行ったなら、勤王志士の味がする、お昼和定食だと思って味わうだろう。

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