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2006年5月15日 (月)

日々のこと:終日安閑

 代わり映えのない日々なんだが、ためしに記録しておく。
 これを読む人の人生観にもよろうが、暇と言えば暇だし、コマネズミのようにしているとも言えるし。自分自身がどう考えているかというと、半ば充実し、半ば諦観であるなぁ。

1.授業
 楽しんでやっている。研究室でひっそりと準備しているときは充実感がある。
 助勤と名付けた学生達と一緒にする演習は、さらに楽しい。
 これは、若いもんらが、だんだん変わっていくのを目のあたりにするからだ。
 立場とか役職は大切だと思っている。
 よく見られる社会人の、立場とか役職にしがみつくのではなくて、若いもんらは、それをやり遂げよう、こなしきろうとする気持の表れがあって、見ていて爽快なのだ。

2.研究
 時間を湯水のように使う。延々と徒歩で山から山を越えていく感じがする。 
 葛野に来たときから、用意周到、あらゆる肩書きとか立場を無くしてもやっていける方法論を模索した。
 研究者は職業らしいが、昔はルンペンみたいな数学者もいたし、王侯の庇護を受けない者もいた。
 職業なんだが、社会に直結した寄与も少ないし、金銭に直結したものでもない。
 研究するということは、見えないことを見えるようにすることだと、思うようになってきた。
 だから華々しく社会に貢献する研究とは、たまたま、なにかの都合でそうなるだけであって、研究総体とはもっと大きなものだと思っている。

3.会議
 急になまなましい言葉がでてきた。社会に生きて組織に属する限り、会議というのは避けて通れない。
 呪術社会であれ、専制国家であれ、現代日本であれ、会議があって合議ということがつきまとう。
 命令を聞くのも合議なら、ケンケンがくがくいいあうのも、合議なのだろう。
 私は自分のなかに数名私がいて、いつも会議を招集し、そこで合議している。
 合議するのが会議なのだ。
 まとまったような結果を前にして、なっとくした振りをしたり、分かった振りをしたり、決定した振りをする。
 ……
 私にとって会議というのが、一番効率の悪い時間帯である。
 暴力的な時間剥奪だと思っている。
 それでもいろいろな会議に参加したり、招集したりする。
 生きている証。
 生きている税金なのだろう。
 合議とは遠く、いつも折れている自分を発見している。

4.創作
 どうであれ、世界をつくることが、プログラミングであれ、小説創作であれ、目的となっている。
 自分の求める世界を創ること。
 これは社会を否定的に考える帰結かもしれない。
 社会も人も、私の思うようには思わず、行動もしない。人の考えた規制が私をぎりぎりと縛り上げてくる。なんとなく、水を含んだ革紐のようだ。
 会議と創作とは、ペア概念のようだ。
 会議があるから創作する。創作するから会議が紛糾する。

5.鑑賞
 読書でも、芸術鑑賞でも、人の観察でも、鑑賞するのは目によい、心によい。

*.まとめ
 私は日々、こうしている。
 鑑賞が一番気持ちよい。エネルギの源泉のようだ。
 暇と言えば暇だし、とはいうものの、上記1~5を日々定常的にこなすというのは、なかなか気苦労も多いし疲れもする。五つのうち、3の会議だけが無闇に否定的になっている。ところが、もし3がなくなると、想像だが、おそらく私はなにもしなくなるかもしれない。会議という外圧があって、はじめて内圧が高まるのだろう。

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