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2006年4月21日 (金)

春が静かになってきた

 昨日は葛野で、朝に二つ授業があり、午後は重い会議が夕刻の七時前まで連続してあった。そのあと、木曜会という「勉強会」に出向いたが、時すでに遅く、担当者から「本日終了しました」とメルが入った。残念だったが仕方ない。しかし残務が残っていたので、別の担当者とそのあと30分ほど打ち合わせして、やっと終了。
 木幡に帰還後、夕食は出来ていた。珍しくパスタだったが、あさりの身をひとつずつ殻からとって食べるほどに美味しかった。春はなぜ食材が美味しいのだろう。
 ところが。
 すぐに眠ってしまった。(笑)で、起床が午前4時前、ちゃんと7時間強眠った。

 ところで。
 タイトルに記したが、年度当初の喧噪がおちつきだして、授業が昨日あたりから徐々に楽になってきた。それでも二限目は、疲れからか、教室に持参するファイルボックスを間違えて、別の授業の教科書やもろもろだったことに気がついて、学生達に迷惑をかけてしまった。年に一回はある、ちょっとしたミス。以前は、教室を間違えて数分講義したまま、正式な教員が来て気がついたこともある。年度当初は、学生の顔ぶれも新しいので、学生・教員相互に識別がつかないことも、ままある(爆)。

 授業初めは、講義も演習も、もろもろの手続きを必要とするので、先週までは本当に息を凝らして勤めていた。それに会議もあれこれあって、ほとほと疲れた。その会議の山場が昨日だった。来週一週間は、教員個人個人にかかわる書類提出、さらに重い会議の事始めなどあるのだが、なんとなく今週で心身慣れてピークを過ぎた感が、今朝ひとしお。

 授業は楽しい。
 特に演習は、ずっと手慣れた上級生たちが「助勤」として、なれない大量・受講生達の相談相手になってくれているので、それを見るのも楽しい。多くの場合、人に教える立場にたって、長年の研鑽が血肉になることが多い。だから、私の授業は、「先生」とか「指導者」つまり助勤の立場になってはじめて完了、と思っている。
 それは個々のテクニカルターム(専門用語)や、理論や、方法論・手技の問題ではない。そんなものは教科書を読めばわかる。そうではなくて、「演習課題」という対象がダイナミックに形をなしていく遷移や、ものごとの成り立ちについて、観察し、かつ見知らぬ他人に要点を「伝える」プロセスを把握することが肝要なのだ。上級生達は「助勤」として、やっとそれを経験する。
 実は、それが私の授業の仕上げとなる。

 ただ、そんな教育環境は全部に提供できるわけではなく、助勤は毎年五名。そしてそれに準じる「チーフ」となる受講生が一年間でだいたい30人前後。ぶどまり7割として、20人前後が、おおよそ私の授業を理解・完了したことになる。100%というのは、嘘にすぎない。数割でも、血肉になったなら、万々歳。

 講義は、何十年(笑)同じことをくり返し言っても、そのたびに新鮮だ。聞く学生は大抵初めてだから、私が何十回同じことを言うて来たかは、知らない場合が多い。学生眠る、教員新鮮。あはははは。朝一番の講義が多い私の授業は、不眠症の学生達の福音である。仮眠所教室

 というわけで、授業は来週あたりから、順調にすすむ。はずだ。
 楽になっていく。だろう。

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