東の海神 西の滄海:十二国記/小野不由美
承前[MuBlog:風の海 迷宮の岸]
おもしろみは、延王も延麒も、他の国の王や麒麟にくらべて、あるまじき、度はずれた振る舞いを日夜、雲海に浮かぶ宮廷(玄英宮)で繰り広げることである。王の本当の側近達は、それぞれ力もあり才もあるのだが、至高の王や麒麟を面罵して恥じない。いつも、側近と王、そして王と麒麟とは怒鳴りあっている。まるで、延王も延麒も統治能力を欠いたようなぶっとびぶりで、滅多に朝政の場にも顔をださず、行方しらずになったり、好きなことをしている。
ところが延王尚隆の宰輔((さいほ)小説中では、台輔(たいほ)とも記され、私は周礼にくわしくないので、この区別がつかない。要するに一般に、宰相:皇帝の補佐役)六太がさらわれる。こんなことはあり得ないことだし、あってはならないことである。さすがに、尚隆王、青ざめるとおもいきや、ふふんと鼻で笑う。まるで煩い小童がどっかに遊びにいっただろう程度の反応をしめす。
麒麟は神獣だから、この世界では王を選ぶ権限を持ち、またその能力、権力、武力も、妖力も絶大である。国の一番の州を治め、王を指図する事さえ出来る延麒六太なのである。その使令(妖魔)悧角がそばにいて、また他の親衛隊ともいえる数々の妖魔にガードされていた六太がさらわれるとは、前代未聞、国が傾くほどの珍事であった。
要するに、王と麒麟はほぼ一心同体。片方が倒れれば、片方は死の床につくほど緊密な間柄なのである。
このあたりの、無敵と思われる麒麟がさらわれ、能力を封じられる描写がいたく気に入った。それに対抗して延王はどのような工夫をするのか。あるいは、敵は麒麟を人質にして、どのように王に退位をせまるのか。もちろん、麒麟の推挙なき王は偽王である。しかしなお、敵は絶妙の駆け引きをこらしてくる。延王を上帝に御輿あげるという方法をとってきた。さて、延王どうするのか。六太の封じられた神獣としての絶大な能力は、もとにもどるか。
感想として。
シリーズの中でも、この延王と延麒の関係は他国と非常に外れていて、その外れたところにおかしみがあり、おもしろい。
それにしても、一国の民の安寧を保つことがどれほど難しいか、こういう小説の中ではらはらして味わった。そして、敵が敵とは思えなくなる瞬間もあり、まるで現実世界の難しさを眼前に突きつけられた思いがした。
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