三条大橋の刀傷:私の京都・河原町通{四条→三条}
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コメント
三条小橋商店街
三条大橋のたもとにある(弥次喜多像)のカンバンにどうして三条小橋商店街が胴元のような顔をして登場しているのだろう?
と疑問が湧いてGoogleに聴きました。
以下のような明快な解説に出会いました。
慶長6年(1601)に五街道の東海道五十三次が整備され、三条大橋、小橋は公儀橋(幕府直轄の橋)に制定されその維持管理は当中島町(三条小橋商店街)が任命されました。そのため、補修や掛け換えの折には人足の賃金等の負担をしてきました。
さすが京都、400年後の今もそのまんま、なのですね。
高瀬川にフランス風の橋を架けるという噴飯物の話もありましたねえ。
投稿: ふうてん | 2006年4月18日 (火) 00時38分
→ふうてん | 2006/04/18 0:38:30
いや、さすがにふうてんさん気力が充実しておられますね。最近はGoogleに聞く余力もないくらい、よく眠ります。疲れと言うよりも、眠ると極楽往生。風呂と食事と睡眠と、楽しみの授業。これくらいが人生の全部のようで、あんまりお金もかかりませんで(笑)
今度は刀傷のこと、調査依頼します。
ところで、フランス風の橋ですが、もうしわけないです、Muは賛成なんです。どうしてかというと、京都は昔からそういうとんちんかんなことを先駆けて、何年かすると消化しつくす、新ブランド工場みたいなところがあるんです。だから、見たかった。
なにもかもが、多くの国からもってきて、しらんまに日本にしてしまうその異能に感心しているから、あれはたしかシラクさんだったかな、その提案に内心ほくそ笑んだのです。
先斗町と川端通りを、三条と四条の間くらいで橋かけたら、行き来もようなるかな。結構、フランスの橋って、昔の写真でみると良さそうだったんです。(20年も前に、フランスの古橋写真集を目録にしていたのです・仕事でしたが)
新名所、フランス橋。界隈に小洒落たカフェもあってねぇ~と、京都の百年後を想像しとりました。
……
……
(なんとなく、ふうてんさんの、苦虫が目に浮かぶね)
投稿: Mu→ふうてん | 2006年4月18日 (火) 09時17分