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2006年3月30日 (木)

謎の大王継体天皇/水谷千秋

謎の大王継体天皇/水谷千秋

謎の大王 継体天皇/水谷千秋
  水谷千秋著
  (文春新書 ; 192)
  東京 : 文芸春秋、2001.9
   228p ; 18cm
  ISBN 416660192X
  主要参考文献:p228
著者標目:水谷、千秋(1962-) [ミズタニ、チアキ]
分類: NDC8:210.32、NDC9:210.32
件名: BSH:継体天皇 、BSH:日本 -- 歴史 -- 大和時代

帯情報
・カバー裏

「武烈天皇が跡継ぎを残さずに死んだあと、畿内を遠く離れた近江・越前を拠点とし、「応神天皇五世の孫」と称する人物が即位した。継体天皇である。この天皇にまつわるさまざまな謎--血統、即位の事情、蘇我・物部・葛城などの大氏族との関係、治世中に起きた「筑紫君磐井の乱」との関わり、「百済本記」に記録された奇怪な崩御のありさまなどを徹底的に追究し、さらに中世の皇位継承にその存在があたえた影響までをも考察した、歴史ファン必読の傑作。」

・帯
★継体はそれまでの大王家の血はひいているのか
★即位後、大和にはいるまで何故二十年もの歳月を要したのか
★蘇我氏台頭のきっかけは継体擁立だったのか
★筑紫君磐井は本当に自分から反乱を起こしたのか
★継体と太子、皇子が同時に死んだというのは事実か
★継体死後、二つの王朝が並立、抗争したのか

目次
謎の大王 継体天皇・目次
はじめに
第一章 継体新王朝説
  継体天皇の故郷・近江
  越前三国から樟葉宮へ
  真の継体陵・今城塚古墳
  王朝交替説
  河内王朝
  継体=息長氏出身説
  近年の研究動向
  継体天皇と現代

第二章 継体出現前史―雄略天皇、飯豊女王の時代
  稲荷山鉄剣銘発見の衝撃
  雄略天皇
  葛城氏との対決
  吉備氏との対決
  雄略の人間像
  清寧天皇
  王位継承者の途絶
  推古崩後の状況
  孝徳即位時の状況
  王族の脆弱性
  巫女王・飯豊皇女
  飯豊皇女の擁立
  飯豊皇女から顕宗天皇、仁賢天皇へ

第三章 継体天皇と王位継承
  「上宮記一云」という史料
  継体天皇の系譜
  牟義都国造と余奴臣
  息長氏と三尾氏
  「上宮記一云」と「継体紀」
  『日本書紀』の語る継体の即位
  倭彦王の物語
  「仁徳系王統の断絶」は史実か?
  『古事記』の語る継体即位
  河内馬飼首荒籠
  継体は地方豪族か
  「二つの大王家」論
  倭王武の上表文
  「応神五世孫」の系譜

第四章 継体天皇の即位と大和定着
  『記・紀』の継体后妃記事
  長浜古墳群と息長古墳群
  手白髪皇女
  畿内出身の后妃
  安閑天皇の后妃
  宣化天皇の后妃
  后妃からみた継体の支持勢力
  『記・紀』にみる傍系王族の実態
  傍系王族の地方土着化
  仁徳系王統衰退の要因
  六世紀以降の王族
  王族の自立化
  継体の諸宮
  磐余玉穂宮遷都
  大和進出が遅れた理由
  反継体勢力はだれか
  「非葛城連合」
  葛城氏と蘇我氏
  蘇我氏と継体天皇
  蘇我氏台頭の背景

第五章 磐井の乱:地方豪族との対決
  磐井の乱
  『古事記』の所伝
  「筑後国風上記」の石人石馬記事
  「筑後国風上記」の磐井の乱伝承
  『日本書紀』の所伝
  磐井と新羅の内通は史実か?
  征討軍の派遣
  「安閑紀」の屯倉設置記事
  那津宮家の設置
  九州支配の強化
  考古学からのアプローチ
  「有明首長連合」の成立
  磐井の乱の本質
  継体の大和定着と磐井の乱

第六章 辛亥の変:ニ朝並立はあったのか
  二朝並立論とは?
  継体の崩年
  安閑の即位年
  継体から安閑への譲位
  「二種類の百済王暦」論
  「辛亥の変」の一解釈
  欽明、宣化と安閑
  安閑の支持勢力
  安閑への譲位の失敗
  「辛亥の変」の意義
  有力豪族による合議制
  『日本書紀』にみえる合議制
  合議制の主導権の所在
  次期天皇の選定、即位要請
  中央豪族による政権掌握
  国際情勢と継体朝

終章 中世以降の継体天皇観
  「万世一系」と継体天皇
  後鳥羽天皇の即位
  『愚管抄』の継体天皇観
  後嵯峨天皇の即位
  後光厳天皇の即位
  継体とその後の王位継承
  天皇と武家
  継体と中世以降の天皇
  「上宮記一云」の継体出自系譜
  継体天皇の人物像

あとがき
主要参考文献
写真提供/福井市役所

Mu注記
 継体天皇は近江国高島郡三尾(みお:滋賀県高島市)で育ったという。母親・振媛(ふるひめ)がこの三尾氏の出身らしい。父親の彦主人(ひこうし)の別荘地だった。父親はたしかに応神天皇の四世の孫のようだ。越前で育ったという説は、半ば棄てられている。これはめずらしかった。ただし母親の祖母が越前三国である、その縁は残っている。

 このあたりのことを水谷が解釈する基本文献は、帝記[Mu注:欽明天皇時代の大王系図か?]をもととした古事記や、釈日本紀[原注:「鎌倉時代末期に占部兼方によって書かれた『日本書紀』の注釈書」]に一部引用の「上宮記一伝(じょうぐうき・いちにいう)」が使われている。古事記の扱いは、日本書紀よりも潤色が少ないと言う点で、水谷は骨組みを理解するのに多用している。

 私は、こういう学術図書にしては一気呵成に読んだ。オリジナルは水谷の『継体天皇と古代の王権』(和泉書院)と記されていた。新書は一般にわかりやすく平明に書かれているが、本・文春新書は内容が薄いわけではない。いままで分からなかった事が明晰な筆致、論理の運びで丁寧に記されていた。

 読者は、読めば分かるのだが(笑)、私が一番感動したのは、樟葉、筒城、弟国宮と遷り、樟葉宮での即位から数えて二十年も後に「大和入り」、すなわち磐余玉穂宮に入った経緯だった。素人として幾分ミステリの雰囲気で読んだのでネタバレは避けるが、一つは、三つの宮が決して単なる気ままな置き去りの引っ越し先ではなくて、大和入りしたあとも、琵琶湖、淀川、木津川、宇治川を見据えた継体天皇の経済基盤であったこと。
 さらに、継体天皇の近い先祖である息長氏は近江坂田郡(長浜から米原近辺)が本貫地であるだけでなく、南山城にも息長氏の勢力圏があったという指摘には、「そうなのか」と感動した。

 そして、勿論二十年の間、大和の中枢豪族、大伴氏や物部氏は継体天皇を擁立していたが、たしかに反継体天皇連合もあったという明確な事実指摘もあった。これは、ヒントとしていうならば、仁徳天皇系に関わる氏族の一団だった。

 感動はいくつもあったが、もう一つ。
 継体天皇崩御に関して、『日本書紀』引用の「百済本記」に天皇、太子、皇子が三人同時に死亡したという記述があり、このことの解釈がいろいろあったようだが、水谷はわかりやすく説いていた。答えは(笑)。天皇は継体天皇でしょう、~、云々。これも「ああ、そうなのか」と、私は単純に感激した。

 さらに、後世、特に中世、この継体天皇の即位をもとにして、歴代政権がそれをどのように慣例・拡大解釈扱いしてきたかについては、私には初めてのことだったので、歴史の流れについて新たな目を開かれた。

 と言うわけで、これを何度か読めば、継体天皇に関する問題点や、その解の一つ一つが、多くの古代史愛好家にはストンと胸に落ちるであろう。勿論、常に他の可能性も丁寧に引いてあるので、これこそが正当な学術書の姿だと思った。優良書である。

継体天皇関係地図
 出生・生育地滋賀県高島市安曇川町三尾里か?
 即位・樟葉宮:大阪府枚方市楠葉の交野天神境内か?
 筒城宮:[MuBlog参照:筒城宮
 弟国宮:[MuBlog参照:乙訓寺付近]
 磐余玉穂宮奈良県桜井市池之内付近?

参考
  『謎の大王 継体天皇』[pata]
  今城塚
  継体天皇
  今城塚古墳[MuBlog

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コメント

この本は必読ですね、以前に読みました。

百済本記の記述は異常な継体大王の暗殺をほのめかしていますね?二朝並立論、即ち安閑・宣化王朝と欽明王朝の並立という事態を解明されていたように記憶しています。

5世紀の河内王朝の時代に雄略大王に徹底的に葛城氏と吉備氏は打撃を受けるんですが、その裏で蘇我氏が台頭してくるんですね。

蘇我時代の到来と継体大王の関係は多いに関係が有りそうです。

投稿: jo | 2006年4月 3日 (月) 08時21分

→jo | 2006/04/03 8:21:22

 百済本記の記述にある、天皇と皇太子と皇子とが三人同時に亡くなったという書き方の解釈がおもしろかったです。
 水谷先生は、二朝並立論には懐疑的でした。
 その事情がいろいろ書いてありました、~

投稿: Mu→Jo | 2006年4月 3日 (月) 08時37分

そうですか~~~、本を探してみます。

ところで、輪島旅行は寒い旅でした。そして、京都で一泊しましたが、何時ものイノダコーヒーで朝食でした。

桜は未だでしたね?二条城も見学しましたが、1本のサクラが咲いていました。どうしたんでしょうね?今年の関西は?

今日は、上野で夜桜見物の宴会だす。そして、音楽会ですね。(あたしゃ、飯の用意担当ですがね)

投稿: jo | 2006年4月 3日 (月) 12時02分

噂話や、新聞では、都も桜が咲き誇っているようです。
なかなかに、今年は、心に像を結んで天神川、廣澤、大澤、鴨川とみております。

投稿: mu→jo | 2006年4月 6日 (木) 02時44分

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