長岡京市立図書館の風景
長岡京市立図書館(京都府長岡京市天神)地図
長岡京市立図書館
図書館のサンルーム
小さな池に張り出したサンルームがあった。ガラスはよく磨かれていた。中に書架が写っていたので、帰ってから眺めて喜んだ、そのうえ人影まであった。
図書館からみた長岡公園
図書館のこと
一階は成人用、二階は子供用、三階は会議室となっていた。このうち一階だけをこっそり歩いてみた。カウンターには三名ほどの女性がいて、仕事をしていた。司書さんなんだろう。利用客は高齢者、しかも男性が多かった。この形態は少し考え込むに足ることかも知れない。高齢者が多いのは、時間帯によっては当然だが、男性がめだったのが、気になった。サンルームの回りの椅子にずらりと座っていた。
今、椅子と書いたが閲覧机はわずかしかなかった。日頃大学図書館を見慣れていると、ときどきこうした机なしの図書館にぎょっとする。最近の図書館は別にして、20世紀の日本の公共図書館は机なしが多い。辞書事典類を読むために、わずかにあるだけのことが多い。これはこれで図書館の歴史的な見方の変遷として、興味深い。
昔、関係者にとって、図書館を作ることが最大の目標だった。図書館などにお金を充分払う自治体は少なかった。いろんな努力が実って、ともかく、限界の多いスペースだが、建築物は建った。しかし図書は毎年更新していく必要があって、建物がたっても毎年予算が増えていく。図書購入は図書館を廃墟にしないための維持費だった。それには親機間を納得させねばならなかった。その指標が、図書の貸し出し率だった。
かくして図書館に図書を読むスペースは無く、図書を貸し出すためだけの機能が大きくなっていった。あるいはそういう指標を元にして、自治体や住民を納得させて図書館を維持する方式が普及し、あとに続く図書館は最初から読書スペースを無くした物が多くなってきた。
かえって読書室が潤沢だと、生徒学生が勉強のために占拠して、勉強部屋になってしまう、という考えも生まれた。たしかに昔は冷暖房も家庭に普及していなく、狭隘な家には勉強する個室も少なく、それでも学校以外で自習したい者にとっては、図書館は極楽だった。朝、席取りに長蛇の列があったのを、私もまざまざと覚えている。
他方、比較的豊かだった旧国立大学図書館では、試験期にそなえてどんどん閲覧スペースを増やしていった事例もあった。公共図書館の多くは、それと逆の道をたどってきた、が。さて、21世紀、少子化が進み、高齢者がふえてきた時代である。これからの図書館はどんな風になっていくのか、楽しみだ。
ちなみに、私が住む宇治の木幡と、長岡京市とは、地図上では東西水平10キロの向かい合わせになっていて、自動車だと30分を切ることもある。風景がよくて気持ちよさそうな図書館なので、これからも通うことになろう。郷土史コーナーはさすがに「長岡京史」で埋まっていた(笑)。
注:しかし、私は宇治市民なので、この図書館で図書を借りることは出来ないようだ。「長岡京市に住んでいる方、通勤・通学している方ならどなたでも借りることができます。」さて、どうする。そうだ同じ京都府民だから、京都府立図書館に尋ねてみよう。私→京都府立図書館→長岡京市立図書館→京都府立図書館→私。なかなかに、大変かもしれない、はて、どうなるのか。道州制が導入されたらどうなる? と、ふと考え込んだ。
参考サイト
長岡京市立図書館の公式HP
府内の図書館-長岡京市
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コメント
長岡京の花菜
長岡京市立図書館の記事を読むうち、長岡京市のホームページに紛れ込みました。
長岡京?どこやったかいな?と思い出すうちに向日町の隣であることが分かりました。
向日町には女房の兄夫婦の家があるのです。
171号線に近いので自動車部時代ちょくちょく通りかかったところでもあります。
長岡京市のホームページに(動画)というのがありました。
(長岡京市トップ→長岡京市の概要→動画配信)
見てみますと(花菜)というブランド名の(菜の花)が出てきました。
今が旬であると誇らしげに以下のようにアピールしています。
(花菜は、春の足音が聞こえ始めた今が出荷の最盛期です。
農家では、みずみずしい状態で消費者に届けようと、毎朝、凍える手をさすりながら、摘み取り作業に精を出しています。)
京野菜を毎日食することのできる(隠れ家)を夢見ている当方はチクッと刺激されたのでありました。
投稿: ふうてん | 2006年3月 4日 (土) 02時07分
ふうてん | 2006年3月 4日 午前 02時07分
地理感覚
私に限ると、このあたり171号線界隈は大阪府と無意識に誤認するところがあります。大山崎町も長岡京市も、さらに向日市までそうなんです。
そういう感覚で、これまでずっと「長岡京」をイメージしてきたようです。要するに京都じゃない、別の土地(大阪とも、思わなかった)、と。かえっていままでいつも「京都」だろうと思っていたのが、大阪府三島郡島本町にある水無瀬神宮だったんです。
地元の人達から考えると、ものすごい誤認、物知らずにうつることでしょう。
ところが根源に戻って考えると、京都じゃないところの、独立した『長岡京』は確かに今回はっきりと理解したのですが、それは向日市、長岡京市、大山崎町にまたがる広大な旧都だったわけです。
平城京、長岡京、平安京、この三つは詳細にみると違いが沢山あるのですが、大きさから見ると大体、4X5=20平方キロメートル以上の巨大さなんです。
結論
今後は京野菜というよりも、長岡京野菜と、独立したものと考えていきませんか?
投稿: Mu→ふうてん | 2006年3月 4日 (土) 06時34分
長岡天神は実家にいた頃よく行った覚えがあります。
そこが初詣の場所でした。
その後も耐寒遠足やら介護実習やらで時折長岡京市は訪れていましたが、図書館は行ったことがなかったです。
もっとも、私も市民ではないので本を借りることは出来ませんでしたが。
一方、うちの実家T市の図書館。Mu先生の仰るとおり、閲覧スペースがかなりなかったような気がします…。
いつも本を借りるだけで終わらせていたような覚えがありますね。
昨今の漫画喫茶並み、とまでは言いませんがもうちょっと気軽に本を立ち読みできる空間があればいいなぁ、と大学時分に思っていました。
ちなみに現在在住のS県S市。図書館の拠点はかなりたくさんあります。
(会社の目の前にもあって結構重宝しています。)
ネットから取り寄せ・予約が出来るのも魅力ですね。
ただしうちの会社前図書館は手狭なためか、オープンして間もないためか、思い立ったときに欲しい本が手に入らないのが少し残念なところです…。。。
投稿: yuhki | 2006年3月 5日 (日) 16時05分
yuhki | 2006年3月 5日 午後 04時05分
今城塚古墳が高槻にはありますが、長岡京市には乙訓寺があって、その近所が、今城塚古墳の被葬者、継体天皇の弟国宮だろうという、推定があるのです。
その途中で私は10年しかなかった長岡京に迷い込んでしまったのです。本文に記しましたが、小さい狭いと勝手にイメージしていた長岡京が、向日市、長岡京市、大山崎町と、なんともばかでかい規模に驚愕しています。
私は、こういう驚きがとても楽しいです。
さて、図書館ですが、最近いろいろな意味で別の迷いが生じてきています。人類史、近代史にかかわる、あまりに根源的なことなので、おいそれとは記録もできませんがね。
ということで、飲めない下戸私も、この9月ころ飲めるウワバミyuhkiさんが都に立ち戻ったときは、そのあたりのことを、じっくり話しましょうぞ。伏見港界隈で数十名が暴れても大丈夫な所を、四月には予約しておきます。いやはや、四季折々のお祭り、そのために講義し続けるような変な気分です(笑)
ともあれ今晩夏初秋、一党うちそろって、お迎え申し上げます。
投稿: Mu→yuhki | 2006年3月 5日 (日) 21時07分