20世紀少年(21)/浦沢直樹
承前[MuBlog:20世紀少年(20)]
いままでのあらすじ
昭和40年代。空き地に秘密基地をつくり、21世紀を空想していたケンヂと仲間たち--悪の組織の地球滅亡計画を阻止する正義のヒーローを夢見て、他愛のないシナリオを作成して、それを”よげんの書”と呼んでいた。一九九七年、失踪した姉キリコの娘カンナを育てるケンヂは、彼の周辺で起こる奇妙な事件が”よげんの書”どおりであることに愕然とする。その背後に見え隠れする”ともだち”と呼ばれるカリスマ。そして20世紀最後の大みそか、”ともだち”は自作自演の人類救出劇を巧みに遂行し、”血の大みそか”の惨劇を救った世界的英雄となる、一方、正義のために戦ったケンヂは、悪の組織のリーダーという汚名を着せられて戦死する……。(p4-5)
この21巻では、北から東京へ目ざす男の物語と、東京で地下活動をしているカンナやヨシツネの物語と、そして”ともだち”の奇妙な振る舞いとが、別々の世界で描かれている。もちろん巻末の巻内第11話「仮面の告白」では、人類の生殺与奪を一手にした”ともだち”が、放送施設を使って奇妙なメッセージを送るところで、次巻への楽しみとしている。だが、そういう大局の変化を味わうよりも、非常に細かな、ディテールが画とセリフとで構成されていることに気がつく。
これまでくり返しあらわれたのは大阪万博、EXPO'70だった。
「万博っていったら大阪。わかるか?」と、ケンヂ。
「さあ……」と、青年。
「東京でやってる万博なんてニセモノだ。
新幹線で大阪に着いたら、そこは未来世界だ!!
アメリカ館の月の石、ソ連館、ガスパビリオン、住友館。
未来の建物がいっぱいだ!!」と、ケンヂ。
つまり昭和40年代(1965)を幼く生きた人間の多くにとって「万博っていったら大阪。わかるか?」というセリフが実に自然に飲み込める。当時の者にとっては、21世紀は大阪万博に象徴された未来世界だった。いま、時代は2018年。当時少年達によって書かれた予言書の通りに日本は進んだ。地球防衛軍(マーカライト・ファープ砲が原始鳥竜ラドンから地球を守るSF映画)、親友隊(ナチスの親衛隊。当時は、ヒットラーの『我が闘争』が翻訳されていた)が”ともだち”を守り、人々は火星移住(ブラジル移民熱は昭和30年代だったが、昭和40年代は米ソの宇宙開発時代だった)に狂奔している。
ボーリングの花だった中山律子さえ、登場する。
要するに昭和40年代の少年少女が熱狂した世界観がそのまま21世紀を覆っている。現実世界観からするなら退化にさえ思えるが、漫画世界にあっては、ひとつひとつが少年達の妄想から生まれたにしても、それをどのように、どうやって現実化してきたのかが、リアルに描かれている。もう一つの世界が、この中に生まれている。
少年少女が野原に造った秘密基地がそのまま東京に再現され、リアルに人々が粛正され、リアルに関東軍がウィルス被災地として封鎖した東北・北海道に駐屯し、越えられない壁を守っている。
すべてが子供時代の妄想、空想「よげんの書」によって未然に記されていて、その通りに世界が動いていく。その中心にいるのが、ケンヂと謎の”ともだち”である。
21巻まで読んできて、この『20世紀少年』は、現在40代から60代の多くの壮年初老層の、ノスタルジーというにはすさまじすぎる妄想の現実化であると、心を突く。
地下鉄にサリンをばらまいた集団は、”ともだち”を滑稽なほどに戯画化したものにさえ映る。逆の話ではない、”ともだち”が造った21世紀を稚拙に別の世界で実行したのが、件の宗教集団だと私は言っている。その点において、この漫画は現実世界を凌駕していると言ってもよいだろう。
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