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2006年3月25日 (土)

月の影 影の海:十二国記/小野不由美

承前[MuBlog:魔性の子

月の影 影の海:十二国記/小野不由美

月の影 影の海:十二国記/小野不由美
 しばらく小野不由美世界とおつきあいすることにした。この『月の影 影の海』という書名をみていて、まことによい雰囲気をかもし出していると、深いため息をついた。

 この世界には十二の国や、またもろもろ不思議な神霊界があって、私の棲むこちらの地球世界とは随分異なる。書名については、以前から惹かれていたが読み終わってみるとさらに深まった。別の世界なのだからこちらの世界の常識とはずいぶん異なる。ある国「雁(えん)」の王宮は玄英宮といって、天に届かんばかりの高山にある。その山は平地にすくっと立っているから、山麓の都市を影にする。頂にある王宮は雲の中、雲の上にある。そして、雲海という本当の海が空にあって、その透明な海水を通して、夜光虫のような光を輝かせる都市が眼下にある。王宮のベランダから主人公の陽子はその景色を見て感動する。
 海水が海に浮かんでいる。何故なのかは分からない。こちらの世界での科学常識はほとんど通用しない。

 陽子は上巻前半ではただの女子高生である。クラスの中では真面目で通っていて、級友ともつかずはなれず。家に帰ると両親の言うことをよく聞き、乱れたところはない。その頃の陽子は、自分の人生を疑ってはいなかった。つかず離れずという態度も、なにかの予兆から自分を別人種とみるのではなく、ただそうしていることが楽だったからに過ぎない。
 読者側からみると、特に私のような異性の壮年からみると、女子高生の感じ方や行動を表現や行間に読み取って、いささか愕然と言うか、あっけにとられたところも多々ある。「そうか、女達は幼い頃から、こういう風に同類異類をかぎわけて、拒絶し、群れをなし、排他的に生きておるのか」という、驚きだった。そこでの行動原理は、孤絶しないこと、仲間はずれにされないこと、なおその上で「良い子」であること。陽子は、それを日々行ってきた。底が割れていたと、友に見透かされ、自らも気がつくのは後日のことだった。

 と、このままだったら、如何にこれまでの小野世界に愛着をもっていた私とて、捨てる。なぜ捨てるかは私の人生観では見たくも知りたくも理解したくもない世界が、女達や男達の世界にあって、私はそういうところに意味を味わわないし、めんどくさいので、あえて小説でるる書かれていると、焚書してしまいかねない。これに類したことは恋愛小説もそこに含まれるし、社会の底辺で虐げられる人達の話も、同類である。だからベストセラーの九割は私の机上にのらない。これは評者としての尺度の問題で、図れないとふんだら読まない見ない考えない、そこにあっても、この世にはない。それ故に、意図せずして女子高生の日々の生活の深部をかいま見ると、愕然として目を覆いたくなる。女とは十代であってもこれほどまでに、激しくエグい生命体なのかと、深々と息を吸い込み、空を眺めた。(先生、それはフィクションですよ、とは誰も言わないのがまた恐ろしい)

 さて。と、ここから十二国記が始まる。
 陽子が異形の女になっていく。訳の分からない運命(さだめ)に導かれ、夜は山中一睡のまもなく妖怪妖獣に襲われ手にした宝刀は血しぶきをあげ、その血しぶきを避けることが生きる証と、無理矢理自ら学んでいく。昼は昼で官憲に追われ、人の助けがあったと思った瞬間、遊郭に売られた我が身を知る。戦い終われば、自らの負の精神を暴き立てる蒼猿のののしりに、毎夜汗を流し動悸を激しくする。
<お前はあいつを見捨てるつもりだったんだろう。お前は自分の命のためには、人のことなんかなんとも思っていない。もう、日本にも帰れない。帰ってもみんなお前のことなんか覚えていない。あっさり死ねよ>
 もといた倭国には、虚海を渡らぬ限り戻れず、虚海は神と妖しの物しか渡れない、一方通行の道。

 恐ろしくも、陽子は変わっていく。変わる過程で日本(倭)にいた頃の自分を、宝刀の水晶鏡の輝きの中に見つめる。見方を変えれば、人生は、人間は一身でありながら、これほどまでに世界を異なった目で見ることができるのか、という驚きに満ちあふれる。
 終盤の圧巻にこんなセリフがあった。

「戦うということは、人を殺すということだ。これまで人を斬ったことだけはなかったが、それは人の死を心に背負う勇気を持てなかったからだった。一緒に行くと言ったときに覚悟は決めた。大義のために人の命を軽んじようというわけではない。斬った相手とその数は必ず忘れず覚えておく。それが陽子にできる最大限のことだと、そう納得していた」

 かつて、狡くていじましい女子高生だった陽子がこれほど大きくなったことに、私は読了したことを翫味した。実に、その照応がよくとられていた。よい作品だった。これなら、十二国記、私にとって貴重な読書経験となる。

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コメント

 (出会いはアニメから)
アニメ『十二国記』を子どもと一緒に見ていました。子どもは、小学生から中学生にかけて、この十二国記を繰り返し、繰り返し読んでいました。こちらは、アニメを見ているだけなので、?ということが多く、そのたびに国々の位置関係や、麒麟が主人を選ぶという話など教えてもらっていました。そうラクシュンという大きなネズミもいましたね。

 「女達は幼い頃から、こういう風に同類異類をかぎわけて、拒絶し、群れをなし、排他的に生きておるのか」
 フィクションです。すべての女たちがそうではありません。群れをなすぐらいなら、一人でいたほうがいいと思う人間もいます。また、同類異類をかぎわける才能に恵まれず、孤立してしまう人間もいます。

 ファンタジーとして、子どもは十二国記を楽しんでいたようです。

投稿: wd | 2006年3月27日 (月) 00時09分

→wd | 2006年3月27日 午前 12時09分

 後書きを読むと、この作品(講談社文庫)以前に、X文庫という少女むけシリーズとして完成していたようです。私が読んだのは難しい漢字が一杯の、高齢者向け、青年用のようですね。

 ファンタジーということですが、ジャンルについてはあまり意識しなくなっています。感動があるかどうかが、MuBlog掲載の基準になっています。

 いわゆる純文学系が少ないのは、以前も、しるしましたがジョイスの洗礼がおおきかったです。多くの作品が、新奇性をねらった、同じものに見えて、気持がなかなか動きません。そういうタイプの作品はジョイスで堪能したという気持ですね。

 文学論は、この程度です。

 「フィクション」でしたか。ちょっと、安心ですね(笑)。仕事柄、もしフィクションじゃないと、妖女妖魔、魑魅魍魎世界の中を歩いている気持になります。

投稿: Mu→WD | 2006年3月27日 (月) 15時56分

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受信: 2006年4月14日 (金) 09時30分

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