長岡宮跡(向日市)ながおかきゅう
承前[MuBlog:長岡京市埋蔵文化財センター]
承前[MuBlog:長岡京と大伴家持]
長岡宮・閤門跡(ながおかきゅう・こうもん)
整備中の閤門跡
宝憧跡から南東にむけて見た閤門跡
長岡宮・宝憧跡(ながおかきゅう・ほうどう)
「宝憧(ほうどう)は天皇の権威を象徴し、即位式と元旦にのみ建てられる特別な装飾具です。しかし長岡宮で天皇の即位はありません。そこでこの宝憧跡は朝賀の儀式の際に用いられたものと判断されます。 向日市教育委員会」わずかに十年使われた長岡京では桓武天皇の代替わりがなかった。だから、この宝憧というきらびやかな「旗」は元旦の時に立てられただけだった。そこで、一月一日は群臣全員がこの地に集まり、天皇に挨拶し、天皇から言葉があったと想定できる。みんなきっちりした礼装をして参加したのだろう。それは即位の式に匹敵する。私がここで味わったのは、日本では元日の扱いと即位の扱いが等しいくらいに盛大だったという想像である。いずれも、新たな出発という点では相似だが、もっと深い意味があったのかもしれない。
大極殿公園
大極殿跡石碑
写真で再現:長岡宮大極殿の素顔
参考文献
平安京年代記/村井康彦.京都新聞社、1997
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
「長岡京」カテゴリの記事
- 長岡京紀行:2006/03/03(2006.03.23)
- 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差(2006.03.16)
- 乙訓寺:おとくにでら(2006.03.15)
- 長岡宮跡(向日市)ながおかきゅう(2006.03.12)
- 長岡京市埋蔵文化財センター(2006.03.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
長岡宮跡
ところで、何故、長岡宮と呼ばれるんでしょうか?気になるのは、長岡というと、越、高志、という日本海の新潟の古代の場所ですよね?
どうも、継体天皇の乙訓(弟国)の宮と長岡という名前が気になりますね。
投稿: jo | 2006年3月13日 (月) 15時44分
jo | 2006年3月13日 午後 03時44分
1.ながおか、という名前の由来。あははは、しりませーん。ぽんぽん山を含めた山麓丘陵を、長い岡とおもわはったんやでぇ。
ところで、なんで木幡ちゅうのかな。
2.弟国。これはどっかのHPで見かけました。葛野郡がばかでかくて、そこから派生した郡だから、「弟」、よって弟国だ、と。なるほど、とおもいました(笑)
投稿: Mu→Jo | 2006年3月13日 (月) 18時17分