NHK功名が辻(09)クノイチ小りん登場
空也堂・極楽院光勝寺(ごくらくいんこうしょうじ)(京都市中京区亀屋町)地図、関係サイト
興聖寺(滋賀県高島市朽木村岩瀬)地図
今夜は、信長の殿軍(でんぐん)を引き受けた秀吉の与力、山内一豊が戸板にかつがれて逃亡途中、もはやこれまで自刃せんと思ったとき、突然の銃声、徳川家康の援軍に救われたというところが、見てきたようなイメージでよくわかった。こういうところが、後世関ヶ原にて、山内一豊が徳川に味方した伏線なのかもしれない。
まだ城はもらえなかったが、50石給与から一挙に200石、現代での換算では年収2000万円となろうか。落としかけた命ひろって年収2000万円ではわりがあわないし、家族と郎党眷属をやしなうには、まだまだ貧乏だったろう。しかし、それはそれ、無事岐阜に帰ったときはほっとした。
現代の年収2000万円の人はどんな生活だろう。車はレクサスとか、ベンツ。奥様は有閑マダム(と、ものすご古い用語だな)、ご子息は馬鹿息子に、賢いお嬢様。通う大学は葛野女子大学(笑)。ゆたかだな。しかし、これ、無収入の舎弟というか若者を数名養っていると考えると、とたんに暗くなる。年収2000万円じゃ、わかいもんたちに、小遣い銭すら渡せない。戦国時代、なかなかに生きるのが難しかったと思う。
さていよいよ一豊の回りに謀略の影。宿泊地の空也堂にクノイチ「小りん」登場。一豊さん、まんまとひっかかったなぁ、と高みの見物なれど、これだけの家臣団がいると、軍の行き先、目的、知らせないと混乱するし、知らせると待ち伏せをくらう。案の定、信長は六角氏の雇った鉄砲名人に狙撃される。この情報は、一豊の、小りんに語ったなにげない話が発端となる。
今夜の教訓は、情報とは持つ者、発信する者が価値付けるのではなくて、受け取る者、利用者、盗む者、が価値を造り出す素材と思った。信長軍団が京都からどこへ行こうが、無関係な人には、一豊の世間話は無意味だが、信長を狙うものには至宝となる。
ところで。他の司馬さんの小説でもときどき目にするのだが、悪逆非道(仏教界とか伊賀の人にとっての信長は悪魔だった)な信長は、まめまめしく戦士の妻たちの相談相手にもなっていたらしい。有名なのは、秀吉の京での常軌を逸した女狂いに、ネネがたまりかねて信長に相談したという逸話である。
今夜のNHK附録は、滋賀県の山奥の高島郡(最近、市)は朽木村(くつきむら)のことだった。興聖寺(こうしょうじ)に、足利十二代将軍義晴や、十五代義輝の無聊をなぐさめた庭跡があって、足利ゆかりの地であると解説があった。朽木氏は敦賀から敗走した信長を助け、その後秀吉、家康の恩顧によって、京都府の丹波福知山で幕末まで保ち、明治維新では子孫が子爵を得たとのことである。
寺院寺社大事典(近江若狭越前、平凡社)では、興聖寺の寺名は道元が、その山岳・河川をみて宇治市の興聖寺の風景に似ていることから名付けたようである。
また、現興聖寺は旧・秀隣寺(しゅうりんじ)の寺域にあり、朽木氏の館跡らしい。この旧秀隣寺の庭は国指定名勝である。
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コメント
朽木 湖西のみち
司馬さんの、街道をゆく、”湖西のみち”を随分と昔に読みましたね。古代から出雲系、息長氏の拠点、鉄の生産地、鯖街道、・・・・・。
司馬さんの、古代への回想が沢山に語られた場所であると、印象にあります。
白髭神社は新羅だろう?、安曇川(あどかわ)上流の朽木村。昔は、ダムが無かったので、多量の水量を抱えた川だったそうですね。
信長敗走のルートでもあり、古代から戦国時代まで色んな歴史の場面を見てきた場所なんですね。
投稿: jo | 2006年3月 6日 (月) 10時23分
jo | 2006年3月 6日 午前 10時23分
朽木村は、
あわい記憶では、京都を出発点にすると随分遠くで、寒い、山の中という印象があるのです。いま地図で見ると琵琶湖岸から10キロ西で、米原とは湖をはさんで、東西になりますね。
最初、足利がなぜこんな山奥へと、疑問だったのですが、朽木氏との縁、つまり同じ源氏関係だったようです。
歴史は見えないところにも糸がはってあって、なかなかたぐりよせられません。
司馬さん、まめに歩いたわけですな。
投稿: Mu→Jo | 2006年3月 6日 (月) 16時36分