NHK功名が辻(10)姉川の戦
姉川古戦場(滋賀県長浜市東上坂町・野村町)地図
千代は一豊の不埒な振る舞いに怒り実家の不破家にもどる。
ところが、山内一豊には戻るところがなさそうだ。戦にでるしかない。
姉川で落馬し行方不明となり、秀吉は「弔いを出せ」となった。
なかなか良い一夜だった。
千代と一豊のことではない。
緊張感があった。姉川が血川といわれるくらいに激しい戦だったようだ。家康が三河軍を浅井・朝倉の横に押した故に戦況は一変したとのこと。信長軍は、一番、二番、三番の構えを破られ、本陣にまで迫られてしまった。浅井が滅びたのはこのあと三年後だった。
さて。
千代の怒りだが、もっともといえよう。しかし当時どうだったかはわかりにくい。こういう心の微妙な点は、現代風に解釈しないと伝わりにくいのかも知れない。ただ。死ぬかも知れない恐怖と、小りんに迫られたことのバランスとは、千代の稚気と比べて一豊の肩をもつだろう。しかし、相手は間者だった。もしこれが千代や秀吉や信長に知られたなら、このドラマは成り立たなくなる。つまり、それほど重度の失策を一豊はおかした。機密漏洩罪で、死罪となるだろう。
そうだ。
毎週こうしてドラマ感想を書くのだから、私の日常も記しておこう。今夜は、友人と外で飲食をした。二人だった。二人は酒が飲めたので、ひっきりなしに話していた。私は、それを聞いて頭のなかで分析したり、統合したりして遊んでいた。もちろん、こういう酒席に私が絡むと手早くなる。八時に閉まる珈琲店へいくために、二合徳利がまだ重いのに、さっさと追い出して、キリマンジャロを三人で飲みに行った。間に合った。
友人の一人から、小林秀雄自筆サインいりの初版本をもらった。私宛のサインじゃないのだから、意味は激減するが、それでも小林秀雄が生きた証をもらって、実に良い一夜となった。
私はまれに友人知人から、そういった変わった贈り物をいただく。実にそっけなく受け取るが、喜びは深い。
それらを渡した相手よりも、大切に扱ってきた(笑)。
今夜のドラマは、あらかじめ予約録画したS-ATAハードディスクに入ったファイルを再現して鑑賞した。
参考
姉川古戦場
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コメント
姉川の戦い
浅井軍は強い軍団だったようですね?死者双方で約3千程度というと凄まじい戦だったんですね?
徳川軍が朝倉軍と対峙、信長軍と浅井軍という構図だったんでしょうか?
しかし、このあたりでは、壬申の乱、関が原と日本分け目の戦が行われる場所ですね。
千代と一豊の話は面白くないです。
投稿: jo | 2006年3月13日 (月) 10時28分
jo | 2006年3月13日 午前 10時28分
数十年前の高校日本史では「浅井・朝倉」とセットで覚えておりましたが、それぞれ特徴があるんでしょうね。
姉川の合戦は随分有名だから、例の武田騎馬隊を破ったのとか、桶狭間とか、……。これも司馬さんの影響なんでしょうか、もの忘れのひどい私でも、つぎつぎと口にでてきます。
しかし昨夜のドラマで緊張したのは、白兵戦というか、人と人とが尖ったものを振り回して正面衝突するという、ああいう戦は、ふるえてきます。昔の人はああまでしないと、いわゆる外交が、……。いやそうでもない。信長がたくさん子供を作るのは、人質をつくるため、というネネのセリフには、わかってはいても、ああいわれると戦慄しました。
人質、婚姻、外交。あることはあったんですね。
今の国内は内乱の兆しもなく、ほっとしております。
なお、千代と一豊の痴話喧嘩は、以前もうしましたが、ホームドラマじゃないのだからね。私は、千代の知略、胆力、洞察力の発揮をみてみたい。そしてそれを、おっとり承知する一豊みたいな戦国武将の姿をみてみたいです。
投稿: Mu→Jo | 2006年3月13日 (月) 18時14分