乙訓寺:おとくにでら
承前[MuBlog:長岡宮跡(向日市)]
乙訓寺(京都府長岡京市今里三丁目)地図
向日市の長岡宮跡を見学したあと、隣町の長岡京市に入り乙訓寺を探した。
乙訓寺表門
乙訓寺案内板
乙訓寺・本堂
乙訓寺境内と弘法大師像
長岡京市全域図
継体天皇弟国宮幻視
参考
京都洛西乙訓寺公式HP [Mu注:「乙訓寺の歴史」頁に、わずかだが継体天皇弟国宮跡と乙訓寺の関係が記してある]
宮都のロマン 長岡京発掘50周年(京都新聞)
京都の観光地・逸話-乙訓エリア [Mu注:今里大塚古墳の逸話に興味を持った。]
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
「長岡京」カテゴリの記事
- 長岡京紀行:2006/03/03(2006.03.23)
- 平城京、長岡京、平安京:三都の南北標高差(2006.03.16)
- 乙訓寺:おとくにでら(2006.03.15)
- 長岡宮跡(向日市)ながおかきゅう(2006.03.12)
- 長岡京市埋蔵文化財センター(2006.03.07)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
言い伝えが守る古墳
今里大塚古墳の伝承と戦時中の青年団長の話は今も、日本には伝承が生きている事を証明していますね。
古代と現代が混在している世界、これが、日本という国の本質ではないでせうか?司馬さんもよくこの事をよく、書いておられました。
不思議な国であると。
しかし、この伝承ひとつを採り上げても、自然を人間の文明という名の破壊から守る”テダテ”だと考えれば、納得できます。
投稿: jo | 2006年3月16日 (木) 11時14分
jo | 2006年3月16日 午前 11時14分
Joさん律儀に、参考にあげた
「京都の観光地・逸話-乙訓エリア」
読まれたようですね。
インターネット情報はときどき露天のダイヤモンドがあります。このサイトの、今里大塚古墳伝承は、ヒットでした。
さて。
祟りの別の系列があるようですね。菅原の道真様式とは別に、龍神の祟りとか、蛇神さんとか、本当にたくさん各地にあって、それがなんらかの「歯止め」をしてきた事実はありますよね。
いまは、歯止め無き世界だからね。
JoBlogやふうてんblogは、数少ない歯止めかもしれませんでぇ。
投稿: Mu→Jo | 2006年3月16日 (木) 13時26分