絵葉書:冬の兼六園(金沢)
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兼六園(金沢市)詳細地図
一昨日、メルで写真が送付されてきた。
見知らぬアドレスなので少し躊躇した。この時期「もしかしたら?」と思ったが、タイトルには「残りわずか」とあるだけだった。しかし添付が6通もあったので、「いまどき、こんなことするのは~」、「いや、いつもの携帯アドレスじゃない」と迷いながら開封した。そうだった。まったく動静が掴めないまま忘れていたが、前触れもなく突然突拍子もなく、またDeepGが写真をくれた。
いろんな点から見て今度はカメラが携帯電話ではないのが分かった。
いつものように、地名だけが記してあった。兼六園3枚と、他が3枚あった。しかも「冬の兼六園」だった。MuBlogの過去記事を見てみると、金沢は昨秋に写真をもらっている。それから数ヶ月、またしても「冬」の金沢に出かけたようだ。出身地でないことは最初のメル写真送付の経緯からわかっているので、何故なのか想像もつかなかった。
ただ、写真を見ていると、分かった気がした。
冬の兼六園。つまり、DeepGにとっては、季節によって感覚が異なるのだろう。秋の金沢と冬の金沢はDeepGにとっては異種のものなのだ。と、合点したら写真が映えて見えた。
兼六園の雪つり
祖母が金沢の雪つりの話を何度も聞かせてくれた。だから、こういう風物詩はすくなくとも戦前にはあったのだろう。祖母の昔話はいつも戦前戦中戦後すぐの、異世界話ばかりだったから。
しかし脳というのは不思議な物で、何度も訪れた春夏秋の兼六園なのに、「兼六園」と言えばイメージは「雪つり」になっていた。しかも冬の兼六園の実体験はゼロ。
DeepGの写真を眺めて、これはもしかしたらいつのまにか「冬の兼六園はなぁ」と人に語るほどの疑似体験になってしまうのではなかろうかと、おそれだした。妙にDeepGの写真とは親和性が高く、まるで自分が写したような気分になる。そして、興にのってこういうMuBlog記事を書き出したものだから、そうなってもしかたなかろう。一人で二人分旅行しているような気分である。
それにしても、一本の松に数百本の縄をかけるというのだから、豪勢なものだ。もし江戸時代からのものならば、前田家の気風が知れる。
兼六園展望台から見た白山(?)
まあよかろう、白山にしておく。トンでもなくても、撮影がトンデモ金太郎なんだから、しかたあるまい。人生も、そういう曖昧模糊とした、アバウトな情報で、イライラしないことも肝要。なんでもかんでも、解明されればすむ話でもない。
(と、たかが風景写真一枚で、最後は人生論風に納めるのが、このblogの悪弊やな)
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