おおまんどころおたびしょ:八坂神社の大政所御旅所
京都では、歩くといろいろなものが目に入ってきます。ビルとビルの間に挟まれた小さな社が烏丸四条を下がった(南行のことを下がると都では申します)ところにありました。由緒を見てみると、なかなかに有為転変あって、難しいです。要するに、この地は跡地で、今の八坂神社の御旅所は別にあります。
八坂神社の大政所御旅所
なお御旅所とは、一般には神さんが神社から外へ出かけられ時の休憩所、宿泊所です。神さんは神輿に乗って出かけます。八坂神社の現在の御旅所は、私がいつも寄る尾張屋さんのすぐ近所です(笑)。
大政所御旅所駒札
参考
洛中洛外図屏風(歴博甲本)【神社】
紙本着色祇園社大政所絵図
二上山の悪王子 [注:なぜ大政所御旅所と二上山の悪王子に関係があるのか? と、不思議な記事でした]
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コメント
京都の街道
この記事を拝見していてテレビをつけますと、京都には7つの街道が流れ込んでいて、その京都の入り口を(~口)と呼ぶ、と解説してくれています。
鯖街道、小浜を出て、熊川宿を経て、大原通って、若狭から18里・・・・。
大原口なのですね。
学生時代、荒神橋にあった(シャンクレール)というジャズ喫茶店に通いました。
荒神口、という意味を知りもせず疑いもせず通っていました。
都というのは不思議で面白いものですねえ。
あらゆる文物が流れ込む。
流れ込まそうとする。
東西南北、あらゆる方角から。
どうぞ彦さんの(私の京都)続けておくれやす。
投稿: ふうてん | 2006年2月24日 (金) 10時57分
富山のニ上山
悪王子の記事を読みましたが、最初は奈良の二上山の積もりが、どうも訳が判らんので、困惑してました。
”ふたかみやま”は、ふたつあるんやね?(笑)
記事の内容は新鮮でしたね。大政所なんて鎌倉幕府あたりからの話かと思うてました。
それから、ネネさんやね。晩年すごされた場所もお近くやから、何かネネさんと関係するように思いました。
八坂さんはやはり出雲のお方なんやね?
投稿: jo | 2006年2月24日 (金) 16時00分
ふうてん | 2006年2月24日 午前 10時57分
都には変なところがいろいろあるようです。魔都・京都とかの特集本とかTVもありました。
あんまり出歩かないので、ぶちあたることはすくないのですが、この写真撮るときは、想像ですが神田付近の、平将門の塚というか、イメージしてました。映画の影響です(帝都物語)
この大政所御旅所もこうして、ビルの狭間にこっそり残っていて、毎年7月になると生き返る雰囲気って、おもしろいですね。
投稿: Mu→ふうてん | 2006年2月24日 (金) 17時54分
jo | 2006年2月24日 午後 04時00分
いまやっと午後一杯の会議おわって、ほっと。
さてね、出雲、もろ出雲ですよね、八坂さん。毎年7月半ばに岩見神楽があるんですよ。
「八坂さんはやはり出雲のお方なんやね?」
やはりどころじゃないんですよ、もろ、まさしく、いやまったく、出雲の素戔嗚尊とクシナダ媛さん世界なんです。だから祇園祭のことも別の視点で考えないとねぇ。海部ですよ、そう、海、密輸、海賊(笑)、……
で、出雲神さんと、蜘蛛→ツチグモ、が縁あって御旅所ができたんですから、京都も、底流には深古代の血脈が流れておるようですねぇ。
それに、夢みたんは、秦さんですよ、太秦縁者やなかろうか、……葛野郡は広いね。
投稿: Mu→JO | 2006年2月24日 (金) 18時04分