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2006年2月 9日 (木)

「壬申の乱」の関係地図

 昨夜NHK総合TVで「壬申の乱」が放映された。松平さんの司会と、講師は遠山さんという学習院大学の先生だった。遠山先生の著書は以前『天皇誕生:日本書記が描いた王朝交替』(中公新書1568)を読んでいる。これまで感想文として記録しなかったのは、Muの感性とは異なるところが多かったからである。学問に感性とか好き嫌いはないでしょうと、おっしゃるかたもおるやもしれないが、それは違うと思う。どんなに正確な事実検証があったとしても、そのことへの視点がどうであるかで、その学問全体への、私の評価も変わる。

 たとえば明治時代は、薩長政府が欧州、フランスやプロイセンの物まねに走り、憲法をつくったが、それは欧州列国にむけての蟷螂の斧、当時の日本の低い民度から考えると、矛盾だらけの馬鹿げた格好付けに過ぎない。という学問の成果があったとしよう。そういう事実もあるだろう。だが、Muはそれをして、「ああ、苦しい中で、髪振り乱してがんばって、植民地化されないように、威儀格好付けをしたんだな。よう、頑張った」と、考える。

 遠山さんの著書には、日本書紀などの製作は、中国人が中心だったと別の研究者の成果を援用している。これなんかは、明治維新政府がたくさんの「お雇い外国人教師」に高い給料をはらって、帝國大学を維持したことに似ている。七世紀、往時の日本は沢山のインテリ帰化中国人を厚遇して、日本書紀を作ったのだろう。天武朝廷以降、国威発揚のためにか。その心が奈辺にあったのか。Muなんかは別の考えを持って生きてきた。

 その筆法を、昨夜の「壬申の乱」の全体構想にまでは推し進めない。こうやって、記録を掲載している今のMuは、「松平さん、スタッフさん、苦しい予算や時間のなかで、その時歴史が動いたを製作されているのですね。遠山先生も、諸説ある中で大変だったでしょう」と評価しているからである。ただし、戦闘場面なんかに、以前の「聖徳太子」が随分まぎれこんでいるのには、失笑した。河内での物部と蘇我の戦闘場面に多い。一部、物部守屋(宝田明?)の馬上姿全体が、ぼかしてあったような気がしたが、使い回しも、やりすぎるとガックリする。ただ、大化改新の一部使い方は、なんとなくぴったりしていた。

 さて、本記事のテーマは、関係地図をまとめておくことだった。昨夜の放送内容で、壬申の乱の動きが大体わかったので、忘れない間に録しておこう。

 近江神宮(滋賀県大津市神宮町)地図 [近江朝廷、大津宮の跡地に昭和15年に作られた。水時計(天智天皇は全国の「時」を管理しようとした、と解説があった)の模型がある]
 参考サイト:近江神宮
 Mu注:大友皇子の息子與多王が住職となった、大友皇子の弔い寺「法伝寺」について探したが、見つからなかった。

 Mu再伸注記:【法伝寺】につき、知らぬ間にGoogle で検索が出来るようになった?
    住所:520-0818 滋賀県大津市西ノ庄9-22
    宗派:真宗 仏光寺派
    情報源:http://www.kokokujitanbo.com/ootu-e-5-2.htm
         http://www.geocities.jp/sisekiguide/28/walk28.htm
    地図:法伝寺

 吉野宮滝(奈良県吉野郡吉野町)地図 [天智天皇の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)後の天武天皇が、吉野に逃れとどまった地]

 不破の関(岐阜県不破郡関ヶ原町)地図 [壬申の乱はこのあたりで開戦した。このあと、滋賀県近江の瀬田唐橋で大海人皇子側の勝利が確定した。不破関が置かれたのは、この壬申の乱の後のことである。また、放映ではこの不破近辺に行宮(あんぐう)を置いて本営とし、大海人皇子は、長子の高市皇子(たけちのみこ)に全軍権を委譲し、この戦いを大友皇子と高市皇子の同水準戦に擬したと、解説があった]
 参考サイト:壬申の乱で生まれた不破の関

 飛鳥浄御原宮:エビノコ郭(正殿→大極殿)(奈良県高市郡明日香村大字岡)地図 [天武天皇が近江から飛鳥に戻った地である。このあたりは何度か走ったのだが、狭いところに民家もあって、事前に調べていかないと遺跡などはわかりにくい。調査中が多いので、標識が目に入らないことも多い。放送内容では、唐の太極殿を擬して、大極殿を作ったらしい。橿原考古学研究所の林部主任研究員が、エビノコ郭は大極殿跡だと話していた。]
 参考サイト:明日香村飛鳥京153次調査
        飛鳥浄御原宮
        飛鳥浄御原宮・正殿[MuBlog:2004年3月にMuもニュースを録しているが、間違った言い方をしていた。正殿に、天武さんが住まいしていたと言う筆致。これは、政務をとるところだから、住んでいたわけではなかろう。しかし、わからぬ。Muなど、木幡研も葛野研も、研究・教育というよりも、住んでいるようなものだから]

 というわけで、冒頭からいささかいつものMuと違って、対象にきつく当たってしまったが、こうしてまとめてみると、随分わかりやすく丁寧な「壬申の乱」だと思った。遠山先生が番組で強調したのは、「天皇」「日本」という呼称が、天武朝でのことである。その時代に日本書記が作られたという事実であり、Muが申したようなことにはふれておられなかった。よかったことである。

全体参考
  NHK その時歴史が動いた 
追伸
 伊勢神宮の北方、斎宮跡に関する所は、また後日別記事を立てたい。これは年始に『アマテラスの誕生/筑紫申真』(講談社学術文庫 1545)を熟読して以来、考え込んできたのだが、「伊勢、地方神」と「伊勢神宮、国家神」との関係が、Muの視点にそぐわず(笑)、書きあぐねている。昨夜の放映でも、斎宮関係を解説している方は、少し気にしておられた、地方神。

再伸
 『古代史新聞』(MuBlog):これは、なかなかに参考になった。   
<追加情報> 
 JoBlogで、当時の国際情勢から見た「壬申の乱」記事が出ました。    

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コメント

昨夜は期待はずれでした!

壬申の乱の背景について、新しい切り口は何も無いという印象ですね。何故、伊勢神宮を大海人皇子は大事にしたか?

白村江の戦いで活躍したという記述は何処にあるんですか?評制度(郡制度)の制定と調整に活躍したというのは本当ですか?

何故、尾張氏を始め東国の連中は強力したのか?近江朝廷軍は何故負けたのか?

白村江大敗のあとの国内情勢と国際情勢についての分析が殆ど有りませんでしたね。

短い時間ですから、何かに焦点をあてて番組は作る必要があるんでしょうが、近年にないガッカリした作品でした。

違いますか?古代史新聞の法が面白いです。(笑)

投稿: jo | 2006年2月 9日 (木) 10時56分

joさん、2006年2月 9日 午前 10時56分

 朝から癇癪おこしたはりますね。怒ったらあかん、血管が破れるから。
 で、Muも昨夜そうでした。すぐに「忘れよ」と思って寝てしまった。どう考えても、あれは二夜に分けて制作する内容ですよね。
 しかし二つの観点で今朝、記録することにしたのです。

1.壬申の乱を、ジンシンノランと読めない若者が多い昨今、45分でまとめた力量は評価しました。日本にも遠い昔、大規模な内乱があった。その様子はどうだった。「日本」とか「天皇」とは、その時代からの新しい呼称。
(と、それにしても、だれも天武とか天智とか、当時漢風に読んではいなかったでしょうね)

2.吉野の小さな神社(きよみはら社?)が今でも古風な伝承を引き継いでいるとか、吉野あたりでは一村一匹も犬がいないとか古老の語り。
 大津には大友皇子(弘文天皇)の子孫がおって、今も法伝寺という寺に、子孫の大友さんがおられる。これは、まるで弘文(大友)天皇87世の孫となのって、皇位継承権をちょっぴりもつのじゃなかろうか、……。
 と、きめの細かい落ち穂拾いもしていて、それがおもしろかった。

 というわけで、本文にも記しましたが、あれこれプラスマイナス足して二でわると、Muは記事をかくべし、と思った次第です。JOさんが記せば直ちにトラックバックするところですが、まあこういうこともあるでしょう。

 先年の正月番組「大化の改新」では、中臣鎌足の描き方の甘ったるさに、怒髪冠をつらぬいて、どうにもこうにも自分のblogで言及することが出来なくなり、JoBlogに駆け込んで愚痴ったこともありました。

 しかし、いまでもディジタルデータで保管していて、当時の衣装や、風習を時々眺めたりしておるのです。

 あれも、「昔、蘇我入鹿がおってなぁ、宮中で暗殺されたんやってぇ」がビジュアルに人の心に入るなら、害もないと思いました。
 古代史の良さは、よほどの偏向がないかぎり、現代史に影響しないという気楽さはあります。Muなんか近頃ずっと、物部、蘇我贔屓ですから、かえって天智さんや藤原家は、ものすごい悪党に思ってみています。これが現代そのものだと、まあ、党利党略に引きずり込まれて、忙しくなるというか、無様な余生をおくることになるでしょうな。

では、また再見

投稿: Mu→Jo | 2006年2月 9日 (木) 12時10分

 大友皇子(弘文天皇)ゆかりの寺、法伝寺の住所などを追加しておきました。

投稿: Mu | 2006年2月10日 (金) 15時47分

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» 壬申の乱 前夜の情勢 [JoBlog]
2006年2月8日 NHKその時歴史は動いた、という番組で”壬申の乱”が取り上げ [続きを読む]

受信: 2006年2月 9日 (木) 16時53分

» 漏刻のある近江神宮 [MuBlog]
近江神宮(滋賀県大津市神宮町)地図 HPアドレス 近江神宮・時計博物館 近江神宮  昨年の夏に近江神宮によってきた。この神社は、なんとなく若い頃から琵琶湖と京都を結ぶ経路にあると認識していたし、一度訪ねたこともあった。気になることは、そのころから二つあって、一つは「時計」だった。その象徴たる漏刻模型は昔は無かったはずな... [続きを読む]

受信: 2007年1月23日 (火) 20時59分

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