キャンパスの古式青春
最近朋輩のJoさんがしきりに過去を整理しだした。私も昨年ころ、何かのおもいにとらわれて数葉の古い写真をひっぱりだして、掲載したことがある。梅翁によれば、男子には過去と未来としかなく、現在はないということだ。それがどこに録されたのか、いま眼鏡をだして梅blogを探したが、記事はみつからなかった。小林秀雄さんの言を、梅翁の気持で書かれていたように覚えている。ともあれ思うに、過去は絶対に取り戻せない。古いビデオや写真の中にいる私は、今のわたしでは二度とない。そういう気持がふつふつと込み上げてきた。
さて、今日は休日なので、朝から町に出向き用事をすませ、昼早くにかえってきた。電車の中でふと上述のように、過去写真の整理を思い出したので、一息ついて木幡研の筐底をさがしてみた。すると、我が身を写すものはなく、勤め先大学の古い学生達の写真がでてきた。ある時代の倶楽部の青年たちだった。これもなにかの縁なれば、録してその「過去」を祝しておくことにした。
大学の正門
この写真には七名写っている。しかしこの年次は、記憶では14名いたはずだ。半数が、近所へ買い物か食事に行った帰りだろうと、写真をみていて想像した。
三人組の青春
縦列行進と指揮官
記憶とは曖昧なものだが、これだけ集まった写真だと、よもや私の勘違いであるはずはない。
この青年達が、もしもある時代の葛野図書倶楽部2001隊員でなかったなら、私は職を辞さねばならない。そこまで混濁した日常なれば、青年達の前に立つことは控えておこうと、今、考えた。
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コメント
いい写真ですねえ
確かにビデオ・カメラの10倍くらいの望遠で撮った写真というのがすぐに分かりますね。
スチルなのにビデオの(一コマ)のように写る、いうのが不思議です。
これらの写真はお嬢ちゃんたちにとってもいい記念になることでしょう。
小林秀雄の(Xへの手紙)の中で、確かこう書かれていたと思います。
(男にとって大事なのは過去と虚栄だ)
と。
30歳も過ぎてからこれの意味が分かってきたように思います。
過去というのは既に評価の定まった本人の(歴史)なのではないでしょうか。
虚栄というのはまだ分からない、思いはあるけれど実現出来るかどうか分からない、自分の夢、自分の将来に対するイメージではないかと思うのです。
もう逃げることの出来ない自分の歴史と見果てぬ夢を背負って男は生きるしかないのだ、と二十歳代の小林秀雄青年は覚悟を決めたのでしょうか。
確かにそこには(今日)というのはないような・・・・。
投稿: ふうてん | 2006年2月19日 (日) 20時55分
ふうてん | 2006年2月19日 午後 08時55分
「Xへの手紙」でしたか。
しかしなお、小林秀雄さんがというよりも、あるコンテクストで、ふうてんさんが語るとき、記憶に残ったのです。
これには背景があって、無論40年も昔のことですが、私が小林さんで一番読みなおしていたのは、図書『Xへの手紙』でした。どうにも、~ねぇ。
どこでその図書を買ったかまで覚えています。たしか新潮社で背が皮じゃなかったのか、京都市右京区嵯峨、天竜寺の近くの天竜堂という書店でした。いまあるかどうかしりませんが。そのとき見知らぬ、数歳上の眼鏡をかけた神経質な男性が語りかけてきたのです。
「小林秀雄は、他になにをお読みですか」
……
当時は、そういう時代だったのでしょうか。
今なら、どうなんでしょう。あり得ないでしょうね。もしだれかが、文芸評論集なんかを手に取っている姿をみたら、下向いて、その場を立ち去ります。なんなんでしょう、この気恥ずかしさ。うしろめたさ。
さて写真。
実は、ものすごく気に入っています。写真としては、最初の、そのいかにも望遠で撮りましたっていう感じの、ゆれのあるのです。9号線を挟んで向こう側と、こっちがわの遠近感が妙に酔ってしまうような独特の望遠効果が気に入りました。
内容的には3枚ともよいですが、3枚目は、「無敵」と名付けます。
二枚目は、すこし剽軽ですね。「戦士の休日」にしておきます。
投稿: Mu→ふうてん | 2006年2月19日 (日) 22時07分