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2006年2月18日 (土)

黒塚古墳・公園の現況写真

承前[MuBlog:黒塚古墳・展示館
承前[MuBlog:椿井大塚山古墳の現況写真

 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵との位置関係
 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、箸墓(倭迹迹日百襲媛命陵:やまと・ととび・ももそひめのみこと・りょう)との位置関係

 二月の晴れた日に、二つの三角縁神獣鏡関係古墳を現地見学した。一つは、この黒塚古墳(奈良県天理市)、一つは椿井大塚山古墳(京都府相楽郡山城町)である。椿井大塚山古墳については、午後遅くの帰路に訪ねたが、ここでは黒塚よりも先に掲載した(承前参照)。私の住まいする宇治木幡から近いのと、調べてみると「謎の第一次現地調査報告書」の存在や、なによりもJR奈良線が横切っている様態、そのふたつが気がかりだったからである。

 午後早くに訪れた黒塚古墳は、膨大なネット記事があってまとまりがつかなかったし、なによりも、私には風景が美しく見えて、写真の選定がなかなか出来なかった。ともあれ、出土された多数の古鏡の意味、その歴史的解釈については他の人にまかせて、ここでは古墳からみた大和の地をゆったりと眺めてみたい。

Ψ史跡・黒塚古墳石碑

史跡 黒塚古墳 石碑
 昨年に公園整備が完了したようで、この二月には、お弁当を持って来たくなるほど、小綺麗になっていた。古墳の東には展示館もあって、別サイトでみると模型もあり全体が理解しやすくなっているようだ。が、私が行った日は閉館日だった。また後日に縁があれば見学できるだろう。この石碑「史跡 黒塚古墳」は、後円部の真東にある。

Ψ黒塚古墳全景と城郭跡

黒塚古墳全景と城郭跡
 現地では大抵案内板を写すことにしている。記事内容は一般的なものなので、厳密さでは後日変更せざるを得ぬこともあるが、全体像が分かる点で重宝してきた。写真では別々の箇所にあったものをまとめておいた。
 上の写真で、全長132mの全体を眺めると、右の後円部と左の前方部のつなぎのところがくびれている。下の写真ではこのくびれのところが、戦国時代に穿(うが)たれて城の壕になっていたようだ。なんのことはない砦(城)の中心は後円部だったのだ。これだと、JR奈良線が横断する椿井大塚山古墳と大差ない仕打ちをうけたのだといえる。これはまだ調べていないが、高槻市の今城塚古墳とか、畏友Joさんの話では三輪の箸墓もそうらしい。戦国下克上の世界は、罰当たりなことが普通の仕様のようだ。

Ψ古墳への通り道

古墳への通り道
 ここでは古墳公園へ、後円部から入るようになっていた。多分、周濠があるので道をつけたのだろう。展示館にはそういう説明があるのかもしれないが、閉まっていたので調べないとわからない。そうそう、古墳の回りに周濠があるのは江戸時代の農地水源の可能性も多いので、原型と思わない方がよいとも耳にしている。
 同下の写真は後円部に登り着いて、今あがってきた所、東方面である。山並みが実に麗しかった。まことに、ああヤマトであった。

Ψ北東部の風景

北東部の風景

Ψ山ごもれる東

山ごもれる東


Ψ南の風景と箸墓

古墳の回りの池

Ψ南西・橿原方面:霞む大和三山

南西・橿原方面

Ψ竪穴式石室上に置かれた石室原寸写真

竪穴式石室上に置かれた石室模型
 三十数面の三角縁神獣鏡が出土した石室については以下の案内写真や案内板に詳しいが、後円部広場の真ん中に柵があって、写真のような細長い模様入り石台があった。もちろん予備知識なしの飛び出し現地調査だったので、一瞬なにか分からなかった。休憩するにしては、柵があって中に入りにくい。
 これは、南北に長い石室の写真だったのだ。展示館には石室立体模型があるようだが、私は石室平面模型写真を見ていることに気がついた。写真位置は石室の北小口である。たしかに、鏡が数枚見えているようだ。
(ところが、思いは遠く中央右に見える箸墓に飛んでしまったのも、酔狂な話だ)

Ψ竪穴式石室の案内写真

竪穴式石室の案内写真

Ψ黒塚古墳の案内板

黒塚古墳の案内板

Ψ黒塚:前方後円墳

黒塚:前方後円墳
 ということで、今回の記事は現地の前後に机上調査らしいこともせず、ただただヤマトの風景を古墳後円部から眺めた記録だ。あとで地図をみると、崇神天皇陵は東南700m、箸墓は南へ2.3キロの位置にあった。黒塚と前者は柳本古墳群とよばれている。天理市と桜井市との境界付近なので、なにかと話題の多い纏向遺跡(まきむく・いせき)とは近所というか、親戚のようなところに黒塚古墳は位置している。
 いつかまた、このあたりを歩いて往時の想像をしてみたい。

参考サイト
  黒塚古墳発掘調査現地説明会、1998年1月[Mu注:鮮明な石室写真が多い]
  三角縁神獣鏡をデジタルアーカイブ化、卑弥呼の鏡、謎解明へ貢献

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コメント

この二つの古墳を同じ日に現地調査されたのには、深い理由があるんと違いますか?

三角縁神獣鏡が両古墳ともの30枚以上出土し、画文帯神獣鏡も棺内にある。

ヤマトはマキムクと同じ程度の勢力が木津川流域に存在したわけですね。しかも初期ヤマト政権時代ですからね。

今も以前の考えと変化は無いですが、椿井大塚山古墳あたりには和邇氏、息長氏、そして交野の物部氏、巨大勢力の香りがします。

ところで、何で?取材ですか?又、物語を書いている臭いがしますけどね?(笑)

投稿: jo | 2006年2月18日 (土) 11時54分

jo | 2006年2月18日 午前 11時54分

黒塚は木棺があったと想定され、椿井大塚山は粘土?棺があったが工事で破壊されたとなっているので、納棺については違いがありますね。
 ただ、出土古鏡は奇妙に似ているので、なんとなく縁がありそうです。二つの想定築造時期がことなるようなので、ちと、どうなんだろう。50年くらいの開きなら本家と分家なんて濃密だろうしね。

 要するに、二つを対比した論文、図書があれば読んでみます。

 風景が、やや似ています。いつかビデオを紹介掲載しますが、よく似た地勢でした。
 JRが近くを通っているところまでね。椿井付近の近鉄が、桜井線のJRかな(笑)。椿井を横断するJRは異質だから、これは黒塚の城郭堀割と一緒です。

「何で?取材ですか?又、物語を書いている臭いがしますけどね」
 あほいわんとき、それしか、ないじゃないですか。ただし、5年先くらいのね。

 同時期取材は大切ですよ。
 違いのコントラストがしっかりします。逆に相似点もね。

投稿: Mu→Jo | 2006年2月18日 (土) 14時35分

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