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2006年2月26日 (日)

NHK功名が辻(08)朝倉攻め

承前

金ヶ崎城跡(福井県敦賀市泉)地図

 そろそろ戦国の気風を味わうようになった。命がけというのが言葉通りの世界だった。戦闘集団とは人命かけて争うのだから、死生観もいまとは随分異なっていたことだろう。番組最初の方で、山内一豊は関ヶ原の戦い時に55歳生涯槍一筋の現役だったと、ナレーションがあった。ちなみに生没年は1546~1605、関ヶ原1600年に戦勝し土佐20万石の大名となった。一豊は数えてみると享年60歳となり、土佐では5年前後すごしたのだろうか。

 一豊のイメージはおっとりした武将だったが、今夜のドラマで、一豊には千代と槍とがあったと、考え直した方がよいのかもしれない。これからまだまだ一豊は、秀吉の殿軍に加わり、その後も槍一本時代が続く。死か大名か。常にこの岐路にたった当時のそれなりの男性は、どんな日々を送っていたのだろう。戦の前の茶の湯セレモニーが流行していくのがわかる気がした。

 金ヶ崎城受け渡しの後、一豊は顔面に矢をうけ、それでも敵武将を倒した。一つの転機だったのだろう。さらにお市の方から「小豆」を受け取った信長は、浅井長政の裏切りを知ることになった。信長が「小豆坂のたとえ」と言ったのは、いま事情がよく分からぬが、小豆坂で袋攻めされたのだろう。信長の父が、岡崎の松平を攻めたとき、松平(家康の父の代)は駿河の今川義元に援軍を頼み、岡崎の小豆坂で織田を袋攻めにしたとあった。

 さてこの義弟長政の裏切りによって、織田信長は越前朝倉と、近江浅井と、両方から挟まれて窮地にたった。このとき脱出を計るに、殿軍を申し出た秀吉の願いを許した。この部分はこれまでいろいろな映画や小説、ドラマで描かれてきた。延々と琵琶湖の西を逃げ下るわけだが、殿軍とは全滅をまぬがれない立場を意味した。

 こういう殿軍を志願した秀吉も、それについた重傷の山内一豊も、渾身の大博打を打ったのだろう。掛け金は命だった。成功報酬は、城持ちだったのだろう。千代の楚々とした明るい姿に幻惑される前に、この背景には脂汗がでる。私なら、逃げるだろう(苦笑:私は大博打に弱い)。

 ともかく、生死の隣り合わせの中で、出世していく山内一豊とそれを支えた賢婦千代。重い話ではあるが、千代や一豊が常に笑顔を魅せているのが、日常の生の充実を味わわせる。なんともすさまじい世界だった。

 金ヶ崎城跡は地図に示したが、この南に気比神宮(けひじんぐう)があって、越前一宮で、明神大社といって社格が高かった。しかも明治期になって神宮を名乗るのだから由緒が深い。仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇が神柱なのだから、どういう神社なのか、地図をみていて気持が宙に飛んでいった。

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コメント

戦いの前の茶の湯セレモニー

 この言い方には思わず笑みがこぼれました。
当方の、今はもういない伊予の茶人兼骨董屋(?)のオジの家に古志野の茶碗があります。
学生時代よくそこの茶室を訪ねて抹茶を飲みました。

 おじちゃんが言うのですね、
武将は戦陣で茶を飲んだ。
お上品な茶碗じゃない。
人殺しをするゴツイ手で飲んでいたんだ。
この茶碗はそういう戦国時代の茶碗だよ、とね。

 そのオジに言わせると日本の茶碗は安土桃山時代までだそうですね。
NHKのドラマは見ていませんが、ちょうど茶の湯が生死に係わっていた時代のドラマのようですね。

投稿: ふうてん | 2006年2月27日 (月) 01時44分

ふうてん | 2006年2月27日 午前 01時44分

 茶をまねく主人の方も、茶道宗匠ですとそれなりに死生観をとらえていて、「明日、安心して死になされ」というような、静かな心の癒しをもたらしたのかもしれません。

 ひとかどの武将になると、明日の出陣から逃げるわけにもならず、かといって大博打打つ前の、気持の不安定さは、こういう儀式様式、あるいは宗教に、身をゆだねないと、どうにもならないこともあったんでしょうな。

投稿: Mu→ふうてん | 2006年2月27日 (月) 04時42分

気比の大神

こちらの方がご興味あるんと違いますか?敦賀と言えば、角鹿、ツヌガアラシトですね。

アメノヒボコ(天の日槍)で新羅の皇子とも任那の皇子とも言われている武勇の人。出雲の系統ですね。大物主さんを助けたんでしょうね。

敦賀は日本海の航路としては重要拠点ですね、金ガ崎城には神話の時代には出雲族の灯台と城が築かれていたんではないでせうか?

遥かな3世紀、4世紀の話と16世紀末の話が重層しましたね。(笑)

投稿: jo | 2006年2月27日 (月) 11時11分

jo | 2006年2月27日 午前 11時11分

 Joさん昼になりましたな。今頃どこで何を食べているのか、関東の企業戦士の動向がきになります。ティーセレモニーでもなすってるんかな。

 さて。たしかに。応神さんかな、このあたりでだれかと入れ替わったとかの話~?

 例によって黒岩重吾さんの歴史ロマン『女龍王 神功皇后』上下が思い出されます。琵琶湖東岸北部あたりがオキナガタラシヒメの出身地でしたな。そして敦賀あたりは、なににつけ、彼女の身辺に色濃くあれこれある土地。この小説では、神功皇后の母方先祖が新羅皇子天日槍(あめのひぼこ)となっておって、また妖しい建内宿祢は、敦賀あたりで倭人になりすました~そんな曖昧な断片的な記憶が蘇りました。
 ともかく、ツヌガアラシト、不思議で満ちあふれた古代史ですね。

 幼児期は行き来した町ですが。
 古代のなにか影がわが深層に焼き付いたような、敦賀、気比神宮でしょうな。

投稿: Mu→JO | 2006年2月27日 (月) 12時17分

息長氏関連

応神大王は確か、気比神社の誰かとすリ変わったという話ですかね?

武内宿祢という人物は謎ですね?いずれにせよ、息長氏が大いに絡む話ですが、歴史の表には登場せずに、やたら、娘に大王を産ませている。

河内王朝と継体王朝の陰の実力者は息長氏でしょうね?要は、日本海ルートの出雲の勢力でしょうね?

この話になると、止まらんダス。(笑)

投稿: jo | 2006年2月27日 (月) 17時14分

jo | 2006年2月27日 午後 05時14分

joはん、話す前からなんですがぁ、どう収拾してよいか分からん話です。
 タイムマシンがあったらそこへ行って「あんたはん、誰?」「これから、何しはるつもり?」と、聞いてみたい。
 現代日本語が通じるかどうかは不明ですがね。

 敦賀あたりが日本海に面して良港だったのでしょうか。国内出雲も越の國も、そして半島からも、わらわらと日本・敦賀に来たわけでしょうね。
 すると、息長さんをポイントにして、琵琶湖ルート→宇治木津奈良・三輪飛鳥ルートは大切だったんでしょうね。そこと、瀬戸内海経由の河内ルート、やはりJOさん一発かましてくれないと、頭がウニになります。

 敦賀。なぞおおきところです。私は、敦賀かどうかは忘れましたが、変な本をもっております。(でてこない)。古い、海部の系図研究図書です。たしか、敦賀~兵庫県の間の古社に伝わったとか、~。整理が悪い、紺屋の白袴、情報図書館学が泣く。

投稿: Mu→JO | 2006年2月27日 (月) 18時48分

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受信: 2006年3月 5日 (日) 22時20分

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