« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006.02.28

絵葉書:冬の合掌造(白川郷)

承前[MuBlog:冬の兼六園

白川郷(岐阜県大野郡白川村大字萩町)地図

 DeepGがこの三葉を送ってくれたのは、数日前に掲載した「冬の兼六園」と同じ便だった。日付を見ると、この白川郷が一日早いので、岐阜から白川に入り、そして金沢に抜けた旅程かもしれない。汽車だったのか自動車だったのかバスだったのか、全く分からない。

 掲載するのが遅れたのは、いま考えてみると二つの要因があった。

 一つは、DeepG独特のことなのだが、はたしてこれが白川郷の合掌造り風景なのかどうか、確証を持てなかったからである。もしかしたら飛騨高山か下呂温泉かもしれない。先年「ヤセの断崖」と10キロ離れた「巖門」との写真取り違えで手ひどい思いをした。そっけない一行メルには「白川郷」と記してあったが、裏を取らないと、またしてもDeepGも私もそろってトンデモ世界に落ち込んでしまう。だから、真剣に掲載を悩んだ。

 もう一つは、この三葉が実に印象的な写真に思えたからである。夢幻。そういう味わいだった。雪と空と陽と、そして鄙びた田舎屋。たったそれだけのことに過ぎないのだが、非常に気に入ってしまった。となると、自分の大事なRSをなかなか全面公開しなかった心境と同じかもしれない。

 私はどうにも、こういう人為人工と自然とが、適度に配分された写真が好きなのだ。そして雪。北陸福井市に生まれたわりには、雪への憧れはいまだに強い。そこに住めば地獄と、山寺の和尚さんに言われたにもかかわらず、傘と長靴を手放せない寒く陰鬱な雪国生まれなのに、雪を見ると気持が昂ぶり、やがて和やかになる。

 そしてまた合掌造りの飛騨という言葉へのどうしようもないときめき。この地にない、この手にない、遠くに憧れるだけで足元のおぼつかない世界共通ロマン派の宿痾なのだろう。憧憬はつきない。

 というわけで、今宵は写真への解説はとどめおき、じっくり眺めてねむることにしょう。

逆光雪

逆光雪 白川郷合掌造

 
ほの温かい合掌造と梯子
ほの温かい合掌造と梯子
 

雪中合掌造

雪中合掌造
 

参考
 世界遺産合掌づくり集落
 白川郷合掌造り集落と平瀬温泉

 飛騨民俗村・飛騨の里[Mu注:今回の写真の白川郷とは離れていますから関係がないとも申せましょう。しかし私が初めて合掌造りを見たのは高山市でした。その時飛騨の里があったかどうかは知りませんが、3度は高山に行っております。学生時代の友人M君の故郷だったのです。が、中退した彼の消息は不明です。懐かしい青年期でありました。]

 白川郷 野外博物館 合掌造り 民家園

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006.02.27

二月のグラ赤金:金魚水槽の掃除

承前

二月のグラ赤金
 われながら恥ずかしくなる写真を掲載してしまった。このぼけさかげん、色調のきたなさ、これでは金魚くんが可哀相になる。しかしあえて掲載したのは、私なりの存念があって、人様にみていただく意図は実に低い、無いと言って良い。ただ、記録とあと少し。

 金魚を撮る難しさは最近ますますつのってきた。皆さん、どうやって小綺麗に変わった生態を撮っているのだろう。こうやってわが写真をみていると、NHKの自然物が如何に高度な技術や、資金、時間をかけているかがよく実感できる。
 フラッシュを使うと色調はよくなる。しかし金魚が怖がる(笑)、失明せぬかと恐れる。決まって水槽に光が散乱する。フラッシュの前にガーゼでも付けて撮るのだろうか。

 この写真は家中の電気を点けて、けさの夜明け前に、3m離れたところからSONYのディジタルビデオのスチルで、望遠気味にして撮った。古いマシンなので、スチル写真でも100M画素しかない。しかし普段は小綺麗に写る。しかるにこのていたらく。カメラの道も奥が深いね(笑)
 昼間ならもうちょっとましだろうが、昼間は葛野で仕事する、いそがしーい身ゆえに、じままな趣味はこうして夜明け前でないとかなわぬ。宮仕え。

 以前、葛野図書倶楽部というところで、隊員数名を前にして、「屯所で金魚を飼ってはどうや」「君らの荒っぽい気性もちっとはやわらかくなる」と、もうしたところ、猛反対を受けた。「だれが、世話するんですかぁ~」「センセが毎日餌やってくれるんですか」「毎週水槽掃除当番だなんて、やってられませ~ん」と、予想外の猛反対を、全員から一挙に受けた。おっとりではなくて、一挙にである。

 ならば、昼間綺麗に写すには、わが葛野研で飼おうかとも思ったが、はて。日曜祝日はだれが餌やって面倒をみる。まさかそれようのアルバイトを雇うわけにもまいらぬ。……

 ということで、つたない写真だったが、グラ赤金はあいかわらず元気。グリ銀金は、影に隠れて朝寝中のようだ。今度撮るときは、美しく映え映えととってみせよう。
 さらにもう一つの効用は、こういう拙い写真を記録すると、他の写真がさえ渡って見える、か。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.02.26

NHK功名が辻(08)朝倉攻め

承前

金ヶ崎城跡(福井県敦賀市泉)地図

 そろそろ戦国の気風を味わうようになった。命がけというのが言葉通りの世界だった。戦闘集団とは人命かけて争うのだから、死生観もいまとは随分異なっていたことだろう。番組最初の方で、山内一豊は関ヶ原の戦い時に55歳生涯槍一筋の現役だったと、ナレーションがあった。ちなみに生没年は1546~1605、関ヶ原1600年に戦勝し土佐20万石の大名となった。一豊は数えてみると享年60歳となり、土佐では5年前後すごしたのだろうか。

 一豊のイメージはおっとりした武将だったが、今夜のドラマで、一豊には千代と槍とがあったと、考え直した方がよいのかもしれない。これからまだまだ一豊は、秀吉の殿軍に加わり、その後も槍一本時代が続く。死か大名か。常にこの岐路にたった当時のそれなりの男性は、どんな日々を送っていたのだろう。戦の前の茶の湯セレモニーが流行していくのがわかる気がした。

 金ヶ崎城受け渡しの後、一豊は顔面に矢をうけ、それでも敵武将を倒した。一つの転機だったのだろう。さらにお市の方から「小豆」を受け取った信長は、浅井長政の裏切りを知ることになった。信長が「小豆坂のたとえ」と言ったのは、いま事情がよく分からぬが、小豆坂で袋攻めされたのだろう。信長の父が、岡崎の松平を攻めたとき、松平(家康の父の代)は駿河の今川義元に援軍を頼み、岡崎の小豆坂で織田を袋攻めにしたとあった。

 さてこの義弟長政の裏切りによって、織田信長は越前朝倉と、近江浅井と、両方から挟まれて窮地にたった。このとき脱出を計るに、殿軍を申し出た秀吉の願いを許した。この部分はこれまでいろいろな映画や小説、ドラマで描かれてきた。延々と琵琶湖の西を逃げ下るわけだが、殿軍とは全滅をまぬがれない立場を意味した。

 こういう殿軍を志願した秀吉も、それについた重傷の山内一豊も、渾身の大博打を打ったのだろう。掛け金は命だった。成功報酬は、城持ちだったのだろう。千代の楚々とした明るい姿に幻惑される前に、この背景には脂汗がでる。私なら、逃げるだろう(苦笑:私は大博打に弱い)。

 ともかく、生死の隣り合わせの中で、出世していく山内一豊とそれを支えた賢婦千代。重い話ではあるが、千代や一豊が常に笑顔を魅せているのが、日常の生の充実を味わわせる。なんともすさまじい世界だった。

 金ヶ崎城跡は地図に示したが、この南に気比神宮(けひじんぐう)があって、越前一宮で、明神大社といって社格が高かった。しかも明治期になって神宮を名乗るのだから由緒が深い。仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇が神柱なのだから、どういう神社なのか、地図をみていて気持が宙に飛んでいった。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

注文の多い料理店 (アニメ)/宮澤賢治 原作、岡本忠成 脚本・演出

注文の多い料理店/宮沢賢治原作 ; 川本喜八郎監修 ; 岡本忠成脚本・演出
  <チュウモン ノ オオイ リョウリテン>
  [ビデオ]
  (BA53404996)

注文の多い料理店(表紙)

注文の多い料理店 (アニメ・表紙)/宮澤賢治 原作、岡本忠成 脚本・演出
  [東京] : 朝日新聞社,日本ヘラルド映画
  [東京] : ポニー・キャニオン (販売)、 [1993]
  ビデオカセット1巻 (19分)
  注記: 音楽: 広瀬量平 ; 制作: エコー社、桜映画社
  著者標目: 宮沢、賢治(1896-1933)<ミヤザワ、ケンジ> ; 川本、喜八郎(1925-)<カワモト、キハチロウ> ; 岡本、忠成<オカモト,タダナリ> ; 広瀬、量平(1930-)<ヒロセ、リョウヘイ> ; エコー社<エコーシャ> ; 桜映画社<サクラ エイガシャ>

裏表紙

注文の多い料理店 (アニメ・裏紙)/宮澤賢治 原作、岡本忠成 脚本・演出

帯情報

宮澤賢治作品で特に不思議な物語、それが「注文の多い料理店」です。

猟に出て山奥で道に迷った二人のハンターは、霧の中「山猫軒」という館にたどり着きます。ホッとするのも束の間、二人は怪しげな注文に導かれ扉を開けるごとに奇妙な世界に迷い込んでいきます。

「おこんじょうるり」などで知られるアニメーション作家、岡本忠成は、この作品に魅せられ5年の歳月をかけて製作を試みたのですが急逝。故人の意志を継いで、川本喜八郎が監修にあたり残された絵コンテをもとに完成させました。
全編を通して、絵画を思わせる陰影のある緻密なアニメーションは原作の持つ幻想的な世界を最大限に表現しています。

  文化庁優秀映画作品賞
  毎日映画コンクール大藤信郎賞
  キネマ旬報ベストテン第3位
  日本映画ペンクラブ賞
  教育映画祭最優秀作品賞
    文部大臣賞
  国際アニメーションフェスティバル広島大会入賞

Mu注:
 未経験の映像だった。次々と滑らかに、印象深い絵を差し出されているような感じで、あっというまに19分が経ってしまった。いま記していて気がついた、映画「千年火」と同じように言葉がなかった。音楽はあった、獣のうなり声はあった、銃声もあった、しかし人の声が全く絶無だった。登場人間は正確にはたった二人の中年の男性だった。カバー写真でわかるように、一人は太り気味、一人はやせ形だった。全編に登場するが、まったく言葉はなかった。一瞬一瞬の画像だけがあった。その絵が、滲んだ古色で、現代の鮮やかさは全くなかった。

 それなのに、物語だけが絵の中からくっきりと浮かびあがってきた。

 アニメーションがこういう効果をだせるという事実に、途中から唖然としてきた。私は、もっぱら文章メディアに入れ込んできたので、絵画が明確な物語を表現する事実に驚いてしまった。アニメーションの一つの極北にある作品だった、と断言したい。その芸術性とか、意義を論じる気持はない。ただ、絵画の連続が私に、文章作品がもたらすのと同じ明瞭さを示し、賢治の象徴の意味はおくとして、言葉の流れが持つ意味を受け取ることができた。
 1993年の作品だが、10年前にこれがあって、知らなかったことに自らの見識の低さを味わい、そして知ったことで「ああ、うれしや」と、土曜日の昼一人噛みしめた。

 さて、好きな場面をいくつかメモしておく。
1.山猫軒に入って、無人の部屋で、痩せた方の男がゲーム機にコインを次々といれて、射撃をするのが不気味だった。自分達の猟犬を何者かに惨殺され、道に迷い、殺気立っている様子が怖かった。

2.裏カバー上の写真にあるが、色彩に富んだステンドグラスの部屋に迷い込み、回りが鏡部屋のような中で、痩せた男が突然銃を撃ち出し、ステンドグラスを次々と破壊していく様子が狂気じみていて、固唾をのんだ。さらにそのあと、蝶とも蛾ともいえない大量の昆虫が部屋を埋め尽くす場面には、気持ち悪さの点で感動した。

3.太った方の男が一人地下の階段をおりていくと、水があってボートが浮かんでいた。それに乗ろうとすると、突然水が盛り上がり、ボートが流れ去ったのが、不思議な印象をもたらした。

4.ホテルのような一室で上半身裸になった痩せた男が、鏡台のいろいろな化粧品を使っているのがおもしろく、また太った男がサウナかシャワールームから出てきた姿にも、妙なリアリティを味わった。

5.思わずため息をついたのは、あるドアをあけると、そこは巨大な地下空洞(表カバー)だった。真ん中にコックが座っていて、男二人がテーブルに導かれワイングラスをもつ場面だった。

6.次に、三人の女が現れ、次第に形相が変わっていく恐怖。

7.そして。コックがついに正体を現し、巨大な肉切包丁を眼前で交差させた場面。

 こうして文字にしてみるとかったるくなってしまうが、絵画であると同時に、当然だがアニメーションなのである。なめらかに場面が展開していき、最後の土壇場の恐怖に落とし込まれる。それは全編わずかに19分間、言葉がゼロの世界で。

 宮澤賢治作品については言及をさけたい。この「注文の多い料理人」はいまから40~50年ほど前に読んだ記憶があるが、痕跡もなかった。決して私の好みの作家、詩人ではない。象徴するところのものを、無理矢理私にせまってくるのが、辛かった。
 しかし、アニメーションでこの作品を観たとき、「絵画」という味わいが深かった。しかも、象徴まではしらないが、物語を理解させてくれた。19分間を味わっただけで、物語の意味などどうでもよいと思った。旨く味わえた。だから、このビデオは私にとって最高の作品に思えた。
 それでよかろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.02.25

絵葉書:冬の兼六園(金沢)

承前[MuBlog:絵葉書:金沢城と兼六園
承前[MuBlog:紅葉と四季桜

兼六園(金沢市)詳細地図

 一昨日、メルで写真が送付されてきた。
 見知らぬアドレスなので少し躊躇した。この時期「もしかしたら?」と思ったが、タイトルには「残りわずか」とあるだけだった。しかし添付が6通もあったので、「いまどき、こんなことするのは~」、「いや、いつもの携帯アドレスじゃない」と迷いながら開封した。そうだった。まったく動静が掴めないまま忘れていたが、前触れもなく突然突拍子もなく、またDeepGが写真をくれた。
 いろんな点から見て今度はカメラが携帯電話ではないのが分かった。

 いつものように、地名だけが記してあった。兼六園3枚と、他が3枚あった。しかも「冬の兼六園」だった。MuBlogの過去記事を見てみると、金沢は昨秋に写真をもらっている。それから数ヶ月、またしても「冬」の金沢に出かけたようだ。出身地でないことは最初のメル写真送付の経緯からわかっているので、何故なのか想像もつかなかった。
 ただ、写真を見ていると、分かった気がした。
 冬の兼六園。つまり、DeepGにとっては、季節によって感覚が異なるのだろう。秋の金沢と冬の金沢はDeepGにとっては異種のものなのだ。と、合点したら写真が映えて見えた。

兼六園の雪つり

兼六園の雪つり
 私はこの雪つりを幼少時から知識としては知っていたし、写真やTVでもみたことがあるが、実際には未体験風景だ。
 祖母が金沢の雪つりの話を何度も聞かせてくれた。だから、こういう風物詩はすくなくとも戦前にはあったのだろう。祖母の昔話はいつも戦前戦中戦後すぐの、異世界話ばかりだったから。
 しかし脳というのは不思議な物で、何度も訪れた春夏秋の兼六園なのに、「兼六園」と言えばイメージは「雪つり」になっていた。しかも冬の兼六園の実体験はゼロ。

 DeepGの写真を眺めて、これはもしかしたらいつのまにか「冬の兼六園はなぁ」と人に語るほどの疑似体験になってしまうのではなかろうかと、おそれだした。妙にDeepGの写真とは親和性が高く、まるで自分が写したような気分になる。そして、興にのってこういうMuBlog記事を書き出したものだから、そうなってもしかたなかろう。一人で二人分旅行しているような気分である。
 それにしても、一本の松に数百本の縄をかけるというのだから、豪勢なものだ。もし江戸時代からのものならば、前田家の気風が知れる。

虹橋とコトジトウロウ

兼六園の虹橋とコトジトウロウ

兼六園展望台から見た白山(?)

兼六園展望台から見た白山(?)
 この写真をみて、そして送られてきたメルにあった「兼六園から白山、かな」というタイトルだけでは、なんとも判別しがたい。地図で確認すると白山は45kmの南南東に3千メートル近くの山並みとしてある。この写真がはたして45kmの遠望なのかどうか、どうにも山に不慣れなのでわからない。
 まあよかろう、白山にしておく。トンでもなくても、撮影がトンデモ金太郎なんだから、しかたあるまい。人生も、そういう曖昧模糊とした、アバウトな情報で、イライラしないことも肝要。なんでもかんでも、解明されればすむ話でもない。
 (と、たかが風景写真一枚で、最後は人生論風に納めるのが、このblogの悪弊やな)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.02.24

おおまんどころおたびしょ:八坂神社の大政所御旅所

大政所御旅所(京都市下京区大政所町)地図 極詳細地図

 京都では、歩くといろいろなものが目に入ってきます。ビルとビルの間に挟まれた小さな社が烏丸四条を下がった(南行のことを下がると都では申します)ところにありました。由緒を見てみると、なかなかに有為転変あって、難しいです。要するに、この地は跡地で、今の八坂神社の御旅所は別にあります。

八坂神社の大政所御旅所

八坂神社の大政所御旅所
 この御旅所には、七月十五日に長刀鉾の長刀が納められ、宵山の十六日は一般の人々が拝めます。大政所とは、日本史の上では摂政関白の母親をさすのですが、私はこれ以上の由来がわからぬまま今に至っています。「祇園会の神輿三基のうち、素戔嗚尊(牛頭天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田姫の一基を少将井と呼んだ。」と、駒札にありましたが、さて何故オオマンドコロ。
 なお御旅所とは、一般には神さんが神社から外へ出かけられ時の休憩所、宿泊所です。神さんは神輿に乗って出かけます。八坂神社の現在の御旅所は、私がいつも寄る尾張屋さんのすぐ近所です(笑)。

大政所御旅所駒札

大政所御旅所駒札
 詳細は翻刻してあります。

参考
 洛中洛外図屏風(歴博甲本)【神社】
 紙本着色祇園社大政所絵図
 二上山の悪王子 [注:なぜ大政所御旅所と二上山の悪王子に関係があるのか? と、不思議な記事でした]

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006.02.23

おだやかな2月

 今年の二月は例年にくらべて少し穏やかだ。
 あまり出歩かないのと、試験採点のしわ寄せが二月にかぶらなかったせいだろう。前者はべつにして、後者については毎年一月は採点地獄がかさなって、他に重要な案件がすべて二月にまわってしまう。それで大抵この月は目や肩をこわして、鬱々と忙しい2月、3月になってしまう。

 一定部分の授業の課題締切をずらしたり、年末のうちに年明けの仕事をこなしたりすることで、こうしたうららかな研究時間を確保できることがわかった。2002年末~2003年もそうしたのだが、このときは、年末に一週間海外へ共同研究のお供で出むき、2003年2月には「森博嗣講演会」を催した。事前に千数百名の来客がわかり、当日会場が人で満ちあふれ、そんなイベントがあったので、今年のようなうららかさとはほど遠かった。

 相変わらずひきもきらない会議はあるのだが、一応文系の大学のせいか、早朝からの重要会議はめったにない。だから、私のように朝の五時ころから十時ころまでのあいだに、大切な仕事をすませてしまう者には、まずまず校務もコンスタントな呼吸と心得る時期でもある。と、余裕をもらしているのは、日頃できない研究を数時間でも毎日できる状態にいるからであって、これが授業時期だと、内心「なんで、こんなに忙しい!」と、怒鳴り散らしている(笑)。

 一方学生達はどうかというと、司書関係の倶楽部員しか動向はわからないが、三月卒業の人達は、すでに就職先へ行っている人が多い。時間が空いたときは、ぼんやりしたり、卒業旅行を楽しんでいるようだ。私は当時、友達あわせて三人でボロ車にのって九州まで出かけていた。これは懐かしくて思い出すと涙こぼるる思いがするが、二度ととりもどせない時期のことだから、タイムマシンがないかぎり、深く想起するのは諦めよう。
 ~、いま鳥取、出雲大社、萩、関門トンネルや太宰府や、長崎や阿蘇や別府を、トヨタ・パブリカ1000ccに布団を載せて走ったイメージが強烈にわき上がったが、これは後日。そう言えば宿に泊まったのは一回、あとは全部野宿~、止めておこう、この話(笑)、長くなる。

 今度倶楽部中枢になる新四年生はほぼ全員、躁というか鬱というか、就職活動に走り回ったり、あるいは就活サイトを眼前にして終日ぼんやりしているらしい。かくいう私は、その人達に「はれものをさわるような」態度で接しもするが、ときどきかんしゃくを起こしてしまう。なにに怒っているのかは、詳細は省くが、要するに「人間の一生は流転、有為転変あり、自分の思うようにはいかない。人事をつくしたなら、待つ。そして、人事はここ数ヶ月つくしただけでは、なんもならん。人事を尽くすとは、日々の事なり」という趣旨を、伝えようとして、ずっこけて、伝えきれない苛立ちに、かんしゃくを起こしているわけである。「いまさら、うろたえるな」が胸中にある。しかしそれは言えない(もう、言っている(笑))

 新三年生の人達は、なんとなく帰省したり、アルバイトに精を出したり、普通の学生生活のようだ。

 というわけで、日々の私は穏やかに木幡と葛野の往還を繰り返している。とはいうものの自由気ままに研究時間を使えるのではなくて、断片的に会議がはいり、約束事がはいり、そうして宿題がはいる。宿題の多くは、委員長として、委員として半ダースほどの会議のために、あれこれ「答」らしいものをあみ出すというか、ひねり出すわけである。課題の統一目標は、「大学を活性化し、沢山の若者に充実してもらいたい」につきる。これは、実は解答不能に近いことなのだが(笑)、まあ仕方なかろう。人生とはそういうものだ。

 さても、分厚い関係図書を一ダースほど精読しなければならない。私の研究は情報学のような文学批評のような歴史のような、かつ工学のような、えもいえない複合体なので、扱いに苦慮する。たとえば文系の面からいうと、図書を辞書的に情報断片として読んでばかりもいられない。一冊の専門図書を読み切るには、よむだけで数週間かかる。一方、プログラミングシステムが動くようになるには、一時間だったり数週間だったり、翌年だったりと、なんとも天佑を待つ日々。別に付帯する作業そのものは延々と細かな手作業を何ヶ月もやって、やっとひとまとまりの仕事が完了する。
 一こま90分の授業を終えたら、責務完了という世界とは異なる面がありすぎる。熱中すると寝ても覚めてもとなる。熱中期間が一定時間ないままに発表すると、あとで自分自身の、強烈な自己嫌悪に襲われる。……

 だんだん愚痴ぽくなってきたので今日はこれまで。
 さて。

追伸
 別研究として、PowerMacG5でギンギンにビデオ編集する大仕事がなかなか進まない。苛立つなぁ。うまいもんでもたべて昼寝しましょう。
 最近通勤時、NHKのTV音声だけを聞いていた。山田風太郎さんの作品と人生と死生観がテーマだった。「人生には目的も意義もない」それを悟った人が山田さんらしい。じゃ、なぜ、……。そのあとのことは、山田風太郎さんの忍者物、九の一作品を全部読めばわかるじゃろう。解説の人は、バルザックと同じく山田風太郎さんは世界文学だとおっしゃった。たしかに、風太郎さんの「明治物」にはその趣があった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.02.22

てらまちどおり:私の京都・寺町通{四条→三条}

承前[MuBlog:紀伊國屋とドトール

寺町通(寺町・蛸薬師)地図
 地図では南北の通りとして、東←から数えて、河原町、新京極、寺町通、御幸町通がある。東西の通りとして、北↓から数えて、三条、六角、蛸薬師、錦小路、四条通がある。   

寺町通{四条→三条}

寺町アーケード
 このあたりの通りをイメージしてみた。すると、河原町は繁華街の中心で「表」。新京極は若者と修学旅行生(裏)。寺町通は、ちょっと落ち着いた大人の雰囲気(奥)。御幸町通りは地図上部の三条あたりが現代若者のおしゃれな通り。錦小路は市場、京都の台所。

軍装店 モデルガン

軍装店
 この前の日曜日の昼にでかけた寺町通りの、なんとなく気になった風景を記録しておく。しかしウンチクをかたむけるほどには執心がない。私には若い頃から、空気のような町並みだった。

洋装店と2階のマヌ マヌは若者食事処

洋装店とマヌ

版画店(大書堂) 京極堂ではない

版画店(大書堂)

新京極 漢字がSFになる

寺町と新京極






京都の感じ方
 自分の中での京都の良さと、遠くから大学に来ている学生たちの京都の良さとは、感じ方にどんな違いがあるのだろうかと、思う。若い人達の心の動きは深宇宙のことと同じなので、とりあえず自分自身のことをメモしておく。

 京都の町にでると、狭い範囲の繁華街に、とりあえず現代的なあれこれを見たり買ったりする店がある。パソコンのパーツ、図書、映画、渋い喫茶店、美味い蕎麦屋、飲み屋、レストラン。ときどき京都らしい老舗があって、変わった香とか珍しい紙とか、入手できる。で、そういうことの複合体が、私の気分にそっているので、歩いていると快感がたかまる。

 老舗と飲食は別にして、それぞれは単一機能として最高ではない。パソコンのパーツなどは、秋葉原や大阪日本橋には絶対に勝てない。大型書店もそうだ。映画とか演劇など、寂しい部分もある。しかしなんとなく、小さな町に入り組んで、いろいろある。その在りようが気に入っている。
 
 飲食については江戸の有名蕎麦屋に比べても、尾張屋とか某処とかは最高と味わっている。もちろん越前今庄駅前のオロシ蕎麦には勝てないが。珈琲なんかも、よいのが沢山ある。飲み屋もそれなりにある。南に下がって伏見港界隈へいけば、極楽。

 今日は、自然景観、山紫水明や寺社仏閣については記さないが、この点においても満足している。古書店や骨董屋についてはそういう世界の通人も多いので、あつかわない。

 さて、学生達、若者にとっての京都は、魅力があるのか、どうなのか。たまに、気になることがある。それは、自分の感じ方とのズレが興味深いからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.02.21

Prius(日立製ノートパソコン)のハードディスク交換

承前[MuBlog:シャープのメビウス・ノートパソコン

ブラックMuのパソコン診療・手術日記
 昨日月曜、早朝から大阪十三の二番隊長2006が雨の中、重いノートパソコンを肩にかけて屯所に走ってきた。ブラックMuはすでに6時過ぎに到着し、メス(精密ドライバーキット)や手術台(きたない机)、それに最新の手術具(EG-SATA3525)を準備し、ブラックコーヒーを飲んで待っていた。補助用の2.5インチハードディスク60GBも昨日、自分用に買って用意して置いたが、まさかこれが使われることはないだろう。と、思って待っていた。

 患者は、日立製のPrius(PCF-100G5LMC)さん(性別不明)だった。年齢は3歳、入学時に大学で一斉入手したようだ。その前の年次がシャープだったから、毎年、養子先はかわるのだろうか。

 症状は、土曜日の夜に突然、ギーコギーコ、時々カックン、とノートパソコンが鳴りだし、一旦切って再始動しようとすると、もう駄目だったらしい。その夜のうちに憔悴しきったメルが届き、さっそく処方をいくつか下したが、手遅れ。よって、日曜休診なので月曜まで待ってもらった次第。
 今は就職活動が序盤の激戦日々。送付した履歴書、エントリー、メモなどはもはや諦めていたが、なによりも必須文具と化したノートパソコンが、延々とギーコギーコ泣くのに疲れ切ったようだった。
 いつも笑顔の二番隊長の顔は、雨に濡れて曇っていた。
 長い背景説明はこれまでにして、結論を記しておく。

1.Priusのハードディスクはすぐに取り出せた
 Prius のハードディスク40GBはネジ一本外して、すぐに取り出せた。別のツールキットを使って、Muマシンに外付けし確認したところ、完全に壊れていた。要するに、物理的にクラッシュしたと言って過言でない。この様子はビデオに本記事で証拠記録として残した。

2.ハードディスクの交換
 この状態では、得意(失笑)のハードディスク初期化も不可能なので、やむをえず一昨日の日曜に購入したMu用60GBハードディスクを急遽割り振ることにした。すなわち、あっさり患部摘出、代替機60GB補充である。実に簡単な術式ではあるが、内部データは抽出不可となった。ただし、摘出患部40GBは全く手を入れていないので、後日、他の総合病院にまわすことも可能かもしれない。

3.データ回収は無理だった
 ノートパソコンとしては蘇生生還したが、データは不定のままで、患部40GBに残った状態である。形があるのかどうかも不明。ブラックMuとしては、成功だが、親御さんとしては半分悲嘆にくれていることだろう。

4.優れた手術具(ハードディスク接続ツール)
 なお、今回は{2.5インチ、3.5インチ、そしてSATA規格}、この三種類のハードディスクドライブを外部から簡便に扱えるツール、EG-SATA3525を使用したことで、やや楽な手術となった。しかし、確認、再設定、Prius付属のOffice2003の再設定など、9:30~13:30までかかった。しかも、ネット関係は二番隊長2006が昨夜、雨の中持ち帰り初めからやり直しをしているはずだ。

起動しないPrius

起動しないPrius
 土曜の夜に作業をしていると、突然異音が後ろから発生したようだ。昔のフロッピーディスクもそういえば、音がおかしくなると読み書きができなくなった。音という感性は機械物では大切なんだ(もちろん、人間もそうだ)。ギーコ、ギーコとは、何度も何度も同じ手順を繰り返す音なんだろう。コンピュータは、一度失敗してもめげずに、くり返し試す操作がたくさんある。データ通信なんかはそうなんだと思う。

Priusのハードディスクドライブ

Priusのハードディスクドライブ
 三年前のノートパソコンになると、すでにメーカーはハードディスクの交換を前提にしだしたようだ。引き出しの取っ手の下にネジが一本あって、これを外すと写真のように抜き出せる。ただ、まだその後が慣れないと多少複雑で、引き出し金属枠でネジを4本、ハードディスクの頭の部分で2本の微細ネジを外して、やっと次の写真のスッピン状態になる。

日立製のハードディスク、40GB

日立製のハードディスク、40GB
 抜き出してスッピンにしたハードディスクは同じ日立製の40GBだった。写真手前の、本体とハードディスクを結合させるアダプターが面倒だったが、仕方なくラジオペンチで抜き取った。指の力では難しいので、適所に工具を使わないと破壊してしまう。また細かな事だが、ノートパソコンはほとんどの箇所で精密時計修理用のドライバーを使うが、ことハードディスクを留めている外枠のネジは、普通の柄を持つドライバーでないと、力が入らない。

 このスッピンのハードディスクに、別途写真「EG-SATA3525」で説明している外付けツールを接続し、デスクトップマシンで認識ないし読み取りを試験した。しかし、まるっきり駄目だった。以下のビデオは、そのだめさ加減を確認するためのものである。

ビデオ→ 異音を出すハードディスク40GB (wmv仕様、1.5MB)

EG-SATA3525

EG-SATA3525
 これまでノートパソコンの内蔵ハードディスクの確認には、別の外付け2.5インチを分解して、そのUSBインターフェース部分を使って、修理してきた。これは記事にしていない先年や、最近ではSONY-Vaio、シャープのMebius、みな同じである。しかしブラックMuがするようなことは他人もやっているようで、日曜日の寺町ドスパラで、三種類のハードディスクやDVDを、簡便に試験できる外付けツールを発見した。値段はまだ4千円弱と高価だが、実によい。なによりも、今後主流のS-ATAタイプHDも扱えるのがよかった。

別のハードディスク60GBの接続

別のハードディスク60GBの接続
 写真は、外付けツールを使って、新品のハードディスクを初期化している写真である。外からみると、USB一本でデスクトップマシンに接続しているように見える。その前に。摘出した内臓40GBも、これで確かめたのだが、全く駄目だったのはビデオで御覧いただけたことだろう。

60GBハードディスクの初期化中

60GBハードディスクの初期化中

Prius、再設定画面

Prius、再設定画面
 ハードディスクを60GBと交換して、無事再設定が始まった画面である。普段なら、データ未回収のママ再設定せざるを得ないことになると、悲痛なものだったが、今回の場合は医師として新しいハードディスクで初期化出来る事実に、安堵した。再設定できなければ、どうにもならないではないか。もちろん、親御さんの二番隊長2006、その心中を思いはかれば、笑ってはいられなかったが。
 摘出した40GBハードディスクを、そっと彼女に手渡した。

別の考察
1.ノートパソコン用の2.5インチハードディスクは割高
 今回交換した2.5インチ60GBディスクは、日曜に京都寺町ドスパラで9950円だった。これが3.5インチだと300GB-SATA仕様で14000円である。割高だから、持ち運びを考えない純粋の外付けバックアップ用ならば、3.5インチの方がよかろう。
 なお2.5インチの価格は、40GBで7500円前後、60GBで10000円前後、100GBになると一挙に2万数千円だった。高価だ。2万円以上あると、3.5インチスッピンで、400GB前後が購入できる。

2.マックとWin外付けハードディスク、メモ
 2.5インチであれ、3.5インチであれ、Windowsで初期化した外付けディスクは、USBケーブル一本で簡単にマックが認識する。これが逆だと出来ないはずだ(思いこみかなぁ)。
 もちろんフラッシュメモリーだと、余程に安物でない限り、完全に往還できる。これは便利だ。ブラックMuは、いろいろなデータをフラッシュメモリ一本で、マックとWin と相互利用している。

 で、Win仕様の外付けHDはマックから見ることは出来るし、マックに移すこともできるが、残念ながら、一定の方法を使わないと(その方法は未調査)、マックのデータをWin仕様外付けHDに複製すること、書き込みはできない。しかし、マックから書き込みができないと、マックで作る膨大なビデオデータなどを自由に移動できなくなる。(木幡と葛野間など)。
 この解決は簡単で、現代のマックはネットを通してwinマシンと相乗り出来る。だから、Winマシンに接続した外付けディスクを、マックからの「ネット接続ディスク」とすれば解決する。
 じゃなぜ、フラッシュメモリなんかで細々と移動させるのか? そこはそれ、簡便きわまる原始的な使用方こそ、恒に安定して役立つという経験からである。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006.02.20

しんきょうごくさんじょう:私の京都・紀ノ国屋とドトール

承前[MuBlog:私の京都1/2
承前[MuBlog:京都の書店

紀ノ国屋書店(京都市中京区桜之町)地図

 京都を熟知しているわけではない。平均して月に1回程度しか出歩かないから。しかし、物心ついてから数えると50年として、600回はうろうろしている勘定になる。若い頃を考えると、やはり1千回程度は行っているだろう。電車賃を平均往復500円とするならば、50万円。となると、知らない町でもない。ただ、あまり気にせず行き来してきたから、詳細がわからないだけなんだ。
 さて最近、承前の「京都の書店」を掲載した。それで気になって新京極三条あたりまで出向き、紀伊國屋書店を見てみた。

紀伊國屋:新京極三条

紀伊國屋:新京極三条
 新京極の三条としたが、地図でみると新京極の六角と記した方が正確だとわかった。このあたりは最近風景が変わった。昔の姿は覚えていないが、今はMOVIX京都があって映画を時々観る。書店の上にもMOVIX劇場があるので、このあたりは本当に映画館・書店・DVD・喫茶店の複合地になっている。手触りはまだ慣れていないのか新開地の趣もあるが、私は機能優先が強いので、まず満足している。

 紀ノ国屋書店については、なんとも評価はくだしがたい。大阪梅田の歩けないような同店に比べると、空いているのでうれしい。すきすきといってよい。以前同店が少し北にあるゼストという地下街にあったとき、同店も地下街も空いていたからよく行った。
 フロアは一階に雑誌類が多く、奥にはDVDショップがある。地下には文庫本と多少のハードカバー。特徴は、「趣味資料」の分類がとても細かく、たくさんの見たこともないような書籍がある。
 書店評論家ではないので、えぐるような感想も記せないが、ともかく清潔で気持ちの良い書店だ。空いている、それが実によい。以前の河原町・丸善も二階以上はとても気持ちよかった。私は書店へ図書雑誌を見に行くのだから、群れた人を見るつもりはない。

ドトール:新京極三条

ドトール:新京極三条
 MOVIX京都のすぐ北側にあって、気に入っている。最初行ったのは、エドルン君と映画「レディジョーカー」を見た折か、いやその次の映画だったか、……。昨日日曜は、珈琲とホットドッグを食べて400円程度。気持ちのよい店だ。
 私も含めて爺さん婆さんが客層のようだ。それだけ落ち着いて安心できる店なんだと思った。爺さん婆さんは、長く生きておるから、見栄えよりも、言葉に表せない雰囲気と、そして見合った価格と味を、精妙に見分けて店を選ぶ。大体、私も同じで、一人の時は三条大橋たもとのスタバにはまず入らない。この近所にもスタバはあるが、入らずに、このドトールへ直行した。

 ただし場合による。若い学生達とむれて二次会に出向くときは、大抵スタバを選ぶ。そこで、なんちゃらかんちゃらマキアートなんてものを飲し、楽しんでいる。スタバは店の雰囲気が若者むけなんだろう。一人で入るには、いい気分にならないが、きのいい学生たちと行くにはスタバがよい。以前、ハリウッドにスタバがあったのに驚いたが(失笑)、なんとなくそこではファミリーな感じがした。
 で、ドトールの珈琲は美味しい。以前からそう思っていた。そういう定評があるのかどうか。

追伸
 このての新興喫茶店で気に入っているのは、伏見大手筋のミスドとか、サンマルクである。ミスドは一人では入らないが、サンマルクは、昼に蕎麦を食べた後、大抵そこに寄る。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.02.19

NHK功名が辻(07)信長の時代

承前

 今夜のドラマは史実の中では1568年、永禄11年だった。信長は足利義昭を奉じて上洛を果たした。来週は二条御所に秀吉や、一豊が詰めることになろう。
 足利義昭は信長の機嫌取りに、「父」とよび、「管領」「副将軍」と、褒美を与えようとするが答えない。結局、堺と琵琶湖の大津に代官を置くことを許される。経済の権限をにぎることだった。異国の富、北陸の富が、二つの地域から信長のもとに流れてくることになる。

 劇中、「清洲、小牧、岐阜と引っ越しした」とセリフがあったが、この前後に明智光秀も信長のもと、岐阜に妻子を呼び寄せ落ち着いた。このうち、三女の「たま」が後年、細川ガラシャ夫人になるとのこと。いま出演している細川藤孝(ふじたか:近藤正臣さんが演じてますが、ずっと以前、北畠親房の名演が眼裏によみがえります)の息子さん細川忠興(ただおき)夫人である。実際にはお目にかかってはいないが(笑)、あらゆる映画小説演劇で、ガラシャ夫人は、美しく聡明に描かれていた。

 当時は(今は?)、出産は女性の戦争とおもわれるほどの危険があったことだろう。母子とも健在という常套句がどれほど大切な言葉だったか。こればっかりは、家の上下にかかわりなく、条件に変わりはなかったのかも知れない。他方、男性は生死の分かれ目が五分と五分。もちろん大将の武運が強ければ、「命をひろった」組に入れるかも知れないが、ほぼ同数が死亡していたに違いない。命がけの博打。ハイリスク・ハイリターンのひとつであろうか。
 山内一豊は秀吉の与力。一豊と一緒に戦場にでるのは、親族、郎党家臣。一家総揚げで「親分」について、戦場に出向く。だから、名乗りをあげての一騎打ちは、全くなかったに違いない。小集団戦か。そして集団鉄砲戦に入っていく。

 番組附録では六角氏・安土の観音寺城(地図)が解説されていたが、われら素人は安土と聞けば、安土城を思い浮かべる。Muもこの安土城跡は訪れた。ビデオがあるので、遠い後日に。いや古い物だから、再訪した方がよいかも知れない。少し山を登ることになるのだが、彦根城であれどこであれ、昔の城は山城や、それに近いものが多かったようだ。しかし、今夜は六角氏、観音寺城の話で、終わった。


| | コメント (4) | トラックバック (1)

キャンパスの古式青春

 最近朋輩のJoさんがしきりに過去を整理しだした。私も昨年ころ、何かのおもいにとらわれて数葉の古い写真をひっぱりだして、掲載したことがある。梅翁によれば、男子には過去と未来としかなく、現在はないということだ。それがどこに録されたのか、いま眼鏡をだして梅blogを探したが、記事はみつからなかった。小林秀雄さんの言を、梅翁の気持で書かれていたように覚えている。ともあれ思うに、過去は絶対に取り戻せない。古いビデオや写真の中にいる私は、今のわたしでは二度とない。そういう気持がふつふつと込み上げてきた。

 さて、今日は休日なので、朝から町に出向き用事をすませ、昼早くにかえってきた。電車の中でふと上述のように、過去写真の整理を思い出したので、一息ついて木幡研の筐底をさがしてみた。すると、我が身を写すものはなく、勤め先大学の古い学生達の写真がでてきた。ある時代の倶楽部の青年たちだった。これもなにかの縁なれば、録してその「過去」を祝しておくことにした。

大学の正門

大学の正門
 写したのは私のはずだ。視角を数えてみれば、これは研究棟のバルコニーからだと想像できる。しかも、比較的高倍率の望遠レンズである。となると、機種は以前使っていた旧式のビデオカメラに付属のスチルカメラ機能だったに相違ない。SONYのはずだ。何かの都合で紙に印刷したのだろう。原版がどこに紛れたかは、まったく思い出せない。
 この写真には七名写っている。しかしこの年次は、記憶では14名いたはずだ。半数が、近所へ買い物か食事に行った帰りだろうと、写真をみていて想像した。

三人組の青春

三人組の青春
 二人増えて9名になっていた。最初の写真では正門の影に隠れていたのだろう。それにしても、若さがみなぎっている、実に楽しげに見える。先頭の腕組み三人は、当時の倶楽部首脳だったことが、はっきりと蘇ってきた。踊っているではないか。そういえば、笑い声の絶えない年次だった。

縦列行進と指揮官

縦列行進と指揮官
 三枚目にもなると、明確な記憶が再現された。先頭の中央、小太鼓を打っている雰囲気の人は、倶楽部のトップだった。左の穏やかな人は参謀だった。そして、右側の少し外れたというか、手慣れた上級指揮官という風情の人は、ある種の突撃隊長であった、ような気がする。
 記憶とは曖昧なものだが、これだけ集まった写真だと、よもや私の勘違いであるはずはない。
 この青年達が、もしもある時代の葛野図書倶楽部2001隊員でなかったなら、私は職を辞さねばならない。そこまで混濁した日常なれば、青年達の前に立つことは控えておこうと、今、考えた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.02.18

黒塚古墳・公園の現況写真

承前[MuBlog:黒塚古墳・展示館
承前[MuBlog:椿井大塚山古墳の現況写真

 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵との位置関係
 地図:黒塚古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、箸墓(倭迹迹日百襲媛命陵:やまと・ととび・ももそひめのみこと・りょう)との位置関係

 二月の晴れた日に、二つの三角縁神獣鏡関係古墳を現地見学した。一つは、この黒塚古墳(奈良県天理市)、一つは椿井大塚山古墳(京都府相楽郡山城町)である。椿井大塚山古墳については、午後遅くの帰路に訪ねたが、ここでは黒塚よりも先に掲載した(承前参照)。私の住まいする宇治木幡から近いのと、調べてみると「謎の第一次現地調査報告書」の存在や、なによりもJR奈良線が横切っている様態、そのふたつが気がかりだったからである。

 午後早くに訪れた黒塚古墳は、膨大なネット記事があってまとまりがつかなかったし、なによりも、私には風景が美しく見えて、写真の選定がなかなか出来なかった。ともあれ、出土された多数の古鏡の意味、その歴史的解釈については他の人にまかせて、ここでは古墳からみた大和の地をゆったりと眺めてみたい。

Ψ史跡・黒塚古墳石碑

史跡 黒塚古墳 石碑
 昨年に公園整備が完了したようで、この二月には、お弁当を持って来たくなるほど、小綺麗になっていた。古墳の東には展示館もあって、別サイトでみると模型もあり全体が理解しやすくなっているようだ。が、私が行った日は閉館日だった。また後日に縁があれば見学できるだろう。この石碑「史跡 黒塚古墳」は、後円部の真東にある。

Ψ黒塚古墳全景と城郭跡

黒塚古墳全景と城郭跡
 現地では大抵案内板を写すことにしている。記事内容は一般的なものなので、厳密さでは後日変更せざるを得ぬこともあるが、全体像が分かる点で重宝してきた。写真では別々の箇所にあったものをまとめておいた。
 上の写真で、全長132mの全体を眺めると、右の後円部と左の前方部のつなぎのところがくびれている。下の写真ではこのくびれのところが、戦国時代に穿(うが)たれて城の壕になっていたようだ。なんのことはない砦(城)の中心は後円部だったのだ。これだと、JR奈良線が横断する椿井大塚山古墳と大差ない仕打ちをうけたのだといえる。これはまだ調べていないが、高槻市の今城塚古墳とか、畏友Joさんの話では三輪の箸墓もそうらしい。戦国下克上の世界は、罰当たりなことが普通の仕様のようだ。

Ψ古墳への通り道

古墳への通り道
 ここでは古墳公園へ、後円部から入るようになっていた。多分、周濠があるので道をつけたのだろう。展示館にはそういう説明があるのかもしれないが、閉まっていたので調べないとわからない。そうそう、古墳の回りに周濠があるのは江戸時代の農地水源の可能性も多いので、原型と思わない方がよいとも耳にしている。
 同下の写真は後円部に登り着いて、今あがってきた所、東方面である。山並みが実に麗しかった。まことに、ああヤマトであった。

Ψ北東部の風景

北東部の風景

Ψ山ごもれる東

山ごもれる東


Ψ南の風景と箸墓

古墳の回りの池

Ψ南西・橿原方面:霞む大和三山

南西・橿原方面

Ψ竪穴式石室上に置かれた石室原寸写真

竪穴式石室上に置かれた石室模型
 三十数面の三角縁神獣鏡が出土した石室については以下の案内写真や案内板に詳しいが、後円部広場の真ん中に柵があって、写真のような細長い模様入り石台があった。もちろん予備知識なしの飛び出し現地調査だったので、一瞬なにか分からなかった。休憩するにしては、柵があって中に入りにくい。
 これは、南北に長い石室の写真だったのだ。展示館には石室立体模型があるようだが、私は石室平面模型写真を見ていることに気がついた。写真位置は石室の北小口である。たしかに、鏡が数枚見えているようだ。
(ところが、思いは遠く中央右に見える箸墓に飛んでしまったのも、酔狂な話だ)

Ψ竪穴式石室の案内写真

竪穴式石室の案内写真

Ψ黒塚古墳の案内板

黒塚古墳の案内板

Ψ黒塚:前方後円墳

黒塚:前方後円墳
 ということで、今回の記事は現地の前後に机上調査らしいこともせず、ただただヤマトの風景を古墳後円部から眺めた記録だ。あとで地図をみると、崇神天皇陵は東南700m、箸墓は南へ2.3キロの位置にあった。黒塚と前者は柳本古墳群とよばれている。天理市と桜井市との境界付近なので、なにかと話題の多い纏向遺跡(まきむく・いせき)とは近所というか、親戚のようなところに黒塚古墳は位置している。
 いつかまた、このあたりを歩いて往時の想像をしてみたい。

参考サイト
  黒塚古墳発掘調査現地説明会、1998年1月[Mu注:鮮明な石室写真が多い]
  三角縁神獣鏡をデジタルアーカイブ化、卑弥呼の鏡、謎解明へ貢献

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.02.17

京都の書店

 今朝起きて頭に浮かんだのは、京都の書店が消えていくことについて。
 といっても、小さな特色のある書店のことではない。それは別のこととして、考えてみたいことだ。今朝は、以前から、高校生時代から慣れ親しんだ、だれにも目に付く大型書店のこと。

 町にでてもいくところが決まっている無趣味、無芸、おおざっぱなところがあって、大型書店は行き先の一つだった。他には寺町の電気街、いまはパソコンのパーツ店、喫茶店、蕎麦屋、と数え上げてもこの程度だ。身近にも、職場にも、旧知にも、随分細やかにいろいろな行き先を持っている人が多いが、比べるとそっけない自分がうかんでくる。

 京都の大型書店というと、かわりばえのしない話だが、それでも数年来変化が大きい。
 いま、わたしが把握できる大型書店は、四条河原町を中心にすると、烏丸よりのジュンク堂くらいしか見つけられなくなった。丸善は昨秋に消えた。最近、ブックファーストも消えた。これは以前は、長年にわたって駸々堂として親しんできた書店の跡地だったが、店名が変わっても規模は同じで愛好してきた。が、最近そこもあっけなく消えた。学生時代に通った京都書院はもう数十年前に消えた。
 知っている近辺の、少し大きな書店は、京都市庁あたりの地下と、新京極三条あたりの映画館地下の紀伊國屋か。

 京都駅近辺だと、プラッツ(近鉄百貨店)内に十年近く旭屋があってこれは随分でかい大型書店なのだが、近くプラッツが消えるので、どうなるかわからない。唯一と言っていいのは、新幹線駅南のビルにあるイズミヤ?書店くらいか。これは大型ワンフロアなので、よく行く。
 あと、近頃は京都駅地下の三省堂に、東京へエドルン君を見送ると時よく立ち寄る。

 大型書店のよさは、だいたいなんでもあることだ。わたしが求めるのは大抵、現代の風潮なので、古書稀覯書をもとめてのことではない。新刊書を一目で、ながめて、手にとって、買い物するというのは、実に限られたわたしの楽しみの一つである。図書マニアではない。
 ただ、40年も前に手にした古書や当時の図書がまだまだ葛野や木幡にいっぱいあるので、多少マニアックにみられるだけで、本当は図書の中に、現代を眺めている。

 それにしても、京都の町中の書店は、これからどうなっていくのだろう。寂しいような、心配なような。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2006.02.16

夢書斎

 blog知人の記事をみていたら、「BOOKLOG」が紹介されていた。登録は、メアドと適当な名称だけですんだので、すぐに登録した。
 (ただし、本棚を作ったら、「詳細設定」で、開示したくないメアドは削除したほうがよいでしょう。メアドはログイン時に使う符帳ですね)

  ↓
  夢書斎
 たどり着いたら、右サイドバーの、【本棚ビュー】→表紙ビューを、押してください。背表紙ビーよりも、表示ビューの方が現行仕様では、わかりやすいです。

 さっそく、NDC分類019(読書に行くで~:暗記NDC)を付与し、MuBlogの左サイドバーにもつけた。
 カテゴリーとして「美しいサイト」にも登録した。いやいや今掲載されている「読書少女?」が美しいともうしているのではなくて(美しくないとも言うてはおらんぞ)、そうではなくて、blogアプリケーションが実に良い、と言うておる。

 こんなに簡単な使い勝手で、しかも必要機能をちゃんと備えているのは、ちかごろ出色の出来映えと言ってよかろう。素晴らしい。

 ただ。
 ただ、Muの脳内が徐々に蓄積されていくのは、若干怖い話だ。今日付ですでに、59112本箱あるから6万近くの人が登録し、なんと270万冊の登録書籍数である。これは、巨大なデータベースであり、うむむ~。

 とはいうても、ネット社会ではあるていど、腹をくくって自己開示せざるをえない部分もある。いろんな記事も、なんのために書くのか掲載するのか、負の方向で考えると無駄無駄もはなはだしいが、しかし、その記事の蓄積でもって、検索エンジンをつかって、得難い情報にでくわして、日々にんまり笑っているMuもここにおる。

 ものごと、やらずぶったくりは、よくない。充分に積善(笑)、功徳を積んで、その上で人様からの恵みをありがたくいただき、脳の滋養にさせていただく、この相互扶助。これは大事だ。

 馬鹿メルを時間単位・数十万通送る人達は、根底にぼったくりだけとももうせよう。またそういう通信ソフトをつくって売った会社が一時期もてはやされたというのは、あはは、~「生扉」。

 というわけで、MuBlogの左サイドバーに載せた「019夢書斎」、これからも折々に登録していきますので、どうぞご笑覧ください。

(なお、しばらくの間、本棚の各本につく★印ランキングは★★★三つ星のままにしておきます。内容評価はいちいちMu記事で詳細に記さないと、評価したことにはなりません)
(詳細はまだMuに不明ですが、各図書をクリックすると、他人様のレビューがいくつも入っています。これはこれで、参考になるような~、ならないかも、それぞれでしょうね)

| | コメント (0) | トラックバック (0)