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2006年1月19日 (木)

飛鳥寺と蘇我馬子のこと「消えた聖徳太子」

 昨夜NHKの歴史番組で、飛鳥寺と蘇我馬子について、詳細な解説があった。

 「その時歴史が動いた。古代の文明開化・1号寺院飛鳥寺建立の戦略」

 飛鳥に建ったCGによる飛鳥寺の伽藍は興味深かった。Muはしかしそれに見とれながらも、CGの背景に描かれた山々や石垣のようなものに心を奪われていたのだが。
 記録したので何度も観ようと考えたが、一度目の印象は大きいものだ。気になったことがどうしても払拭できないので、ここにメモをしておく。

 聖徳太子さまのことである。
 聖徳太子についてほとんど言及がなされなかった。蘇我馬子を文明開化の第一人者、大化改新で血塗られた蘇我家の滅亡を、馬子の治績で再評価する意図があったのかも知れないが、それにしては馬子と同時代の聖徳太子について、語るところが少なかった。
 聖徳太子は完全に架空の人物と言い切る識者がいるくらいだから、NHKがそういう説に同調し、太子を歴史から抹消する作業に入っている、とまで深読みはしなかったのだが。太子の歴史、治績とおもっていたことの多くが馬子の治績に載せ替えられていた。

 一説に。
 蘇我馬子、蝦夷、入鹿の悪逆振りを描くために日本書紀、その他が記され、悪逆さを際だたせるために聖徳太子を無理矢理捏造し、この子孫山背一族を滅ぼした「悪」蘇我家、その「悪」を滅した中大兄皇子、中臣鎌足の正義。という正史のからくり。だから、聖徳太子は存在しなかった。と、いう話を思い出した。
 昨夜のNHK歴史番組は、その説に荷担したものだったのだろうか。

 よくわからない。が、なにか奥歯にものがはさまったような~。印象が残ってしまった。

 Muの感想。
 聖徳太子さまがいなかった、という説は信じていない。信仰の問題である。Muは仏教徒ではないが、聖徳太子さまはおられたと信仰している。だから、昨夜の飛鳥寺の歴史背景は、非常にわかりやすく納得できたが、そのさらに奥にあるかもしれない、日本書紀・虚構・偽書・小説説には、なにやらうさんくささを味わった。
 ところが、要所で日本書紀を引用しているところはおもしろかった。馬子により仏教が興るという意味のところだったか。隋書「日出処天子」、も曰くありげな引用だった(笑)。

後のMuBlog記事のために整理しておく
  物部守屋の墓・地図(大阪府八尾市太子堂
  物部守屋の墓(史跡より)

  石上神宮・地図(奈良県天理市布留
  石上神宮(天理市)

 飛鳥寺・地図(奈良県高市郡明日香村飛鳥
  飛鳥寺(飛鳥資料館)

追伸
 また後日、飛鳥寺を写した動画を掲載予定。

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コメント

私も昨夜、楽しく観ました。

巨大な荘厳な飛鳥寺の伽藍がCGで再現されていましたね。四天王寺、斑鳩寺、飛鳥寺という寺院が当時のハイテク文化・文明の象徴だったんでしょうね。

馬子の業績を見直す動きは有りますね、聖徳太子さまも一緒に活動されたと理解しています。

そこで、何故に急に仏教の導入とか遣隋使を送るとか、新しい政治的動きにヤマト朝廷は立たされたのか?

これは、朝鮮半島の三国の存亡をかけた危機感がヤマト朝廷を動かしたとみています。其れまで、疎遠の国、高句麗がエースの慧慈を送り込んできましたね。

彼は飛鳥寺に入り、ヤマト朝廷に遣隋使を提案したと思います。そして、聖徳太子の師となるのですね。

高句麗、百済、新羅は統一王朝である隋の半島攻撃を察していたんでしょうね。ヤマトを利用しようと考えて不自然さは無いです。

時代は国際派の蘇我氏が政権を握るのは世界情勢がそうさせたと、私は思いますけどね。

投稿: jo | 2006年1月19日 (木) 11時37分

joさん、2006年1月19日 午前 11時37分

 重厚なコメントありがとうさんです。
 中国、朝鮮という当時の国際情勢は、日本にも直接関係してくるというのは、Joさんの数々のblog記事で頭に入ってきております。

 昨夜の番組では、三韓、それぞれの使者がそれぞれの思惑で、日本国で暗殺されますよね。熾烈ですね。

 単に日本の贔屓が相手国の敵を、と思いましたが、諜報戦は、昔も今も一筋縄ではないことでしょう。
A国使節が日本に滞在。a氏と密着。
B国と仲良しのb氏がA国使節を暗殺、
~とおもったら、
第三のc氏やC国がいたり、
あるいはA国本国が自国使節を日本国で暗殺するとか、
もう、むちゃくちゃなやりとりがあったことでしょう。いまもかな(笑)。

 要するに、当時も今も、日本は単独で動けるのじゃなくて、国際関係の中で動いてきたということでしょうね。蘇我馬子は、その方面に明るかった人なんだと思いました。

投稿: Mu→JO | 2006年1月19日 (木) 20時23分

はじめまして!

楽しく拝見させていただきました。

私自身の考えとしてなのですが、蘇我馬子は、実は聖徳太子だと結論に達しました。

後世の人が馬子と太子を別人としてしまったので、聖徳太子は実在しなかった!との論が出るのはその為だと思うのです。

長文になってしまいますので、簡単な例をあげますと、

①【厩戸の皇子】=【馬子】

② 厩戸とは、ウマコとの発音をもっている

③ 本来、厩戸というのは、犬飼部や鵜飼部などの要職または官職名である

④ 厩戸で生まれかたら厩戸の皇子というのは後世の異説や創作である

⑤ 太子の墓があると言われている大阪の太子町にある寺に隣接した(羽曳野市)にはダイコクとの地名がある。これは現在、大黒と当て字を使われてはいるが、本来は大国子= 大(う)国(ま)子(こ)と読むこともできる

⑥ 中国からの使者に、(大国子=うまこ)と読むところをワザワザ日本側がダイコクと読んだのを俀国と訳されてしまった経緯があり、邪馬俀国など異説が生まれてしまった(あくまで一論ですが)

簡単な例ですと以上に思うのですが、よろしければ見解をお聞かせ願えれば幸いです

投稿: ゆき | 2011年9月21日 (水) 03時40分

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