【少しずつ進める癖/森博嗣】への共鳴感
かねがね森博嗣先生のblog「MLA: MORI LOG ACADEMY」を日々読んでいる。Muは小説作品を中心に長年のファンなのだが、「少しづつ進める癖」というblog記事にいたく感銘した。
なぜ感銘したのかは、まず関係諸氏に森先生の一部引用を紹介して、その上で記しておこう。
「実は、若いときはこうではなかった。研究も工作も文章も、何時間もぶっ続けでやったものである。そちらの方が達成感はあるけれど、やはり疲れるし、客観的に見て、良い仕事にならない。そういう経験を重ねるうちに、違うシステムでやってみようと意識的に導入したものである。今はこれが完全に生活のリズムに合っている。ただ、大切なのは、時間を開けないこと。毎日やった方が良い。日にちを開けると、うまくいかないことが多い。だから、土日だからといって、少々体調が悪いからといって、休むことはしない。逆に、調子が良くて、もっと書ける、という場合も、それは明日にとっておくことが望ましい。その方が良い発想が生まれることがある。
」
少しずつ進める癖(2006年01月22日(日曜日)
若い人達は往々にしてレポートや学業全般に関して、時間への畏怖、時間が貴重であることの畏れが少ない。だから締切ぎりぎりまで対象に目を背け、別の逃げ口としてアルバイトとか付き合いに終始する。そのことでの時間の浪費を解消するために睡眠時間を削り、徹夜をつづけなんとか形は整える。
と、ここで老翁の若者批判を記しても益無し。Muは徹夜は絶対に、過去経験もないが、ぼんやり度では若者とかわりはない。「しなくては、やっておかないと、……ああ、どうしよう」と日々思い悩み、なにもせず、委員会の資料も当日朝に読んだり、まとめもそんなものである。演習なんかもほとんど助勤にまかせっきりで、Mu自身はぼんやりと、「ああ、あれとこれと、それと、あっ、こんなん宿題もあったけ」と、悩むだけで手が付けられない。ぼんやりと、「人生辛いなぁ」と考えたまま、一日が終わる。
人も我もにたようなもの。
で、教訓を得た。というのはつまり、森先生はMuの観るところ、相当な異能の人である。どのくらい、常軌を逸した(笑)異能ぶりかは、今日は書かないが、まず、そうざらにいる方ではない。その方にして、かくのごとく日々の小さな積み重ねを重視されていることに、Muはいたく感動したわけである。
Muも、楽しいことも、辛いことも、毎日すこしづつ積み重ねていこうぞ。
なんとか、このぼんやり瞑想を減らして、手や足を動かすようにしなくては、というのが森先生の記事を読んでの深い共鳴感であった。
参考
モリログ・アカデミィ:MORI LOG ACADEMY/森博嗣[MuBlog]
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コメント
森博嗣というお方
Muさんからいろいろ聴いてホームページやらも見ました。
国立大学の先生が余業をするというのに抵抗があったのですが2005年3月に名古屋大学を退職したとGoogleは教えてくれます。
少しホッとして彼のホームページの機関車のビデオなども素直に見ることが出来ます。
だって公務員というのはコチラがスポンサーなのですからあんまりカッコよく振る舞われると困るのです。
(お前さん、何か間違ってやしないかい?)
と思っていたのです。
でも森くんもやっと名古屋大学を退職したようですね。
大学教授なんて肩書なしにやれると思ったのでしょうか。
それでいいと思います。
Muさんの記事にはこういう話がなかったので書いてみました。
投稿: ふうてん | 2006年1月27日 (金) 10時14分
ふうてんさん、2006年1月27日 午前 10時14分
最初に一言。
森博嗣さんがどうかんがえていたかは、まったく不明です。ファンちゅうもんは、そういう微妙な話はメルでお伺いしないもんです(笑)
さて、Muは22年間、国家公務員 文部事務官図書館専門職に、奉職しておりました。退職の時、当時の文部省へいって、文部事務次官から直接、文部大臣署名入りの「辞職許可証」をもらって、感涙でしたなぁ。
そういうフィルターが入っているにもかかわらず、22年間の思いは、国民に養われているなんと、思ったこともございません。國の文部省というでっかい組織に組み込まれて、自分の能力を切り売りしていた思い、それと、国家100年のためにMuの能力が役に立つだろうという、諦観と希望だけでした。
なぜなら。自己評価では、Muは給与の3倍分の能力を無料でサービスしていた、税金はたっぷり支払っていた、そういう気持でした。
だから、公務員批判はいままでも、これからも、いたしますが、Muはその自己評価において、國からもうすこし余録をいただいても、よいのじゃなかろうか、と思っておりますよ。本気。
さて、国家公務員ならば24時間国民に奉仕すべきだなんて、毛頭思っておりません。だから、能力の高い森博嗣さんが、それなりの手続きをへて、艱難辛苦、ご自身の時間に厖大な趣味、小説に能力をさいていたことにつき、なんら、なにごとも「おかしい」とか「変」とか、思ったことがないです。
森博嗣さんの場合は、なんの因縁か、若い人にその作品がよく読まれた。結果として、700万部くらいかな?、この10数年の間に売れた。それだけ、のことと思っております。それが、能力、才能というものだと、思っておりまする。
Muが今回の退官をよろこぶとするならば、むしろ、大学内部の実情をあるていど、Muも知っているからです。書評にMuもちょっとしるしましたが、ものすごいところあって、まともな神経ならば「時間の浪費」と言う点で鬱になりますよ(どこの社会でもそうだとはおもうけど、鬱になるようなシステムがよいとは、絶対に思いません。まして、鬱と給与の引き替えなんて、願い下げですよね)
ただ、世間一般からもうしますと、国家公務員教員が、本務研究内容以外でベストセラーをばんばん出すのは、気色悪く思えるのもあながち、……そういう「常識」もあるんだと思います。だから、森先生がお辞めになって、ファンMuなんかも、「ほっと」した一人です。
さてさて、右顧左眄した物言いになりましたが、基本的に、能力が発揮できるなら、医師がお笑いやろうが、総理大臣がスパイしようが、Muなんかは、バランスとれるなら、よろしやないのう、と思います。
Muもそのうち、お呼びがかかれば、よろこんでNHK大河ドラマの準主役級をこなしたいですね。そうですね、壬申の乱時代なら、高市皇子とか、幕末ならば、会津中将とか、関ヶ原なら黒田官兵衛とか、やってみたいですなぁ~
投稿: Mu→ふうてん | 2006年1月27日 (金) 13時09分
自分が公務員のスポンサーなんて思って上から見てる、ふうてんさんの思考回路が謎です。
多分ニュースやらでそういうお門違いな事をさも当たり前のように言っている事の悪影響でしょうか?
投稿: | 2007年2月24日 (土) 03時09分
名無しさん
私はふうてんさんの思考回路をある程度まで熟知しているので、簡単とは思っていません。ふうてんさんは、わかりやすく、一般的国民感情に言及されただけだと思います。
私は森博嗣先生のファンですから、森先生の「日記」などで見られた、律儀すぎる二足ワラジ人生を、少し解説しただけです。
投稿: Mu→名無しさん | 2007年2月24日 (土) 05時57分
「公務員のスポンサーは我々である」という発想が、“一般”的な“国民感情”と言ってしまう浅はかさは、民間を見下ろして語るいまどき珍しい官職の人たちと同根ですね。
というか、結局、バランスは取れてるのか。
投稿: ふしぎちゃん | 2008年3月10日 (月) 21時19分
ふしぎちゃんさん
物事は多面的に見えるし、見た方がよいと思っています。
Muは国家公務員だった時代があるのですが、その時は、民間人(うふふ)をスポンサーだなんておもったこともありません。
いま、Muは民間人なのですが、公務員全般の給与はわれわれの税金でまかなわれています。
さらにたとえば、駐車違反や速度違反で罰金を納めると、それは地方・警察官のボーナスに反映されます。
世の中、金を払っているものは、どう考えても「スポンサー」です。だから、「公務員のスポンサーは我々である」というのは、国民感情の大多数でしょうね。よく言う「税金泥棒」という言葉はそれを表していると思います。
しかしながら。
公務員は民間人を民草・税金を搾り取る相手として見下し、民間人は「税金泥棒」と軽蔑する。そういう負の観点ではバランスがとれていますから、おっしゃるとおりです。
しかし二年も昔のblog記事にコメントがつくとはぁ~、いや、驚きましたなぁ。
投稿: Mu→ふしぎちゃん | 2008年3月10日 (月) 23時57分