さよなら助勤2005
昨夜、葛野図書倶楽部2001、助勤2005達と伏見港の「鳥せい本店」で別れの宴を持った。倶楽部としては「新誠会」という総会が3月上旬に近くの「黄桜」であり、2005年次の人達とはそれで最終決着・手切れがすむのだが、「助勤会」というのは余人を交えぬ4年生達だけなので、思いもひとしおだった。
16:45に京阪電車中書島駅改札で待ち合わせし、そこで3名と合流した。副長、書記局上級顧問(書記局系)、レスタト班総長(三番隊系)だった。中書島の界隈をとぼとぼと龍馬通りを通って、鳥せい本店まで歩いた。17時には入れたが、この時間帯だと待ち時間なしで、良い席に座れた。
地どり鍋や焼き鳥を食べている間に、書記局上級顧問が中書島駅まで遅れた二名を迎えにでた。総勢がそろったのは18時前だったか。局長、総合技師長(二番隊系)も、駆けつけ三杯の風情よろしく用意した鍋や串を酒で流し込んでいた。
Muが用意した話はあっけなく済み、充分に酒と鶏が用意され宴は進んだ。
19:30頃には鳥せいをでて、近鉄桃山御陵前ちかくの「ミスド」に入った。定番だった。Muはレスタトの案内で「オールドファッション」というドーナツを一個と、それから好みでアイスミルクティーをとった。こもごも話をして、Muだけ先にでた。助勤達はまだミスドで熱く話していた。
木幡帰還が20:30頃だったろうか。熱い茶をのんで、そのまま速攻睡眠に入った。
疲れたわけでもないのだが、時の流転とか、別離の寂しさを味わうと、防御機能がはたらき「速攻睡眠」に入るようだ。この一年間、Muは5名の助勤たちと共に、大勢の学生の前に立ち、日々授業をしてきたわけである。それが総て終わった、二度はない。
起床は、さっき午前二時、今ふろ上がりで筆をとった次第也。
1.助勤たちの卒業
滋賀県湖東人が二名、深・兵庫県日本海人が一名、広島県人が一名、京都市内桂人が一名。
就職は、早くの内定を晩秋にすてた者が二名もいて変則的だったが、不動産一名、旅行業一名、一般事務一名、家業(推測)一名、未定一名だった。それほど悪くはない将来だが、残念ながら「司書」はゼロだった。余の授業を優秀にパスし、図書倶楽部で司書の役目を果たし、授業で助勤を一年間勤め上げた若者が、だれも司書にならないという、この矛盾。現実とは、そういうものである。
2.人事合議
来年度2006年倶楽部幹部人事は、昨年初秋より余の重い懸案事項だった。唯一最大の権限である「最高顧問・叙任権」を行使することに、これほど悩んだ時期はなかった。人事を誤ると、2001年から積み重ねてきた葛野図書倶楽部2001があえなく2006年6月頃に破綻するという噂も、まことしやかに出た(笑)。
現三年生はおなじく5名在籍しているが、いずれも「気性が荒い」。中では多少おっとり見える二名も実は「どしぶい」「頑迷頑固」であり、ぼよよんとした表層に騙されるほど余も若くはない。
相当に手練(てだ)れの現4年生達がいつも嘆くほどに、この春四月人事は難しいことであった。4年生たちは助勤としてこの一年間、余以上に現3年生のプロジェクト遂行(共同演習)を見守ってきたから、誰をトップ局長に据え、副長にするかの困難さがひしひしと分かっていたようである。
國では、省庁慣例として、同期から一名が次期トップ(事務次官)に内定すると、その残りの同期生は全員早期退職する。そのシステムは優れた面もあるが、国家公務員は大体30年間在職するから可能な方法である。ある時期の同期が全員辞職しても、次の年次が後にひかえている。
しかしわが葛野図書倶楽部2001年は同期生が各学年4名から5名、在職期間は最長でも3年間である。そして最上級生には「助勤」という重責が残っている。たやすく隠居されては、困る。
決定した。怒号はなかった。(昨年は、怒号に包まれ、ちゃぶ台返しがあったかどうか~(笑))
余も、同意した。
二月告知、三月辞令交付。
終わった。
3.助勤達の異才
助勤たちが、隠し芸を少しだけ見せてくれた。倶楽部下級生達の「物まね」である。
これには、Mu、抱腹絶倒した。
そろいもそろって、専任がきまっているというか、局長は某A子、副長は某B子、某長は某子とか、ひとりひとり決まっていて、それがすべて素晴らしいというか、まるで対象某子が眼前で話しているような、迫真の演技であった。
お腹の皮が捩れて涙がとまらないほどに上手な物まねだった。
秘訣をきいたところ、こっそりと対象者を何時間も観察し、手の動き、話し方、語彙、考え方、すべてをみているとのことだった。「あな、恐ろし」というのがMuの感想だった。
最初はそれをこの三月の「新誠会」総会で披露してはどうかと、Muも言ったが、だんだん迫真の演技を観ている間に、「やっぱり、本人の前では止しましょう」と尻込みしてしまった。それくらいに、怖いという物まねだった。
それも5名全員が上手だった。これは個人の能力とは言い切れない。もしかしたら「女」の属性かも知れない。
いやはや、「女」が潜在的に持つ異能異才を、まだ余もよく知らなかった、という思いにひたった。
4.決算
記録することを躊躇したことがある。
昨夜の宴の経費である。お金のことを記すのは、「はしたない」という旧時代の遺風にまだ余も親しんでいる。
しかし、ボランティアで一年間助勤をこなしてくれた優秀な若者たちに、葛野のロートル教授がどの程度の出費をしたかを記録するのは、正しい平成史のためにも、そして平凡なオジキ史のためにもあえて記しておく。Muはかねがね厳正な史官であると自称しているふしもある。
6名約二時間、酒と焼き鳥他。
総計24110円なり。一人あたり4千円になろうか。
三千円程度の図書換算で8冊程度。
メモリー換算で約2GB。
ハードディスクでいうと200GB・S-ATAタイプが二台分。
要するに、ハードディスク二台分を余は助勤達にプレゼントしたことになる。
TVにも出ない、賢人会議にも招かれない、売れる出版図書もない、ごくごくふつうのぼやけた大学教授の金銭感覚からすると、S-ATAタイプ二台分は結構な代物である。が、助勤たちの「精神」に比較すると、毛髪一本の重さもない。
こういうものなのだろう。
そして、Muがおもしろくうれしかったのは、注文はすべて助勤達にまかせたのだが、意外にも「鳥ゆっけ」とか「鳥のたたき」とかMu好みの通が食する鳥料理をがんがん食べていたことである。こんなところで、やれ「鳥の刺身は~食べられない」とか、レバーは苦手とか、鳥肌みると寒気がするなどと言われた日には、それこそちゃぶ台返しをしてしまう。
やはり。今季助勤2005は、優秀であった、ぞ。
飲む酒、食べる内容で、よくわかる。
(Muは侍ロック(日本酒+ライム)一杯と、伏水二杯。焼き鳥3本、鳥ゆっけ一切れ)
参考MuBlog
葛野追想:葛野図書倶楽部2001創成紀←始まりはこうだった
初夏の助勤会・2005/07/14←昨夜の顔ぶれ、夏と変わりなく
パフェ饗宴←話題の2006年の人達
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コメント
大学教授も大変なんですね?
苦労が多そうですね、そして、学生諸氏は先生のご恩も忘れて去ってゆく。
たまには、葛野を思い出してよね、と、老教授は思うが、若者は新しい戦場でそれどころではない。
東風吹かば 思い起こせよ 梅の花?
そして、顔も忘れた頃にひょっこりと手土産をぶら下げ現れる!
本当は嬉しいけれども、顔には出さず、近況を聞いてあげる。そして、最後に頑張れよ!エールを送り研究室を去る元、新選組隊士の後姿を送る。
そして、Blogで当時の隊士との過ごした時代を思い出し、これでいいのだと自分に言い聞かせる。
ホンマ辛いもんやね。
投稿: jo | 2006年1月21日 (土) 11時18分
joさん、2006年1月21日 午前 11時18分
お早うございます。土曜日なのでさっきまで朝寝をしておりました。明日は日曜日なのに朝から大学へでかけて全国規模の試験監督します。なかなかこの稼業もたいへん(笑)
教員というのは一般組織と違って、人間交流が年単位ですね。古い組織だと入社以来退職まで、行き先々そこここでつばぜり合いしたり、こてこてになってしまうこともありますが、その点教員&学生は年単位。気楽な面も一杯あるのです。
ただ。興に乗って、きまじめに職責に励むとき、熟練の関係者達(学生)、が数年で消えるというのは、実にシンドイことも多いです。
授業も研究も、一人芝居のようでいて、じつは幾人ものスタッフちゅうか、キャストというか、演出補佐やカメラや衣裳や、女優達がそろってこそ、はじめて授業も動く、研究もノリがよくなる。そう言う点が多々あります。
それが、まとめて年単位で消えるのですから、直視すると、たまりませんね。学生達は、一年から二年間で、ものすごい経験や、ノウハウを蓄積してくれるわけですが、その人的資源は毎年更新、ゼロになる。いいようなわるいような、特殊な世界です。
……
というわけで、現代の葛野新選組も、2001年から数えて、丁度10年くらいで組織解散、物的資源も破棄、この世からなくなる算段を、そろそろ始めております。
始まりがあれば、終わりがある。
パンタレイ、万物流転しやがて、消えていく。消えない間は、熱込めて、頑張りたいですよ。
「チップス先生さようなら」、という英文学名作があります。映画でも大昔みました。ピーター・オツール主演。こういう世界は、英国に伝統がありますね。日本なら松下村塾でしょうかいね。あははは。
投稿: Mu→JO | 2006年1月21日 (土) 13時25分