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2005年12月25日 (日)

薄紅天女(うすべにてんにょ)/荻原規子

承前:勾玉三部作(2)白鳥異伝

薄紅天女/荻原規子 作<ウスベニ テンニョ>

薄紅天女/荻原規子

  (BN1538768X)
  東京:徳間書店、1996.8
  484p;19cm
   (BFT)
  注記:PTBLは背から
  ISBN: 4198605580
  著者標目:荻原、規子(1959-)<オギワラ、ノリコ>
  注記:表紙画 いとうひろし
  注記:2004年9月5日、23刷

所蔵図書館 113[by Webcat 20051224]

帯情報

東の坂東(ばんどう)の地で、阿高(あたか)と、同い年の叔父藤太(とうた)は双子のように十七まで育った。だがある夜、蝦夷(えみし)たちが来て阿高に告げた…あなたは私たちの巫子(みこ)、明るい火の女神の生まれ変わりだ、と。母の面影に惹(ひ)かれ蝦夷の国へ向かう阿高を、藤太と仲間たちは必死で追う。そして「私は阿高を捜しに来た」と語り、追跡に加わる都の少将(しょうしょう)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の真意は……?

一方西の長岡の都では、物の怪が跳梁(ちょうりょう)し、皇太子(ひつぎのみこ)安殿皇子(あてのみこ)が病んでいた。兄を救いたいと思いつめた十五歳の皇女(ひめみこ)苑上(そのえ)は、少年の姿をとって「都に近づく更なる災厄」に立ち向かおうとするが……?

巫女の力を受けつぎ勾玉を輝かせる「闇の末裔(くらのすえ)」の少年と、「輝の末裔(かぐのすえ)」の皇女の運命の出会いと、神代の「力」の最後の火花とをきらびやかに描き出す、待望の「勾玉」三部作完結編!


滅びの都に天女が降りる。手に伝説の<明玉(あかるたま)>
闇の末裔(くらのすえ)の少年と輝の末裔(かぐのすえ)の姫が滅びゆく都で出会う……
平安の曙をぶたいに華麗に展開する「最後の勾玉」の物語

Mu注記・感想
 この物語を読んでいておもったのだが、文学というのはもちろん文章の切れ切れを集めたものなのだが、その一言一言が時に独立して胸をうつことがある、ということだ。よくできた文学ならば、文の一つ一つにはなんの興趣もない単語の集まりなのに、それが織りなすことで生じる文字空間が気持を捉えることもある。Muはかつて三島由紀夫の華麗な文学に酔いしれたことがある。今でもそうだ。漢語と和語との配列や、日頃思わぬ表現の仕様に愕然とすることがある。しかし他方、平生の何の変哲もない文字連糸なのに、心ときめく文学もある。文章というものは様々に人の心を捉える仕組みを提供してくれるようだ。
 さて、とここで荻原の勾玉第三部について。
 登場人物の一人が、仲がよくいつも頭二つが並んでいるような二連(にれん)の阿高と藤太を評して言う。

「あの二人が持っているのは知識じゃない。なんというか、知識がそこをめざすもの、知識の大もとにあるものだよ。いってみれば力だ。この世を動かす目に見えない力なんだ。あいつらには力がある。~(略)」p.219

 ここに使われている日本語文章は、おそらく小学校の3年生以上なら、理解し使える言葉でできている。{知識、力}。しかしその単語によって成り立っている文章内容を理解するには、相当な長年月を生きないと無理なのかも知れない。知識がそこをめざすもの。そういう抽象性を把握するのは難しい。難しいのだけれど、阿高と藤太の成り行きを物語の中で味わい味わいここまでくると、するりと理解できた気持になれる。
 ここで、作品の感想は止めておく。勾玉三部作に惹かれるのは、上述のような感動をそこここで味わうからである。

 物語の舞台は長岡京から平安京に遷る直前の不安定な時期である。アテルイ、坂上田村麻呂、藤原薬子、チキサニ女神、……登場人物は多彩で、空海までこっそり登場する。現実歴史を知っているかどうかとは無関係に、物語だけで独立した世界を堅固に持っている。しかし、背景を少し知っていると、ますます荻原世界に陶然とする。これは、不思議な文学だと、思った。

 なお、勾玉三部作となっているが、実は四作目に平安末期を舞台にした『風神秘抄』もすでにある。この世に楽しみは尽きないようだ。


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受信: 2006年2月15日 (水) 05時03分

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