清水寺の紅葉と自然言語処理・長尾真博士
清水寺(京都市東山区清水)地図
十一月の末に清水寺へ行ったら、まだ紅葉があった。カメラの電池が切れたので、携帯電話で写してみた。西日を受けた紅葉の雰囲気だけはでた。
清水寺の紅葉空
受賞者は、例年1月に決定され、授賞式典は同年4月に東京で天皇皇后両陛下御臨席のもと、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官を始め、関係大臣、駐日大公使、学者、研究者、政官界、財界、ジャーナリスト等約千名が出席して盛大に挙行されます。(日本国際賞)
京都駅近くの会場に着いたのは午前9時。驚くべき事に、同時刻玄関前で畏友の梅翁(氏は大昔の京都大学工学部電気を卒業しているらしい。そのころ長尾先生が助教授だったよし、伝聞)と出会った。彼が東京を出て奈良ホテルに泊まり、当日会場で落ち合うまでは計算にあったが、男同士の計画は乱暴なもので「なに、来ておればよし。こなくてもよし、会場で会えるかどうかなんてどうでもよろし」のノリだ。それが、どんぴしゃり、絵に描いたような朝の遭遇だった。ここで、Muは「はあ、今日はおもしろくなりそうだ」と、思った。
その通りになって、清水寺(笑)。まだディジタルカメラの電池もあった。
清水寺:仁王門と三重塔
清水寺、仁王門と三重塔。三重塔の前の幾層もの石段が、異国のように思われた。原始仏教の世界をイメージするくらいにこの風景は焼き付いた。牛南蛮うどんの美味とともに恍惚とした。
紅葉塔(子安塔)
ただ、歴史背景を知ろうとすると難しいのであって、清水の舞台からみたこの塔は紅葉につつまれて、じつにわかりやすい風景だった。
Dr. NAGAO Makoto
で、話は飛ぶが、会場で梅翁は親しく長尾先生と話をなすっていた。どんな内容かは、公開出来る範囲で「ふうてん老人日記」に出るかも知れない、でないかも。Muも知らない。
かくいうMuは、簡単きわまりないというか、そっけないほどの一言で済んだ。しかし、それは書けない(笑)。だいたいこの五年間は、長尾先生との話は禅問答みたいな、一言、二言である。
さて。しかし、ここで自然言語処理のウンチクを傾けるには、場もMuも適当ではない。難しいことであるとも言えるので、それ以上については別記事をたてて記すこともあろうが、せいぜいMuの幻想世界としてしか描けない。
ただ、Muは随分自分自身のこととして、このことに長く執心してきた。なんというか、学問とか学術とか大学とかとは、もっと離れたところで、とは言っても独学とか趣味とか、それとも違って、自分のこととして考えてきた。だから基礎科学の素養なんかどこにもないMuであっても、その原始的な執心によって、なんとかDr.Nagaoと話す機会を長年得られてきたと思っている。
少し派手な言い方をするならば、この世のしがらみとか仕組みとかとは無縁なところで、日本語・自然言語処理はMuの存在にかかわることだった。だから、Muはあらゆる肩書きがなくなっても、ぶつぶつと、コンピュータ内における自然言語とは、日本語とは、などと呟いているのだろう(笑)。
で昼、さらに話は飛んで、「どうじゃ梅翁、清水寺へお参りにいかぬか」と、さそってみた。
Muには、こういう乱暴さもある。天啓があったと申せば、通じるだろうか、いや通じない。
自然言語処理の話を聞いて、清水寺へ即刻行こうと思ったこの「人の気持ちの動き」は、なかなかにコンピュータで解析するにはやっかいな代物である。少し上等な人工知能ならば、一般則として、「人は会議参加と称して観光巡りなどするもんだ」となる。しかし、それではまだまだ真の人工知能とは言えない。幼稚園レベルだな。
「時に、人によっては天啓を得て会議の半ば、会議内容とは全く無縁、しかも周知の清水寺に行くこともある。ただし、固有の特異な制限条件として、Muなる人格が、ある特定の条件下にあったときに、限られる」
こういう用例をしっかりマシン・システムが理解したふりをしなければ、真の人工知能は生まれたとは言えない。
これは、なかなかに、すぐに出来ることではない。
無論というか、当然というか、梅翁は即刻同意してくれた。さすがに巨大某企業で社長賞を受賞しただけの御仁である。というか、長年Muの話し相手になって下さった方だけある(笑)。
このあと、清水寺で征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)に出会った、~。後日に続く。
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コメント
Muさん
残念ながら長尾先生のセミナーにも参加出来ませんでした。梅安さんにも同行できずに残念でした。
今回は清水はんに行かれたんですね。素晴らしい紅葉ですね!やはり人は仰山やはったんでしょうね。
次回の清水はんの話が楽しみだす。多分、坂上田村麻呂はんから源氏の話になるんでしょうね?
ところで、夏に夜行バスで京都に帰省しましたが、一号線を通過しました。鳥辺野の墓地というか葬送の場所を右手に見ました。
大谷廟には司馬遼太郎はんのお墓があるんやそうですね、最近知りました。
投稿: jo | 2005年12月 2日 (金) 12時37分
jo さん、2005年12月 2日 午後 12時37分
へろへろと、顔をだしましたで。
ふらふらと、コメント返しますで。
さて。次回はいつになるやら、けど、そんなに見透かされると書かぬわけにも~、また、同時に書きにくいぃ。
将軍塚も近所、とりべやまも近所、ええ立地ですね。平安初期が凝縮しとります。
当日清水寺から「めなみ」まで、いま計測しましたら、最低でも2.4キロあるいたことになります。散歩みちとしてはよろしいなぁ。
投稿: Mu→Jo | 2005年12月 2日 (金) 13時42分
先生、
お久しぶりです。
紅葉、綺麗ですね。
お天気も良かったみたいですね。
素敵な写真です。
私は今年、職場の方々と嵐山に行ったのですが、あいにくの雨でした。
紅葉もだいぶ散ってましたが、
それもまた、紅葉の絨毯のようで綺麗でしたよ。
投稿: 羊 | 2005年12月 8日 (木) 22時14分
羊さん、 2005年12月 8日 午後 10時14分
たぶん、12月に入ると嵐山も相当に落ち着いたことと想像しています。
11月は週日の真昼の京阪特急が通勤電車並でしたし、嵐山近くの喫茶店へ昼食に行ったときなど、停滞で自動車が動かなかったです。
見渡せば、桜も紅葉もない嵐山、これがMuの好きな季節です。
話が飛びますが、清水寺は昔の坂上田村麻呂・将軍に縁がある寺なのですが、なんとこの将軍が嵐山の近くの愛宕山で、名僧にであったから、清水寺ができたとか、~伝承があるようです。
投稿: Mu→羊 | 2005年12月 9日 (金) 04時17分