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2005年12月31日 (土)

大晦日の朝、木幡で思うこと

 昨日ようやく江戸からエドルンも帰郷して、正月を迎える心の準備もととのった。あと、またりん翁(愛猫)がおったならと、死んだ子の歳を数える気分にもなってしまう大晦日の朝。かわりにグリ銀とグラ赤(愛魚)がおるのだから、それでよしとしよう。グリ銀はあきらかに、またりん翁が憑依している、不思議な動き。

1.文学・創作
 初秋の九月から長編小説をblog連載し始めた。この第一期は平成18年の三月には完了したい。第二期は同春から始めたい。blog連載の方法論にも慣れてきた。原稿数枚のくり返しが蓄積されていくのを、他人事として眺める「目の修練」もだいぶ積んだ。現代にあって文学とは、表現の凝り固まった物であると同時に、他人に読んでもらう物だという当然のことを、今更ながら味わっている。
 1960年代中頃から、文学というものを意識しだし手を染めて、1970年代中頃まで熱中し、一旦2000年頃まで手放していた。だから数えてみると15年間ほど専念していることになる。苦痛も多いが、なかなか心身にあったことである、とこの大晦日、思った。
 平成18年は、だから文学の年月にしてみたい。

2.文学・研究
 今年も毎夏恒例の二ヶ月論文専念がうまくいった。通算13年間継続しているから、これも心身に合ったことなのだろう。今夏は保田與重郎『日本浪曼派の時代』の絵解きを終えた。
 昨年までは四年間、三島由紀夫『豊饒の海』をあれこれ手探りしていたが、今年は保田與重郎に戻った。保田さんも三島さんも、現実の生きた姿はあまり気にしないでおこうと思っている。私とは別の人なのだから、彼等が生きたようには、考えたようには、私は生きてこなかったし、これからも別の余生を送るのだから。
 ただ、文学というものの不易流行を十代のころに確認できるように導いてくださったのは、保田先生であり、その文学虚構を見せてくれたのが三島さんだった、とそう思っている。
 私にとっては、深いところでは文学は楽しみでもないし、ファッションでもないし、教養でもない。それがないと、生きることが辛いと思わせる、核のような実体が文学である。
 そして研究とは、なぜ文学がわたしにとってそうなのであるかを、残された膨大なテキストを前にして、道や地図を探し求めることが、私の研究なのだ、と大晦日の今朝に、思った。
 平成18年は、保田與重郎の「万葉集の世界」を研究対象としたい。予想するに、おそらく文学とは歴史であり、歴史とは文学であるという結論がでそうである。人間の営為なのだから、カテゴリーは相互に溶け合っているものだろう。

3.教育・司書・倶楽部
 司書を育てるのが私の日常の仕事であり、それは教育に属することである。今年も、十三年間続けてきたように、同じスタイルで行った。可も不可も無し、というのが年末の感慨である。教育の改革が世間の流行だが、これには賛同していない。昨年の教育と今年の教育が、大変化して、昨年よりも今年が良くなったと思うのは迷妄にすぎない。なぜなのかは省略する。
 で、今年の結論は、2001年に「葛野図書倶楽部2001」という一種の同好会を作っておいて良かったという感慨である。好きこそ物の上手なれ、といわれるように、基本的な「司書」の雰囲気を好む学生の核なくして、教育はうまく動かない。倶楽部とは、目に見えるシンボル、里程標のようなものである。
・学生達が過去にまとめ上げた作品の維持管理を倶楽部がしてくれている。
・学生達の副教材になる雑誌を倶楽部が作ってくれている。
・学生達の好む図書を収集し、維持管理そしてサービスを倶楽部がしてくれている。
・学生達のグループ演習を円滑に勧めるための支援を倶楽部がしてくれている。
・こういったことの諸々を、blogやホームページで宣伝広報し、必要なデータを倶楽部が記録管理してくれている。

 以上のようなことを、私一人で出来るわけがない。だから、倶楽部があってよかったとおもう、大晦日の朝の思いだった。

4.MuBlogのこと
 昨日三十日に、MuBlogの全データをダウンロードして、自製のデータベースに格納し整理し、併せて目次記事を更新した。全部で610記事だった。
 このデータベース(MuDB2005)をネットで操作出来るようにセットするのは、数日後葛野研に行ったときの初仕事になる。そして、2005年分記録341~610のレビューは、正月仕事の楽しみにしておく。これと同時に、2005年分からいくつか好みの記事を選んで解説しまとめることもしておく。
 というわけで、MuBlogも一時の狂躁が沈静化し、日々の生きる証となった平成17年の大晦日だと、今朝思った。
 MuBlogに沢山のコメント投稿を寄せてくださった人々に厚く礼を申し上げます。
 また、影の読者さんたちにも、感謝していることを懇ろにお伝えしておきます。

*.今朝の予定と読書
 今朝は、アン・ライス『呪われし者の女王』その下を、読んでいます。例の「レスタト」シリーズですが、なかなか翻訳もよくて、さらにライスの才能が満ちこぼれ落ちるような内容です。この作品は「レスタト班総長」という方からお借りしている図書です。こういうのをお持ちの方が、葛野にはわんさかおるのです(笑)。
 今夕は、エドルン君たちと、祇園さんなんかを歩いて、京都の大晦日を楽しみます。毎年の定例です。帰還したなら、越前名物おろし蕎麦をたべて、一杯やりながら大NHKの紅白を鑑賞し、おそらく北島サブちゃんの風雪ながれ旅に感涙むせぶことでしょう。
 ああ~、浪花節ですよね人生は。バチがなければ指で弾けばよいと、思い定めたなら、人生苦もやがて甘い蜜になります。
 筆ガナケレバ、空ニモ書カン、とおっしゃったのは敗戦時の保田與重郎先生でした。

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2005年12月30日 (金)

久しぶりのPowerMacG5とNDK

はじまり
 昨日になるのか、29日のこと。
 朝からあれこれ木幡で仕事した。レポート草稿が数点舞い込んでいたのでそれぞれ添削して返した。近所の大学生が作ったblogも観察し、それなりの感想を送った。後者は明日あたりに、最終決着を付けるつもりだ。

 そんなこんなで時間が過ぎた。結構気持ちよく仕上げてはいるが、……、よく考えてみると早朝は冴えわたっているので多少の負荷は負荷と思わないようだ。仕事しながら、頭の片隅でPowerMacG5を本格的に動画で使う算段が渦巻いていた。

 可哀想なのはMacG5、この梅雨にいれたのだが、まだろくな使い方をしていない。弁解はなんとでもたつのだが、要するに今夏は保田論文2005が難しくって手が回らず、秋になると想像以上に会議が増えて、その上さらにひごろはなんともおもわぬ本業の共同演習指導がめったやたらに神経を細らせるものとなってしまっていた。ようするに、今季は、手に余ったというのが実情である。どのように、そうであったかは、不用意には書けないし、心中に浮かべることもできない。イメージしただけで、伝わる恐ろしさ(笑)。

PowerMacG5
 さて。そんなこんなでPowerMacG5は2CPUも始終寝ている始末だった。が、多くの責務が山を越えた年末年始、今となると初期の仕様のままではどうにもならない。まんざらそうでもないのだが、本気で始めると、コンピュータの資源はあっというまに食い尽くされる。

 迷った末に、S-ATA、300GB、Maxtor社のハードディスクを買った。先回のはIDEタイプだが、今回のはMacの中にすっぽり入れるために、インターフェースがSerialATAとなった。1万5千円。当初は500GBを考えたが、これは4万円を越えていたのであきらめた。セッティングは実に簡単だった。横蓋をはずし、右上の下段にはめ込んでノブをおろし、その下にあらかじめ配線されているソケットを二つはめるだけですんだ。ネジ止めすら不要だった。
 もう一つは、メモリーだった。DDR-SDRAMの512MB のものを二本セットで購入し、これも押し込むだけだった。が、多少押し込みに力がかかった。
 これで、PowerMacG5は、メモリーが総計2.5GB、ハードディスクが総計550GBとなった。これだけあればなんとか大量のディジタルビデオを格納し、ある程度高速で編集ができるだろう。それ以上にHDが必要になってきたなら、外付けHDをセットするしかない。あとは、はやりのRAM-DISKも考えたが、もう資金がつきた。結局どんな場合も制限はつきまとう。その方が、よい工夫も生まれる。
 ところで、Muは経験的にCDやDVDに焼き付けて保管するのがどうにも苦手である。大抵整理が悪くて亡失する。なにがどこに入っているか、結局わけがわからなくなって、頓挫する。だから扱いやすい安価なハードディスクを重用する。

 あとは、葛野研のPowerMacG5と、木幡研の古い黒マシンとのあいだの、ビデオデータ移送用に小型2.5インチの日立ハードディスクとケースを買った。60GBで1万円、割高になる。ケースは2千円、まあそんなものだろう。

NDK
 昼前に買い物して葛野に入り、わずかな時間でハードディスクやメモリーをセットした。さすがはアップル社マシン、なんやかやと20分程度でセットし確認までした。
 ほどなく、IT先生、N先生、最後にII先生が到着した。

 OT先生は富士登山らしく欠席。この御仁はこの20年間、肝心な時にやれアメリカの、イギリスのスペインのと旅行三昧に明け暮れて、後日遅参のわびを言う(最近は、それも聞かない(笑))。
 珈琲やらいれて差し上げ、近況相互報告。そのうちに、共同演習の過去作品がみなさんの目にとまり、絶賛を博した(笑)。特に専門領域の作品には、「欲しい。持って帰りたい」という言葉まで漏れ聞いた。様々な索引がついていることに、ますます感嘆の声があがった。

 さて結論のMuの責務は。古典テキスト用語の自動分類、テキスト内容の時系列整理リンク。これらの基本データは先生方が調整し、MuはそれをRDBMSに格納し、駆動することにつきる。考えは簡単だが、さて実装しネットで使えるようにするとなると~やせるなぁ。

 帰路は、四条烏丸地下のゆふなで一夜干し、もろもろ。そのあとイノダで珈琲散会。
 というわけで、2005年の年末はPowerMacG5とNDKとで、暮れた。
 定番行事を終えてほっとしたと思う一方、なにやら外で人にあうと、大抵宿題がふえるなぁ、と感慨しきり。それが、生きている証なのじゃろう。

リンク
  PowerMacG5の内部[MuBlog] 

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2005年12月29日 (木)

大学の話をしましょうか/森博嗣←感想文

 中公新書ラクレ(195)を720円と消費税を入れて一昨日に買い、昨日に読了した。

1.うっすらとした情報

別に細々(こまごま)としたことを正確に覚えなくても、だいたいどんなものがあって、どんな関係にあるのかをうっすらと把握していれば充分なのです。必要なときに、そのうっすらとした関係を瞬時に思い出せれば、それでOK。必要ならば、すぐに調べ直せばよいだけのことです。人間の力とは、つまり、うっすらとした情報をいかに的確に思い出せるか、ということに尽きます。←p50

 だから森先生の申されることにはいつも感服している。学生の前でのどもとまで出かかる、Muの思いをこうしてはっきりと、日本語で表現されるので、Muは教室でこれを読み上げるだけにしよう。

2.どこを見ているか

学生や、これから大学へ進学しようとする若者たちは、大学の先生が学生へのサービスに努める姿を求めているわけではない。また当然ながら、研究予算を獲得するために忙しく申請書類を作っている姿に憧れているわけでもない。学者として、研究者として、自分がしりたいもの、解決したいもの、作り上げたいものへ向かっている視線に魅力を感じるのだろう。←p136

 しかり。まさしく至言なり。
 これはMu流にもうすこし補足してみる。つまり、大学生は20前後なのである。すでに子供ではない、いや子供であっては困る。ひょっとしたら、まだ子供かも知れない学生に、レストランやお店のような、ものわかりのよい笑顔、サービスをあたえても仕方がない。それはどう言いつくろっても、だまし、詐欺であろう。
 たとえ青年50%の進学率であっても、大学とは、幼児期を脱するとは、かくあるべしと言うものの見方を見せないとならない。教えるのではない、自己確認してもらわないとならない。でないときっちりした大人になれない(笑:なぜ笑う、そりゃどうみてもまっとうな大人とは、……。Muさんを思い出してさ)。
 根本的に、大学の先生に日常的ぬるま湯的サービスを求めるのは、猿に空飛べというようなものじゃなかろうか。教育には飴と鞭があり、研究には鞭しかない。
 つまりこうである。学生がその「視線に憧れる」かどうかの以前に、そういうところに目をくばり、注視する物の見方を養うところに、大学という人類の作った偉大なモラトリアム・システムがある。
 当然だが、Muは大学を職業訓練学校であるよりも、人格・自己養成大学とみている。

3.思い出は全部綺麗です
 これはpp183~186にある、かつて三重大学に奉職されていたころのエッセイです。森先生が24歳の頃の話でしょうね。

そうそう、夏には、朝の四時に起きて、大学のグラウンドで模型飛行機を飛ばして遊びましたね。あれは綺麗な思い出です。たぶん、死ぬときに一番思い出す情景だと思われます。これから、あれよりも楽しい時間があると良いのですが……。

 こういう文章が基底にあるから、かねがねMuは森先生の作品を愛惜してきた。なかなかに、天の邪鬼っぽいエッセイが多い方だが、それはそれとして知的嵐に巻き込まれ混迷に突き落とされもするのだが、こういうエッセイにふとまみえるとほっとする。「森先生、ロボットじゃなかったなぁ」と。
(Mu注:森ファンの諸氏、Muはロボットという言葉を実に深い意味で用いている。悪くとらぬように)

 さて。この読書対象者をどう定めるか。
 若い人、大学の関係者、文部科学省関係者、……うむ。

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2005年12月28日 (水)

こもりくの木幡

 外はさむそう。家はぬくぬく電気座布団、法隆寺壁画炎上。停電になると木幡研はマシン停止して、機能ゼロになるなぁ、と考えながら、MuBlogに向かった。

 朝からごろごろしていて、明日は葛野で久しぶりのNDK年末顔合わせもするので、今日は本来なら賓客達のために葛野を掃除しなければならないな、と朝一番床のなかで考えたのだが。最初にもどって、ごろごろしてしまった、いま昼をすぎたころ。

 そう言うわけで次善の策として町にでかけて、PowerMacG5(2005年前期)用のハードディスクやメモリや、winマシンのための多少のソフトウェア(動画を徹底的にあつかいたいのでな)や、木幡マシン黒のための、さらに増設ハードディスクを500GB一台(すでに700GBあるのだが、正月番組を予約していたら足りなくなりそう。なんせ最高級のモードで記録するから、あはは)、~そう思って、朝風呂を湧かして42度、はいっていると心が落ち着いてきて、逆に町に出るのがあほくさくなって、あがって独逸製のアフターシェーブローションをぬっていたら、声がして「お昼は?」と、聞こえた。瞬間、「とんとん来で叉焼麺」と言いかけたが、強烈な自制心(一週間に二度もラーメンたべるなんて、そりゃ一日に2個以上タマゴを食べるのとかわらん、確実に死ぬ)が働いて、口から出たのは「はい、木幡研で昼食いたしたく候」。それで、一応町にでるのやめて、それでも気になってしらべだしたら、やぱりなぁ。PowerMacG5の今年後期は、メモリもDDR-SDRAM→DDR2-SDRAMに変わっておったので、Muのマックは古いDDR-SDRAMを買わないと、なにかとトラブル予兆。しかし、ソケット形状が変わったのかまではしらなかった。他方ハードディスクはSATAのままだから、混乱はないだろうが、SATAの500GBをすっぽりマックに入れて、さてそれからどうする。メモリも前期マシンでは8GBまでいけた(後期マシンは16GB)が、ソケットは? としらべたら8つあった。たしか増設したから、最初のにプラスで、現在4本のメモリが刺さっているはず、と想像したら、買いやすくなった。ちょっとまった、木幡研黒マシンはSATAソケットを二つ消費しているので、同じ500GBハードディスクのスッピンとはいうても、一方はSATA、他方は旧来のIDEをわすれないように、おまじない。

 なんとなく、想像するだけで買った気分になって、施工した気分になって、さきほど牛肉入り焼きそばをたべたらねむくなって、「大学の話をしましょうか/森博嗣」を30%読んでしまった。本当はそのまえに、からくりサーカスの最新号も読んでしまっていた。どうやら、年末は、やはりなぁ、木幡にこもって活字中毒症状緩和に努めた方がよいようだ。Muは外にでるとお金はかかる、ガソリンはへる、人と喧嘩する(売るかもしれんな)、ろくなことはない、じっとり木幡研か葛野研にこもって鍵をかけてねていたら、この世の悶着ごとなんて、ぜーんぶ消えてしまうよな。

 さてと。まずは午睡にはいろう。

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2005年12月27日 (火)

小雪舞う冬の京都

朝まだき
 早朝1時頃に起床し、一仕事終えたのが午前3時ころだった。また眠った。木幡を7時前にでかけ、葛野についた。さすがに無人だった(笑)。そう言えば昨日も似たような状況だったが、この時は10時前に細川ラーメン駐車場に入り、開店を待ち、叉焼麺&小ライスを食した。ラーメンライス、これは稀なことだった。が、今朝は平常通り。

 また一仕事、事務的処理をこなしたころ約束の来客があり、書類を手渡した。ひとしきり、最近の車の話題などして、気分が良くなった。入れ替わりに、倶楽部の学生がおったので、またひとしきり来年のことどもを話した。と、こうするまに昼になった。

 最近は、23日の祝日も、24日の土曜日も、25日の日曜日も、そして26日の月曜日も、ずっとひつこいくらい葛野研で仕事をしてきた。その山場を昨日の月曜日に越えた。だから昨日は、気持がふわりとして、なんとなく気が抜けた状態だった。

伏見港の昼と京都駅のデザート
 ロボットじゃないのだから、人間らしく久しぶりに書店へ行って、新刊書などみてみようと思い立ち、RSのハンドルを握った。しかしまず昼食。これも気分返しに、30分かけて伏見港まで出向いた。いつもの好物を食べている間に、脳が溶けてきて、ますます快適になってきた。小雪ふる界隈を散歩して、再びRSを始動した。

 京都駅について、いつもの駐車場にとめて、まずは珈琲など。これは地下のイノダに決まっていたので、いそいそと徒歩数分。なにか変わった物をとみてみると、エクソダスじゃなくて、エクソシストでもなくて、エクサイト、~ちがうな。エクスプレスでもない。ああ、エクストラというのを頼んだ。アラビア豆をもとにしたブレンドだった。ついでに、アップルパイも注文した。なかなかに贅沢な、食後の珈琲&デザートである(笑)

本が一杯の人生
 さて、と。
 ようやく書店に行って買った物が以下のリスト。なんとなく、気持が溶けているからわかりやすそうなものや、お正月の楽しみ本を買った。また、MuBlogを豊かにできるぞぉ。

1.アマテラスの誕生/筑紫申真(つくし・のぶざね) 講談社学術文庫、960円
  <この世界の古典を読んでおかなくちゃ>
2.戦艦大和ノ最期/吉田満 講談社文芸文庫、940円
  <やはりこれはカタカナで読まないとね。以前読んだのはひらがなでした>
3.幻の漂泊民・サンカ/沖浦和光 文春文庫、657円
  <こういうことをちゃんとしっておかないと、日本に生まれた意味が薄れるね>
4.大学の話をしましょうか/森博嗣 中公新書ラクレ、720円
  <Muは森先生を、優れた教師であるとかねがね考えてきた。辛口の中に栄養が一杯>
5.小説のはじめ:書き出しに学ぶ文章テクニック;
  小説を書くことは犯罪であり、罠を張ることである/佐藤健児 雷鳥社、1500円
  <文章論は、谷崎さんも川端さんも書いておる。ディジタル・テキストを扱う者としては、文章論は基本教養だね>
6.神の手(上下)/パトリシア・コーンウェル 講談社文庫、2*714円
  <日本のミステリとは異なる。サスペンスとも思っていない。検屍官スカーペッタの教養小説である。つまり人格形成小説と考えている>
7.啓示空間/アレステア・レナルズ ハヤカワ文庫、1400円
  <Muの人生の落ち着く所はまさしく、こうでなくっちゃね。おそらくコアコアなハードコアSFかもな>

 これだけ全部をお正月に読むのかどうか。宿題一杯かかえてね。ああ、忘れていた。司馬さんの功名が辻、これは文庫4冊ほどあるし、平野さんの純文学もあるしね。ああ、人生とは時と引き替えに身を削るものよなぁ(笑)

 で夕刻6時をすぎた。寒い宇治の木幡だが、気持はほんのり温かくなっておった。

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2005年12月25日 (日)

薄紅天女(うすべにてんにょ)/荻原規子

承前:勾玉三部作(2)白鳥異伝

薄紅天女/荻原規子 作<ウスベニ テンニョ>

薄紅天女/荻原規子

  (BN1538768X)
  東京:徳間書店、1996.8
  484p;19cm
   (BFT)
  注記:PTBLは背から
  ISBN: 4198605580
  著者標目:荻原、規子(1959-)<オギワラ、ノリコ>
  注記:表紙画 いとうひろし
  注記:2004年9月5日、23刷

所蔵図書館 113[by Webcat 20051224]

帯情報

東の坂東(ばんどう)の地で、阿高(あたか)と、同い年の叔父藤太(とうた)は双子のように十七まで育った。だがある夜、蝦夷(えみし)たちが来て阿高に告げた…あなたは私たちの巫子(みこ)、明るい火の女神の生まれ変わりだ、と。母の面影に惹(ひ)かれ蝦夷の国へ向かう阿高を、藤太と仲間たちは必死で追う。そして「私は阿高を捜しに来た」と語り、追跡に加わる都の少将(しょうしょう)坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の真意は……?

一方西の長岡の都では、物の怪が跳梁(ちょうりょう)し、皇太子(ひつぎのみこ)安殿皇子(あてのみこ)が病んでいた。兄を救いたいと思いつめた十五歳の皇女(ひめみこ)苑上(そのえ)は、少年の姿をとって「都に近づく更なる災厄」に立ち向かおうとするが……?

巫女の力を受けつぎ勾玉を輝かせる「闇の末裔(くらのすえ)」の少年と、「輝の末裔(かぐのすえ)」の皇女の運命の出会いと、神代の「力」の最後の火花とをきらびやかに描き出す、待望の「勾玉」三部作完結編!


滅びの都に天女が降りる。手に伝説の<明玉(あかるたま)>
闇の末裔(くらのすえ)の少年と輝の末裔(かぐのすえ)の姫が滅びゆく都で出会う……
平安の曙をぶたいに華麗に展開する「最後の勾玉」の物語

Mu注記・感想
 この物語を読んでいておもったのだが、文学というのはもちろん文章の切れ切れを集めたものなのだが、その一言一言が時に独立して胸をうつことがある、ということだ。よくできた文学ならば、文の一つ一つにはなんの興趣もない単語の集まりなのに、それが織りなすことで生じる文字空間が気持を捉えることもある。Muはかつて三島由紀夫の華麗な文学に酔いしれたことがある。今でもそうだ。漢語と和語との配列や、日頃思わぬ表現の仕様に愕然とすることがある。しかし他方、平生の何の変哲もない文字連糸なのに、心ときめく文学もある。文章というものは様々に人の心を捉える仕組みを提供してくれるようだ。
 さて、とここで荻原の勾玉第三部について。
 登場人物の一人が、仲がよくいつも頭二つが並んでいるような二連(にれん)の阿高と藤太を評して言う。

「あの二人が持っているのは知識じゃない。なんというか、知識がそこをめざすもの、知識の大もとにあるものだよ。いってみれば力だ。この世を動かす目に見えない力なんだ。あいつらには力がある。~(略)」p.219

 ここに使われている日本語文章は、おそらく小学校の3年生以上なら、理解し使える言葉でできている。{知識、力}。しかしその単語によって成り立っている文章内容を理解するには、相当な長年月を生きないと無理なのかも知れない。知識がそこをめざすもの。そういう抽象性を把握するのは難しい。難しいのだけれど、阿高と藤太の成り行きを物語の中で味わい味わいここまでくると、するりと理解できた気持になれる。
 ここで、作品の感想は止めておく。勾玉三部作に惹かれるのは、上述のような感動をそこここで味わうからである。

 物語の舞台は長岡京から平安京に遷る直前の不安定な時期である。アテルイ、坂上田村麻呂、藤原薬子、チキサニ女神、……登場人物は多彩で、空海までこっそり登場する。現実歴史を知っているかどうかとは無関係に、物語だけで独立した世界を堅固に持っている。しかし、背景を少し知っていると、ますます荻原世界に陶然とする。これは、不思議な文学だと、思った。

 なお、勾玉三部作となっているが、実は四作目に平安末期を舞台にした『風神秘抄』もすでにある。この世に楽しみは尽きないようだ。


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2005年12月24日 (土)

十九万アクセス

承前:十八万アクセス

 年内に19万アクセスを得た。いわゆるクリスマスイブだったわけである。
 Muは終日、近くの大学で集中授業があった。例年、なんとなくイブ前後が、年納めの授業になってしまう。
 夕方、学生さん達の作った重量のある成果・作品を葛野研まで運び終わり、茶を飲んではじめてほっとした。

(1)本日記録
  対象日:2005年12月24日(土)
  観察時間 : 21:19

  累計アクセス数: 190002
  1日あたりの平均: 293.67

 記事数: 606 | コメント数: 2942 | トラックバック数: 407 | ライター数: 1 |
 ご利用可能なディスク総容量: 10,000 メガバイト
 ご利用中のディスク容量: 164.203 メガバイト (1.64%)

 ココログが10GB容量になったのは先回記したが、いつのまにか164メガバイトを越えていた。もし従来150メガバイト制限のままならば、すでに超過したことになる。なんとなく計算がおかしい気もするが、まあまだ2%使用に満たないのだから不問にしておこう。

 気分の上では、小さな動画を掲載するのがやりやすくなった。今後は数秒単位の動画断片を重用するつもりだ。それでも数メガバイト必要になり、これまでの0.3メガ前後の静止画に比べるとかさだかくなる。

(2)先週:検索ワードランキング(4件以上のみ抽出)
  対象日: 2005年12月12日(月)~ 2005年12月18日(日)
  合計数:1382

順位 検索ワード 件数
1 じぶり 45
2 月の蔵人 41

↑最近立て続けに二度ばかり行ったせいだろう。自分でネットを探したこともあるのだが、身近の者の話では公式HPがないようだ。すると、MuBlogが「月の蔵人」の公式HP代わりをつとめているのかもしれない(笑)。あのあたりは本当にこざっぱりとした食事どころが密集している。どのお店も満員なのは、経済が上向いているせいなのか、師走なのか、……。

3 義経 32
↑先週も、今週も日曜の夜がなんとなくうら寂しい。先年も今年も毎週定期便を出していたのが、終わりとなるとぼんやりしてしまう。

4 地図 31
5 藤原 25
6 京都 23
7 藤原秀衡 18
↑↓奥州の藤原秀衡はMuBlogでは義経関係としてアクセスがあるようだ。義経を媒介にしたような形で鎌倉幕府に滅ぼされたのだからそうなるのもおかしくないが。しかし、義経が生まれる前から黄金咲く奥州平泉があったのも事実である。

8 平泉 18
9 茶母 15
10 歴史 9
11 新撰組 9
↑正月番組に土方歳三がでてくる。調べてみるとNHK総合TVの3日に、 総集編第3部(19時30分~20時44分)があり、その後21時~22時30分まで『新選組!!土方歳三 最期の一日』が続く。なんとなく、3(火)の夜は19:30~22:30まで、まとめて観るのがよさそうだな。

12 桜田 9
13 写真 8
14 木幡池 8
15 水滸伝 8
16 北方謙三 8
17 伏見 7
18 ・・ 6
19 最終回 6
20 足利義政 6
21 しずやしず 6
22 しだれ桜 6
23 奈良 6
24 ・・ 5
25 飛鳥板蓋宮 5
26 孔子伝 5
27 森正 5
28 20世紀少年 5
29 ひろさわのいけ 5
30 義経記 5
31 門 4
32 しずのおだまきくりかえし 4
33 半島を出よ 4
34 能 4
35 ブログ 4
36 詳細地図 4
37 甘樫丘 4
38 三条 4
39 ・・・ 4
40 石舞台 4

 上記リストの後ろの方には、ひっそりと石舞台や甘樫丘がある。しばらくご無沙汰しているがMuBlogの本流は古代日本史なので、いずれ動画断片を整理していくつもりだ。

(3)先週:検索フレーズランキング(3件以上のみ)
  対象日: 2005年12月12日(月)~ 2005年12月18日(日)
  合計数:432

順位 検索ワード 件数
1 藤原  平泉 14
2 義経  藤原 5
3 北方謙三  水滸伝 5
4 …… 4
5 京都  しだれ桜  ひろさわのいけ 4
6 月の蔵人  地図 4
7 しずやしず  しずのおだまきくりかえし  むかしをいまになしよしもがな 3
8 静  義経  感想  最終回 3
9 木曾の最期  訳文 3
10 半島を出よ  カネシロ 3

 半島を出よ、で思い出したのだが、最近読書録がない(笑)。本を読まない読めないMuなんて、一体どうしたことだろう。だが。と、思った。つまり、にこにこしながら、嫌々ながら、一体どっちやと自問自答しながら、日々木幡と葛野の往還を繰り返しておるのだから、まあよろしかろう。採点も会議も宴会も研究会も、それぞれ意味があり価値もある。Muがなすことに価値を与えるのはMuなのだから、Muの存念一つでこの世は花の世なり。

(4)先週:曜日別
  対象日: 2005年12月12日(月)~ 2005年12月18日(日)
  合計数:1625

曜日 アクセス数
MON 393
TUE 292
WED 206
THR 216
FRI 168
SAT 187
SUN 163

 これをもって右肩下がりともうすのじゃろう。実に美しいカーブを描いておる。右肩上がりがあって、平原があって、そして右肩下がりがある。諸行無常のひびきがある。

(5)先週:記事ごとランキング(1%以上抽出)
  対象日: 2005年12月12日(月)~ 2005年12月18日(日)
  合計数:1625

順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 12%
2 http://asajihara.air-nifty.com/ 7%
3 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/05/post_6.html 4%
4 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/03/0503130.html 3%
5 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/12/post_8c26.html 2%
6 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/11/post_e77f.html 2%
7 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/12/post_0ffd.html 2%
8 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat575614/ 1%
9 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat573003/ 1%
10 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/06/post_b77a.html 1%

 義経関係記事が目白押しというところだ。NHK大河ドラマはそれだけ人々の関心をひくのだろう。その点にあって、延々と一年間、そして毎年、大河ドラマを放映する風習慣行は益があることと思う。今年は判官贔屓という、日本に色濃い気質を再燃させたことになる。衆生とは愚かで残忍で勝手なところもあるが、一方、他人事であるゆえに、事の真意や深奥を、把握する力も強いのだろう。

(6)分析
 分析するほどのことはない。
 先月から今月にかけて、MuBlogを掲載する余力がなく、記事が少なくなるとアクセスが激減するのは、普段一般よく観られるところである。芸能人も作家も芸者も教授も、出番が少なくなると、そうなる。
 そういう事実を噛みしめて、なすべきことをなす、それを確認していくのもblog維持の醍醐味である。
 つまり、一家言の評論家であるよりも、価値を紡ぎだし付与する者でありたい。
 それがMuの感慨である。

 ところで、予想屋として、来年の一月末から二月上旬にかけて、20万アクセスを得られるかも知れないなぁ、とろとろと。

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2005年12月23日 (金)

葛野に雪が降って、二重月の宴

二重月と宴

二重月と宴
 昨夕、祇園石段下ちかくで倶楽部の忘年会があった。最初は13名の予定だったので、ユダはだれかと迷っていたが、幹事がしらぬまに二人を追加して、15名になった。酔った目で見上げると二つの月があった。これはデューン「砂の惑星」の風景だった。そこにムアディブがいてもおかしくなかった。

 昔、マハラジャというディースコのあった跡だとおもうのだが、<にんにくや>、すさまじい繁栄振りだった。お立ち台はなかったが、ぎっしり人で詰まっていた。喧噪の中に静寂があった。それは二つの月を見たからだろう。

 雪や予定で数名が<にんにくや>でわかれ、私達は祇園ホテルの一階、スタバに寄った。キャラメル・パパランチーノ、冷たくて甘かった。三つの島に別れたが、隣に座った3人組は、蜂蜜やらガーリックやらタバスコを混ぜた不思議な創作珈琲を作って、三人で回しのみしていた。日本にもあらたな文化が生まれたのかも知れない。他の島席は、まともだった。

 帰還21:20、風のように木幡にもどって熟睡した。
 佳き、忘年会だった。
 いやさか・葛野図書倶楽部2001。

雪の日本庭園 その日の朝の葛野風景。

雪の日本庭園

水のある噴水 その日の朝、噴水はまだ凍っていなかった。

水のある噴水

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2005年12月22日 (木)

雪の宇治・木幡

 早朝、雪が舞っている。
 今も、窓から見える道路には自動車がのろのろと走っている。
 豪雪地帯ではないから、雪と言っても薄化粧に過ぎないが、寒さはきびしい。

 今夕祇園で葛野図書倶楽部2001の忘年会が予定されている。十数名の小宴だが、問題は滋賀県在住者が多いと言うことだ。遠くは彦根、米原近くから、雪をかき分けて山をおりてくる若い人達もいる。東海道線も湖西線も雪には弱い。

 かくもうすMuのあたりでは、京阪電車も奈良線もめったに止まらない。
 Muは行けるにしても、さて、肝心の幹事達が雪まみれで身動きできないとなると、うむ。
 なかなかに、忘年会一つとってみても、いろいろなことがあるなぁ。

 ところで、今朝は、極早朝からたまった責務をあれこれ処理してご機嫌である。が、そろそろ眠くなってきた。ひと眠りしよう(笑)。

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2005年12月19日 (月)

木幡の朝まだき

 忙しいというほど馬鹿じゃなし。
 と、「忙しい」というセリフは如何にも無能さを露悪しているようで、格好がわるいのだが、それにしても年の瀬、師走、気持が落ち着かない。
 徹底的に逼塞しているふりだけはしているのだが、それにしても毎日毎日なんやかんやとある。事件というか、イベントというのか、宿題というのか。

 昨日も、日曜というのに町に買い物にでかけ、尾張屋で天蕎麦定食(かやくご飯付き)を食べて、いそいそと葛野研に向かった。Muの買い物なんかはスポットというのか、一点一店購入なので週日の帰りに寄ればよいものを、わざわざ日曜に出かけざるを得ないというのが、そもそもの異常。

 寺町電気街を10時過ぎに歩いていたら、いつものDOSパラは、内部に人影は見えるのだが自動ドアが開かない。開店が遅いのだろう(午前3時起床のMuには、遅すぎて話にならぬ(笑))。仕方なく、もう少し南のJ&Pへ行って上階に登った。

 買った物は。
 葛野図書倶楽部2001用には、USB2アダプター1個、IEEE1394アダプター2個、DVDライター1台。
 Mu用には、300GBハードディスク、3.5インチ外付けHDケース。
 合計で二万数千円だったか。
 しかしな、技術立国日本と思ったとたん、台湾製のUSB2アダプターが尾張屋の天蕎麦定食と同じ価格だったのには、天を仰いだ。この、パソコンパーツ世界は台湾や中国が基盤を支えているような不思議な印象、いま再び。

 さて、葛野研へでかけてこれら部品をセットしたと思うのは早計。
 さっそくソファに横臥し、赤ペン持って夏に書いた論文の再稿校正。昼過ぎに始めたのに、なんと終了は5時を過ぎていた。実はこのために、日曜だというのに登校したわけでもある。週末の意識の片隅には、たしかに校正締切が本日月曜だという記憶はあった。だが、それを明確に認識したのは昨日日曜の朝まだき、めざめとともに「あ、校正しないと、駄目だ」。数日遅れても、どうせサバ読み締切と思いもするのだが、実は……。今週もまた、毎日毎日、校正なんか出来る状態ではない終日拘束監禁状態。「ああ、忙しい」(笑)

 もちろん世間の堅気の人の忙しさとは毛色が違う。
 今週は年末大会議週であり、かつ、年末倶楽部始末週である。
 会議のことは、止めておく。ここに記すだけで、じっとりと脂汗。

 倶楽部については、まるまる二日を例会や勉強会や忘年会に費やす。年末例会にはMuも顔をだして、演説することになっている。勉強会は、壊れた左京マシン(左京と右京と二台寄付してある)の根治療法よりも、修理をかねてのハード回り伝導。さらに理屈の上では、ソフトウェアのうちMS社のアクセスをちょっとばかり演説(Muも少しはこういうソフトを触れるのだ(笑))し、合わせてシステム全般を若い人が幼き人達に伝導する。それをじっと眺める。もう一日は倶楽部忘年会。これはこれで、Muにとって遊びじゃなくて責務也。

 今年の一台を作ろうとはしていた、先週。しかしちょっと見には変化が激しい。CPUがダブルコアになって(一つのCPUに二つのCPUが実装されている)、メモリーもDDR-SDRAMが、DDR2-SDRAMに替わっていたこの時勢。たいしたことじゃなかろうが、腰をおちつけて調べないと動かなくなる。だから、左京マシンのマザーボード、CPU総入れ替えは止めて、不都合なDVDやインターフェースだけを追加するだけで、四月まで保たせようとした次第。

 ……
 木幡研に昨夕帰還し、薬湯に肩までどっぷりつかったら、至福だった、が。
 というわけで、ああ忙しい。と、格好の悪いことおびただしい。

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2005年12月18日 (日)

昨夜の京都

白菊水

伏見の白菊水

 昨日土曜日は、仕事で終日外にでていた。葛野に早朝に着いたが、そのまま近所へ仕事に出かけたわけである。そこでは、昼食とお茶に短時間外に出ただけなので、「寒いな」程度だったのだが。

 夕方、小さな忘年会を伏見でした。道が混雑して、30分の旅程が1時間かかった。
 さらに、少人数で予約も入れていなかったので、結局一時間待った。極めて繁盛している店なのであきらめはしたが、昨今「食も忍耐」という感が深かった。

 で、終わって外にでた。実に寒かった。
 木幡で電車を降りたときには、ここは南極かと思ったくらいだった。
 温度がどうの、寒波がどうののことではなくて、京都は寒い所なのだと実感した。
 ちなみに、厚手の長袖シヤツ、厚手のセーター、マフラー、薄手のコート、帽子。
 しかし、日頃車を常用しているので、これ以上の防寒を整える用意がない。
 以後、夜の外出にはカイロを二つ、懐に忍ばせようと思った。

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2005年12月12日 (月)

葛野の夜明け

 先々日の土曜日の早朝に、事情で葛野へ登庁した。そこで夜明けをみたので、あわててSONYのディジタルビデオを持ち出し、粗い画素だが長年使ってきたスティル機能を試してみた。
 それなりに、葛野の夜明けと、朝とが撮れていた。今思い出したのだが、研究棟の七階の、バルコニーから写した。「夜明け」の方が光学10倍、「朝」の方は、ノーマルで写した。太陽がもにゃもにゃとした光を放っていた。

葛野の夜明け

葛野の夜明け

葛野の朝

葛野の朝

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2005年12月11日 (日)

NHK義経(49)源九郎義経の最期

承前[NHK義経48回
円環[NHK義経01回

 この義経の最期の日々が、その後日本の大衆の中ではぐくまれ、義経伝説、判官贔屓となった。そして今年一年、かくいうMuもその伝説の中で毎週生きた。

 現代のMuですら長い人生の中で、仙台や平泉という奥州へは二度、三度ほどしか足を踏み入れていない。今から900年も昔、義経主従は藤原秀衡をたより、この地に逃亡し、そして四代目の泰衡に攻められて、自害した。

 遙かな昔の遙かな地でのことが、今夜よみがえった。
 義経主従の死は悲しいことだが、それでも、もう逃げなくて良いという安堵感もあった。史実としては、頼朝は義経追捕を名目として、政権の基礎である全国への警察権、軍権を敷設したのだから、望みのない逃亡だった。

 奥州には奥州の理屈がある。泰衡が義経の首を鎌倉に差し出したのは、当時の武家の身過ぎ世過ぎとして、間違いだったとは言い切れない。藤原家は、義経に義理は無かったとも言えよう。ただ、弟忠衡を謀殺したくらいだから、平泉の結束は割れていたのも事実だろう。今夜のドラマでは、泰衡の兄國衡は義経にそれとなく、地元への逃亡を勧めていた。

 義経はいわゆる駻馬(かんば)、いわゆる鬼神だったのだから、制御する者の器が小さければ、使いこなせない。不運だったとしか言いようがない。逆に、史実として使いこなしたのは兄・頼朝だった。頼朝の下知あってこそ総大将として平家を滅ぼした、これが義経だった。そして、その頼朝の手に余ったのも、また、義経だった。

 さて。感想。

1.良かった点
 義経の滝沢さん、頼朝さん、義仲さんと巴、後白河法王と側近達、平家の公達、よかったよかった。
 女優さんたち、静、能子、政子、うつぼ、平家の奥さん達、みんなよかった、よかった。
 ナレーションの白石さん、よかった、ねっとりと落ち着いた声調もまた格別だった。
 様式美、それを支える映像美、クラッシカルで、斬新で、金粉が空に舞い、光り輝き美しかった。
 鵯越、屋島、壇ノ浦、これらはMuの記録として長く保管します。
 一度も見落とさず、一年見続けたのだから、水準以上の作品だったと評価している。
 (MuBlogの連載としては、一度だけお休みした)

2.首をかしげた点
 鵯越と屋島と壇ノ浦は、様式美によって成立し格別に佳かったが、本来武人英雄伝説であるにもかかわらず、義経の機略才略が、上手に描き切れなかった節もある。特に、義経主従が一丸となって戦するのだから、その間の指示、命令、それらが適切に表現されず、ひたすら「義経さま」の声に支えられ、和気藹々。義経の激しさ、集団把握異才が見えてこなかった。
 Muは人間義経を見たいのではなく、鬼才異才の義経を見たかった。その点から全連載のうち、数割は「うむむ」と首をかしげた。もちろん、制作者側の意向だったのだろう。

ともかく、
 今夜で終わった。なんとなく、年明けまでの日曜の夜が寂しくなる。
 総集編はおそらくみない。そのかわり、鵯越、屋島、壇ノ浦をみているかもしれない。
 で、一番良かった役者は。それは、……。意外にも、
 義経でした。
 影のある上品な男性として振る舞いきったのが、よい、と判定。
 ただし、現実にああいう男性がああいう振る舞いを身近でしていたなら、Muは蹴飛ばすことでしょう。
 ときどき、「兄上、兄上とうるさい」と、Muは怒鳴っておったぞ。
 物語のなかでこそ、今年の義経は、最良だったと思った次第。

さてまた来年、あはは、どうなることでしょうね。関ヶ原。 

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2005年12月 7日 (水)

金魚水槽の掃除(2005/12/04)

承前

 途中水を入れ替え入れ替えしてきたが、日曜の4日に大掃除をした。先回が11月の13日だったから、20日あまりといえようか。今回は写真を撮った。

グリ銀とグラ赤金

グリ銀とグラ赤金
 巻頭にこの写真を置くのは少し迷った。全体がにじんだようで、色もわるいし、ピントもあまく、その上に手ぶれしている。原則、フラッシュ無しで写すのでこうなってしまった、とは遁辞。
 とはいうものの、二人が寄り添っている姿はすてがたい。いまだに雌雄も分からぬMuであるが、一向に生まれぬところをみるとそういう仲でもなさそうだ。なんとも言いようのない仲の良さをこのごろ、よく見かける。なんとなく、グラ赤金がグリ銀の奇矯なふるまいをいさめている雰囲気がある。今日の二人は、おたがいに、「仲良くしましょう、水槽綺麗になって気持ええなぁ」というふうに、その心をといてみた。

金魚水槽2005/12/04

金魚水槽2005/12/04
 掃除したての水槽全景を撮ってみた。右側が浄化装置で、水の瀧おとしが見られる。フィルターが付いていて、水中のバクテリアなんかも分解すると効能があったが、真偽は不明。どうであれ、45センチの水槽は月に一回大掃除しないと、水が濁り、水槽の底にはゴミがたまってくる。11月は毎週、水の60%を入れ替えたが、お二人さんが活発なせいか、それだけでは追いつかない。

グリ銀のスクリュー潜行

グリ銀のスクリュー潜行
 グリはもともとは非常にちっこくてオトナシイ人だったが、またりん翁がみまかった今年の6月を境に、奇矯なふるまいというか、活動的になってきた。狭い水槽を若い頃のまたりん君のように、縦横に泳ぎ回る「忍者」まがいになってしまったのだ。ときどき隠れてしまい、不意に飛び出してくる。

堂々のグラ赤金
 グリさんが、またりん翁の憑依した忍者とするならば、グラさんはお殿様か、「金魚様」という風姿である。この姿をいつも見せてくれているから、これがグラさんの自然な姿なのだろう。あわてずさわがず鷹揚に。それにしても、この金色や赤色は、最近見た能の「大瓶猩々(たいへいしょうじょう)」を思い出させる派手さである。

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2005年12月 4日 (日)

NHK義経(48)藤原秀衡の最期

承前

高館(たかだち)(岩手県西磐井郡平泉町平泉)地図

 義経が奥州の藤原秀衡(ひでひら)のもとに帰還したのは、1187年初頭であったか。その秋十月に秀衡がなくなった。翌年初め頃から頼朝は、藤原四代目の泰衡(やすひら)にしつこく「義経」を渡せと迫る。あけて1189年文治五年四月に、ついに泰衡は衣川の高舘(たかだち)に居る義経主従を謀殺した。
 ところが、それにもかかわらず鎌倉に攻められて、その年の九月に北の藤原四代は滅びた。思えば奥州十八万騎は、義経という鬼神を用いることなく、戦らしい戦もなく鎌倉に蹴散らされたことになる。

 その後、頼朝は1192年に征夷大将軍となり、ご丁寧にも翌年、弟の範頼(のりより)を殺している。こういう兄弟親族殺しの頼朝は、どことなく北方騎馬民族が中国で王朝をたてた頃の騒乱に似ている。身内に厳しいのは組織に於いてよい兆候だが、それが度はずれてくると、取り返しのつかない「殺戮」になり、結局自滅する。つまりは、いつも申すのだが、源家は北条家に後日乗っ取られるわけである。

さて、今夜のNHK義経。
 義経が無事平泉に入れたのも、秀衡が温かく迎えたのも、幸運だったといえる。そういう幸運の中で、秀衡一族とともに、呪術じみた舞台の舞に見入る姿がよかった。断続的な鈴の音があやしく、月光が鮮やかだった。
 秀衡の死があと数年後であれば、と悔やむ心は残ったのだが、来週の義経は歴史に残る高舘・謀殺で生を終えるのだから、一時の平安があって、それもよいと思った。

泰衡の怯えが真に迫っていた。
 父の死に怯え、頼朝や後白河法王の督促に気鬱になり、来週はおそらく弟達との反目に怯え、最後には義経を襲った。その表情が、心の動きを上手に捉えて、Muを引き離さなかった。
 栄誉栄華をほこり、十八万の軍勢をもちながら、心の闇に光がささぬ限り、すべては灰燼に帰す。たったひとつ、胆力があったなら、義経の盛名を上手に使って、白川の関を開けて打ち出ることもできたろうに。
 掌中の珠、最終兵器義経を、扱いきれなかった、というよりも外圧に弱かったのか。ただしかし、このあたりの泰衡理解は、いかにも通俗なので、また後日に考えてみよう。

 今夜は、来週の最終回に向けての多くの布石が打たれた。泰衡の、目を見開き脂汗をかいた表情に、それが込められていた。

参考
  NHK義経(11)藤原泰衡という男[MuBlog]
  高館(たかだち)について 

  奥州藤原氏の栄光と挫折/今東光[MuBlog]

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2005年12月 3日 (土)

blogの情報処理ツールとしての可能性(0)目次/谷口敏夫

目次
0.はじめに↓[その(1)を参照]
 (Web)logは、いま世界に普及しているが、その多くはカレントな記事、つまり最新記事重視の事象考察、世相評価、エッセイ、日記などが多い。~
1.(Web)logの特徴
  (1)時間管理
  (2)記事間の関係維持(構造明示)
   @記事アドレス
   @カテゴリの設定
   @リンクとトラックバック
  (3)記事とコメントとコメント返し
2.遡及型blogの構築
 過去遡及型とは、記事の蓄積をどれほど有効に使えるようにするのかという考え方である。~
   基本的な手法
   リンク・リストと目次記事
   カテゴリーの階層表示
   記事目録
3.記事間の連結について↓[その(2)参照
 blogにはリンクとトラックバックという二つの記事間の連結機能がある。~
   双方向連結型
   円環連結型
   星連結型
   連結に関するまとめ
4.専用検索エンジン
   MuDB2005について
5.統計その他
参照記録
付録
   一般的なblogシステムの構成

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blogの情報処理ツールとしての可能性(1)/谷口敏夫

承前[目次]
注記:この記事はニフティー社「ココログ」を使ったMuBlogにあり、その目次頁は以下のアドレスである。
    http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/12/blog_fb43.html

0.はじめに

 (Web)logは、いま世界に普及しているが、その多くはカレントな記事、つまり最新記事重視のニュース考察、世相評価、エッセイ、日記などが多い。これは名称が「logを取る」、つまり垂れ流し的に発生する記録を次々と保管していく由来からもうかがえる。縮刷版のない新聞や、録画しないTV番組に似ている。

 しかしながら、現行のblogを支える諸技術の根底には、これがRDBMS[Relational DataBase Management System]をもって最も効果的に運用されている事実からも、決して他の一般ホームページ型サイトと同祖のものではなく、むしろ、背景に強力なデータベース・エンジンを備えたWeb-DBという範疇から観た方が、その成り立ちがわかりやすい。

 つまり一見、現状カレントな記事発信のために作られたようなblogだが、これは明確なデータベースシステムであり、むしろ過去遡及型記録管理システムと見た方がよい場合もある。

 もちろん開発者達も当初は、他のいろいろな人々と情報コミュニティーを形成するために造った物らしく、さらに特殊な簡易日記アプリケーションの意図が強く、原理的には、背景になんらDBMSなどを備えなくても運用できるようになっている。

 このために、各社が提供する様々なblogや、あるいは自製のblogには、そのままでは過去遡及的利用に耐えないものもある。だが、ある意味で一般には使いがたいDBMSを背景に持った高機能のサービスが、これまで手作りだったホームページ作成よりも、格段に利用しやすくなったという事実は、見逃せない。

 本論は、現行blogを利用して、カレントタイプblogを、過去遡及型記録管理システムとして活用するための、過去二年近く行ってきた実験を通して得た、いくつかの工夫をまとめたものである。

1.(Web)logの特徴

 これまでに生まれてきたソフトウェアは多数あるが、blogサービスはいくつかの特異な性格をもっていた。そして、それがなんら難解な術語や操作を必要とすることなく、数回の閲覧や記事投稿で自然に使えるようになったのは驚きだった。非常に高い機能性をもちながら、どこにこれまでのソフトウェアとは異なる所があるのか、その疑問があった。しばらくして充分にblog記事扱いになれたころ、2004年の夏にそれをまとめてみた。

(1)時間管理
 記事の一々、コメントの一々に、日時が分単位まで克明に記録される。これは時系列、時間の流れに従う人間の習性によくあう。また、一般にHP(旧来のHTMLによるホームページ)記事は、記録の必須事項である日時が曖昧だが、blogは発信者が意図しなくても、自動的に付与される。 日記だから、当たり前と思う前に、記録の発生時点を自動管理する考えは方は非常に大切である。
(2)記事間の関係維持(構造明示)
 日記は時系列であると同時に、断片的とも言える。人が複雑な証左である。人は、連続して考えるだけでなく、連想的に時間をとばしてものを考える。この断片性、不連続性、混沌とした人の発想を、しっかり見直して明確な構造を持たせる仕組みが、blogには備わっている。
 @記事アドレス
 記事には、それが記録されたとき、不変に近い固定アドレスが付与される。このことで永続的に出所が同定される。これは多くの記事をまとめていく際、必須の条件である。HPはそのあたりが曖昧だった。
 @カテゴリの設定
 カテゴリとは、一般的な日本語では「範疇」となるが、分かりやすく書けば「記事を分類することができる」と言って良いだろう。最初は適当なカテゴリを設けて記事に付けていき、記事がまとまってきたなら、カテゴリを詳細化し再定義することで、似通った、関連した記事をまとめて扱えるようになる。
 @リンクとトラックバック
 リンクはHPを触ったことのある人、ないし作ったことのある人なら、よく理解できる。トラックバックはリンクの逆である。だから前者リンクは「正リンク」、後者トラックバックは「逆リンク」といえる。ただ、後者は慣れるまでは少し分かりにくい。
(3)記事とコメントとコメント返し
 コメントがすぐにできるのは、blogの良いところである。掲示板と異なるのは、常に記事という「幹」があって、そこに枝葉を付ける仕組みにある。幹と枝葉を明確に分離し、記録するところに、blogの記録格納の堅牢さが現れている。掲示板は、形式的にすべての投稿がフラットである(技術的にツリー状に整理するものも多いが)。だが、blogは幹(記事)と枝葉(コメント)とがはっきり区分されている。
 この幹(記事)に対するコメントとコメント返しが、記事を中心にして相互交信されるのは、実は革命的なことである。すなわち、発信者と受信者とが、一つの確実に記録された記事(テーマ)に関して、双方向で対話を行っていることになる。これまでの新聞やTVと比較すればその違いがはっきり分かる。
(参照記事(1)を一部修正し掲載した)

2.遡及型blogの構築

 本論で述べる過去遡及型とは、記事の蓄積をどれほど有効に使えるようにするのかという考え方である。現代のRDBMSならばSQL文によって、自由に検索し求める記録を得ることができる。しかし一般の[項目名と、文字列と論理式]による「検索」だけでは、過去の記事をわかりやすく探すことはできない。

 以下では、blogが持っている基本的な機能を工夫することによって、本格的な情報検索なしで、過去の記事を容易に得るための方法である。

(1)基本的な手法

 多くのblogサービスが提供するサービスとして、サイドバー(画面の左右)に、カレンダー(日単位)、特定期間バックナンバー(月、週単位)リストを掲載する機能がある。 「最近の記事」リストをサイドバーに表示することもできる。これらは投稿時期によって過去記事を検索するものである。

 また特定の用語や記号を一つ一つの記事に付与し記事をグルーピングする「カテゴリー」機能がある。これは、サイドバーにカテゴリー・リストを表示することで、必要な過去記事をまとめて検索することができる。 

 またblogによっては、簡便な文字列・検索機能を持つものもある。

 これら基本的な諸機能はいずれも、サイドバーに表示することができる。しかしそれなりに役に立つが、記事が増加してくると限界が見える。

(2)リンク・リストと目次記事

 リンク・リストは一般に他者他blogへのリンクが主な使い方である。しかし、これを自己参照的に、自己特定記事にリンクすることで、blogの機能を高めることになる。この場合、その自己特定記事自身に目次機能をもたせることで、より効果がます。

 事例MuBlog では左サイドバーの先頭に「主な記事」という見出しがある。これはリンク名に簡易NDC分類番号を付与し、関係記事をまとめたものである。

  000-2004 総合
    気に入りの記事。
  000-2005 総合
    お気に入りの記事、2005年分。
  069 博物館
    気に入った博物館、行った所も未踏地も。
  210 新撰組
    京都伏見の案内と、2004NHK大河ドラマ「新選組!」。
  629 桜狩り
    京都を中心にした観桜記です。
  999 MuBlog階層表示
    MuBlog「カテゴリー」の階層表示。
  MuBlog目次 :記事掲載順
    2004.03.07~

---↓上記の「000-2004 総合」にリンクしている目次記事 ---
  目次記事:MuBlogの主な記事
◎ 私の京都:四条・三条・河原町篇

2004/12/03  Muがある日、京都の町を散歩して、行きつけの喫茶店や蕎麦屋を紹介しました。数えてみると僅かに1平方キロの場所でしたが、私の青年期から現在までがぎっしりつまっていました。

◎ パソコン自作:「葛野2004P黒」の製作
2004/06/23  毎年一台パソコンを自作しています。この記事は2004年製作のもので、「葛野2004P黒」と名付けました。都合で現在は木幡研の主力マシンになっています。全部で7つの記事から出来ています。

◎ 六本木のワインガーデン:ミスター・スタンプス・ワインガーデン
2004/10/23  Muが東京に行ったとき、風雪梅安一家(梅翁、Joさん)に連れられて行った六本木のレストランです。お店というのも、友人や図書や映画と同じで、単にお金があっても、時間があっても、佳いものに出逢えるわけではありません。全部で2つの記事から出来ています。

 この事例では、左サイドバーにある「主な記事」のうち「000-2004 総合」を指定することで、MuBlogとしてまとめておきたい記事の目次(一覧リスト)が表示される。すなわち、サイドバー上に恒常的にリンク・リストを分類設定し、その指示先にそれぞれの目次記事をもうけ、目次記事の中で各固有の記事にリンクを設定する。
 blogの本編記事相互間の「関係性」を、別記事に目次として格納するわけである。このことで、過去蓄積記事への一定の恒常的探索を可能にする。

(3)カテゴリーの階層表示
 カテゴリーをサイドバーに表示することは可能だが、多くのblogではカテゴリー(の用語)の配列について制限が大きい。カテゴリーの相互関係を樹状に表示するサービスもあるが、一般的ではない。ここでは、カテゴリーの階層関係や注記をまとめて別記事とし、それへのリンク・リストをサイドバーに表示している。

 読書情報


  図書書誌情報
    読書の祖先←上位概念書誌
    読書の素←図書情報
    読書余香←Mu書評
  特別選定図書
    Mu現代古典←銘記された読書
    現代四物語←昭和の鎮魂

(4)記事目録
 MuBlog では、後述するが、全文検索、項目検索のために全データを一定時期毎にココログからダウンロードし、MuDB2005システムとして情報検索に使っている。この時、同時に全記事リストを出力し、新たな記事として編集し登録している。現在は登録順だけを使っているが、データベースのレポート機能によって、様々な索引を作ることも可能である。
  ~
  414 佐野藤右衛門邸の桜平成十七年→MuBlog
  415 祇園円山公園の夕桜平成十七年→MuBlog
  416 NHK義経(14)源三位頼政の宇治平等院→MuBlog
  417 天神川の桜海・平成十七年→MuBlog
  418 金魚と住む、平成17年の春→MuBlog
  ~

 以上の(2)~(4)は、いずれも別記事として詳細な目次や階層関係、リスト形式を作り、その記事自体へのアクセスは、サイドバーのリンク・リスト機能を使ったものである。簡単な工夫ではあるが、blogに従来の自由なホームページ仕様を組み込むことで、遡及記録の探索に役立っている。

継承[↓[その(2)参照]

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blogの情報処理ツールとしての可能性(2)/谷口敏夫

承前[目次
承前[その(1)]

3.記事間の連結について

 blogにはリンクとトラックバックという二つの記事間の連結機能がある。また特定主題記事に付加する用語群として「カテゴリー」設定がある。カテゴリーは別の用途に主眼があるが、これもまた記事間の同一テーマおよびその時系列連結と言える。

 リンクは、ハイパーテキストの基本的な手法として従来からあった。すなわち記事中に引用や参照をしたい相手の記事アドレスを埋め込むことによって、自由に他の文や記録を参照する機能である。

 トラックバックは、blogによって生まれた機能で、従来の用語を使うならば、逆リンク、相手通知型逆リンクと言える。すなわち、他のblog記事に対して、こちら側がそれを参照ないし注目しているというメッセージを、自分自身の記事アドレスを相手に送付することで、知らせる機能である。

 カテゴリーについては、主題を扱う点から別に記す。

 まとめてみれば、自らの記事を主体とすると、リンクは相手をポイントするだけであり、ポイントされた相手はその事実を知らない。トラックバックは、相手の記事の中に自らを参照するアドレスを埋め込むことによって、相手に注目していることを知らせる。

 この二つを利用することで、主体となる記事は、他の記事に対して双方向のリンクを張ることが出来るようになった。もちろん、トラックバックは受け取る方が制限を付けることができるので、トラックバックを一方的に送っても受け入れられないこともある。

 モデルとしたMuBlog(ニフティー社ココログ)では、主にこのトラックバックを自己blog内で、自己参照的に使用することによって、記事間の連結を強めた。以下にそのいくつかの事例をあげる。

双方向連結型
 長期間の連載記事を次々と、「承前」とトラックバックとで連結する。「承前」は直前記事を現し、トラックバックが次の記事をポイントすることに留意すれば、もっとも自然な連結である。しかし、目次記事を付けない限り、全体を見通すことはできない。
 事例:カテゴリー「NHK義経」(カテゴリーは途中から付け始めたので未完)、「NHK義経(18)清盛死す

円環連結型
 連続記事を次々とトラックバックで連結し、最後の記事を最初の記事に結んで、円環をつくる。
 連結には単純にリンクを張るだけでもよいが、トラックバックは当該記事に着目しているとき、どこからポイントされたかが分かるという利点がある。
 日々記事を書いていって、途中でまとめたくなったときに、よく使う。
 事例:カテゴリー「現代四物語」、スタートは「死の泉/皆川博子
 事例:スタートは「葛野2004P黒の製作(0)ケース

星連結型
 あらかじめまとまった記事を目次形式で連結させる。目次記事を読めば、当該テーマの全貌を見ることができるので、人には馴染みやすい。
 事例:「Mu氏その優雅な日曜:王仁博士、磐船神社、継体天皇・筒城宮

連結に関するまとめ
 双方向連結を通常のリンクと、トラックバックで行うので、上記の型はすべて同等ともいえる。ただ、blogは最初の記事を書く際にすべてを見通しているわけではなく、時系列にそって掲載していくにしたがって、途中いくつかの連結方式を選ばざるをえない。
 記事を内部で意味的にかつ掲載順に結ぶものとして「カテゴリー」設定があるが、これをもって同一記事をまとめるのは、ある程度記事数が増えないと、確定できない。だから、もともとある「カテゴリー」機能が主題を扱うに際して最良とは言えない。余程特定テーマでないと、間隔をあけた記事間の連結をカテゴリーだけに頼るのはこころもとない。記事観点は常に変化していくものである。

4.専用検索エンジン

 いろいろなblogサービスには、最初から簡単な内部検索エンジンが付いている。つまり記事にありそうな文字列を入れると、そのblog内で関連記事を検索するシステムである。サービスによっては、それを中央でまとめて管理しているので、特定サイトに行ってblog名を特定すれば、同じ機能を果たすことになる。

 MuBlogでは、全データのダウンロード機能と、RSS(他者が対象記事をXMLタイプで入手できる機能)とを組み合わせ、記事を一括してデータベース化し、それに対応する検索システムMuDB2005を独自に作っている。
 自製のblogならば、そういう複雑な操作をしなくてもよいのだが、MuBlogの様に外部の高度なサービス(ココログ)を用いて、なお内部で自由な扱いを可能とするには、一定の工夫が必要となる。

 MuDB2005の要諦は、ココログの内部にあるダウンロード機能を用いて、本文+コメント、を一括して自製データベース(ここではファイルメーカ・Pro)に格納し、またRSS機能によって全固定アドレスを別途ダウンロードし、両者を固定アドレス・その他によって関係づけている。これをWebDBの手法で検索エンジンにまとめたものである。
 なお、
  専用検索エンジン:MuDB2005 はMuBlogのサイドバーにある。
  MuDB2005の製作ノートは、KadonoMuBlogにある。「MuDB2005システムについて

5.統計とまとめ

 MuBlogではアクセス数が一万回に達成した時点で、一週間前のアクセス統計を取っている。記事の内容や、世間の動きの中で、アクセスの多寡は変化する。相対的に、MuBlogはカレント記事よりも、過去記事へのアクセスが多く、作成者の意図に合致している面もある。ただし、不特定多数の利用者動向は、各々の意図にしたがって変化するものだから、作成者の意図とは全く反するところも多い。

  一万件アクセス 2004.04.27
  十万アクセス 2005.01.17
  十八万アクセス 2005.11.17

まとめ 
 blogは従来に比較して多くの人が使えるシステムである。本論ではこのサービスの世間的、社会的影響については触れなかったが、そこここで新しい動きが見られているようである。

 本論でもっとも主張したかったのは、blogが簡便な利用者志向の装いを示している裏には、伝統的なRDBMSを中心にした強固なデータベース管理システムが全体を支えているという事実の提示である。そこからいくつかの機能が生まれ、その中でも本論は、記事固定アドレスを利用し、リンクとトラックバックによって双方向の連結が容易にできる可能性。そしてそのリンク関係操作を目次記事などの挿入によって、より使いやすくするための工夫である。これらの総合利用によって、単純な日記アプリケーションが、知識を管理しうるツールに変化する。

 これらのより実際的な利用、応用については、MuBlogが実験室であり、資料組織(blog目録)などへの適用、情報サービスへの応用など、別途考えている。

参照記録

 (1)情報サービスの上手な利用法/谷口敏夫

 (2)SixApart本社

 (3)MovableType/SixApart社

 (4)ココログ/ニフティー社

付録

 一般的なblogシステムの構成

 現在の多くのblogシステムは、UNIX、Linux、WindowsXPなどのOS下で、次の諸要素を満たして運用されている。以下のリストでは最初にシステム名を上げたが、これらはblog運用システム毎に違ってくる。

 (1)MovableType(Six apart社): 普及しているblog運用システムである。
 (2)MySQLないし、PostgreSQL: 普及しているRDBMSである。
 (3)Perl: blogとデータベースの連携操作に有効なスクリプト言語である。(以下のPHPが不要な場合もある)
 (4)PHP: blogとデータベースの連携操作に有効なスクリプト言語である。(高度な連携操作にもちいる)
 (5)Apache: Web発信運用システムである。
 
 まとめてみると、blogシステム自身、blogで格納するデータを扱う物(RDBMS)、両者を連携する物(PHP)、Perl、そしてWeb発信を可能とする物。これらがまとまって、blogサービスが行われている。時期によっては変化するだろうが、これらは殆ど無償のソフトウェアであり、自製のblogを構築することも可能である。

 自製blog事例では、KadonoMuBlogをあげておく。
 KadonoMuBlog(http://www.koka.ac.jp/taniguti97X/KadonoMuBlog/)

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2005年12月 2日 (金)

清水寺の紅葉と自然言語処理・長尾真博士

清水寺(京都市東山区清水)地図

 十一月の末に清水寺へ行ったら、まだ紅葉があった。カメラの電池が切れたので、携帯電話で写してみた。西日を受けた紅葉の雰囲気だけはでた。

清水寺の紅葉空

紅葉空
 その日京都駅前で難しい会議があった。長尾真先生(情報通信研究機構理事長)がこの四月に日本国際賞を受賞されたことの、関西での記念シンポジウムである。題して「自然言語処理と画像認識に関するシンポジウム」。日本国際賞とは、ノーベル賞と同程度の意味を持ち、格式が高い。賞金も5千万円、栄誉ある賞だ。ノーベル賞では創始者の意思や時代背景から、数学とか情報学関係は対象外である。だから、今年長尾先生が日本国際賞を受賞されたことは、世界的な意味を持っている。この賞の京都での、というか長尾先生の出身である京都大学の情報学研究科関係の主催で記念シンポジウムが執り行われた。

 受賞者は、例年1月に決定され、授賞式典は同年4月に東京で天皇皇后両陛下御臨席のもと、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官を始め、関係大臣、駐日大公使、学者、研究者、政官界、財界、ジャーナリスト等約千名が出席して盛大に挙行されます。(日本国際賞)

 京都駅近くの会場に着いたのは午前9時。驚くべき事に、同時刻玄関前で畏友の梅翁(氏は大昔の京都大学工学部電気を卒業しているらしい。そのころ長尾先生が助教授だったよし、伝聞)と出会った。彼が東京を出て奈良ホテルに泊まり、当日会場で落ち合うまでは計算にあったが、男同士の計画は乱暴なもので「なに、来ておればよし。こなくてもよし、会場で会えるかどうかなんてどうでもよろし」のノリだ。それが、どんぴしゃり、絵に描いたような朝の遭遇だった。ここで、Muは「はあ、今日はおもしろくなりそうだ」と、思った。
 その通りになって、清水寺(笑)。まだディジタルカメラの電池もあった。

清水寺:仁王門と三重塔

清水寺:仁王門と三重塔
 はじめから「京都のことは梅翁に聞け」が合い言葉となった。つまり、この仁王門を写す前、昼食をとったのが京都近鉄駅の高架下のうどん屋だった。牛南蛮うどんと巨大だし巻きとホタテ貝のバタ焼き。梅翁が何故こういう美味いうどん屋を探し当てるのか、奈良では絶品のウナギ屋を数年前に発見し、その京都駅うどん屋はすでに十年前に発見していたとのこと。
 清水寺、仁王門と三重塔。三重塔の前の幾層もの石段が、異国のように思われた。原始仏教の世界をイメージするくらいにこの風景は焼き付いた。牛南蛮うどんの美味とともに恍惚とした。

紅葉塔(子安塔)

紅葉塔
 さてMuがこの塔を写したのがデジカメ撮影の最後となった。要するに、ここで電池切れ。Muの電池は時と所にかまわず、五分から三十分横臥するだけで、満充電されて生き返るが、あいにく現今のデジカメはそうではなかった。だから泰産寺の子安塔を写して、紅葉塔と名付けたのが最後となってしまった。地図でみるとわかるが、地理的に子安塔が清水寺とどう関係するのかむつかしい。他の記事(参考)では泰産寺は清水寺境内にあったが廃寺となって、この地に塔が移築されたとある。
 ただ、歴史背景を知ろうとすると難しいのであって、清水の舞台からみたこの塔は紅葉につつまれて、じつにわかりやすい風景だった。

Dr. NAGAO Makoto
 で、話は飛ぶが、会場で梅翁は親しく長尾先生と話をなすっていた。どんな内容かは、公開出来る範囲で「ふうてん老人日記」に出るかも知れない、でないかも。Muも知らない。
 かくいうMuは、簡単きわまりないというか、そっけないほどの一言で済んだ。しかし、それは書けない(笑)。だいたいこの五年間は、長尾先生との話は禅問答みたいな、一言、二言である。
 
 さて。しかし、ここで自然言語処理のウンチクを傾けるには、場もMuも適当ではない。難しいことであるとも言えるので、それ以上については別記事をたてて記すこともあろうが、せいぜいMuの幻想世界としてしか描けない。
 ただ、Muは随分自分自身のこととして、このことに長く執心してきた。なんというか、学問とか学術とか大学とかとは、もっと離れたところで、とは言っても独学とか趣味とか、それとも違って、自分のこととして考えてきた。だから基礎科学の素養なんかどこにもないMuであっても、その原始的な執心によって、なんとかDr.Nagaoと話す機会を長年得られてきたと思っている。

 少し派手な言い方をするならば、この世のしがらみとか仕組みとかとは無縁なところで、日本語・自然言語処理はMuの存在にかかわることだった。だから、Muはあらゆる肩書きがなくなっても、ぶつぶつと、コンピュータ内における自然言語とは、日本語とは、などと呟いているのだろう(笑)。

 で昼、さらに話は飛んで、「どうじゃ梅翁、清水寺へお参りにいかぬか」と、さそってみた。
 Muには、こういう乱暴さもある。天啓があったと申せば、通じるだろうか、いや通じない。

 自然言語処理の話を聞いて、清水寺へ即刻行こうと思ったこの「人の気持ちの動き」は、なかなかにコンピュータで解析するにはやっかいな代物である。少し上等な人工知能ならば、一般則として、「人は会議参加と称して観光巡りなどするもんだ」となる。しかし、それではまだまだ真の人工知能とは言えない。幼稚園レベルだな。

 「時に、人によっては天啓を得て会議の半ば、会議内容とは全く無縁、しかも周知の清水寺に行くこともある。ただし、固有の特異な制限条件として、Muなる人格が、ある特定の条件下にあったときに、限られる」
 こういう用例をしっかりマシン・システムが理解したふりをしなければ、真の人工知能は生まれたとは言えない。
 これは、なかなかに、すぐに出来ることではない。
 無論というか、当然というか、梅翁は即刻同意してくれた。さすがに巨大某企業で社長賞を受賞しただけの御仁である。というか、長年Muの話し相手になって下さった方だけある(笑)。

 このあと、清水寺で征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)に出会った、~。後日に続く。

参考
 日本国際賞(国際科学技術財団)
 オンライン広報通信(政府)日本国際賞
 長尾真博士のノート[MuBlog]

 子安の塔(京の通称寺)
 塔の都/弐:三重塔

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