北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」
しばらく読む機会がなかったが、昨日文化の日に18巻を読了した。せんだって、新聞で北方謙三さんのインタビュー記事があって、すでに雑誌「小説すばる」では連載が完了し、年末に19巻が刊行されるとのことだった。
今夜18巻を読み終えた今、最終巻での物語の結果の如何ではなく、ただ淡々と年末に、この長い小説の終わりを得心したいという期待が湧いた。
楊令のこと
最近Muも気持が変わったのか。
じっくり楽しみたいという思いを、いろいろなところで噛みしめている。
とはいうものの、冒頭の前振りをしたのにはわけもある。この18巻で一番輝いていた人物は楊令(ようれい)という16~17歳の少年なのだが、その新聞記事では、水滸伝の後に、北方氏は別途楊令について新連載を始めるとのことだった。
楊令がその父、稀代の英雄・楊志の死後、秦明将軍にあづけられ林冲らに手ほどきをうけ、やがて王進が隠棲する子午山に行って、もう何年になるのだろうか。先回17巻では、王進のもとを訪れた瀕死の魯達(魯智深)から、梁山泊の成り立ちや人物その他を一切合切伝授された。楊令は幾日も魯達につきそい、その死をみとった。そして、王進のもとを去った。
楊令は、この巻では、最後に林冲の騎馬隊指揮をまかされることとなった。
楊令にかくまで執心してしまうのは、その父・青面獣楊志の死があまりに壮絶だったからにもよる。しかも、それはまだ物語の前半、五巻だった。それから先回17巻まで、折に触れて楊令の成長の記録があった。読者Muは、楊志の英雄振りが目に焼き付いてしまったためなのか、死んだ男の幻影を楊令の中にみつけようと、読み続けてきたふしがある。
それが、この18巻で、まさしく楊志の再来、蘇りとして立ち現れてきた。
その重さ辛さが、少年にどのように影響するのか、それはまだ分からない。
童貫元帥のこと
童貫の戦上手を思い出しながらも、この巻では童貫元帥の心の動きが興味深く味わえた。
つまり、戦争であれ、人生であれ、果敢さと気の長さと、全体を見通す洞察力のことだ。どれほど精神力というものが運不運をこえて現実を左右するかについてであった。平常心であれば見えることも冷静さを失うと、あっけなく現実につまずいてしまう。この人類普遍の姿を、切り抜け切り分けていく稀代の将軍(元帥)がここには濃厚に描かれていた。
最初の一撃、昼夜を分かたず攻める。そのいくつかにはフェイントもある。やがて知らぬ間に全軍、総攻撃に移る、そのタイミング。負けをどこまで咀嚼し、それを次の戦いまでにどのようにして沈静化し、気力を回復するのか。そういう、心の動きが丁寧に描かれていた。
梁山泊のこと
宋国が禁軍童貫元帥を投入し、元帥自身がはっきりと「戦い」を意義あるとみた時、梁山泊の負けは決まったような趣だった。
梁山泊の備えは、北、女真族への援助と、主立った者の駐留。そして未だ明確ではないのだが、南への経済的地盤確立。備えと言うよりも、布石なのだろう。
これらがどう生きてくるのかは、最終巻をまつより仕方ない。
メモ
次回で終わりなのだから、少し北方水滸伝についてメモを残しておく。
1.経済基盤 → 闇塩の道の確保
2.通信基盤 → 全国網を持った飛脚制度
3.諜報謀略 → 宋国青蓮寺、梁山泊致死軍など
4.外交投資 → 女真族との関係。南方への経済拠点造り
5.幹部育成 → 子午山における教師王進のもとでの人間教育
軍事については、それが本文主流だからあえて記さないが、この5つの要件を精密に組み込んであるところが、北方水滸伝の優れた所以だと思った。つまり、リアリティがある。
最終巻が楽しみだ。
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