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2005年11月16日 (水)

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差

承前

 一昨日に、甘樫丘東麓遺跡のニュースを見て以来、落ち着きがなくなった。なにかそわそわするのだ。かといって、仕事を休んで今から飛鳥へ走る気持もない。今日は蘇我入鹿邸宅跡と思われる遺跡の現地説明会なのだが。若い頃に、高松塚の装飾壁画が発見されたころもそうだった。あのころは依付(笑)が強くて、発見される数週間前から、そわそわしていた(実話です)。

 授業や午後の教授会を休んで今から行っても、Muには分からないだろうというのが、本音だ。たしかに百聞は一見にしかずと申すが、人が沢山いるところは疲れる。専門家とかマニアなら、行くべきだが。

 今朝は午前二時に起きてしまった。いま午前4時頃。仕方ないので、地図を見ていた。最近おりにふれて触っている「プロアトラスW3」という地図ソフトである。Muは男性故か、地図を見ているだけで、気持が落ち着いてくる。地図を読めない女という言葉が数年前に流行ったようだが、どうなんだろう。……。

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差
 写真を右クリックして「新しいウィンドウで開く」にしてほしい。今から、地図の説明をする。まず、図の左側の折れ線グラフが、甘樫丘東麓と伝飛鳥板蓋宮跡とを結んだ地勢の標高差を現している。左端の標高がだいたい146mであり、右の地図上でポイントしたところが[標高121m]程度である。そして、グラフの右端が伝飛鳥板蓋宮の付近で、標高はグラフで読み取ると114m程度になる。グラフの一番低いところで108m程度、飛鳥川の川底なのだろう。

 甘樫丘南側の標高は146m程度(グラフの左端)のようだ。しかし、傾斜はグラフからみてもきつい。Muは推測で、多分120m標高のあたりに、ちょっと離れて蝦夷の「上宮門」と入鹿の「谷宮門」があったんだろうと思っている。幻視の一種である(笑)。

 で、今朝の結論は、板蓋宮との標高差がそれだと5m前後なので、意外な感に打たれたということである。先日の展望台からみたビデオ・イメージは、撮影地点が標高136m程度あるので、標高差は約20mだった。
 とはいうものの、甘樫丘も飛鳥川も1400年前と現代を比べると、大きな変化があったかも知れない。

 今朝の結論は、現地へ足繁く通うことは一番大切だが、ときどき机上で空想するのもおもしろいということを、記しておきたかった、ということだ。
 記し終えて、なにか気持が楽になった。今から朝食をとって、登校しよう。

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コメント

甘樫丘

あまかしの丘ですね、どういう意味か判りますか?これが今だ判らないのです。

ここでは盟神探湯(くがたち)という裁判が行われたそうですが、とても神聖な場所のようでした。

樫は橿原神宮にあるように、神武さんの宮が開設されたカシハラと関係がありそうな場所ですね。聖なる樹木としましょう。

甘(アマ)とは何でしょうか?天(アマ)ではないだろうか?橿原が天に届く場所という意味ではないだろうか?(JOの勝手推測)

だから、天橿(樫)の意味ではないだろうか?

其処に、邸宅を構えるとはどういう事か?ですね。

投稿: jo | 2005年11月16日 (水) 23時21分

joさん、 2005年11月16日 午後 11時21分

 天にとどく聖樹「橿」、よろしいな。まるで、甘樫丘は天原(あまのはら)ですよね(笑)

 河上邦彦先生は『飛鳥発掘物語』
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/11/post_14.html
 ↑この図書(87番:甘樫丘に大化の改新の跡?)でね、
「アマカシはアマガセ・マガセから訛ったものとすれば曲瀬で、飛鳥川が曲がる所の瀬ということから甘樫丘は今言われている所に間違いないだろう」と、言うてはります。地図でいうと、北東麓で飛鳥川が直角に曲がりますよね。
 まあ、河上センセのおっしゃることも納得できます。甘とか樫とかいう漢字表記に幻惑されたのかもしれません、JoさんもMuもね。

 だけどね、地名を詮索するのはしんどいよ。なんで、宇治ちゅうのやぁ、とか、なんで横浜なんやぁ、とか迷路に落ちるような。

投稿: Mu→jo | 2005年11月16日 (水) 23時50分

そうですか、だけどホンマかね?

なんか、コジツケみたいやね。単に飛鳥川が曲がる場所の丘では、神聖な盟神探湯という裁判をする場所にはならんでしょう?

もっと、神とか信仰とかそういうものから説明を受けないと納得できないね。

古代人の気持ちが伝わらないのです・・・・。(ボソボソ)

投稿: jo | 2005年11月17日 (木) 12時14分

joさん、2005年11月17日 午後 12時14分

 あのう、Joさん。
 名辞というか。
 命名して、存在をあらわにするということは、こじつけ以外、なにものでもありませんよ。

 Muが若年時、英語学習で徹底的な心的外傷をうけたのは、そこなんです。なんども中学の英語の先生に食い下がって、あきれられました。

 なに故に、英語国民は、日本で「花」とよぶものを、flowerなどと、へんな言い方をするのか。そこに、Muは根源的な、世界内存在として、余の不確かさを味わったのです。
 
 だから今。などて、あの丘は、甘樫丘というのか、という論議に深入りすると、もう年齢的に、立ち直れない存在の不確かさの深みに落ち込み、えらいことになる。

 どうか、Joさん。
 あの丘は、アマカシノオカと、太古どなたかが気まぐれに付けた、それでよろしいのではないでしょうか。

投稿: Mu→Jo | 2005年11月17日 (木) 16時09分

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