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2005年11月27日 (日)

NHK義経(47)安宅ノ関・勧進帳

承前

安宅ノ関址(石川県小松市安宅町)地図

 今夜もほっとした。義経記(ぎけいき)から、能の安宅が生まれて、勧進帳になったり、浄瑠璃にもなって、安宅物。判官贔屓はこういう様式が積み重なって広まったと得心した。
 
 弁慶さん。金剛杖で打擲(ちょうちゃく)するのは、なかなかに迫力がありました。
 義経主従はみんな男泣きした。
 男泣きとは、こういう場面で泣くものなのだろう。

 関守の富樫(とがし)さんが良かった。石橋レンジという役者だったはず。この役は特殊だと思った。おそらくたった一回の出演なんだろうが、物語の極みを支える役どころ。
 義経追捕のために安宅ノ関が急遽つくられたらしい。その関守が、無聊にあきて酒を持って現れる。この倦怠感がリアルに見えた。

 それにしてもこの逃避行。というか、当時の山伏をはじめ、諸国行脚の者達の苦労が偲ばれる。吉野山でも靜が草履だけで雪道を歩いた。そして今夜の山伏もそうだった。温かい靴下もない、編み上げブーツもない。いまからみると想像を絶する旅が、当時の一般的なものだったんだろう。まして季節は晩秋初冬。

 富樫は知っていた。山伏問答を始める前から義経一行と知っていたように見えた。だからこそ、富樫が弁慶の打擲を止めるところが、よく効いていた。知っていなければ、ただの山伏達の内紛にすぎない。「うるさい、はやくいけ」で済んでしまう背景がくっきりとある。ある上で、打ち据える弁慶の金剛杖がビシバシと音をたてる。

 さて、伝説の巴御前流離話は、今夜に決着をみた。加賀国の木こりの妻となり、子をもうけた。それでよかったと思う。

 今夜はあまり記さなかったが、内奥で「よかった」と、思っている。能や歌舞伎では、いま一つわかりにくい言葉が、今風に語られたとき、胸におさまった。Muも現代に生きる者だった。

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2005年11月26日 (土)

絵葉書:紅葉と四季桜:香嵐渓+小原村

承前[MuBlog 金沢城と兼六園]

香嵐渓(愛知県豊田市足助町)地図
小原村(愛知県豊田市小原町)地図

 突然。本当に驚くほど不意にDeepGから旅の絵葉書が二枚、携帯電話に送られてきた。
 今度は何? と思って写真を開くと、知らない土地、名前だった。
 一つめのメールには、「香嵐渓」の三文字。そして、二通目には「四季桜」の三文字。カンモクショウはまだ治っていないようだ。

紅葉と四季桜

紅葉と桜:香嵐渓と小原の四季桜
 Muは恥ずかしいことに、この二つの単語を全く知らなかった。特に後者の桜には、心底、その送付した意図が分からず首をかしげたまま数分考え込んだ。一方は、なんとなくMuが知らないだけの、どこか山間にある観光地の紅葉。その今の季節に、何故「桜」。
 問い返しても無言の行の一方メール。だからDeepGには意地でも聞かぬの心で、図書や事典、検索エンジンを使ってみた。
 ともあれ、答えは出た。

 しかし、厳門と「ヤセの断崖」とを間違えた苦い経験から、これが正しいとは言えない。
 紅葉も桜も、ともに愛知県と岐阜県との県境にある、現豊田市の町と旧村らしい。地図で確認して、やっと場所を特定した。
 足助町にある香嵐渓(こうらんけい)は紅葉の名所。四千本の紅葉がライトアップに映える所らしい。そこから北に十数キロの旧小原村は、もともと和紙工芸の芸術村のようだ。ずいぶんな山の中なのになぁ。そこに咲く桜が年に二回咲くという四季桜。珍しいものらしい。Muが知らなくても恥ではなかろう。

 と言うわけで、今回は、徒歩なのか自転車なのか、自動車なのか知らず。Muが知る範囲でも、夏に城之崎、晩夏に北陸・能登金沢、そして今秋香嵐渓。一体、DeepGはどこをいつまで彷徨えば落ち着くのだろうか。
 想像するに。なんとなく、大昔のノリでいうと、青春の光と影、そういう雰囲気が漂う。いまどき珍しい御仁なのだろう。もしかしたら、匂い立つような、こてこての文学青年かもしれない(笑)。
 あははは~。若き日のMuそっくりさんだったら、困る。

参考
  豊田市観光協会足助・香嵐渓の四季
  小原観光協会四季桜ガイド

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2005年11月25日 (金)

知識を運ぶメディア/京都大学図書館機構

京都大学百周年時計台記念館(京都市左京区吉田本町)地図

 11月の15(火曜)の朝、京都大学の時計台に立ち寄った。大学図書館の展示会オープニング・セレモニー、そのテープカットがあったからだ。現総長、図書館長、理事の方達がそれぞれお祝いをのべて、式は滞りなく終えた。Muはその後に続いて、一人の観客として展示室で案内を聞いていた。

 出不精のMuが葛野から百万遍まで出かけたのにはわけがある。
 一つは、この大学図書館とは、なんとはなしに縁がある。
 もう一つは、京都大学の「お宝」をまとめて見られる機会を見逃したくなかった。

 特に後者は、Muが葛野で「メディア論」という講義を持っているので、役にたった。翌朝の水曜日は、さっそく「京都大学で、無料の展示会があって、メディア論で注目する史料を、間近に見ることができる」と学生達に紹介した。

 羊皮紙や、甲骨文字や、百万塔陀羅尼経
 デカルトの方法序説、初版。
 世界最初の雑誌の初号(Philosophical Transactions of the Royal Society of London 1665年)

 どれもこれもMu好みの史料である(笑)。残念ながら、パピルス古文書や粘土板はなかった。
 それにしても、コンパクトに整理されているので、全体の把握がしやすかった。
 会期は12月18(日曜)までだから、今日のこの記事を読む人なら、まだ間に合うだろう。

京都大学時計台

京都大学時計台:2005/11/15
 昔は、この時計台に事務局本部があったように思う。そして大教室もあった。地下には生協購買もあった。なんとなく廊下の暗い建物だったが、この辺り一帯のシンボルだった。それが百周年を記念して改装された。

京都大学百周年時計台記念館

京都大学百周年時計台記念館
 現在は、時計台記念館となっていて、歴史展示館や文書館、大ホール、さらにレストランなどの機能を果たしている。地味な入口から中に入ると、完全な改装がされていて、落ち着きのある「新しさ」があった。以前の暗い古い印象は全くなかった。雰囲気が、丁度、古典的な博物館のようだった。(まさしく、博物館であるが)

昔の{京都大学附属図書館と時計台}

昔の{京都大学附属図書館と時計台}
 Muの目を一番に引いたのは、古い時代の京都大学吉田地区を現した、最新の模型だった。
 なによりも、Muがかつて見たことのある「旧附属図書館」が懐かしかった。写真でみると時計台の左手の建物がそれにあたる。二十代のころに縁あってこの建物に入ったとき、事務部長室の天井の高さや、部屋の広さに心底驚いた記憶がある。

知識を運ぶメディア

知識を運ぶメディア/京都大学図書館機構
 今回の展示会は、この時計台記念館の歴史資料室を中心に開催された。「京都大学の学術情報基盤の未来を考える」と記されていた。古い伝統的な大学は、全体が博物館のようなものだが、こうして一カ所にお宝を集めてみると、その基盤の確かさが味わえる。

羊皮紙古文書、百万塔陀羅尼経

羊皮紙古文書、百万塔陀羅尼経
 Muが葛野の学生達に奨めたのは、大きな博物館だと展示物が多くて目移りがしてしまう。しかし、今回のように「知識を運ぶメディア」と主題が絞られていると、初心者にもわかりやすいと思ったからである。特に百万塔陀羅尼経の、この木製供養塔は、間近にみてその雰囲気が伝わってくる。日本の最古の印刷物と言われている経が、この塔の中に納められている。

錫蘭文古貝多羅経、甲骨文字、塵芥

錫蘭文古貝多羅経、甲骨文字、塵芥
 貝多羅(バイタラ)とは葉っぱに文字を刻み、そこに墨を付けたものだ。
 甲骨文字とは、牛骨などに刻みつけた占いが中心である。展示物は中国殷時代のものらしく、今から三千年以上も昔の物だ。
 「塵芥」とは室町時代の辞書。もちろん当時は活版印刷などはなかった。これは清原宣賢という人の自筆らしい。

 会期中、キャンパスの方々で講演会や討論会があるらしい。図書館の仕事は、図書や雑誌を保管して、利用してもらうだけではない。今回は、こうした展示会を催すことでいろんな人達に智の源流を確認してもらいたいのだろう。
 Muなどが思うに、大学キャンパスの中に図書館があるのではなくて、図書館の中に大学があるとまで考えている。

参考
 京都大学図書館機構[公式サイト]
 京都大学百周年時計台記念館[公式サイト]
 学術無窮/長尾真[MuBlog]

その他メモ
 京都大学の時計台[MuBlog]
 雑感の記[MuBlog]

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2005年11月23日 (水)

20世紀少年(20)/浦沢直樹

承前

20世紀少年:20-人類の勝負

20世紀少年:20-人類の勝負
 気になっていた作品をようやく手にして読了した。先回は19巻を購入し、おもしろかったが記すのを忘れた。今回の20巻は三番隊長2003という人から借りたものである。もともと18冊を全巻貸してくれたのもその人だった(笑)。代わりにプルートの大型本はMuが確実に購入し貸すことに、暗黙の約定が取り交わされている。こういう情報源は他に「目録の神様」とか、さまざまにいるのが「役得」とも言えるのだが、まだまだMuも勉強がたりなくて、十全には使いこなしていない。
 ええ、そうでした。20巻の話でしたね。

登場人物

20世紀少年(20)登場人物/浦沢直樹
 何巻からそうなったのかはよく覚えていないが、青年や少年が中心だった物語が、ある巻から急に高齢者が占めるようになっていた。ようするに時間が経過したわけである。数名の人は、死んだのか生き返ったのか解らないような不思議な設定になっている。だれがそうだったのかは思い出せないが、時間がたつと、おぼろになっていくことと、新たに、生起することとが塩梅よく混じり合って、独特の印象をかもし出してくる。
 さりながら、昔少年少女、今オジキオバになっているキャラクターの表情がとても懐かしい。なかでも、登場人物顔写真のうち、右の方にいる「ヨシツネ」とか「ユキジ」とかは格別に表情が気に入っている。ヨシツネは少年時あかんたれだった。今高齢になってもそうなのだが、なんとかかんとかふんばって、それでも時に泣き出す。そういうのが良い。ユキジさんは、逆に少女時代からしっかり者だった。なべて女は生まれて死ぬまでしっかり者か? と思わせるほどにシャッキリしている。その芯の強さはみていて、安心する。
 というわけで、20巻にもなるともうスジがどうのというのは瑣事きわまりなく、ひたすらキャラ達の一喜一憂の表情をながめて、おお、とか、うむむとか、うなりながらあっという間に読み終えて、「次はまだか」と、識者に問う始末。

  「センセ、まだ出たとこですよ」
  「そうかぁ。ほな、プルートの3はまだかいな」
  「あれはねぇ、センセ。一年に一冊とかいう噂もありますよぉ」
  「長生きせな、読み終えんなぁ~」

 というわけで、また次巻21号を待ちましょうぞ。

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2005年11月22日 (火)

エジプトの神々(7)MAHES:マヘス/浅茅原建

承前

MAHES:マヘス/浅茅原建

MAHES:マヘス/浅茅原建
 暴虐きわまりない獅子王。

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エジプトの神々(6)BES:ベス/浅茅原建

承前

BES:ベス/浅茅原建

BES:ベス/浅茅原建
 エジプトの出産の守護神で、インク壷の装飾などに用いられる。

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2005年11月21日 (月)

出雲研究会2004と「月の蔵人」

承前[MuBlog:三輪山遊行(3)]
承前[MuBlog:伏見港界隈

月の蔵人・地図

月の蔵人、天井

月の蔵人、天井
 伏見の美味しいところを紹介するために、この記事を起案したわけではないのだが。伏見で会合を持つとなると、自然にそうなってしまう。この日、いつだったか、11月の中旬少し前に「月の蔵人」にMuを入れて五名が集まった。会議をするためであって、飲み食いは二の次だったのだが、はて(笑)。
 ともあれ、ここの天井や照明は、超現代風とは言えないが、Muの好きなデザインである。つまり、40年ほど前に流行した、要するに現代の団塊族が好ましく思う天井だった。

豆腐豆腐豆腐

豆腐豆腐豆腐
 豆腐のお店ではないのだが、現に数日前に別の会議でまたしてもここへ来たとき(復興華南2006準備幹部会)は肉肉肉だった。要するに、通い詰めになるほど豆腐が美味しいお店だった。今回の研究会は昨年秋に三輪山遊行を果たしたメンバーが、卒業後も研究熱心に出雲や三輪の神話を中心とした研究・調査に励みたいという発願によってできたものである。
 それにしても、岩塩をつけて食す、とれとれの豆腐の美味しいこと。生湯葉のお造りなんて、夷の地では箸にできない代物だろうな。

またもや、豆腐とおもいきや

またもや、豆腐とおもいきや
 それぞれの分担を決めた頃に、最後の決めが、写真右下・豆腐のぶっかけご飯だった。これには異様に皆が騒いだが、Muは若者達のためにゆずった。しかし世間には譲れぬこともある。Muは左上の生麩田楽だけは、死守した也。
 顧問は例によってMu。出雲局長はサユミンなる者。出雲副長はエミミ。出雲一番隊長はナオナオ。出雲二番隊長はタエタエとなったよし。会費は年一回まとめて出雲局長が集め管理することで合意。額は、まず顧問に年金でるまでは、ちょっと多め。年金生活に入ったあとは、会員が面倒をみるという良質な運営システムとなった。勿論会員は稼ぎに応じて多寡が変動する。

出雲研究会2004の研究員

出雲研究会2004の研究員
 ともあれ、出雲局長は総括方針策定、出雲副長は実行部隊、出雲一番はさっそくblog作成。出雲二番は資料情報管理。実にすっきりした運営である。それにしても、みなみなうちそろって出雲大社に報告に行けるのはいつのことか。なかなかに、先の遠い話である。
 とりあえず、三輪山に詣でる年次が続くであろう。

さて追伸となるが
 実はもうしたように先々日の土曜日も、当初は別のところで会合を開く予定だった「復興華南2006」準備幹部会が、またしても「月の蔵人」になってしまった。その夜は、肉もなかなかにイケた。橋本顧問の好物「だし巻き卵」もいけた。ツオイエは、料理の品種にかかわりなく、もくもくと。しかるに、山賊焼きについては780円という高値の割には、評論家全員「まだまだ、勉強が足りないね」となった次第。要するに「月の蔵人」は濁り酒、原酒、月桂冠に、お豆腐料理が最良と結論がでた。
 めちゃくちゃにお値段がよい。品数は掲載写真の二倍はあった。想像を絶するお手軽さで、これだけの雰囲気、味。これについては太鼓判なり。

再伸
 飲み物なんだが。ちょっと軟弱ではあるが「抹茶豆乳カクテル」、これにMuはイカレタ。実に口当たり好く、うむうむだった。

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2005年11月20日 (日)

NHK義経(46)しずの舞

承前

 今夜の義経は久しぶりにすっきり見終わった。なんとなく、これで最終回まで続く予感さえした。
 いくつかあるのだが、やはり靜御前の「しずやしず」の舞と、政子との駆け引きであろう。

 「芳野山峰の白雪ふみ分けて入にし人の跡ぞ恋しき」
 Mu訳:あの日、吉野山の白雪をふみわけて逃れた義経さまが恋しい。

 「しづやしづ、賤(しづ)のをだまきくり返し昔を今になすよしもがな」
 Mu訳:糸巻きをたぐり寄せるように、むかし「靜、靜」と呼んでくださった義経さまを、もとにたぐり戻せたらどれほどよいか。
 
 史上、靜は鶴岡八幡宮の若宮(下宮)回廊で、頼朝・政子を前に舞ったという。吾妻鏡の記録である。
 今夜のドラマでは、頼朝ではなく、回りの御家人衆が、逃亡者を慕った舞歌に憤然としたが、政子が「よろしい」と一喝したことになっていた。
 これは一つの見せ場であった。Mu従前の筆法なれば、様式美の極みでもあった。

 この世には男達の心意気だけではなく、おんな達の女伊達もある。
 まず、都随一の白拍子、逃亡者義経の愛人、その女・靜とくれば、これはかけねなしのスーパースターである。超然と輝いていたであろう。そのうえ、立て烏帽子に水干、太刀となると、まさしく男装の麗人。この倒錯した美しさは、当時の鶴岡八幡宮に光をもたらしたはず。

 一方、政子といえば、今をときめく最高権力者の参謀ともいえる女性だった。人心をつかむこと、生き方を示すこと、すべてにあって並の女性とは異なった感性をもっていたに相違ない。
 愛人義経も、その子も、総てを剥奪された靜にたいして、この政子がどう振る舞うのか。あるいはどう振る舞うべきなのか。それが伝承にも、今夜のドラマにも、一つの「女の心意気」として表現されていた。
 若き日の流人頼朝と政子とは、せんじ詰めれば、眼前の靜と義経との関係に逆転していた可能性すらあった。
 だから政子は、腹を据えて義経をかばい通した靜の舞を、あっぱれな女と称揚した。

 史実は誰にも分からない。吾妻鏡がそのように録し、伝承がそのようになった。
 その筋の通った美しさを、今夜のドラマは、輝く舞扇と、靜の目元であらわし、紅葉を散らした。
 大河ドラマとは、かくあるべきである。

 それにしても、作者宮尾さんの力なのか、演出の力なのか、今年の義経は多くの女優を開眼させた思いがする。今夏は能子(よしこ)が筆頭にあげられ、今夜は靜がそうであった。ただ、女優にとっても見せ場を持つというのは幸せである。場があってこそ、演じ没入できる。

 一言で言えば。目であった。目の動きに靜が生まれた。
 その動きに若さがあった。
 頼朝や政子の重厚な目の動きには及ばない。及ばない、稚拙さの残る、その上目遣いこそが靜の痛々しさと芯の強さを若さとして表現し得た。
 よかった、なあ靜さん。

 さても義経主従。
 近江から越前。この逃避行でやっと安堵した。来週は安宅の関とな。山伏姿。似合っておりました。

 なお、Muは吉次が提供した隠れ家の場面が気に入った。障子を開ければ船が着く。この設定がよい。高瀬川はたしかまだ無かったはずだから、どこだろう。堀川あたりかもしれない。為体の知れない吉次の力に保護されている安堵感があった。

 佐藤兄弟はかくして平泉から遠く離れたところで死んでいった。悲しい物語でもある。
 靜の墓は全国にあると聞く。和泉式部や小野小町伝説と同じく、伝承を全国に伝え渡った女性達がいたのだろう。知らず。

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パフェ饗宴

パフェ饗宴

パフェ饗宴
 11月の中頃前に、Muの研究室で饗宴があった。参集者は3年生の倶楽部員で、みんな集まってくれた。テーマは「来年の葛野図書倶楽部2001」をどんな風にしたいのか。どんな仕事をしたいのか、こもごも語ってもらうことだった。
 そういう内容だったから、あらかじめ司会担当者をさだめ、組織図や各人の希望を記す書式まで決めておいた。

 倶楽部は2001年に発足した。今の人員は11名の小所帯であり、普通に言われる大学のクラブやサークルとは比較にならないほど小さい。しかしもちろん山椒は小粒。一騎当千。戦力、気力は旺盛だ。一年を無事切り抜けるには、そこに横たわる課題、難問奇問山積み状態。だからこそ、どんな役割があって、誰がどうするかは、とても大切なことである。

 その夜は来年の中核となる3年生だけを招集した。
 倶楽部顧問は、日頃は4年生とだけ話をし、下級生とはめったにまともな話をしない。せいぜい「よ、元気か」「はあ、遅刻するなよ」「またねぇ」この程度のものだ。つまり顧問はひたすら4年生だけを大事にし、他を顧みない。理由は簡単で、組織を壊滅させない長年の経験による。窓口は一つ。だから、日常の報告連絡相談は、局長+副長としかしない。終局的には局長だけを相手にする。あとは、茶飲み話。それで、うまく行くことが多い。命令系統の紊乱(びんらん)は、厳に慎まねばならない。古来の鉄則である。

 倶楽部は局長、副長。書記局、経理局。そして一番隊長~三番隊長。四番隊長とモジュール化してある。
 顧問はトップモジュール局長にメッセージを送るだけ。局長は、たとえばオブジェクト一番隊長に、メッセージを送るだけ。復帰メッセージは復命と呼ぶところの受諾信号のみ。実行は速やかに達成される。
 史上、新選組以上に効率のよい組織システムである。
 これを造ったのは初代5名の創成者達だった。

 しかし、いまこれを若干変更する季節になった。
 その夕べの結論は、三頭立て馬車、トロイカ方式が最良ということだった(笑)。
 もちろん、決定は翌年になるのだが。
 予定は未定にして、確定にあらず。
 トロイカになると、顧問は三系列の頭目に各々メッセージを送ることになる。
 で、次年度中核3年生を全員招集した事実は、局長にのみ通達した。

 招集者である顧問は、「次年度は次年度になって、次年度構成員だけで決定する」という慣例原則を今季に限り破った。4年生・中核が存命の季節に、来季を来季の中核に協議させたかったからである。この結果をもって、顧問はおそらく年明けとともに、4年生全員と最後の調整に入る。

 調整は瞬時に決定までもち行かねばならぬ。
 全権が局長に集中する中、唯一叙任権だけが顧問にあるという、まことに精緻なシステム故に、顧問は最後まで継承のための労をいとってはならない。

 パフェは旨かった。顧問には格別に「きな粉タイプ」が選ばれた。生クリームがなくて、すべてフルーツ仕立てのパフェだった。写真右上端がそうだ。
 リア翁も悪くはない、そんな夕べの饗宴だった。

長女の熊カップ

長女の熊カップ
 数名が授業後にわざわざ四条河原町まででかけ、高島屋で選んだパフェだった。紅茶は、司会担当者が自宅からくすねてきてくれた上等品。それを顧問の研究室にある古びたカップに入れようとすると、熊カップを持参したものがおった。で、全員がそのカップに向かい撮影態勢に入った。つまり、この可愛らしい熊さんは、極めて短期間にはがれ落ちると言う、そういう経験則から、撮るなら今のうちに、と言うことだったらしい。

リア翁+1

リア翁+1
 どなたさんが、どんな職責をおっていて、どうなのかなどとは、野暮な話になるので、せめて来季倶楽部の陣容だけでも雰囲気的に記録しておく。みなさん、柔和な雰囲気です。しかし、歳をこすと激変し、不屈の幹部になっていくのが、2001年以来の経験でした。
 顧問はこの五年間、その不思議さに驚いてきたのでした。

 常に思うのは、建武中興、北畠顕家(きたばたけ・あきいえ)は、若干21歳で親衛軍を東国から率い、後醍醐天皇のもとに参じた。激烈な諌言の条々を天皇に上表した。後醍醐天皇への、遺書でもあった。
 時に利あらず。
 顕家、日をおかずして大軍に囲まれ孤立無援、全滅した。
 しかし、21歳の青年が残した上表文は今に残っている。
 
 Muはけだし思う。人間、20年生きれば、世の条理・情理を深層にてわきまえておる。
 世の成年、そを夢あなどることなかれ。
 ただ、その水面に浮かぶを待つ。

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2005年11月19日 (土)

紅鮎と秋の竹生島

尾上温泉旅館 紅鮎(滋賀県東浅井郡湖北町大字尾上)地図
承前[MuBlog]竹生島に虹を見た

 Muは以前から琵琶湖を愛惜している。なかなかに大きな湖だし、歴史もある。風景もひろびろとして開放感がある。自動車だと何度も一周してきた。旧知には自転車で一周した人や、徒歩で一周した人、電車で一周したひと、たくさんいる。
 琵琶湖の全てを見たわけではないが、とりわけ湖北は好ましい。しんとした透明感が好みのようだ。

 さて、従前の記事やコメントでいくつか触れたことなのだが、この湖北にめずらしくよい温泉旅館がある。「紅鮎(べにあゆ)」という鄙にはまれな逸品である。もともと温泉旅館が町中にあることは少なく、鄙であるのが当然にしても、それにしても、心地よい。回りに現代風な建物がないので、よけいにすっきりしている。

 ところが、Muがこの旅館に泊まったのは記憶では一回きりだ。しかるに、Muの写真庫には大量の写真がある。どうしてかというと、Muが泊まらないだけで、木幡研のメンバーは足繁く通う。Muはその迎えにかり出されるという塩梅。研究所にはMuなど足元にも及ばない評論家がそろっていて、なお通うという事実は、対象の資質が好いことは間違いなし。

竹生島(ちくぶじま)2005秋

竹生島(ちくぶじま)2005秋
 今年の11月上旬、木幡を出て90分、湖北にはすぐに着く。午前の9時半ころの竹生島である。昨年もこのようにかすんでいた。ことしもそうだ。
 しかし帰路、琵琶湖大橋あたりまで下ると、対岸にあたる湖西はくっきりと見えていた。やはり、湖北と湖南、湖西と湖東、微妙に風景や天候が異なるようだ。
 この、にじみ出たような竹生島は、お気に入り。

湖北の秋・水鳥

湖北の秋・水鳥
 竹生島からほんの少しカメラを南西に移すと、この通り。この水鳥の群生は昨年見なかった。今年平成17年秋の風景として、特徴的なものとなった。いったいどこから通ってくるのだろう。
 鳥にしても。聞いた話では、猿にしても、このあたりをまるで庭のように歩き回る土地柄らしい。そういえば、湖北近辺の高校を卒業した人たちの話だと、「熊がでました」とか村内放送が流れ、通学の行き帰りには「猿の大群が通せんぼする」とのこと。さらに今秋の話では、猿がハンドバックなんかを手にして、木の実や柿を集めて入れている姿もあるらしい。不思議。

紅鮎の図書室

紅鮎の図書室
 温泉と言えば湯船、料理。そんなのをひとつも写さずに、図書室を掲載するのがMuBlog なんです(笑)。料理や温泉は、名うての批評家二名が折り紙を付けているのだから、Muは何ももうさずとも、よろし。それよりも、到着するとMuが必ず珈琲を飲むこのロビーには、図書室がある。古い図書もそろえてあるので、旅館の人がなかなかに、湖北史に興味を持っているのかも知れない。

追伸
 おみやげはいつも「どんべいもなか」。これが美味しい。前日に予約しておかないと食べられない。
 迎えの帰路には、近江八幡で近江ステーキをいただくことにしている。あははは、貧の中にも、たまにはMu流のハレの日もあるようじゃ。
 

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2005年11月17日 (木)

十八万アクセス

承前:十七万アクセス

 今回の18万アクセスは、先回17万アクセスが10月7日だったので、40日間で一万件の勘定となり、一日平均250前後である。これで、年末には19万件となり、来年1月末から2月上旬にかけて、希望の20万件を達成する皮算用。
 それがどうしたという言葉が、気持ちの半分にはあるのだが、最近では生きている証のように思えて軽い快感さえある。MuBlogが動いている間中は、Muも息災であるということだろう。

 blogとは極めて徹底的に個人的な営為であり、このような感慨は妥当であると、もう一人のMuはうなずいておる。

 しかしながら、最近はどうにもヒットが出ない。気分の上では、NHK義経の壇ノ浦あたりがピークだったようである。読書も紀行も、ぱっとしない。日々、夕食のあとしばらくして、床に入って「まぶしい」と思い、ちょっと電気を消すと、次は翌朝という生活習慣なので、読書も出歩きもできない。眠るか授業か会議しかない。
 これをもって日々好日というのだろうか(笑)

(1)本日記録
  対象日:2005年11月17日(木)
  観察時間 : 午前5時16分

  累計アクセス数: 180015
  1日あたりの平均: 295.11

 記事数: 580 | コメント数: 2877 | トラックバック数: 378 | ライター数: 1
 ディスク総容量: 10,000 メガバイト
 利用中のディスク容量: 146.109 メガバイト (1.46%)

 11月の上旬にココログが突然10GB容量にアップした。ものすごくうれしいのだが、さてそれをどう使おうかと考えると、結論がでない。すぐに畏友の梅翁にココログ上での動画格納を相談したが、よい返答ではなかった。つまり、まだまだ見られるほどの動画処理はニフティでも考えあぐねているのだろうと、お互いに勝手に結論をだした。
 うむ。
 しばらくは、静止画を豊かに格納することでよいのだろう。ただし、これも幅640ピクセル画が「マイフォト」では最大だったようなので、考えるところである。

(2)先週:検索ワードランキング(4件以上のみ抽出)
 対象日: 2005年11月07日(月)~ 2005年11月13日(日)
 合計数:1187

順位 検索ワード 件数
1 義経 27

↑これはNHK義経のことで、下記のnhkとかNHKとかも同類である。最近はしっかり書き込めていないのだが、定番記事はそれなりにファンが出来るのだろうか(笑)

2 常照皇寺 26
↑この記事と、「奈良ホテル」「石舞台」そして「肉うどんレシピ」、どれもこれも先年の記事なのに、繁くアクセスがある。blogにこういう有名どころは多いと思うのだが、来てくださるとは奇特なことである。

3 京都 22
4 プロフィール 18
5 伊井春樹 15
↑NDK(日本文学データベース研究会)でお世話になった先生で、源氏物語の大家だが、はて。しきりにアクセスがある。最近源氏物語が注目をあつめておるのだろうか。葛野に隠棲していると、世間が見えぬ。

6 地図 13
7 佐野藤右衛門 12
8 ハリウッドハイランド 9
9 写真 9
10 森正 9
11 天人五衰 7
↑そういえば、「26 豊饒の海 5」「37 三島由紀夫 4」と、三島さん目当てが多くなっている。映画「春の雪」の影響かもしれない。この映画は、未見だが、さてどうなんだろう。Muは《豊饒の海》という源氏物語に匹敵する長編作品としてみているので、その第一巻を独自に映画化したものなれば、気持ちにそぐわないかもしれない。とはいうものの、いつか見てみよう。なお、Muはその第一巻を恋愛小説と思って読んだことがない。今後もそうだろう。

12 平家物語 7
13 石舞台 7
14 ゲッペルス 6
15 ミスタースタンプ 6
16 法隆寺 6
↑これは梅原猛さんの《隠された十字架:法隆寺論》の関係アクセスだろう。MuBlogは法隆寺のディジタル動画を保有しているのだが、まだ記事にしたことがないようだ。いつか、掲載したい。

17 梅原 6
18 nhk 6
19 浦沢直樹 6
↑これは先日卒業生が「25 20世紀少年 5」 20巻目を貸してくれたので、近いうちに感想文を掲載するつもりだ。

20 三輪そうめん 6
21 NHK 6
22 映画 5
23 てらだや 5
24 京都駅 5
25 20世紀少年 5
26 豊饒の海 5
27 NHK 5
28 神山 4
29 奈良 4
30 王仁公園 4
31 伏見 4
32 宇佐神宮 4
↑行きたい行きたいと思いつつ、今年もまた行かない行けない。この出不精は筋金入りだね。ある朝激情にかられて大阪空港に行き、飛行機に乗るかも知れないがぁ、まあ、来年には(笑)。

33 京都市 4
34 新撰組 4
↑先年はNHK新撰組!で燃えた(笑)。その記事余塵なのだろう。来年のお正月にはNHK土方歳三さんが函館の五稜郭で討ち死になさるようで、楽しみ。しかし正月早々、人が亡くなる姿を楽しみにするなんて、Muもおかしいのかも。

35 葛野 4
36 肉うどんレシピ 4
37 三島由紀夫 4
38 猛 4

 最近ずっと思うのだが、MuBlogはカレント記事よりも、蓄積記事の方にアクセスが多い。これは実にうれしい。昨今の流行は、なにもかもがカレント、物珍しくなければならないような雰囲気だが、もう、新しい物は受け付けなくなった。全ては、過去にあった、みた、その焼き直し、そんな風にまで思える。時間軸を想定するならば、紀元前のアレキサンドリアにも、シュメル文明にも新しいものが、未見のものが宝の山。今の物はうけつけないが、奇妙に過去は消化がよい。さて、なんだろう。

 ともかく、MuBlog も過去記事の補填、追加、継承に力を入れていくつもりだ。そのためには、カレント情報処理に主力が注がれている現今のblogシステムに、いささか工夫を盛り込まねばならない。
 それが、また楽しい。なぜなら、それはかつてあったDBMSそのものなのだから。
 かくして、Muに新しき物はほとんどない。
 アクセス統計を見て思ったところだ。

(3)先週:検索フレーズランキング(3件以上のみ)
 対象日: 2005年11月07日(月)~ 2005年11月13日(日)
 合計数:377

順位 検索ワード 件数
1 伊井春樹  プロフィール 14
2 nhk  義経 6
3 森正  三輪そうめん 5
4 20世紀少年  浦沢直樹 5
5 ブリ子  平家物語 3
6 森正  にゅうめん 3
7 ソロモンの歌  テキスト  吉田秀和 3
8 NHK  義経 3
9 NHK  義経 3

(4)先週:曜日別
 対象日: 2005年11月07日(月)~ 2005年11月13日(日)
 合計数:1550

曜日 アクセス数
MON 304
TUE 294
WED 209
THR 182
FRI 200
SAT 153
SUN 208

(5)先週:記事ごとランキング(1%以上抽出)
 対象日: 2005年11月07日(月)~ 2005年11月13日(日)
 合計数:1550

順位 URL パーセント
1 http://asajihara.air-nifty.com/mu/ 16%
2 http://asajihara.air-nifty.com/ 9%
3 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/11/jo.html 3%
4 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat573003/ 2%
5 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_13.html 2%
6 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2005/11/post_3539.html 2%
7 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_6.html 1%
8 http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/08/post_1.html 1%
9 http://asajihara.air-nifty.com/mu/cat575614/ 1%

(6)分析
 ここのところは、今朝(19日土曜日)になってやっと書く気力が湧いてきた。
 分析というても、変化無し、と記すのが精一杯。
 ただ。
 義経という「大御所クラスの記事(笑)」は本年特有のものだが、あとは洗いさらされて、MuBlogの骨だけがかいま見えてきたという、そういう分析ができる。
 要するに、Muの意図は図書の感想文と歴史随想だったわけだが、その意図は半ば達成され、なかば著者意図とは別の動きが常にあるという、単純な事実が分かってきた。

 どうしても、「京都」になる。つまりは、観光情報になる。
 で、これはこれで、「平安京絵巻」を完成したいという気持ちもあるのだから、間違いではないが。肝心の記事の多くは、美味しいところがいやに目につく。どこに、平安京があるのかい。という、自問自答である。

 記事内容はますますもって平易になる。これは意図してではなくて、対象が単純だと解説や感想も平易になるという、理の当然。焼き鳥を食べて「おお、おいしい」以外に、レトリックを積み重ねてもせんなきことなり。

 ということで。
 Muの知識・経験の樹をblogからくっきりと浮かびあがらせようとする別の意図はまだついえていない。
 しかし、著者の意図は意図として、客人たちの意図はまた別にある。そういうことで、分析しても、アクセスを増やそうとか、世間に合わそうか、という意図は限りなくゼロである。よくもうすではないか、カニは身丈、姿にあわせて穴を掘る、と。
 それは、やがて、Muの生きる喜びとなってきた(笑)。

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2005年11月16日 (水)

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差

承前

 一昨日に、甘樫丘東麓遺跡のニュースを見て以来、落ち着きがなくなった。なにかそわそわするのだ。かといって、仕事を休んで今から飛鳥へ走る気持もない。今日は蘇我入鹿邸宅跡と思われる遺跡の現地説明会なのだが。若い頃に、高松塚の装飾壁画が発見されたころもそうだった。あのころは依付(笑)が強くて、発見される数週間前から、そわそわしていた(実話です)。

 授業や午後の教授会を休んで今から行っても、Muには分からないだろうというのが、本音だ。たしかに百聞は一見にしかずと申すが、人が沢山いるところは疲れる。専門家とかマニアなら、行くべきだが。

 今朝は午前二時に起きてしまった。いま午前4時頃。仕方ないので、地図を見ていた。最近おりにふれて触っている「プロアトラスW3」という地図ソフトである。Muは男性故か、地図を見ているだけで、気持が落ち着いてくる。地図を読めない女という言葉が数年前に流行ったようだが、どうなんだろう。……。

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差

甘樫丘東麓と飛鳥板蓋宮の標高差
 写真を右クリックして「新しいウィンドウで開く」にしてほしい。今から、地図の説明をする。まず、図の左側の折れ線グラフが、甘樫丘東麓と伝飛鳥板蓋宮跡とを結んだ地勢の標高差を現している。左端の標高がだいたい146mであり、右の地図上でポイントしたところが[標高121m]程度である。そして、グラフの右端が伝飛鳥板蓋宮の付近で、標高はグラフで読み取ると114m程度になる。グラフの一番低いところで108m程度、飛鳥川の川底なのだろう。

 甘樫丘南側の標高は146m程度(グラフの左端)のようだ。しかし、傾斜はグラフからみてもきつい。Muは推測で、多分120m標高のあたりに、ちょっと離れて蝦夷の「上宮門」と入鹿の「谷宮門」があったんだろうと思っている。幻視の一種である(笑)。

 で、今朝の結論は、板蓋宮との標高差がそれだと5m前後なので、意外な感に打たれたということである。先日の展望台からみたビデオ・イメージは、撮影地点が標高136m程度あるので、標高差は約20mだった。
 とはいうものの、甘樫丘も飛鳥川も1400年前と現代を比べると、大きな変化があったかも知れない。

 今朝の結論は、現地へ足繁く通うことは一番大切だが、ときどき机上で空想するのもおもしろいということを、記しておきたかった、ということだ。
 記し終えて、なにか気持が楽になった。今から朝食をとって、登校しよう。

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2005年11月15日 (火)

甘樫丘展望台から見た多武峯:あまかしのおか・とうのみね

承前[蘇我入鹿邸宅跡?]

蘇我入鹿邸推定地図
甘樫丘→酒船石→多武峯・御破裂山 地図

酒船石と多武峯

酒船石と多武峯:甘樫丘展望台から東を撮す
 昨日の朝刊では、第一面に華々しく蘇我入鹿(そがのいるか)邸宅跡について記事があった。Muは発掘現場を見ても遺跡の分析が出来ないので、それは報告が出た時点でまた読んでみる。ここに掲載した二葉の写真は、数年前に甘樫丘展望台(地図では、「飛鳥歴史公園甘樫丘地区」と記されたあたり)から、酒船石や多武峯の地形を把握するために撮したビデオ内容である。入鹿(いるか)邸は「谷宮門:はざまのみかど」、父親の蝦夷(えみし)邸は「上宮門:うえのみかど」と呼ばれ、甘樫丘の東麓にあったらしい。だから、ここで撮した映像は、ほぼ入鹿らが見ていたイメージに近いものだと思う。その時に、酒船石があったかどうかは分からない。皇極(後に斉明)天皇に深く関係しているので、入鹿が「大化の乙巳(いっし)の変」で亡き後に造られた物なんだろう。この入鹿が惨殺されたのは645年、いわゆる大化改新時代である。

伝・飛鳥板蓋宮跡

伝・飛鳥板蓋宮跡:甘樫丘展望台から東南を撮す
 カメラをやや南に向けると、伝・飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡が中央に広がる。入鹿はこの宮で、皇極天皇の目前で、天皇の息子・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)によって惨殺された。入鹿は皇極女帝の寵愛を受けていたと思われるので、後の天智天皇=中大兄皇子は母親の愛人を、その眼前で惨殺したことになる。異様な事件と言ってよいだろう。ゆゆしいことである。その影には当然、後の藤原氏の礎を築いた中臣鎌足(なかとみのかまたり)が動いていた。

 ここ数年、蘇我入鹿には随分興味を持ってきた。最近は山岸凉子氏の「日出処の王子」を読み終えたところだが、その主人公の厩戸王子の友人蘇我毛人(えみし)は、蝦夷のことであり、彼は入鹿の父親だった。入鹿が殺害された翌日、この甘樫丘の二つの邸宅を焼き自殺したようだ。
 ユリウス・カエサルは元老院で多数の元老達・ブルータスらに殺されたが、日を置かずして名誉は回復された。しかし蘇我入鹿は、死後1400年近く経っても、悪名を残したままである。

追伸
 蘇我入鹿の祖父、蝦夷の父である蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳は、地図の右下にある。

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2005年11月14日 (月)

甘樫丘東麓遺跡(あまかしのおか・とうろくいせき)と蘇我入鹿邸跡

甘樫丘東麓遺跡・蘇我入鹿邸跡(奈良県高市郡明日香村大字川原)推定地図

 ネットの新聞を見ていたら、蘇我入鹿旧邸が見つかったかも知れないというニュースがあった。
 その記事にリンクを張っても数ヶ月で削除されるのが通例なので、奈良文化財研究所の、それに近い記事にリンクをした。(大化改新:甘樫丘東麓遺跡)ただし、この記事は、今回2005年11月16日現地報告会の内容ではない。

 日本書紀によれば、父親の蝦夷(えみし)の邸宅は甘樫丘の上にあり上宮門といい、息子入鹿(いるか)の邸宅はその下、谷宮門と呼んだらしい。今回の発掘は、入鹿と想定されているので、谷宮門跡がさらに明確になってきたということだろうか。

 Muは甘樫丘を以前に訪ねたが、その時はひたすら東にある酒船石の景観をビデオで撮っていた。冒頭でリンクした邸宅跡の地図は想像であって、いつか行ってみるか、あるいは後日に正確な発表がないと特定できない。ただ、蝦夷、入鹿の邸宅がこの推定地あたりならば、斉明天皇時代と思われる酒船石は丁度真東にある。なかなか都合がよい。世上、入鹿は皇極女帝(後の斉明女帝)の寵愛を一身に受けた人物と噂される。地図で、クロス指示点と酒船石とを結んだ、やや右側の南が、丁度飛鳥板蓋宮跡になり、ここで入鹿は凶暴な中大兄皇子(天智天皇)の兇刃に斃れた。それとは逆に北の飛鳥寺にはたしか、入鹿の首塚が伝承としてあったはず。Muもそれを見た。
 このあたりは何度も行き、ビデオに収めた。
 また機会をつくって行ってみたい。

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2005年11月13日 (日)

NHK義経(45)義経の光

承前

 今夜は聞き取りにくい言葉を頼朝が言うておった。簡単なことだが、耳慣れぬ人もおろうかと、老爺心。
 ゲカン→解官→官職を解く、つまり解任。クビといえば分かろうか。
 テンカソウソウ→天下草創→つまり、武家の治める初の国というところか。ちなみに後世、織田信長は天下布武と申したよし。

 さきほどから、感想を幾行も記したが、やはり削除した。
 まとまらなかった。
 そこに無体なけなし言葉は一切なかった。
 ただ、これまでずっと歴史上のエピソード、つまり平家物語の世界で義経をみてきたので、ここ数回、その後の世界には、どう対処してよいか、Muもまだ定まってはいないわけである。

 とにかく頼朝は義経を追いつめ、知らぬ間に義経は平泉に着いていた。そういう流れの狭間を、ドラマがどのように解釈するのか、それはそれで楽しく見たのだが、なにかを記すまでには、Muの心が熟成していない。

 靜については、その母が磯の禅尼といい、たて烏帽子(えぼし)に水干という男装で舞った麗人で、その娘・靜を同じく仕込んだのだから、さぞ美しく華麗な女性だったのだろう。義経が数ある愛妾の中から格別に靜を重んじたのは、そういう華麗な舞姿に惹かれたことと、また、義経の母・常磐御前が都で随一、千人に一人の美形だったことからの、連想がわき上がった。

 ともあれ。義経の長距離逃避行は、次回あたりから始まる。
 最後まで見届けるのが、義経やその一党、靜をはじめとするその愛妾たちへの、たむけとなろう。

追伸
 今夜のタイトルに「光」をいれたのは、黄金咲く平泉と、清盛の残した福原都の金屏風、そして新たな目的地を「光」と考えたからである。衣川の舘で討ち死にするとは、だれも考えていなかった。

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金魚水槽の掃除

承前

 先回大掃除したのが、10月3日だから、40日振りの大掃除になる。予定では11月1日前後だったのだが、あいにく伏せてしまったので、今にいたった。

 これまでの観察では、あまり神経質にならずに長期的金魚生活を楽しむには、それなりの手当が必要だ。毎日毎日せっせと掃除するのもよかろうが、それではグリ銀もグラ赤金も弱ってしまう。じっと見つめるだけで、鬱になるとかの噂、あるいはイタリアのように水槽は金魚が乱視になるので、動物虐待とかの話も聞く。

 水槽幅45センチの場合、一ヶ月に一回風呂場でスポンジを使って大掃除すると、実にすっきりする。金魚に毒かもしれないので、洗剤類は一切つかわない。

 大掃除するまでの間、水の入れ替えは、一週間に一回、30%程度か、あるいは二週間に一回50%程度がよかろうか。最近の浄化フィルターは強力なので、水の透明度は常に高いから、まあ、その程度でよかろう。

 フィルターは一週間に一回、ぬるま湯にひたして両手でぱたぱたすると、水が真っ黒になる(笑)。説明書には、二週間に一回取り替えよと書いてあるが、Muは一ヶ月に一回取り替えることにした。ものすご元気だから、それでよかろう。

 観察してきたが。
 ちっこいグリ銀は、異様なアクロバット潜水を行い、水面に飛び上がり、水を口から吐く。鉄砲魚みたいだし、その潜水というか、潜るのも浮上するのも、スクリューのような、メビウスの輪のような航跡を残す。そして時々底でお腹を上にして死んだ真似をしたり、水車の影に逆様になったままじっとしている。今日などは、横になったまま餌を食べていたのだが、さすがに同僚のグラ金魚が寄ってきて、つんつんとつつき「おまえ、あんまりふざけた真似すんなよ」と注意していた。もしかしたら、またりん翁が乗りうつっているのじゃ無かろうかと、噂が絶えない。実に元気だ。

 弱ってお腹を上にしたままだと、完全な病気らしいが、グリ銀に限って言うと、宇宙遊泳しているようなもので、まるで病弱には見えない。メビウスの輪のような潜水を繰り返す金魚。これは、もしかして珍魚かねぇ。

 巨大なグラ金魚は、いつもおっとりしている。ちょうど深度半分くらいのところでじっとしているので、わかりやすい。これぞ金魚という風情を崩さない。面白味に欠けるともいえるが、この落ち着き振りがたまらない安定感、癒しをもたらす。

 というわけで、今日の日曜、町にでて帰ったあと、一眠りして、充分に金魚水槽を洗った顛末、記すなり。

追伸
 青や緑や白石や、そしてタダスノモリの呪術黒石や。おまけに金魚藻や、水車や、付帯物を洗うのに手がかかった。とくに、石は底一面に敷いてあるので重い。また白い多数の貝殻は、洗うのに注意しないと壊れてしまう。なかなかに、グリとグラの世話も、神経を使うなぁ。
 なお、水量は、バケツで4杯から5杯。沢山はいる(あえて、計算はしないが)。

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2005年11月11日 (金)

アレキサンダー(Alexander)/オリバー・ストーン(Oliver Stone)監督

アレキサンダー(Alexander)

アレキサンダー(Alexander)/オリバー・ストーン(Oliver Stone)監督
 感動した。そして映画の、世評と実際の落差、その難しい立場を充分に味わったDVDだった。前振り話がいつものように長くなるが、このDVDを買ったのは今年の夏だった。かといって自ら進んで買ったわけではない。なにか映画を見て蕎麦を食べての散歩がてらに、烏丸の大丸によって、ともあれDVDでも買わないかと、ご存じ評論家のエドルンに誘われてのことだった。多分、その日午前中に観た映画が、あまり芳しくなかったからなのだろう。大丸へ着くまでひたすらMuは評論家エドルンに愚痴をこぼしていた。

ある映画を見ての帰り
「なあ、エドルン。あの急に出てきた若い女と、あの少年みたいな男は、なんで海の中にはまってまでキスなんかしちょるんやぁ~」
「あれはなぁ、父ちゃん、兄妹として育てられた男女の再会恋愛なんやで」
「ふーん、そうかい。けど、あの女、突然でてきよったで。なーんも説明あらへん」
「まあな、時間合わせにフィルムをぶちぶちに切らはったんで、編集する人もわけがわからんくらいに急がされたんや、きっと」
「フィルム切ったりはったりするのは、監督さんやろ?」
「さあ、そうかなぁ」
「もう、父ちゃんは、ごっついショックやった。ものすご期待して行ったのにな」

「しゃあないな、父ちゃん。ここんとこは、アレキサンダーちゅう大作DVDでも買おて、夏休みの終わりにでも、口直しにみたらぁ?」
「そうかぁ~。で、なんや、エドルン、これ高いな。それに、3時間近い長尺やで」
「父ちゃん、好きやろ? ああいうの、大作(笑)」
「おお、大作ちゅうと、今日の予告編だけはよかったなぁ」
「ほんまや、わたしも、涙ぐんだわ」
「ああ、やっぱりDNAやなぁ。君ほどの鋭い評論家でも、あれには、まいったかぁ」
「そうや、戦艦大和が海を行くの見るだけで、泣けたなぁ」
「うん。年末に、また行こか。こうなったら、俳優も筋立ても関係ないなぁ。たとえもし凡策でも駄作でもB級でも、どうでもええ。大和みるだけで、大満足や」
「同感ですよ、父ちゃん」
「ハルキの親爺、がんばっちょるなぁ」
「父ちゃんも、まだ若い。がんばれ~」

 長い前振りになってしまいました。
 そういう経緯でアレキサンダー大王映画を入手したわけです、今夏。しかるに今まで観なかったのは、長尺であることと、どう考えても評判が悪い。駄作、同性愛奨励映画、ほとんど寝てしまった。かったるい。
 とまあ、人々の感想は、どれもこれも最悪。そうまで言われた映画なれば、やはり、Muも引いてしまっていた。

 ところが。
 観た、感動した、泣いた。素晴らしい映画じゃないか。
 同性愛が原因でアメリカでは叩かれた? そんなん、どうでもよろし。同性愛プロパガンダ映画でもなんでもなくて、史上アレキサンダーはギリシャ文化の色濃い影響、あの有名人アリストテレスの弟子として、男性間の恋愛友情を大事にしていた、そういう史実を表現しているだけのこと。

 さて、Muが感動したところを少し記録しておく。

1.ペルシャとの戦いに勝った後のバビロン入城。この場面によって、ペルシャ文明がかくあったのかという、映画ならではの再現に嬉しかった。こういうのは、なかなかお目にかからない。

2.ペルシャ王ダリウス三世の無言の指揮振り、そしてペルシャ人(イランの人をさすのかな)の相貌の端麗。これがよかった。王は、戦車にのって軍の先頭に立ち、振り返り大軍に無言で両腕指を動かしただけだ。それだけで、大軍が動く、この機能美。うむ、たまらない快感だった。

3.アレキサンダーの母親オリンピアスが、幼い彼に蛇を見せる妖艶さ。蛇は、人類共通に気色悪いと思ってきたが、こういう表現をされると、また別の感興がわいた。もちろん父親のフィリッポス二世はそういう異世界の妻を憎む。

4.映画は、エジプトのアレクサンドリア王宮にいる、プトレマイオス(アレキサンダーの部下だった)のナラタージュによって進む。これが映画全体を明快にしていた。わかりやすくいうと、プトレマイオスによる解説付き回想によって進行するわけである。プトレマイオス役は、なんと、渋いアンソニー・ホプキンス。この側にいるエジプト人の書記が、何枚ものパピルスにヒエログリフで話の内容を速記している姿もよかった。

5.インドで象に打ちのめされたアレキサンダーが矢を受けて倒れ、赤い空をぐるぐるみまわしていく場面がよかった。そして、巨大な盾?に載せられて、頭上高く持ち上げられて退却するところも良い。昔観た映画で、ランボーがアフリカの海岸沿いを奴隷達の担ぐ輿(こし)に載せられて病院へ行く姿を思い出していた。

6.アレキサンダー大王の遠征と、その一種の狂喜、付き従う部下達の混迷、裏切り、毒殺。大王にまつわる負の部分も余すところ無く描かれていた。これは痛みをかんじながらも「しかたない」と思ったところだ。

 というわけで、一度はアレキサンダーに興味を持ったことのある人ならば、観ておくべきだろう。
 やはり、映画でないと表現出来ないところが、多々あった。
 通説と俗説とが混じったようなところもあるようだが、しかし、全く退屈せずに当時の世界にひたり込んでしまった。3時間弱で、大王の生涯がわかる、これだけでも素晴らしい。
 主役のコリン・ファレルという男優も、磨き上げた凱旋姿と、血反吐にまみれた汚れ姿との対比が、じつに新鮮に映った。声も張りのある場面、へこたれた場面、うまく聞こえた。

追伸
 そうそう、いつもの女優褒め。ダリウス3世の長女が、ハーレムでアレキサンダー大王を迎えるのだが、それが史上バビロンにあったかどうかは別にして、その長女の風姿がよかった。西欧でもない東洋でもない、実に、これをもってエキゾチックというのかもしれない。

再伸
 くどくなるが。この映画を退屈と思われた人は、少し寂しく思う。人類史、東洋も西洋も日本も、かく万年を経ていまにいたったのである。急に先日、現代文明が生まれたわけじゃない。その重層の一つのポイントが大王のヘレニズム文化にあった、とそう思ってみると、実に感無量の映画といえようぞ。退屈だなんて、それはないでしょう、退屈な衆生たちめ(笑)。

参考
 アレキサンダー(2004)allcinema
 アレキサンダー(HERALD ONLINE)

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2005年11月 7日 (月)

スマート珈琲店(京都・寺町)のホットケーキ

スマート珈琲店(京都市中京区天性寺前町)地図

スマートのホットケーキ
 スマートには良く行く。大体、寺町通りが好きだからだ。なぜ好きかと聞かれても、どうにも説明しようがなく、好きな通りだ。多分、人通りが少ないからだろう。三条通りを北にあがったこのあたりだと、目をつむったままぶらぶら歩くこともできる。
 近くには大きな書店もあり、気楽に停められる駐車場も御池通りにある。人に出会うこともめったにない。町中で使うのは変かもしれないが、ちょっと鄙びた繁華街の、外れ。そこにスマート珈琲店がある。

 前に行ったときはフレンチトーストとアイス珈琲だったから、晩夏だったのだろう。今度はホットケーキにした。噂では、美空ひばりが絶賛したとか(笑)、そんな話も耳にするくらいの、よい味だ。というよりも、クセがない。まさしくうまれながらのホットケーキというところだ。
 バター、蜜。丁寧にナイフやフォークが3本セットで添えられている。最初にくるナイフ・フォークで、ときめきを味わい、ようやく目の前に出されるふっくらとした二枚重ねに喉がなる。

 幼児期の記憶は、美しく、食物ならば美味しく思い出されるものだ。実際はそうではなかったはずなのに。
 ところが。
 スマート珈琲店のホットケーキやフレンチトーストは、美味しく味わった過去の抽象的味わいを、そのまま現実に確かめさせてくれる。そういう味だった。
 珈琲の味については、言わずもがな。なぜなら、このお店は有数の珈琲老舗なんだから。

追伸
 土曜日の午後一時ころだった。一階は満席で、一人のお爺さんが席を替わってくれた。感謝。
 座ってみると、次から次へと連れだって客がくる。異口同音に「あのう、二階でランチを~」。そして店の人が答える「もうしわけありません、土曜の二階は相当に混み合いまして、お待ち願わないと席をおとりできませんのです」
 ランチについては、なんとなく日本中に知れ渡っているようだ。以前から、雑誌に紹介されてきた。
 だから席が取れなかったなら、一階で珈琲とホットケーキにすればよろしかろう(笑)。もしMuがおりました折には、席を替わってあげましょう、遠来の紳士淑女諸君。

参考
 スマート珈琲店(公式)
 スマート珈琲店(京都・寺町) foodish

 私の京都1/2[MuBlog]

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2005年11月 6日 (日)

NHK義経(44)靜の別れ

承前

 吉水神社地図

 昨年の新選組から勘定すると、義経も残すところ5回ほどになった。2004/11/7の記事では近藤局長が丹波橋で狙撃された頃になる。だからといっても、義経は別のドラマだからどうなるのかはわからない。ただ、これから「別れ」が続くと思うと、見るのが辛くなる。

 今夜は靜との別れだった。もちろんその前に、正妻萌との都での別れもあった。
 なによりも吉野山での靜との別れだった。

 吉野山は昔から、傷ついた者や、都落ちした者達を匿う聖地と思ってきたが、義経については容赦なく僧兵が襲いかかってきた。金峯山寺(きんぷせんじ)は何度も行ったが、こういうところで靜と義経とは別れたのだろうか。

 ともかく、義経を描く人はみんな苦労なさるところだ。
 Muも解釈に苦労する。
 つまり、逃避行は好きじゃないからだ。この逃避行にどのような光を見せるかが、大切なのかもしれない。
 ……
 と、今夜はこのくらいにしておく。

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狐闇/北森鴻

狐闇/北森鴻

狐闇/北森鴻
 きつねやみ/きたもり・こう、講談社文庫。おもしろく読んだ。伝奇小説なのか、ミステリなのか、どういうってよいのかわからないが、Mu好みの小説だった。内容を殆ど知らないままに、そしていくつかの賞をうけた著名な作家であるにもかかわらず、Muは先入観なしで読んだ。無知の幸であろうか。もともと、作品を自分で選ぶほどには目利きではない。自分で選んだ図書とか映画は、大抵見終わったあとに「ブー」、失われた時間と労力を思い、呪詛の言葉を木幡や葛野で吐き散らしている。しかし、それらは忘れる。人の失点、欠点をMuBlogであげつらっても、ほとんど意味がない。読まなかったこと、見なかったことにして、生を終えるつもりだ。
 だから、MuBlogは、いかにも読書好きの人間が、図書や映画紹介しているようにも見えるが、あんまり記事にはならない。そんなぁ、毎日毎週おもしろい本や漫画や映画が、あってたまるかい。

 狐闇、最初どう読んでいいのか困った。コアン、キツネアン、コヤミ、……。なかなかキツネヤミにたどり着けなかった。これは高校の国語の時間に、なにかしらあがってしまって、平野とよめばよいものを、タイラノ、ヒラノ、タイラヤと堂々巡りして、さいごにやっと「へいや」と読んだ思い出に等しい。Muは、そういうところが多い。(悲)

 さて次は、北森鴻という著者名である。最初、キタ・リンオウ、ととんでもない読みをしていた。コウノイケ(鴻池)をおもいだして、kouかもしれないと気づいたときには、キタ・リンコウだった。
 キタモリ・コウにいたるまで、ものすごい苦労を重ねた。

 実は、最初の最初から、この図書については探索に骨がおれた。ミステリマニアなら著者名を見て、一瞬でわかることだが、Muはマニアではなかった。だから、この著者を、さるコメントによって、それが故意にかミスかわからないのだが、誤った情報で懸命に探していたのだ。次のコメントをご覧下され。

税所篤は森鴻の「狐闇」(講談社文庫)に出でてきますね。これ、ミステリーですがおもろいでっせ。 名前: 冬狐 | 2005年9月27日 午後 05時57分
 元記事はMuBlogの、「墓盗人と贋物づくり:日本考古学外史/玉利勲

 ある日突然こういうコメントが入った。むろん、「冬狐」という人物はまったく、なにものなのか不明。ともかく、なんとなく「読まないとぉ」と、そそるようなコメントだった。そして、そこには大森鴻とあった。Muは頭が固いので、大森鴻で何度も何度も探した。……。信じられないことだが、数日かかった。どうしても「狐闇」では、さがさなかった(理由不明:多分、このタイトルに胡散臭さ、コメントを下さった方の誤植と思いこんでいたふしがある)

 ……

 周辺をぐるぐる回るのはこれくらいにしておこう。単純なことだ。Muはミステリの感想文を書くのが、最近ものすごく苦手になってきている。困ったことだ。
 で、しかしキーワードくらいは列挙しておく。
 ヒロインは、冬狐堂(とうこどう)という骨董屋さん。ただし店舗をもたないから、業界用語で「旗師」(はたし)と呼ばれている。本名は宇佐見陶子(うさみ・とうこ)、30代後半の独身女性。発掘物の目利き。
 彼女がある日、三角縁神獣鏡、しかもカラス・マーク入りの魔鏡を手にしたときから、事件に巻き込まれていく。その奥は深く、どうも明治期に仁徳天皇陵を盗掘したと噂のたかい、堺県令・税所篤(さいしょ・あつし)の線に結ばれていく、……。

 ヒロイン冬狐堂は、そうだな、アンドロイド的な魅力がある。徹底的に追いつめられるのだが、それを何度も何度も不屈の精神ではねのけ、切り開いていく。緊張度の高い作品である。そしてまた事件の背景には、明治政府の政治の根幹にまで抵触する、ある種の「怖さ」がある。

 と。これくらいにしておく。
 これは冬狐堂シリーズでは、二作目のようだ。一作目は「狐罠」らしい。また、読んでみよう。キタモリ・コウのキツネ・ワナとよむのじゃろうな(笑)。

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2005年11月 4日 (金)

北方謙三『水滸伝』十八「乾坤の章」

承前

 しばらく読む機会がなかったが、昨日文化の日に18巻を読了した。せんだって、新聞で北方謙三さんのインタビュー記事があって、すでに雑誌「小説すばる」では連載が完了し、年末に19巻が刊行されるとのことだった。
 今夜18巻を読み終えた今、最終巻での物語の結果の如何ではなく、ただ淡々と年末に、この長い小説の終わりを得心したいという期待が湧いた。

楊令のこと
 最近Muも気持が変わったのか。
 じっくり楽しみたいという思いを、いろいろなところで噛みしめている。
 とはいうものの、冒頭の前振りをしたのにはわけもある。この18巻で一番輝いていた人物は楊令(ようれい)という16~17歳の少年なのだが、その新聞記事では、水滸伝の後に、北方氏は別途楊令について新連載を始めるとのことだった。

 楊令がその父、稀代の英雄・楊志の死後、秦明将軍にあづけられ林冲らに手ほどきをうけ、やがて王進が隠棲する子午山に行って、もう何年になるのだろうか。先回17巻では、王進のもとを訪れた瀕死の魯達(魯智深)から、梁山泊の成り立ちや人物その他を一切合切伝授された。楊令は幾日も魯達につきそい、その死をみとった。そして、王進のもとを去った。
 楊令は、この巻では、最後に林冲の騎馬隊指揮をまかされることとなった。

 楊令にかくまで執心してしまうのは、その父・青面獣楊志の死があまりに壮絶だったからにもよる。しかも、それはまだ物語の前半、五巻だった。それから先回17巻まで、折に触れて楊令の成長の記録があった。読者Muは、楊志の英雄振りが目に焼き付いてしまったためなのか、死んだ男の幻影を楊令の中にみつけようと、読み続けてきたふしがある。
 それが、この18巻で、まさしく楊志の再来、蘇りとして立ち現れてきた。
 その重さ辛さが、少年にどのように影響するのか、それはまだ分からない。

童貫元帥のこと
 童貫の戦上手を思い出しながらも、この巻では童貫元帥の心の動きが興味深く味わえた。
 つまり、戦争であれ、人生であれ、果敢さと気の長さと、全体を見通す洞察力のことだ。どれほど精神力というものが運不運をこえて現実を左右するかについてであった。平常心であれば見えることも冷静さを失うと、あっけなく現実につまずいてしまう。この人類普遍の姿を、切り抜け切り分けていく稀代の将軍(元帥)がここには濃厚に描かれていた。

 最初の一撃、昼夜を分かたず攻める。そのいくつかにはフェイントもある。やがて知らぬ間に全軍、総攻撃に移る、そのタイミング。負けをどこまで咀嚼し、それを次の戦いまでにどのようにして沈静化し、気力を回復するのか。そういう、心の動きが丁寧に描かれていた。

梁山泊のこと
 宋国が禁軍童貫元帥を投入し、元帥自身がはっきりと「戦い」を意義あるとみた時、梁山泊の負けは決まったような趣だった。
 梁山泊の備えは、北、女真族への援助と、主立った者の駐留。そして未だ明確ではないのだが、南への経済的地盤確立。備えと言うよりも、布石なのだろう。
 これらがどう生きてくるのかは、最終巻をまつより仕方ない。

メモ
 次回で終わりなのだから、少し北方水滸伝についてメモを残しておく。
1.経済基盤 → 闇塩の道の確保
2.通信基盤 → 全国網を持った飛脚制度
3.諜報謀略 → 宋国青蓮寺、梁山泊致死軍など
4.外交投資 → 女真族との関係。南方への経済拠点造り
5.幹部育成 → 子午山における教師王進のもとでの人間教育

 軍事については、それが本文主流だからあえて記さないが、この5つの要件を精密に組み込んであるところが、北方水滸伝の優れた所以だと思った。つまり、リアリティがある。
 最終巻が楽しみだ。

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2005年11月 3日 (木)

チェオクの剣 (01)

 木曜の夜10時、BS2の前に今夜も寝ころんでしまった。
 先週は、チャングム最後の回で大団円だった。よかったなぁ、チャングム。

 ヒロインは今夜も若い女性だった。あたりまえだ、「ヒロイン」なんだから。
 最初、特撮というか、忍者みたいな動き、画面が急にカタカタと駒落としのような、そうでもない静止画になったりして、目が回った。現代風の若者好みの音楽が流れたり。青春ドラマのような雰囲気でもあった。
 なんだか、わかりにくいドラマだった。
 昔はやった「北斗の拳」のような、あるいはB'zのようなノリ。

 しかし、ドラマが終わったとたんに、このMuBlogを書き出したのは、うむ、脈がある。あんな風に画面をくるくるぱーにしなくてもよいのにと思いながらも、日本のアニメをそのままドラマにしたような人物の動きに、まあ、それが今風なのかと定めて、しらぬまにTVの前に居座ってしまった。

 TV前に座ったのがイノチ取り。ああ、これでまた毎週木曜日はTV爺さんになってしまう(笑)
 実は、午前中は前々から見ている中国製の水滸伝DVDにものめり込んでいた。
 日本の北方水滸伝、中国の水滸伝ドラマ、そして今夜韓流の女刑事のような密偵のような、鬼平のような。
 三者三様、じつにこの世はおもしろい。

 さて。
 物語はまだ読めない。17世紀の朝鮮が舞台だ。チャングムとは一世紀あとの話。都には左右の警視庁みたいなのがあって、チェオク嬢はその片方の役所の下働きのようだ。しかし、殺人の検死から、犯人推理まで、いやいやそれだけじゃない、武道も一流。遁走する犯人を濡れタオルで「バシッと一撃」昏睡させる技も持ったすぐれ者。
 殺人事件捜査なのか、左右警視庁喧嘩の仲裁なのか、都を騒がす贋金造り犯人検挙の密偵なのか。
 来週どうなるのか、ともかく和流とはちがって、すべてが破天荒にみえるから、先がよめないミステリ。

ではまた来週、茶母(タモ:役所の下働き)さん再見。

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エジプトの神々(5)MA-FOOT:マフト/浅茅原建

承前

MA-FOOT:マフト/浅茅原建

MA-FOOT:マフト/浅茅原建

蛇のように長い首を持つ豹。
ナルメル王のパレットの装飾にこの姿がある。

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