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2005年10月16日 (日)

NHK義経(41)義経・近江の決断

承前

 今夜のエピソードは少なく、あっという間に終わった。いまやMuも義経と同じように考えを巡らし、出処進退を、復命、抗命、独立の潮時を、毎週日曜の夜になると沈思黙考するようになってしまった。

 もちろん、清盛の五男重衡(しげひら)が南都焼き討ち総大将の責めをうけ、木津川で南都僧に斬首されるのは、なんとも仏罰とは恐ろしいものよと思ったが、致し方なきことであった。従三位(じゅさんみ)左中将と申せば、高位高官、斬首はなかろうにと考えたが、坊主の恨みはおそろしい。仏敵には容赦せぬようだ。
 今生の、めおと別れが切ないが、それよりもその女優さん、髪、着物、顔付き、目つき、狂乱にいたる一歩前の風情がよくでていた。
 重衡は、このドラマで、一ノ谷で義経に生け捕りにされて鎌倉に送られ、しばらく静養していたのだが、南都の宗門、僧兵の圧力は鎌倉をも威嚇するだけの力が、なおあったようだ。やんぬるかな。

 もとにもどると。
 頼朝は、京に入る直前の義経に「宗盛父子の首をはねよ」と使者をだす。使者の名は、すぐ忘れるのだが頼朝側近役で、以前から好感を持っていた。
 結果は、義経、その命に復命したこととなる。

 で、Muが壇ノ浦以来毎週、額に縦皺をよせていたのは、義経がその時、それ以降どうすればよかったかの判断だった。

 今夜ならば。
(1)宗盛親子と結託し、各地の平家を束ね、後白河法皇の院宣をえて、鎌倉追討を行うことだった。
 義経の盛名と、西国の平家地盤があれば、勝てるかも知れなかった。
 しかし問題は、宗盛が、役者は大の好みだが(千年火:鶴見辰吾)、どうにも愚物だったようである。さらに、義経も参謀なく、政治的には愚物と言えようから、頼朝の首はねたあと、失政が続き、最終的には目覚めてしまった関東御家人に敗北するだろう。

(2)一路、この時点で奥州に潜行し、まだ元気な秀衡のもとで、鎮・奥州将軍?となるのはどうだろう。そして秀衡の政治力、軍事力を背景に鎌倉と対峙する。あとはわからない。

(3)あっさり、後白河法皇の庇護をえて、西国の束ねにとりかかる。これをもって鎌倉と対峙する。あるいは、九州一国の王となるか。

 ……、といろいろ考察してみたが。よい考えは浮かばない。
 要するに、義経の没落があまりに急激な故、いささか歯がゆいばかりである。

参考
  平家終焉の地(滋賀県観光情報)[地図あり]

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コメント

確かに、義経の没落が急すぎて、今後、昇ることは、あり得ないのですから、12月末まで義経の情けない姿ばかり見せられると、歴史上の国民的英雄である義経のイメージが変ってしまいそうです。義経の「平成の改革」になりそうです。

やっぱり、今回は鎌倉から来た使者を切り捨て、平家の残党を集めて戦って欲しかった。すなわち(1)の道です。そしたら、戦う義経であり続けたように思います。


投稿: hisaki | 2005年10月17日 (月) 08時32分

hisaki さん、2005年10月17日 午前 08時32分
 たしかに(1)を取っていた可能性が残りますね。
 この場合、大義名分としては、法皇の追認が必要でしょうが。
 すると、歴史のif。
 ただ、ただですね。
 頼朝、尊氏、家康とも、(秀吉がわかりにくいですが)、地場の武士階級の賛同を得ないとどうにもならない歴史がありますね。
 逆に、平家がでてくるまで、朝廷、貴族階級はどうやって統治していたのか。初歩的なことで頭がくらくらします。
 ……荘園制とか、どうやって、地元の戦力に委任していたとか、どうとか。仏教勢力とか。
 昔のことは、ようわからんもんです。

 で、義経。
 うむ。彼がどういう道をもっていたかは、NHK義経でも、横見できるかもしれません。ああたら、こうたらと。

投稿: Mu→hisaki | 2005年10月17日 (月) 15時52分

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承前  今夜の義経は、久しぶりに快感を得た。一々の画面に緊迫感が漂っていた。もちろん靜や奥さんや、うつぼを久しぶりに見たのも気持が和んだ。総じて、この義経、女性 [続きを読む]

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