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2005年10月14日 (金)

日出処の天子(7)/山岸凉子

承前

日出処の天子-7/山岸凉子
 ついにという気持の満ちた中で最終巻、7を読了した。感動が深く、あれこれ筆にするのがむなむなしい気持もあるのだが、やはり記事にして、このときMuがどう読み終えたかを後のMuのために残しておこう。
 そしてまたこの図書を薦めてくれた人達にも感謝しておこう。
 二人いた。

 一人は、エドルン君という長年親交の深い人だった。エドルンは十数年前に、Muがこの図書に興味を持ったとき、読むことを禁じた。事情はなんとなく覚えているが、ともかく一旦は読むことを禁じた。Muは例によって素直な性分だから、信用する者の言には原則従うので、読まなかった。
 しかし今夏会ったとき、「読むべし」と言った。丁度京都駅だったので、さっそく駅の地下書店へ二人で行き、コミックスの棚の中から、店員に尋ねて全7冊をみつけ、中も見ずに(封もあったなぁ)即刻全冊購入した。その際、青青とかいう卑弥呼ものも探したが、絶版ないし売り切れのようで、そちらは入手出来なかった。

 もう一人は、これも信用するにたる司書kgk氏だった。昨年ある機会に「よき図書」の話を聞き、飛鳥時代に興味のある立場から、「この漫画は永久保存対象です」と、言い切ってくれた。昨年秋のことだったか、記憶もうすれたが、温厚なkgk氏がそう言ったのだから、これも従うのがよかろうと。しかし、書店がそばにも無かったので、後日に探そうと思ったまま、その後、ご承知の方もおられようが、書店のコミックスのコーナーは、独特の雰囲気があり、慣れないと探すこともできず、ああたらこうたらしているまに、今夏になってしまった。

 ともかく、いまMuの木幡研机上には山岸凉子の絶唱『日出処の天子』全七巻(白泉社文庫版)がある。
 物語からも、描画からも、思想からも、人間観からも、「永久保存図書」としてそばに置いておく。

 何故なのか、と一言で申すならば、厩戸王子という存在にかりて、人間存在の深奥をわかりやすく解いた作品だからである。そしてまた、もしかしたら、上宮王家の一代にしての隆盛と崩壊とを、日本古代史の中で解き明かした作品だからである。

 と、ここで筆を置けばよいのだが(笑)。
 そこが、それ、秋だから心身調子よく、筆がすべる。

1.馬屋子女王(うまやこのひめみこ)
 第七巻は後半に、馬屋子女王が含まれている。最初は附録と思い、本編の読了時には深い余韻にひたっていたので、後日に読もうと思ったのだが、ふとした弾みに読んでしまった。

 ところが。おそらくこの白泉社文庫版はこの中編を併合することで、輝きがましたのではないかと、結論した。
 というのは、馬屋子女王という、厩戸王子の末の娘をテーマにしたこの作品が、山背王子一族壊滅という歴史の不思議さを実に巧妙に解き明かし、ひいては厩戸王子の、本編における未来予知の結論を導き出した作品だったからである。

 世にいういわゆる「後産」ではなく、これは、厩戸王子の思想の決着だった。人を凌駕した者の、人ではない者が生み出した世界は、神話として残すべきであって、現実世界では滅亡せざるを得ないという、実に苦い真実を描いた作品である。

 それにしても、女流作家の描く「馬屋子女王」の性的フェロモンの破壊力は強烈である。みるみる山背一族が滅びていく様が、必然として描かれていた。入鹿が手を下したのではなく、厩戸王子の子孫は自壊したのである。Muは日本史の中に新たな視点を見いだした思いがした。
 (理屈ではなく、一族滅びざるを得ぬ、と得心したのであった)

2.毛人(えみし:蝦夷)の人間性
 蘇我馬子の長男にして、蘇我入鹿の父、エミシという人物がこれほど光をおびた作品はないと思う。
 エミシは作中で回りを、天才・異能の厩戸王子、超絶美形の実妹トジコ、権勢並ぶべくもない馬子(飛鳥の石舞台古墳の主と考えて良かろう、嶋のオトド)達に囲まれて、実に苦戦する。その苦戦は涙無くして語れないたぐいのものである。常に二者択一を迫られ、自ら信念を込めて一方を選ぶも、それが常に解決とならず、次の悲劇を招いた。その悲劇のなかで、ついには「道を見つけたからには、それを全うするのが自然である」と、厩戸王子に決別を告げる。

 作者山岸は、エミシにこそ愛他を描いた。そこにこの漫画のおそるべき破壊力があった。
 天才は、世界を人を、愛することが出来ない存在であると描ききった。
 天才は孤独である。
 だからこそ、仏を仏として冷静に見つめ、その意味の根源を知ることができた。
 おそらく、後世の人はそこに聖徳太子伝説を紡ぎ出したのであろう。
 そして。
 恐ろしくもあるが、馬屋古女王の物語、上宮王家一族壊滅の歴史は本当のことだったのだろう。

*.おわりに
 表現というものは、現代満ちあふれている。しかし、時季に応じてそのどれかに遭遇するというのは、常ならぬ幸運に依存せざるをえない。ただ言えることは、幸運を幸運としてしっかり両手に持つことは、日頃の努力だと思っている。Muは、これからも、メディアの如何にかかわらず、琴線にふれるものを求めようと思った。

 その意識さえあれば、現世は捨てたものではない。
 太子さまがもうされたという「この世は虚仮(こけ)」という言葉は、山岸巫女によって、根底から覆された。黄泉の厩戸王子も、完爾にんまりと、この作品を読まれたことだろう。

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 山岸凉子さんの「ひいづるところのてんし」。  かねがね気になっていた漫画を、全7冊購入した。昨夜、その1を、おもむろに読み楽しんだ。  いろいろな観点からメモ [続きを読む]

受信: 2005年10月14日 (金) 19時58分

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